自分で稼いだご飯
王都へ戻った杏々とリネットが冒険者ギルドの扉を開けると、昼を少し過ぎた広間には、朝よりも多くの冒険者が集まっていた。依頼を終えて戻ってきた者や、これから仕事へ向かう者、酒場で昼食を取っている者の姿があり、受付の前にもいくつか列ができている。
「まずは依頼の報告です」
「うん」
「牙鼠を食べるのは、そのあとですからね」
「分かってるよ」
「本当に?」
「たぶん」
「……まあ、ここまで来れば勝手にいなくなることはないでしょう」
リネットはそう言いながら杏々を見る。その右手には採取袋があり、左手には後ろ脚を掴まれた牙鼠がぶら下がっていた。小さな女の子が魔物をぶら下げながら歩いているせいで、すれ違う冒険者たちはちらちらとこちらを見ている。
「嬢ちゃん、それ自分で獲ったのか?」
通りがかった男が声をかけてきた。
「うん」
「へえ。新人だろ?」
「今日初めてお仕事した」
「初日から牙鼠か。やるじゃねえか」
「蹴ったら死んだ」
「…………蹴った?」
「うん」
男は牙鼠を見て、次に杏々を見、それからリネットへ視線を移した。
「……そ、そうか。頑張れよ」
男は少しだけ距離を取りながら去っていった。
「なんで離れたの?」
「杏々さんが思っているより、牙鼠を蹴り一発で倒す新人は普通じゃないからですよ」
「小さかったよ?」
「魔物としては小型ですけど、普通の子供が戦う相手ではありません」
「ふーん」
杏々は手にした牙鼠を見る。
「でも弱かった」
「そういうところです」
二人は昨日と同じ受付へ向かった。
「あら」
受付嬢がすぐに気づいた。
「お帰りなさい、杏々さん」
「ただいま」
「どうでした? 初めての依頼は」
「楽しかった」
「それは何よりです」
「薬草も取ったよ」
「では、確認しますね」
杏々が採取袋を差し出すと、受付嬢は机の上へ布を広げ、その上に薬草を一本ずつ並べていった。
「一、二、三……」
リネットも横から覗き込む。
「十五株ですね」
「うん」
受付嬢は何株か手に取り、根の状態を確かめた。
「きれいですね。土も必要以上に落としていませんし、傷も少ないです」
「リネットちゃんが根を壊すなって言ってた」
「ちゃんと守ったんですね」
「うん」
リネットが少し得意そうな顔をする。
「採り方も私が説明しました」
「リネットちゃん、絵も描いてくれた」
「絵?」
杏々が木札を取り出すと、受付嬢はそれを受け取って目を通した。
「これは分かりやすいですね」
「そうでしょう?」
「なんでリネットちゃんが自慢するの?」
「私が描いたんですから、自慢してもいいでしょう!」
「そっか」
受付嬢が笑う。
「十株が依頼分です。残りの五株はこちらで追加買い取りできますが、どうしますか?」
「売る」
「分かりました」
「ご飯代になる?」
「もちろんです」
「やった」
杏々の目的は一貫していた。
「それから」
受付嬢の視線が下へ向く。
「そちらの牙鼠は……」
「襲ってきた」
「なるほど」
「蹴った」
「……蹴った?」
「はい。一回です」
リネットが補足すると、受付嬢は改めて杏々へ視線を戻した。
「適性確認で見てはいましたけど……本当に強いんですね」
「普通だよ」
「杏々さんの『普通』は参考にしない方がいいと思います」
リネットがすぐに言った。
「牙鼠は依頼対象ではありませんが、討伐した魔物として記録できます。素材を売却されますか?」
「食べたい」
「…………そうでしたね」
受付嬢は一瞬だけ忘れていたらしい。
「それなら、解体所へ持っていってください。牙と毛皮、それから食用にできる部位を分けてもらえます」
「お肉もらえる?」
「解体手数料はかかりますが、もちろんです」
「じゃあそれ」
「牙や毛皮は?」
「いらない」
「でしたら、そちらはギルドに売却できますよ」
「お金になる?」
「なります」
「じゃあ売る」
迷いがない。
「本当に食べ物とお金だけですね……」
リネットが呟いた。
◆
依頼達成の確認が終わると、受付嬢は小さな革袋を杏々へ差し出した。
「こちらが今回の報酬です」
「おー」
杏々が受け取ると、中で硬貨がちゃり、と鳴った。
「基本報酬に、追加の薬草五株分を加えています。牙鼠の素材代は解体後に別途ですね」
「これ私の?」
「杏々さんが自分で働いて得たお金ですよ」
杏々は革袋をじっと見つめ、少し振ってみた。中の硬貨が、ちゃりちゃりと音を立てる。
「自分のお金」
「はい」
「これでご飯食べれる?」
「食べられます」
杏々の顔が明るくなった。
「お仕事いいね」
「判断が早いですね」
「薬草取って、お金もらって、魔物も食べれる」
「毎回そんなに都合よくはいきませんよ?」
「でも今日はそうだった」
「それはそうですが」
杏々は革袋を大事そうに鞄へ入れた。リネットはその様子を見ながら、少しだけ笑う。
王国から渡された生活費とは違う。これは、杏々がこの世界で初めて自分の力で手に入れたお金だった。本人がどこまでその意味を考えているかは分からないが、おそらくかなりの割合で、次に何を食べるかしか考えていない。
「じゃあお肉」
「やっぱりそうですよね」
◆
ギルドの裏手には、大きな解体所が併設されていた。屋根だけの広い作業場には頑丈な木製の台がいくつも並び、その周囲では職人たちが持ち込まれた魔物を解体している。大きな猪型魔物や鳥型魔物、杏々の背丈ほどもある魚のようなものまでいた。
「おー……」
杏々の目が輝く。
「いっぱいある」
「全部食べ物に見えてません?」
「食べれないのもいる?」
「もちろんです」
「毒?」
「毒を持つものもいますし、肉が硬すぎたり、臭いが強かったり、そもそも食用に適さない種類もあります」
「へえ」
「魔物だから何でも食べられるわけではありませんよ」
「覚えないとね」
「……そこはすごく前向きなんですね」
解体台の奥にいた大柄な男がこちらを見る。
「次!」
「お願いします」
リネットが牙鼠を台の上へ置くのを手伝うと、解体職人は魔物を見下ろした。
「牙鼠か。小さいな。若い個体だ」
「おいしい?」
杏々が尋ねる。
「いきなりそこか」
「食べたい」
「牙鼠はなあ……」
男は苦笑した。
「食えなくはねえが、好んで食う奴は少ないな」
「なんで?」
「臭いがきつい。特にちゃんと血抜きしてねえと、癖が残る」
杏々が少し残念そうな顔をすると、男は続けた。
「ただ、若い個体なら、処理をちゃんとすりゃそれなりには食える。香草と酒で臭いを抜いて、煮込むか濃い味で焼くかだな」
「ほんと?」
「本当だ」
「食べたい」
「分かった分かった」
男は笑った。
「牙と毛皮は売るんだな?」
「うん」
「肉は持ち帰りか?」
「うん」
「なら処理してやる」
解体が始まると、杏々は興味深そうにその手元を見つめた。刃物が入り、皮が剥がされ、食べられない部位が取り除かれていく。
「血、赤い」
「牙鼠は普通に赤いですよ」
リネットが答える。
「赤くないのもいる?」
「魔物なら種類によりますけど……」
リネットは少し考えてから言った。
「魔族は青い血だと言われていますね」
「魔族」
杏々がリネットを見る。
「魔王のところの人?」
「……そうですね」
リネットの表情が少し硬くなった。
「魔王軍を構成している種族の多くが魔族です」
「ふーん」
杏々はそれ以上深く聞かなかった。ただ、人間とは違う色の血が流れる人たちがいるのだと、その程度に覚えた。
「ほら」
解体職人が声をかける。
「食える部分はこれくらいだ」
台の上に肉が並べられた。
「小さい」
「元が小さいからな」
「一食分くらい?」
「嬢ちゃん一人なら、普通は何食分かになる」
リネットが横から言った。
「この人の場合は、一食分にもならない可能性があります」
「そんな食うのか?」
「昨日から私も驚き続けています」
「いっぱい食べるよ」
「そ、そうか」
解体職人は、それ以上聞かなかった。
◆
「で」
ギルドを出たところで、リネットは杏々へ尋ねた。
「この肉、どうするんです?」
「食べる」
「それは分かっています」
「焼く?」
「さっき、臭みが強いと言われたでしょう」
「じゃあ煮る」
「料理できるんですか?」
「ちょっとなら」
杏々は、三話で話したことを覚えていたらしい。
「王城の厨房を借りる?」
「うーん……」
リネットは少し考えた。
「魔物を突然持ち込んだら、料理長が困るかもしれません」
「じゃあどこ?」
「ギルドの酒場に聞いてみましょうか」
「作ってくれる?」
「料金はかかるでしょうけど、持ち込みの魔物を調理してくれる店は珍しくありません」
「お金ある」
「さっそく使う気ですか」
「ご飯のためのお金でしょ?」
「間違ってはいませんけど……」
結局、二人はギルド併設の酒場へ向かった。
◆
「牙鼠?」
厨房から出てきた料理人は、持ち込まれた肉を見て少し渋い顔をした。
「また珍しいもん食いたがるな」
「おいしくできる?」
「できなくはねえ」
「じゃあお願い」
「嬢ちゃん、こいつは臭いぞ?」
「解体のおじさんも言ってた」
「それでも食いたい?」
「自分で倒したから食べてみたい」
料理人は少し笑った。
「なるほど」
肉を持ち上げる。
「なら、初獲物ってわけか」
「初めての魔物」
「そりゃ食わなきゃもったいねえな」
料理人の反応が少し変わった。
「時間かかるぞ」
「待つ」
「香草と酒、それに乳で一度臭いを抜く。そのあと煮込む」
「おいしくなる?」
「俺の腕を信用しろ」
「分かった」
「即答かよ」
料理人は肉を持って厨房へ戻っていった。
杏々とリネットは酒場の端の席に座る。
「楽しみ」
「本当に嬉しそうですね」
「うん」
「牙鼠ですよ?」
「初めて倒したやつだし」
「……なるほど」
リネットは少し意外に思った。杏々は何でも食べたいだけなのだと思っていた。もちろん、それも間違いではない。
けれど、自分で依頼を受け、自分で森を歩き、自分で魔物を倒し、その結果が料理になる。杏々なりに、それを楽しんでいるのかもしれない。
「冒険者、気に入りました?」
「うん」
「危ないですよ?」
「うん」
「今日みたいな弱い魔物ばかりでもありません」
「うん」
「怪我することだってあります」
「そうだね」
「それでも?」
「知らないの食べれるから」
リネットは黙り込んだ。
やはり、そこだった。
「あと」
「?」
「知らないところいっぱい歩ける」
杏々は酒場の窓から外を見た。
「森も楽しかった」
「薬草採取が?」
「うん」
「地味だったでしょう?」
「知らない草いっぱいあったし」
「…………」
「赤い実もあった」
「赤露実ですね」
「あと変な柱もあった」
「柱?」
「畑のところにあった光ってるやつ」
「ああ。農地用の魔力調整柱でしょう」
「まりょくちょうせい?」
「土地の魔力濃度を調整する魔道具です」
「畑に魔力いるの?」
「もちろんです」
リネットは当然のことのように答えた。
「作物にも成長しやすい魔力濃度がありますし、土地の魔力が不足すると収穫量が落ちることもありますから。王都周辺の農地は重要ですから、国が管理している魔力設備も多いんですよ」
「便利だね」
「便利ですよ」
杏々は素直に頷いた。
今の杏々にとっては、畑に魔法の道具が置いてあるという、ただの異世界らしい風景の一つに過ぎなかった。
◆
「待たせたな」
しばらくして、大きな深皿が運ばれてきた。
「おー」
濃い茶色の煮込みには、牙鼠の肉と根菜、刻んだ香草が入っている。とろみのある汁からは、肉と酒の香りが立ち上っていた。
「牙鼠の香草煮込みだ」
「おいしそう」
「臭みが残りやすいから、香草は強めにしてある。肉自体は締まってるから、長めに煮込んだ」
杏々がスプーンを持つ。
「いただきます」
一口食べた杏々の表情を、リネットがじっと見つめた。
「どうです?」
杏々はゆっくり噛んでから答えた。
「おいしい」
「本当ですか?」
「うん」
もう一口食べる。
「ちょっと独特」
「臭みですか?」
「なんか野生っぽい」
「それを臭みと言うのでは……」
「でもこれ好きかも」
肉は柔らかくなるまで煮込まれていて、角兎や森猪より癖は強いものの、その分、香草の強い風味とよく合っていた。
「リネットちゃんも食べる?」
「え」
「いっぱいあるよ」
「いや、それ杏々さんが倒した――」
「一緒に食べよ」
リネットは少し迷ったあと、別のスプーンを受け取った。
「では、一口だけ」
一口食べる。
「……本当ですね」
「おいしい?」
「思っていたよりは」
「おいしいんじゃん」
「『思っていたより』です」
「同じだよ」
「違います」
杏々が笑う。
その後、一口だけと言っていたリネットは、結局何口か食べた。
「リネットちゃん結構食べてる」
「杏々さん一人で食べるには量が多いでしょう?」
「食べれるよ」
「…………そうでした」
リネットは完全に忘れていた。
◆
食事が終わると、空になった皿を前にして、杏々は満足そうに椅子へもたれた。
「おいしかった」
「よかったですね」
「うん」
杏々は鞄から報酬の革袋を取り出し、料理代を支払った。硬貨がちゃり、と減る。
「…………」
袋を見る。
「減った」
「使えば減りますよ」
「でもまだある」
「ありますね」
「明日もお仕事したら増える?」
「依頼を達成すれば」
「じゃあ明日もやる」
「毎日!?」
「ダメ?」
「ダメではありませんけど、もう少し休むという考えは……」
「元気だよ」
「知っています」
杏々は残った硬貨を数えた。文字はまだ読めず、この世界のお金の価値も完全には覚えていない。それでも、今日働いて、自分でお金をもらい、そのお金で自分が倒した魔物を料理してもらったことは分かっている。
「冒険者いいね」
杏々はもう一度言った。
「ご飯いっぱい食べれそう」
リネットは苦笑する。
「最初からそれが目的でしたものね」
「うん」
「赤角牛まで、まだかなり遠いですよ?」
「いっぱい仕事する」
「焦って危ない依頼を受けるのは禁止です」
「分かってる」
「ランク外の依頼を勝手にやるのもダメです」
「うん」
「森の奥へ行くのも」
「行ってないよ」
「今日は、です」
「大丈夫」
「……本当に?」
「たぶん」
「それをやめてください!」
酒場にリネットの声が響き、近くにいた冒険者たちが笑った。杏々は少し不思議そうにしながら、残った報酬を鞄へしまう。
初めての依頼。初めての報酬。初めて自分で倒した魔物の料理。
勇者にはなれなかったらしい。魔法も使えない。元の世界へ帰る方法も、まだ分からない。
けれど、この世界で何をして過ごすかという答えだけは、少しずつ決まり始めていた。
◆
その日の夕方、杏々と別れたリネットは王宮魔術院へ戻っていた。
「ただいま戻りました」
「遅かったな」
朝の先輩術師が顔を上げる。
「夕方までには戻りました」
「で?」
「?」
「どうだった」
「何がです?」
「散歩だ」
明らかに分かって聞いている。リネットは少しむっとした。
「……問題ありませんでした」
「ほう」
「薬草十五株をきちんと採取して、小型魔物も一匹倒しました」
「小型魔物?」
「牙鼠です」
「異界の少女が?」
「一蹴りで」
先輩術師の手が止まった。
「魔法は?」
「使っていません」
「身体強化」
「魔力がないんですから使えません」
「…………そうだったな」
先輩術師はしばらく考え込んだ。
「やはり妙だな」
「何がです?」
「勇者召喚だ」
リネットの表情が変わる。
「…………」
「召喚された本人には魔力がない。だが身体能力は明らかに常人離れしている」
「はい」
「術式にも失敗の痕跡がない」
「……はい」
リネットは机の上に置かれた召喚記録を見る。それは自分が何度も確認したものだった。
「先輩も、変だと思いますか?」
「変ではある」
「だったら――」
「だからといって、勇者召喚が成功したとは言えん」
リネットが口を閉じる。
「魔力を持たない勇者など、記録にない」
「残っている記録には、ですよね」
「…………」
「召喚術そのものの資料だって欠けています」
「そうだな」
「なら」
リネットは記録板を見る。
「私たちが『勇者は強大な魔力を持っているもの』と思っているだけかもしれません」
「何が言いたい」
「まだ分かりません」
リネットは首を振った。
「でも……」
召喚された杏々。魔力はゼロなのに術式は正常で、しかも異常な身体能力を持っている。
「調べてみたいです」
先輩術師がリネットを見る。
「勇者召喚が、本当は何を基準に召喚対象を選んでいるのか」
「見習いがずいぶん大きな研究を始める気だな」
「見習いだから調べちゃいけないんですか?」
「いや」
先輩術師は少しだけ笑った。
「好きにしろ」
「はい」
「ただし、自分の仕事を放り出すな」
「分かっています」
「あと」
「はい?」
「明日も尾行するのか?」
「尾行じゃありません!」
リネットの声が研究室に響いた。
◆
同じ頃、客室へ戻った杏々は、ベッドの上で冒険者証を眺めていた。
今日、森を歩いた。薬草を採った。知らない実を見つけた。魔物を倒した。お金をもらった。そして、その魔物を食べた。
「明日何しようかな」
杏々は冒険者証を握る。
まだ一番下のランクで、赤角牛には届かない。それでも、今日より少しだけ難しい仕事なら、できるかもしれない。
「次、何食べれるかな」
杏々はそんなことを考えながら、異世界で迎える三度目の夜を、少しだけ楽しみにしていた。




