赤はちょっと高い
赤ランクになった翌朝、杏々はいつもより少し早く冒険者ギルドへ向かった。
理由は特にない。
ただ、昨日まで自分では受けられなかった依頼が、今日からは選べる。
それをもう一度見たかった。
ギルドへ入ると、杏々は受付へ向かうより先に赤ランク用の掲示板へ直行した。
「おはようございます、杏々さん」
「おはよう」
返事だけして、掲示板を見る。
昨日も一度見たはずなのに、今日は少し違って見えた。
王都から二日ほど離れた街までの商隊護衛。
大型魔物の痕跡調査。
北西方面へ向かう物資輸送。
複数人で行う討伐。
どれも黄ランクの掲示板より、報酬欄の数字が大きい。
「高い」
杏々が呟く。
受付嬢が後ろから覗いた。
「赤向けですからね」
「これも高い」
「それは二泊三日の護衛です」
「こっちも」
「そちらは危険地域の調査なので、複数人指定があります」
「赤すごい」
「昨日昇格した時より、今日の方が実感してません?」
「数字いっぱい」
「杏々さんらしい実感の仕方ですね」
◆
杏々はしばらく依頼を見比べた。
報酬だけなら、長距離のものほど高い。
ただし、日数もかかる。
家を空ける時間が増えれば、自分で作ったものの管理も必要になるし、市場へ行けない日も増える。
何より、今日はそれほど遠くへ行く気分ではなかった。
「これ」
杏々が選んだのは、王都南東の農地近くで行う魔物の痕跡調査だった。
赤ランク向けではあるが、危険度そのものは高くない。最近、農地の外れで大型獣らしい足跡が見つかったため、周辺を確認して記録を取る仕事だった。
「また農地ですね」
「芋のとこ近い?」
「近いですよ。以前行った農家から、それほど離れてません」
「じゃあこれ」
「決め手そこですか?」
「帰り寄れる」
「なるほど」
依頼票を受け取りながら、杏々は報酬欄をもう一度見る。
「黄の時より高い」
「赤向けですから」
「同じ半日くらいなのに」
「確認する範囲も広いですし、大型魔物がいた場合の危険度も上がります」
「でも高い」
「嬉しそうですね」
「家賃あるから」
そこは以前より切実だった。
◆
今回の依頼は、ギルドから派遣された調査員一人と一緒に動く仕事だった。
杏々が周囲の安全を確保し、調査員が足跡や食害、糞などを記録する。
農地から少し離れた林の縁を歩き始めると、杏々はすぐに地面へ視線を落とした。
「これ違う」
「どれです?」
「こっちは蹄。小さい」
調査員がしゃがみ込む。
「山綿羊ですね。古いです」
「こっち大きい」
別の足跡を指す。
今度は、土が深く沈んでいた。
「これは……」
調査員が大きさを測る。
「大角牛か、それに近い大型獣かもしれません。ただ、足跡は一頭分ですね」
「畑行った?」
「それを確認しましょう」
二人は痕跡を辿る。
足跡は農地の方へ近づいているものの、柵の手前で向きを変え、また林へ戻っていた。
「入ってない」
「そうですね。今のところ被害もなさそうです」
「じゃあ追わない?」
「依頼は痕跡調査です。危険個体が近くに居座っているようなら別ですが、今は記録して戻れば十分でしょう」
「うん」
赤ランクになったからといって、見つけたものを片っ端から倒すわけではない。
その辺りはもう、杏々も分かっていた。
◆
昼過ぎには調査を終えた。
足跡の位置と数、農地への侵入がなかったこと、周辺に新しい食害が見つからなかったことをまとめれば、依頼としては十分だった。
「では、私は先にギルドへ戻って報告をまとめます」
「うん」
「杏々さんは?」
「寄る」
「どこへ?」
「芋」
調査員は一瞬考えてから、以前の依頼先を思い出したようだった。
「ああ、南東の農家ですね」
「うん」
「道、分かります?」
「芋売ってたとこ曲がる」
「……分かってるならいいです」
◆
顔見知りになった農家へ行くと、畑の端で男が道具を片づけていた。
「お」
向こうも杏々に気づく。
「久しぶりだな、芋の子」
「杏々」
「俺には名前覚えろって言わねえのか?」
「芋の人」
「まだそれかよ」
男は笑いながら手を止めた。
「今日は仕事か?」
「うん。近く見てた」
「なんか出たのか?」
「大きい足跡。でも畑入ってない」
「そりゃ助かる。せっかく今んとこ順調なのに荒らされたらたまらんからな」
杏々はそこで畑を見る。
以前来た時と景色が少し違っていた。
同じように土玉芋が育っている区画の隣に、別の作物が植えられている場所がある。
「この前のどう?」
男が一瞬止まり、それから「ああ」と頷いた。
「試してる方か」
「うん」
「まだ途中だな」
杏々は畑へ近づく。
「違う?」
「今んところ、少しな」
◆
男は二つの区画を指した。
一方はこれまでと同じやり方で使っている畑。
もう一方は、少し前からやり方を変えて様子を見ている区画だった。
「こっちは前と同じ。で、こっちは間に別のもん挟んで、少し休ませた方だ」
「豆?」
「ああ」
「どう?」
「まだ収穫してねえから何とも言えん。ただ、見て分かるくらいには葉の色が違う」
杏々がしゃがむ。
確かに、片方の葉の方が少し濃い。
背丈も、ほんのわずかに揃っているように見える。
「こっち元気?」
「そう見えるな」
「芋大きい?」
「だからまだ掘れねえって」
「一個だけ」
「駄目だ」
「ちょっと」
「駄目だ」
杏々は立ち上がった。
「けち」
「実験してんだから我慢しろ!」
◆
「でもな」
男は少し真面目な顔になり、土を靴先で軽く崩した。
「面白いのは、育ち方そのものより土の方だ」
「土?」
「こっちの区画、前より乾き方がましなんだよ」
「水いっぱい?」
「いや、水やりは同じくらいだ」
男はもう一方の畑も見る。
「昔から畑を休ませたり、作物を変えたりするやり方はある。だから、あんたに言われて初めて知ったわけじゃねえ」
「うん」
「ただ、この辺じゃ最近、休ませても戻りが悪いんだよ」
「戻る?」
「土地の元気だよ。前なら一季休ませれば十分だったところが、それでも次の育ちが悪かったりする」
「芋小さくなる?」
「芋だけじゃねえ。葉物もそうだし、豆も場所によってばらつく」
杏々は畑を見た。
「なんで?」
「それが分かりゃ苦労しねえよ」
◆
男はしゃがみ込み、土を一握り取った。
「水が足りない年もあるし、肥やしの出来が悪いこともある。それだけなら分かるんだがな。最近は、同じようにやってるつもりでも差が出る」
「こっちはいい?」
「今んところはな」
「じゃあこれやればいい」
「そう簡単に決められねえよ」
「なんで?」
「一回うまくいっただけじゃ分からん。季節も違うし、土も全部同じじゃない。次も同じになるとは限らねえ」
杏々は少し考える。
「じゃあ比べる?」
「そのために残してんだよ」
「お」
「お前が言い出したんだろうが」
「そうだっけ?」
「忘れてんのか!」
◆
杏々は少し首を傾げた。
畑で何を話したか、全部を覚えているわけではない。
ただ、土玉芋をどう食べるかなら覚えている。
「前、芋潰した」
「そこは覚えてんのな」
「肉と混ぜて焼いた」
「それも聞いた」
「スライスしてもいい」
「飯の話になると急に詳しくなるな」
男は呆れながら笑った。
「まあ、あんたが変なこと言うから、空いてた区画で試してみただけだ。結果が出るまでまだしばらくかかる」
「いつ?」
「ちゃんと収穫して、その次まで見ようと思ったら数か月はいるな」
「長い」
「畑はそういうもんだ」
「忘れる」
「忘れんなよ!」
「芋できたら教えて」
「結局そこか」
◆
帰ろうとした杏々を、男が呼び止めた。
「そうだ。前に持ってった形の悪い芋、もう食ったか?」
「まだ少しある」
「まだあるのかよ」
「いっぱいだった」
「そりゃそうだ」
「潰して焼いた。煮込みもした。薄くして焼いた」
「全部食い方の報告じゃねえか」
「おいしかった」
「なら持ってった甲斐はあったな」
男は少し考えたあと、畑の端に置いてあった小さな籠を杏々へ差し出した。
「今日は芋じゃないけど、これ持ってけ」
中には採れたばかりの豆が入っている。
「豆」
「ああ。試してる区画とは別のやつだぞ」
「食べれる?」
「それ以外何に使うと思ったんだ」
杏々の機嫌がよくなった。
「ありがとう」
「今度は名前覚えろよ」
「豆の人?」
「悪化してるじゃねえか!」
◆
ギルドへ戻った時には、少し遅い時間になっていた。
受付嬢は調査員からすでに報告を受け取っていたらしい。
「お帰りなさい。依頼は問題なく完了していますよ」
「うん」
「それ、どうしたんです?」
「もらった」
「またですか?」
「豆」
「今度は何したんです?」
「何もしてない」
杏々は少し考える。
「畑見た」
「それだけ?」
「この前のどうって聞いた」
「この前の?」
「試してるやつ」
受付嬢が少し不思議そうな顔をしたが、杏々はそれ以上説明しなかった。
「まあ、問題起こしてないならいいですけど」
「起こしてない」
今のところは。
◆
依頼報酬を受け取ると、杏々は数字を見て改めて満足した。
「やっぱ高い」
「赤ランクですから」
「半日でこれ」
「危険度も上がってますよ」
「今日は何もなかった」
「何も起きないように確認する仕事です」
「じゃあお得」
「そういう考え方なんですか」
杏々は帳面を開き、
『赤の仕事』
と書いた下へ報酬額を記録した。
黄ランクの頃より、確かに少し余裕がある。
これなら家賃を払ったあとでも、食費や道具代を以前ほど細かく気にしなくて済むかもしれない。
「赤いい」
「川鎧魚がなくても?」
杏々の動きが止まった。
「今日ある?」
「ありません」
「……赤なのに」
「そのくだり、しばらく続けるつもりですか?」
「出るまで」
◆
家へ帰ると、もらった豆を茹でた。
半分はそのまま塩を振り、残りは肉と一緒に炒める。少し辛味を足すと、豆の甘みが目立って杏々の好みになった。
「おいしい」
食べながら、昼に見た畑を思い出す。
葉の色が少し違った。
土の乾き方も違うらしい。
ただ、芋が大きくなるかどうかはまだ分からない。
「まだ掘れない」
少し残念だった。
◆
食後、杏々は日記を開いた。
『赤の仕事 南東』
『大きい足跡 一頭』
『畑には入ってない』
『豆もらった』
さらに少し考えて、
『前に言った畑 まだ途中』
『葉っぱ少し違う』
と、この世界の文字で書いた。
その下には日本語で、
『豆 塩だけでもおいしい』
『肉と炒めた方もっとおいしい』
『辛いの合う』
『芋はまだ掘れない』
やはり最後はそこだった。
◆
寝台へ移ると、ハンバーガー猫の横に灰色の布が置いてある。
ちくわアザラシはまだ完成していない。
赤ランクの仕事。
森爪熊。
畑。
保存食。
新しい家。
少しずつ、杏々の周りには以前より多くのものが増えていた。
そのどれが後で大きな話になるのか、今の杏々には分からない。
本人が気にしているのは、もっと分かりやすいことだった。
「赤の仕事、高い」
少し嬉しそうに呟く。
「豆もおいしかった」
そして最後に、
「川鎧魚はまだ」
忘れず付け加えた。




