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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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帰ってきた


 遠征七日目の朝、宿場を出た商隊は王都へ続く街道を西へ進んでいた。


 雨の影響はほとんど消え、道は乾いている。昨日まで続いていた起伏も少しずつ減り、周囲には見慣れた畑が増えてきた。やがて昼前になると、その向こうに王都の外壁が見え始める。


「あった」


 杏々が小さく言った。


「何が?」


 隣を歩いていた盾役が聞く。


「王都」


「そりゃあるだろ。帰ってきてるんだから」


「一週間ぶり」


「寂しかったのか?」


 杏々は少し考えてから、前を向いたまま答えた。


「家、帰りたい」


「珍しく素直だな」


「ちくわアザラシある」


「そっちか」


 もちろん、それだけではない。ハンバーガー猫もあるし、仕込んだまま置いてきた味噌と醤油の壺もある。自分で揃えた食器や調理道具、棚に残してきた保存食もある。


 一週間前までは、単に住んでいる部屋だった。


 けれど今は、王都へ戻るということが、いつの間にかそうしたもののところへ帰ることになっていた。


 ただし、まだ仕事は終わっていない。門へ着くまでは護衛であり、門を通った後も荷を商会の倉庫へ運び入れるまでは依頼の途中だ。


 杏々もそこは分かっている。


 王都が見えたからといって先に走ることはせず、いつも通り中央の荷車について歩いた。


「成長したな」


 槍使いが言う。


「何が?」


「最初の日なら、門が見えた瞬間に飯屋を探してそうだった」


「今も探してる」


「探してるのかよ」


「帰ったら何食べるか考えてるだけ」


「それならまあ、歩きながらでもできるか」


「考えるだけならできる」


 杏々はそこだけは譲らなかった。


 昼前、商隊は王都の門へ到着した。往路と同じように書類と荷物が確認され、ローディンから積んできた羊毛、革、薬草、麦、燻製肉、加工乳製品の箱が一つずつ調べられていく。


 杏々は自分の鞄を抱えたまま、その様子を眺めていた。


「チーズは?」


 盾役が聞く。


「ある」


「何個?」


「二個」


「本当に守ったな」


「うん」


「商隊の荷より気にしてなかったか?」


「仕事の荷はちゃんと守った」


「そこは分かってる。お前が気にしてたのは別の方だろ」


 盾役は苦笑する。


 門を抜けると、商隊はそのまま商業区へ向かった。荷車に積まれているのは、一週間前に王都から持ち出した品ではなく、ローディンから運んできた商品だ。


 杏々はその中の一つ、固い乳製品が入った荷箱を見る。


「いっぱい運ぶ」


「今さらだな」


 保存食の話をしていた商人が答える。


「私のよりいっぱい」


「そりゃ商売だからな」


「全部食べる?」


「売るんだよ」


「知ってる」


「分かってるなら、なぜ聞く」


「確認」


 商人は一瞬黙り、それから肩をすくめた。


「たまに本気で分からなくなるな、お前は」


 商会の倉庫へ着くと、荷下ろしと帳簿の照合が始まった。護衛はその間も出入口と荷車の周囲を見張る。特に問題は起こらず、最後の荷箱まで確認が終わると、商隊の責任者が冒険者たちの依頼証へ完了の印を押した。


「これで終了だ。一週間、ご苦労だった」


「お疲れ」


 盾役が答え、他の二人もようやく肩の力を抜く。


 杏々も少し遅れて、


「終わった」


 と呟いた。


 そこで保存食の話をしていた商人が、帰る前に杏々を呼び止めた。


「嬢ちゃん、少し時間をくれ」


「何?」


「保存食の件だ。忘れてはいないだろうな」


「覚えてる」


「食い物だからか?」


「たぶん」


 商人は苦笑しながら、小さな紙を一枚取り出した。


「明日か明後日、時間はあるか?」


「依頼次第」


「ではギルドに連絡を入れておく。俺と食品を扱っている商会の者、それから、できれば相談した肉屋にも話を聞きたい」


「試す?」


「まずは何を試すか決める」


「食べる?」


「試作品ができてからだ」


「そっか」


 杏々は少し残念そうに頷いた。


「最初は、薄い保存肉とスープ用の二つで考えている」


「辛いのは?」


「味違いとして検討する」


「香草も」


「候補には入れる」


「普通のも」


「それもだ」


 一週間のあいだに、商人も杏々の話し方にはずいぶん慣れていた。要望を聞き流すのではなく、必要なものだけ拾って頭の中で整理している。


「ただし、商品になるとはまだ決まっていない。作る費用と保存期間が合わなければ、そこで終わりだ」


「うん」


「その時はどうする?」


「自分で食べる」


「売れなくても困らないのか」


「元から私のご飯だし」


 杏々にとって、そこに損をしたという感覚はなかった。


 商人は一瞬だけ黙り、それから笑った。


「そういうところは商売人向きじゃないな」


「ならないよ」


「だろうな」


「冒険者だから」


「それは知ってる」


 杏々は満足そうに頷いた。


     ◆


 商会を出た後は、そのまま冒険者ギルドへ向かった。


 往路で出会った岩頭猪と倒木、ローディンへの到着、復路の雨と街道の崩れ、予定外の野営、ぬかるみで止まった荷車。細かな部分は代表して盾役が説明し、杏々は必要なところだけ補足する。


 荷車に損傷がなかったこと。


 岩頭猪を倒した位置。


 道中で勝手に隊列から離れなかったこと。


「今回は問題なく完了ですね」


 受付嬢が書類を確認して閉じた。


「一週間、お疲れさまでした」


「長かった」


「どうでした?」


「ご飯いっぱい持っていってよかった」


「仕事の感想を聞いたつもりだったんですが」


「荷車も守った」


「それは報告書で確認しています」


 受付嬢は慣れた手つきで報酬を用意する。


 赤ランクの一週間依頼だけあって、これまでよりまとまった額だった。杏々は受け取った金額を確認し、少しだけ目を見開く。


「多い」


「長期依頼ですから」


「家賃払える」


「余裕で払えます」


「ご飯も」


「それも、かなり食べなければ」


 受付嬢はそこまで言ってから、ふと考え込んだ。


「……杏々さんの場合、どのくらいを『かなり』と呼ぶのか分かりませんね」


「いっぱい食べられる」


「そういう意味ではありません」


 報告を終えた杏々は、その足で赤ランクの掲示板へ向かった。


 受付嬢がすぐに気づく。


「まさか、今日もう依頼を受けるつもりではありませんよね?」


「見てるだけ」


「何を?」


「川鎧魚」


「一週間ぶりに帰ってきて、最初に確認するものがそれですか」


 杏々は掲示板を端から見ていく。


「ない」


「でしょうね」


「海もない」


「海は掲示板の裏にもありません。今日は帰って休んでください」


「そうする」


 妙に断定的に言われたので、杏々は素直に諦めた。


 ギルドを出たところで、今度は魔術院へ行くか少し迷う。


 リネットには、今回の道中で見たことを伝えた方がいい。


 山綿羊を低い場所で見たこと。


 街道近くに岩頭猪が出たこと。


 現地の人が「今年は下で見ることが多い」と話していたこと。


 一方で、動物を見なかった日もあったこと。


 ただ、一週間歩いて戻ったばかりだ。


「今日じゃなくていいかな」


 リネットの仕事は逃げない。


「明日」


 そう決めた。


 海の話は、まだ言わない。


     ◆


 西市場へ入ると、一週間ぶりなのに匂いはすぐ分かった。焼いた肉、パン、煮込み、魚、野菜。王都の門を見た時よりも、こちらの方が帰ってきた実感が強い。


「帰ってきた」


 杏々は小さく呟き、まず魚屋へ向かった。


「川鎧魚ある?」


「帰ってきて最初にそれか」


 魚屋は呆れたように笑う。


「ない?」


「今日はない」


「そっか」


 そこは一週間前と変わっていなかった。


「一週間どこ行ってた?」


「ローディン」


「遠くまで行ったな」


「海の魚は?」


「今日は入ってるぞ」


「見る」


 並んでいる海の魚は、一週間前より多い。少ない日もあれば、多い日もある。それだけで何かが分かるわけではないので、杏々はしばらく眺めただけで今日は買わなかった。


「買わないのか?」


「家にチーズある」


「魚屋で聞く答えじゃねえな」


「今日はチーズの日」


「そんな日があるのか」


「ある」


 魚屋はそれ以上追及せず、肩をすくめた。


 杏々はその後、パンと少量の肉、野菜を買った。一週間空けた家には生ものがほとんど残っていないので、今日と明日に必要な分だけでいい。


 途中で焼き菓子屋の前を通り、足が止まる。


「……」


 鞄の中には、遠征用に持っていった焼き菓子が二個残っている。


「ある」


 今日は買わなかった。


 誰も見ていなかったので、褒めた回数には数えなかった。


     ◆


 長屋へ戻って扉を開けると、一週間誰もいなかった部屋には少し冷えた空気が残っていた。


「ただいま」


 当然、返事はない。それでも自然に口から出た。


 荷物を置いて靴を脱ぐと、壁際には出発前と同じようにハンバーガー猫とちくわアザラシが並んでいる。


「いた」


 杏々はちくわアザラシを持ち上げ、そのままぎゅっと抱えた。


「帰った」


 数秒そうして満足すると、今度は棚へ目を向ける。味噌と、醤油になるかもしれないものを仕込んだ二つの壺も、出発前と変わらずそこにあった。


「いる」


 壺なので当然動いてはいない。


 杏々は蓋の周りや棚を確認する。漏れはなく、外から分かる範囲で変な匂いもない。市場の発酵食品を扱う人から言われた通り、むやみに開けたりはしなかった。


「ちゃんと留守番してた」


 壺は何もしていないが、杏々の中ではそういうことになった。


 それからようやく荷物の片づけを始める。着替えを分け、使った袋を整理し、残っている保存食を棚へ戻す。最後にローディンから持ち帰った包みを取り出すと、中には牛乳から作ったものと羊乳から作ったもの、二つの固い乳製品がちゃんと残っていた。


「二個。ちゃんと持って帰った」


 妙なところでかなりの達成感があった。


 すでに昼を過ぎていたので、片づけは途中で切り上げて食事にすることにした。今日は手の込んだものを作るつもりはない。


 買ってきたパンと、肉と野菜を入れた簡単なスープ。それからローディンのチーズ。


 一つを切り分ける。


「これは食べていい」


 持ち帰るという目的は、もう達成した。


 一口食べると、旅の途中で少し乾燥したのか、ローディンで食べた時より硬くなっている。それでも香りはしっかり残っていた。


「美味しい」


 王都で食べても美味しい。


 今度はパンに乗せて少し温める。柔らかくなったところへ、遠征で残った蜂蜜も少し垂らした。


「これ、もっといい」


 一週間前、ローディンの朝に食べた平焼きを思い出す。


 全く同じ味ではない。


 それでも近い。


「持って帰れるんだ」


 遠くで食べたものを、こうして自分の家でもう一度食べられる。そのことが少し嬉しかった。


 食事を終える頃には、さすがに一週間分の疲れが出たのか眠くなってきた。


 片づけはまだ少し残っている。


 けれど今は小さな身体なので、後回しにしてもいい。


「休む」


 杏々はハンバーガー猫へ倒れ込み、ちくわアザラシを引き寄せて脚を乗せた。


「家いい」


 一週間、宿と野営を繰り返した。


 それも嫌いではない。知らない町へ行けるし、知らないものを食べられる。


 けれど、自分の部屋で、自分の作ったぬいぐるみに埋もれて休むのもいい。


「両方いい」


 結論は簡単だった。


     ◆


 そのまま少し眠り、目を覚ますと、窓から入る光はかなり傾いていた。


「寝た」


 身体を起こしながら、杏々は軽く肩を回す。


 今日はもう本格的な調整はしない。遠征中も最低限の呼吸と気の流れは確認していたが、本来の身体での型は一週間やっていない。


 明日の朝、ギルドの訓練場で一度きちんと戻して確認するつもりだった。


「どれくらい変わったかな」


 自分の小さな手を見る。


 今回の遠征では、この身体が以前より明らかに動かしやすかった。


 岩頭猪を倒した時も、ぬかるみにはまった荷車を押した時も、力を出そうとした瞬間に余分なところへ逃げる感覚が少ない。大きな身体で戦うために身につけていた感覚とは少し違い、圧縮した状態そのものに身体がさらに馴染み始めているようだった。


 その変化が、本来の身体へ戻した時にも残っているのか。


「明日やろ」


 今考えても分からないので、それ以上は追わなかった。


 夕方になると日記を開き、一週間分の旅の最後を書き込む。


『七日目』

『王都帰った』

『依頼終わり』

『荷物も人も無事』

『報酬多い』

『家賃とご飯大丈夫』


 続けて、


『保存食 商隊の人と帰ってから試す』

『肉屋さんにも聞く』

『すぐ売らない』

『まず何日もつか調べる』


 と書いた。


 ローディンから持ち帰ったものについても残す。


『チーズ 二個持って帰れた』

『一個今日食べた』

『王都で食べても美味しい』


 杏々はそこで手を止めた。


「一個になった」


 守ると言っていた最低目標まで、帰宅した当日に減っている。


「でも持って帰った」


 目的は達成しているので問題はない。


 次は、山のことを書く。


『山綿羊 下で見た』

『今年は下で見ること多いって人いた』

『岩頭猪も街道近く』

『でも見なかった日もある』

『明日リネットちゃんに言う』


 その下へ、日本語で、


『海の話はまだ言わない』


 と書き足す。


「まだ我慢」


 三日目だった。


 最後に、


『明日 身体ちゃんと調整する』

『小さい身体 前より動きやすい』

『大きい方も確認』


 と残し、日記を閉じる。


     ◆


 夜になると、杏々はちくわアザラシを抱えたまま横になった。


 外からは長屋の生活音が聞こえてくる。隣の部屋で食器を動かす音、誰かが帰ってくる足音、夕食の匂い。どれも一週間前までは普通だったものなのに、今は少しだけ「帰ってきた場所」の音と匂いに感じられた。


「また遠く行きたい」


 それでも、杏々はそう思う。


 知らない町へ行けば、知らないものが食べられる。


 遠くまで歩けば、今まで知らなかった景色も見える。


 そして帰ってくれば、ここに自分の部屋がある。


「次は海」


 まだずっと先かもしれない。


 杏々はちくわアザラシへ顔を埋めた。


「おやすみ」


 一週間ぶりの夜は、宿でも野営地でもなく、自分の部屋で静かに終わった。


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