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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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海の魚


 岩背蜥蜴を食べた翌日、杏々は朝の身体調整を終えてから西市場へ向かった。


 今日は依頼を受けるつもりはない。


 三泊四日の商隊護衛で試した保存食を改良したばかりなので、次は魚を使ったものも作ってみたかった。


 肉は便利だ。


 保存もしやすい。


 腹にも溜まる。


 けれど四日も歩けば、肉以外も欲しくなる。


「魚」


 今日の目的は決まっていた。


     ◆


 西市場の魚屋へ着くと、杏々はいつものように店頭を覗き込んだ。


「川鎧魚ある?」


「ない」


「今日も?」


「今日もだ」


「そっか」


 もう挨拶に近いやり取りになっていた。


 杏々は川鎧魚を諦め、並んでいる魚へ視線を移す。


 川魚。


 小さな白身魚。


 細長い魚。


 干した魚。


 塩漬け。


 ただ、いつもと比べると少し隙間が多い。


「魚少ない?」


 店主が顔を上げる。


「分かるか?」


「いつもここにもあった」


 杏々が台の端を指した。


「ああ。海から来る魚な」


「ない」


「今日は入ってない」


「売れた?」


「来てないんだよ」


 杏々は店を見る。


「なんで?」


「さてな」


     ◆


 王都は海に面していない。


 海で獲れた魚は、沿岸の町で塩や氷代わりの冷却魔術を使って処理され、早馬や荷車で運ばれてくる。


 もちろん何でも運べるわけではない。


 傷みやすい魚は沿岸で消費されるし、王都まで来るのは比較的保存の利くものや、値の張る魚が中心だった。


 それでも杏々は、何度かここで海の魚を買ったことがある。


「最近来ない?」


「全然ってわけじゃない。ただ、ここしばらく少ないな」


「どのくらい?」


「日によるよ。港で獲れなきゃ来ないし、天気が悪くても来ない。途中の荷車が遅れることもある」


「今日は?」


「そもそもの荷が少なかったらしい」


 杏々が首を傾げる。


「魚いない?」


「そこまでは知らん」


     ◆


 店主は箱の中から小さな魚を何尾か取り出し、並べ直した。


「沿岸の商人が言うには、今年は場所によって獲れ方に差が大きいらしい」


「差?」


「いつもの漁場でさっぱりなのに、少し離れたところじゃ普通に獲れたりな」


「魚移動した?」


「かもしれん」


「なんで?」


「魚に聞け」


「聞けない」


「俺も聞けん」


 店主は笑った。


「潮かもしれんし、水の温度かもしれん。餌を追ってるだけかもしれんし、でかい魔物が入り込んで散った可能性もある」


「いっぱいある」


「海なんてそんなもんだ」


     ◆


 杏々は並んだ魚を見ながら、ふと別の棚に気づいた。


「海の草も少ない」


 乾燥した海藻が置かれている場所だった。


 以前買った時より量が少ない。


「お前、本当に食い物だけはよく覚えてるな」


「これスープに入れると美味しい」


「そういうところだよ」


 店主は乾燥海藻の束を一つ持ち上げる。


「こっちも仕入れが少し上がってる」


「高い?」


「前よりな」


「なんで?」


「魚と同じ。入ってくる量が少ない」


     ◆


「海藻も獲れない?」


「場所によるって話だ。ただ、今年だけの話でもないらしいぞ」


 杏々が顔を上げた。


「昔から?」


「昔から海藻が多い年も少ない年もあるさ。ただ、俺が取引してる商人は、ここ何年か『生える場所が変わった』って愚痴ってたな」


「場所変わる?」


「今まで採ってた岩場で減って、別の場所で増えるとか。全体で本当に減ってるのかまでは知らん」


「ふーん」


「だから、その顔やめろ」


「どの顔?」


「何か気になった顔」


 杏々は少し考えた。


「川鎧魚も減ってるかも」


「それと海は別だろ」


「川、海に行く」


「まあ、行くが」


「繋がってる」


「繋がってるからって何でも同じ原因にはならんぞ」


「リネットちゃんも言ってた」


「じゃあちゃんと聞け」


     ◆


 杏々は素直に頷いた。


 川が海へ流れていることくらいは知っている。


 だからといって、川鎧魚が減っていることと海の魚が少ないことが同じ理由だとは限らない。


 魚屋の主人も、リネットも、似たようなことを言う。


 原因が分からないものを、勝手に一つにしてはいけない。


「でも覚えとく」


「それくらいにしとけ」


「うん」


     ◆


 今日の目的を思い出し、杏々は保存食に向きそうな魚を探した。


「干すならどれ?」


「自分でやるのか?」


「遠征で持ってく」


「なら、こいつが楽だな」


 店主が選んだのは、小ぶりで脂の少ない魚だった。


 身が締まっていて、塩をして乾かせば日持ちする。


「脂多い方が美味しい」


「保存するなら話が別だ。脂が多い魚は傷みやすい」


「そっか」


「旅先で腹壊したくないだろ」


「嫌」


「ならこっちにしろ」


 杏々は納得して数尾買った。


     ◆


 ついでに海藻も買おうとしたが、値段を見て少し止まった。


「高い」


「だから言っただろ」


「前もっと安かった」


「仕入れが上がってる」


「肉も高くなった」


「肉は戦争の影響が大きいだろうが、海藻は別だな」


「ご飯みんな高くなる」


「全部じゃないよ」


 店主は苦笑した。


「ただ、保存の利くものは最近どこも強いな。軍も商人も冒険者も欲しがるから」


 杏々は海藻を見つめる。


「少しだけ」


「毎度あり」


     ◆


 市場を歩いていると、今度は干物を扱う露店の前で足を止めた。


 そこにも海の魚が並んでいる。


 ただし、以前見た大きさより少し小さい。


「小さい?」


 露店の女が笑った。


「今日は細かいのが多いね」


「大きいのない?」


「港から来た分がこれだからねえ」


「昔もっと大きかった?」


「昔っていつだい」


 杏々は考える。


「前」


「それじゃ分からないよ」


「そっか」


     ◆


 女は笑いながら干物を一枚返した。


「でもまあ、今年は大物が少ないって話は聞くよ」


「海も?」


「何が『も』なんだい?」


「川」


「川魚の話は知らないねえ」


「小さいのいるけど大きいの少ないって」


「こっちは種類によるよ。普通に獲れてる魚もいるし、今年だけ妙に少ないのもいる。海全部が空っぽになったわけじゃない」


「そっか」


「そんなことになったら、こんな呑気に店出してないよ」


 それはそうだった。


     ◆


 杏々は干物も一枚買った。


「これは今日食べる」


「保存食作るんじゃなかったのかい?」


「これはもうできてるから」


「なるほどね」


 今日の昼食が一つ増えた。


     ◆


 家へ戻ると、買ってきた魚をすぐに処理した。


 鱗を落とす。


 内臓を取る。


 血を洗う。


 水気を拭き、塩をする。


 以前なら面倒になって途中で別のものを食べ始めていたかもしれないが、今日はまだ朝の身体調整を終えた後の感覚が少し残っている。


 小さい身体へ戻っていても、手順が妙に整理しやすかった。


「こっち薄くする」


 開いた魚の厚みを揃える。


「これは香草」


 一部だけ味を変える。


「辛いのも一個」


 結局、魚まで三種類になった。


     ◆


 作業が終わると、買ってきた干物を焼いた。


 表面から香ばしい匂いが立つ。


 皮が少し縮み、脂が火へ落ちる。


「こっちは脂ある」


 保存には向きにくいと言われたが、今日食べるなら関係ない。


 焼きたてを皿へ移し、少しだけ柑橘に似た酸味のある実を絞る。


 一口。


「おいしい」


 塩気。


 脂。


 酸味。


 ご飯が欲しくなる味だった。


 杏々はすぐに用意していたパンではなく、炊いた穀物の方を持ってきた。


「こっち」


 よく合った。


     ◆


 食べながら、杏々は市場で聞いた話を思い出す。


 海の魚。


 海藻。


 漁場。


 今年だけではなく、ここ数年で採れる場所が変わったという話。


 ただし、全部の魚が減ったわけではない。


 増えている場所もある。


 それなら単純に「海がおかしい」と言っていいのかも分からない。


「リネットちゃんに言ったら仕事増えるかな」


 箸が止まる。


「……まだいいか」


 珍しく自制した。


     ◆


 午後は赤ランクの掲示板だけ確認しにギルドへ寄った。


「川鎧魚ある?」


「ありません」


「海の依頼は?」


 受付嬢が杏々を見る。


「今度は海ですか?」


「ちょっと気になった」


「王都から海まではかなりありますよ」


「赤で行ける?」


「依頼次第ですね。ただ、日帰りでは無理です。沿岸方面なら数日から、一週間以上になるものもあります」


 杏々の目が少し輝く。


「海行ける」


「そこに反応しましたね」


「魚ある?」


「港なんだからあるでしょうね」


「行きたい」


     ◆


 受付嬢は掲示板を確認する。


「今すぐ杏々さん向けのものはないですね。護衛なら時々出ますけど、沿岸まで行く商隊は長期になります」


「何日?」


「経路にもよりますが、往復まで含めれば十日前後になることもあります」


「長い」


「でしょう?」


 杏々は少し考えた。


「保存食もっといる」


「そこから準備するんですか」


「海行くならご飯大事」


「海に着けば魚は食べられると思いますよ」


「行くまである」


「確かに」


     ◆


 受付嬢が笑ってから、少し真面目な顔になる。


「でも、沿岸方面の仕事を受けたいなら、今のうちに長距離護衛へ慣れておくのは悪くないですよ」


「赤なら行ける?」


「赤で参加できるものはあります。ただし、距離が伸びるほど途中の判断も増えますからね。戦えるだけじゃ駄目です」


「分かってる」


「それなら、そのうち条件に合うものが出た時に紹介します」


「お願い」


     ◆


 家へ戻った杏々は日記を開いた。


『魚 干すの試す』

『脂少ない方が保存しやすい』

『海藻高い』


 その下へ、


『海の魚 少ない日ある』

『場所で獲れ方違う』

『海藻 生える場所変わった?』

『大きい魚少ない種類もある』


 しばらく考える。


『川と同じか分からない』


 これは現地の文字で書けた。


 さらに日本語で、


『リネットちゃんにはまだ言わない』


 と書く。


     ◆


 少しして、杏々はその一文を見つめた。


「ちゃんと我慢した」


 誰も褒めてくれない。


「今日一個褒めてもいいかな」


 自分で自分を一回分に数えた。


     ◆


 夜。


 棚には、まだ完成していない味噌と醤油の壺。


 その近くには新しく仕込んだ魚。


 肉の保存食。


 芋と豆の携行食。


 少しずつ旅の準備に使えるものが増えている。


 杏々は床へ座り、ちくわアザラシへ脚を乗せた。


「海かあ」


 まだ行ったことのない、この世界の海。


 どんな魚がいるのか。


 何が食べられるのか。


 市場へ運ばれてこないものなら、きっともっとたくさんある。


「行きたい」


 海で何が起きているのかより、今の杏々にはそちらの方がずっと重要だった。


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