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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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腕に合う


 川鎧魚の鱗を防具職人へ預けてから、一週間ほどが過ぎた。


 その間も、杏々はいつも通り仕事をしていた。


 王都近郊を回る荷車の護衛。


 薬草を集める採取班への同行。


 少し離れた村へ書類と小さな荷物を届ける往復の仕事。


 どれも大きな戦闘はなかった。最後の仕事で、道端へ出てきた角兎を一匹仕留めたくらいだ。


 赤ランクになったばかりの頃なら、何も起きなかった一日を「何もなかった」で済ませていたかもしれない。


 今は少し違う。


 依頼主が予定より遅れても待つ。


 道がぬかるんでいれば、荷車の速度に合わせる。


 知らない脇道を勝手に選ばない。


 黄ランクが一緒なら、自分が先に全部片付けない。


 危険でなければ任せる。


 危なくなれば止める。


 そういうことを、いちいち考えなくてもできるようになってきた。


 自分が変わったという実感は、あまりない。


 ただ、ギルドへ戻った時に受付嬢から確認されることは減っていた。


「今回も問題なしですね」


「うん」


「依頼主からも、特に報告はありません」


「よかった」


「最近、私が注意することも減りました」


「前はいっぱいあった?」


「ありましたよ」


 杏々が少し考える。


「何?」


「今さら聞くんですか?」


「忘れた」


「でしょうね」


 受付嬢は呆れながらも笑っていた。


 その日は、報告を終えた杏々へ一枚の紙を見せた。


「それと、今すぐ何かする話ではないんですが」


「うん」


「赤ランクになってからの記録、だいぶ揃ってきました」


 杏々が紙を見る。


 文字はかなり増えていたが、細かな内容までは読めない。


「仕事いっぱい?」


「そうですね。護衛、採取同行、調査護衛、街道確認、下位ランクとの同行。長距離も短距離もあります」


「戦ったのは?」


「十分です」


「そう」


「そこは最初から心配してません」


 受付嬢は紙を机へ戻した。


「まだ正式な話ではありません。ただ、緑ランクへの昇格を考える時に必要な種類の記録は、かなり埋まってきています」


 杏々の目が少しだけ開いた。


「赤角牛近い?」


「やっぱりそこですか」


「緑になったら増える」


「依頼によっては、です」


「近い?」


「前よりは」


 以前なら、その先をもっと聞いていたかもしれない。


 あと何件か。


 いつ上がれるか。


 何をすればいいか。


 けれど最近の杏々は、ランクが仕事の数だけで決まるものではないと分かっている。


「じゃあ仕事する」


「それでいいです」


「赤角牛も待つ」


「ずいぶん待てるようになりましたね」


「待つのいっぱいあるから」


 味噌。


 醤油。


 畑。


 保存食。


 川鎧魚。


 防具。


 それに緑ランク。


 こちらの世界で暮らし始めてから、杏々の周りには結果が出るまで時間のかかるものが随分増えていた。


 ギルドを出ようとしたところで、受付嬢がもう一つ思い出した。


「あ、杏々さん。職人通りから伝言も来ていますよ」


「腕当て?」


「仮組みができたので、一度来てほしいそうです」


「行く」


「今日はそっちが先なんですね」


「ご飯はその後」


「珍しい」


「腕当て見たい」


 それも本当だった。


     ◆


 職人の店へ入ると、以前会った男が作業台の奥から顔を上げた。


「来たか」


「来た」


「今日は大きい方で合わせるぞ」


「うん」


 杏々は店の中を確認してから、身体の圧縮を解いた。


 視線が上がる。


 手足が本来の長さへ戻り、衣服もそれに合わせて展開する。


 成人の姿へ戻った杏々は、自分の前腕を軽く回してから職人を見る。


「お待たせしました。仮組みまで進んだんですね」


「ああ。まず見てくれ」


 作業台の上へ置かれた腕当ては、前回見せてもらった既製品より細身だった。


 外側は落ち着いた色の革。


 表面から川鎧魚の鱗は見えない。


 けれど指で押すと、革の下に何枚か硬いものが重なっている感触がある。


「思ったより薄いですね」


「厚くすれば強くはなるが、お前の場合は動きを邪魔しない方が大事だろ」


「はい。その方が助かります」


「持ってみろ」


 杏々は腕当てを手に取った。


 軽い。


 革だけのものより少し重い程度で、金属を仕込んだ防具とは比べものにならなかった。


「これなら重さは気にならないと思います」


「まだ着けてないぞ」


「分かっています。重心が腕から離れていないので、少なくとも持った感じでは悪くありません」


 職人が少し笑った。


「そういうことまで見るのか」


「腕を振るので。軽くても外側へ重さが寄っていると、細かな動きで気になります」


「なるほどな」


 職人は革帯を緩め、杏々の左前腕へ腕当てを付けた。


 肘より少し下から、手首のかなり手前まで。


 以前話した通り、手首周りは広く空けてある。


「痛いところは?」


「今のところありません」


「締めすぎは?」


「もう少しだけ緩くても大丈夫です。受けた時に回らなければ」


「じゃあ一段緩める」


 調整してから、杏々は腕を曲げた。


 肘。


 手首。


 掌を上へ。


 下へ。


 拳を握り、開く。


「問題ないです」


「次、言ってた動きやってみろ」


「少し場所を借りますね」


 杏々は作業台から離れ、店内の何もないところへ立った。


 大きな型を通すほどの広さはない。


 だから前腕の動きだけを見る。


 右手を軽く前へ出し、左腕を内側から添える。


 架空の攻撃を受け流すように、前腕を斜めへ滑らせた。


 次は外から内。


 手首を返しながら、肘を沈める。


 腕当てそのものはずれない。


「もう少し速く動きます」


「物壊すなよ」


「大丈夫です」


 今度は速度を上げる。


 風を切るほどではない。


 それでも、さっきまでとは明らかに違う速さで、腕の軌道が何度も切り替わった。


 職人が目を細める。


「……その動きなら、確かに表へ鱗出さなくて正解だったな」


「はい。段差があると、相手の刃や衣服を引っ掛ける可能性があります。受け止めたいわけではないので」


「今ので何か当たったか?」


「少しだけ」


 杏々は腕当ての手首側を指で示した。


「ここです。掌を強く返した時に革の端が少し触れます。痛くはありませんが、何度も繰り返すと気になるかもしれません」


「削るか」


「お願いします。あと、肘側は今の位置でいいです。ただ、内側の革をもう少し柔らかくできますか?」


「理由は?」


「この辺りを相手へ直接当てることがあります」


 杏々は肘の内側から前腕へかけてを指す。


「防具が硬すぎると、自分の感覚が変わるので」


「守りたいのに柔らかくしろって言うのか」


「外側だけ守れれば十分です。内側まで固める必要はありません」


「面倒な戦い方だな」


「すみません」


「いや、使い方が分かる方が作りやすい」


 職人はその場で印を付けていく。


 手首側を少し短くする。


 内側の革を薄くする。


 外側の鱗板は今のまま。


 肘側は変えない。


「鱗はどうです?」


「今のところ割れてない。まだ本気で何か受けたわけじゃないけどな」


「私が持ってきたものも使われていますか?」


「ああ」


 職人が腕当ての中央付近を軽く叩いた。


「この中に三枚。大きさが揃ってたから使いやすかった。残りは別の川鎧魚の鱗だ」


 杏々はそこを見た。


 外からは何も分からない。


 言われなければ、普通の革の腕当てにしか見えない。


 それでよかった。


「ありがとうございます」


「気になるか?」


「少し」


 杏々は自分の腕を見たまま続けた。


「昨日まで食べ物だったものが、本当にこういう形になるんだなと思って」


「鱗は食ってないだろ」


「食べ物だった魚の一部、ですね」


「なら分かる」


「こうして見ると、残しておいてよかったです」


 自分が食べた魚だから特別な強さがあるわけではない。


 同じ川鎧魚なら、他の鱗と性能は変わらない。


 ただ、あの一匹を食べた記憶と、その後に残ったものが今の腕へ繋がっている。


 それが少し嬉しかった。


「じゃあ、ここ直したら完成ですか?」


「もう一回だけ合わせたい」


「今日中ではないんですね」


「革も少し削るし、縫い直す。明日か明後日だな」


「分かりました。急ぎではないので大丈夫です」


「完成したら、最初は訓練場で試せ。いきなり仕事へ持ってくなよ」


「そのつもりです。実際に攻撃を受ける前に、腕の振りや型で問題がないか確認します」


「あと、お前の言ってた『触れさせて逸らす』使い方なら、表面の革が削れやすいかもしれん」


「消耗品として考えた方がいいですか?」


「鱗は残っても革が先に傷むことはある。だから外側だけ張り替えられる作りにしてある」


 杏々が少し驚く。


「そこまでしてくれたんですか?」


「長く使うならその方が楽だ。川鎧魚の鱗は今、安くないからな」


「魚も高かったです」


「食った側の感想だな」


「かなり美味しかったです」


「そこはもう聞いた」


 職人が笑う。


 杏々も少しだけ口元を緩めた。


 装備について話していたはずなのに、結局川鎧魚の味へ戻ってしまう。


 それでも職人はもう驚かなかった。


「それともう一つ」


 職人が言った。


「右腕も欲しくなったら、今回のを使ってからにしろ」


「はい。最初から両腕分を作るつもりはありません」


「珍しいな。普通は左右揃えたがるぞ」


「必要かどうか分からないものを二つ作っても仕方ないので。左で受け流すことが多いですし、まずは片方で十分です」


「そこまで分かってるならいい」


 杏々にとって、装備は身につければ強くなるものではない。


 自分の動きが先にある。


 そこへ必要なものだけを足す。


 合わなければ使わない。


 異世界へ来て剣を選んだ時もそうだった。


 今使っている剣も、自分の身体の使い方に合うものを選び、必要に応じて手を入れてきた。


 防具も同じでいい。


 そう考えると、川鎧魚の腕当ても「珍しい素材だから欲しい」のではなく、自分の戦い方へ合うかもしれない道具として自然に見えてきた。


「では、調整をお願いします」


「ああ」


「完成したらギルドへ伝言をいただければ、また来ます」


「分かった」


 杏々は、自分の腕当てを外すところまで見届けた。


 職人が印を付けた部分を確認し、作業台へ戻す。


 用事は終わった。


「それでは、失礼します」


「おう」


 杏々は店を出る前に身体を再び圧縮した。


 本来の身体から、小さな日常の姿へ。


 視線が下がり、衣服が折り込まれ、手足の長さも戻る。


 職人は前回ほど驚かなかった。


「慣れてきた」


「そう?」


「ああ。まだ変だけどな」


「うん」


「さっきまであれだけ細かく喋ってたのに」


「今は終わったから」


「説明するの面倒なんだろ?」


「うん」


「そこだけは分かるようになってきた」


 杏々は頷いた。


「じゃあまた来る」


「今度は完成してるはずだ」


「楽しみ」


 小さくなってからは、それだけで十分だった。


 店を出た杏々は、そのまま市場へ向かった。


 今日は夕食の材料をまだ買っていない。


 川鎧魚はもうないだろう。


 それでも魚屋の前を通った。


「川鎧魚ある?」


「一週間でまた入ると思うな」


「そっか」


「そんな顔するな」


「してない」


「してる」


 仕方がないので、今日は別の川魚を買う。


 昨日まで川鎧魚を食べていたせいで少し比べてしまいそうだったが、それはそれで別の魚の味だった。


「これはこれ」


「何がだよ」


「こっちも美味しいかもしれない」


「魚に失礼だから、ちゃんとそう思って食え」


「うん」


 買った魚を抱えて家へ戻る。


 腕当てはまだ完成していない。


 緑ランクもまだ。


 味噌も醤油もまだ。


 でも、以前より「まだ」が気にならなくなっていた。


 少しずつ進んでいることが分かるからだった。


 夜、焼いた川魚を食べてから日記を開く。


『腕当て仮にできた』

『軽い』

『手首のところ少し当たる』

『短くする』

『内側やわらかくする』

『外側に鱗』

『左だけ作る』

『使ってから右考える』


 その下へ、


『私の川鎧魚の鱗 三枚入ってる』


 と書いた。


 杏々はその一行を見て、少しだけ満足する。


 どの三枚なのかは分からない。


 完成したら、もう見ることもできない。


 それでもいい。


 さらに今日ギルドで聞いたことも書く。


『赤の仕事 記録かなり増えた』

『緑 前より近い』

『まだ』


 少し考え、


『赤角牛もまだ』


 と続けた。


 こちらは腕当てより待ち遠しい。


 最後に今日食べた魚のことも忘れない。


『今日の川魚もおいしい』

『川鎧魚とは違う』

『皮は薄い』

『身は少し締まってる』


 やはり食べ物の記録が一番具体的だった。


 杏々は日記を閉じる。


 赤ランクになってから、できることが少しずつ増えている。


 遠くへ行ける。


 人を連れて仕事ができる。


 高い魚も買える。


 自分に合わせた装備を試す余裕もできた。


 それでも杏々自身は、何か大きく変わったつもりはなかった。


 明日も仕事をして、美味しいものを食べる。


 その繰り返しの中で、気づけば少しずつ先へ進んでいた。


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