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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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肉って大きく


 赤ランクになってから一週間ほどが過ぎた。


 杏々が一番最初に実感した変化は、受けられる依頼の危険度でも、戦う魔物の強さでもなかった。


 報酬だった。


 黄ランクの頃と同じくらいの時間を使う仕事でも、内容によっては明らかに受け取れる額が増えている。もちろん危険が大きい仕事ほど高くなるし、遠出をすれば拘束時間も延びるので、単純に毎回得をするわけではない。それでも杏々が自分で家賃を払い、食材を買い、剣の手入れに必要な油まで揃えて暮らしていくには、その差はかなり大きかった。


 森爪熊から入る小さな収入もある。


 食事は自分で作れる。


 保存食も少しずつ用意できるようになった。


 家を借りた直後より、手元の金には明らかに余裕が戻り始めている。


 そのため最近の杏々は、朝の食事を以前より少し多めに作るようになっていた。


     ◆


 まだ長屋の住人たちがほとんど起きていない時間。


 杏々は焼いた卵とパン、昨夜の肉料理の残りを食べ、それでも足りないので薄焼きの携行食を一枚追加した。


「これくらい」


 食べ終えると、水を飲み、剣を持って家を出る。


 向かうのは依頼の掲示板ではない。


 冒険者ギルドの裏手にある訓練場だった。


 この時間なら利用者は少ない。


 受付の職員も、最近は杏々が朝早く現れることに慣れてきたらしく、特に止めることもなく通してくれる。


「今日もですか?」


「うん」


「依頼はそのあと?」


「そのあと」


「元気ですねえ」


「ご飯食べたから」


 杏々はそのまま訓練場へ向かった。


     ◆


 一刻ほど経って戻ってきた時、杏々はいつもの小さな姿だった。


 ただし、来た時より腹が減っている。


「お腹すいた」


 受付嬢が顔を上げる。


「朝ご飯食べたんですよね?」


「食べた」


「結構しっかり食べてませんでした?」


「食べたよ」


「じゃあどうしてもう空いてるんですか?」


「調整したから」


「何のです?」


「身体」


「……最近やってるやつですね」


「うん」


 それ以上詳しく話す気はないらしく、杏々は赤ランク用の掲示板へ向かった。


 以前から最低限の身体の確認くらいはしていた。


 けれど成人状態へ戻って長く動き、全身の状態まできちんと確かめれば、その分だけ消費も増える。


 黄ランクだった頃は、家を借りたばかりで金も減っていた。


 わざわざ腹を減らすために成人状態で動き続けるくらいなら、日常生活に必要な範囲だけ整えておけばよかった。


 今は少し違う。


 余計に食べても、以前ほど財布を気にしなくて済む。


「赤、便利」


 杏々が掲示板を見ながら呟く。


「たぶん普通の人は、その理由で赤ランクの便利さを評価しませんよ」


     ◆


 その日は午前中に王都外れの巡回依頼を一つ受けた。


 林道沿いに大型魔物の新しい痕跡がないかを確認する仕事で、危険な個体を発見した場合には状況次第で討伐も許可されていたが、実際に見つかったのは古い足跡だけだった。


 杏々はその場所と向きを覚えて戻り、昼過ぎには報告も終えた。


 報酬を受け取って数字を確認する。


「うん」


「満足そうですね」


「今日も高い」


「赤ランクですからね」


「朝いっぱい食べた分より多い」


「そこを比較してたんですか?」


「大事」


 杏々にとっては重要だった。


 身体をきちんと整えるために食事量が増えても、その分を仕事で十分に賄える。


 しばらくは続けられそうだった。


     ◆


 ギルドを出て西市場へ向かい、昼食をどこで食べようか考えながら長屋の近くまで戻ってきたところで、通りの向こうから声をかけられた。


「杏々!」


 振り向く。


 以前、杏々の煮込みの匂いにつられて部屋までやってきた長屋の女性だった。


「なに?」


「ちょうどいいところにいた。今、時間あるかい?」


「ある」


「昼は?」


「まだ」


 女性の顔が少し笑う。


「じゃあもっと都合がいい。ちょっと来な」


「ご飯?」


「まずそこなんだね」


「ご飯なら行く」


「そう言うと思ったよ」


     ◆


 連れていかれたのは、長屋からそれほど離れていない小さな食堂だった。


 杏々は店の前まで来て、少しだけ首を傾げる。


「ここ?」


「そうだよ。弟夫婦の店」


「近い」


「前に言わなかったかい?」


「場所聞いてなかった」


「あんたが聞かなかったんだよ」


 店は大通りから一本入った場所にあり、通りすがりの客が偶然見つけるには少し分かりにくい。


 ただし、以前なら目立たなかったはずの店先に、今は大きな板が一枚出ていた。


 杏々が見上げる。


 書かれている文字は少ない。


『肉』


 その下に、もう少し小さく、


『煮込み』


 とある。


「肉」


「読める?」


「うん」


「前よりずいぶん大きくしたんだよ」


「見える」


「そうだろ?」


 女性が少し得意そうに笑った。


     ◆


 中へ入ると、杏々はさらに足を止めた。


 昼時なので多少客がいるのは当然だとしても、思ったより席が埋まっている。


 作業着姿の男が二人。


 買い物帰りらしい女性。


 近くで働いているらしい若者が三人。


 店そのものは大きくないため、それだけでもかなり賑やかに見えた。


「ここ、人増えた」


「覚えてるのかい?」


「前、あんまりいなかった?」


「……一回来たことあったっけ?」


 女性が怪訝そうにする。


 杏々も少し考えた。


「来てない」


「じゃあ何で分かるんだい!」


「前、店の話した時、あんまり人いないって言ってた」


「そこ覚えてたのか」


「煮込みの話もした」


「それは覚えてるんだねえ」


 杏々は厨房から漂ってくる匂いを嗅ぐ。


「肉、焼いてる」


「それも分かる?」


「匂い違う」


     ◆


 女性は空いている席へ杏々を座らせると、厨房へ声をかけた。


「例の子来たよ!」


「例の?」


 杏々が聞く。


「いいから座ってな」


 少しすると、厨房から男性が出てきた。年齢は女性より少し下で、エプロン代わりの布を腰へ巻いている。


「この子か?」


「そう。この子」


「小さいな」


「杏々」


「ああ、悪い。杏々だったな」


 男は向かいへ座るのではなく、少し屈んで杏々と目線を合わせた。


「姉貴から聞いたよ。あんたが前に言った煮込み、試してみた」


「おいしかった?」


「まずそこ聞くか」


「大事」


「まあ、うまかったよ」


 それを聞いて杏々は満足そうに頷いた。


     ◆


 最初に試したのは、杏々が自宅で作っていたやり方だった。


 安い硬い肉をそのまま煮込むのではなく、まず表面を焼く。


 その後で水と野菜を加え、土玉芋の一部だけを崩して汁へ馴染ませる。


 肉自体は以前より少し小さく切り、パンと一緒に食べやすい濃さに味を調整した。


「最初は家で作ったんだ」


「うん」


「姉貴が聞いてきた通りにやったら、前の煮込みより香りが強くなった。芋を少し潰すと汁も薄くならねえ」


「全部潰すと芋なくなる」


「そうなんだよ。だから半分くらい形を残した」


「それがいい」


「それで何日か店でも出してみた」


「売れた?」


「売れた」


 杏々の反応が少し良くなる。


「いっぱい?」


「今までよりはな」


     ◆


 料理だけでなく、店先の表示も変えたという。


 以前は店名と「食事処」という意味の文字が並んでいたが、何が食べられる店なのかは外から見ても分かりにくかった。


 そこで女性が、杏々の言ったことを弟へ伝えた。


「『肉って大きく書く』って言ったんだって?」


「うん」


「文字いっぱいだと分かんないからって」


「うん」


「最初は何言ってんだと思ったんだけどな」


 男が苦笑する。


「試しに『肉』『煮込み』だけ大きく書いた板を出してみたら、今まで店の前を通り過ぎてた連中が入るようになった」


「肉食べたい人?」


「たぶんな。近くの荷運びや職人なんかは、昼に腹いっぱい食える店を探してることが多い」


「じゃあ肉大きい方がいい」


「そういうことだったらしい」


 杏々は店の入口にある板をもう一度見る。


「分かりやすい」


「お前が言ったんだよ」


     ◆


 やがて、目の前へ煮込みが運ばれてきた。


 大きめの器に、とろみのついた茶色い汁が入っている。中にはよく煮えた肉と土玉芋、それに根菜がいくつか。横には厚めに切ったパンまで添えられていた。


 杏々の目が料理へ移る。


「食べていい?」


「そのために呼んだんだ」


「いただきます」


 まず汁を飲む。


 肉を焼いた香ばしさが残っており、芋が少し崩れているため以前杏々が家で作ったものと同じように汁が具へ絡む。


 肉を食べる。


 安い部位なので完全に柔らかいわけではないが、小さめに切って長く煮てあるので十分噛み切れる。


「おいしい」


 男が少し安心したように笑う。


「よかったよ」


「パン」


 杏々はパンを汁へ浸した。


 一口。


「こっちもっといい」


「そう言うと思って、最初から付けるようにした」


「えらい」


「俺が褒められるのか」


     ◆


 杏々はしばらく無言で食べ続けた。


 料理の話をしていた時より、明らかに真剣だった。


 半分ほど食べたところでようやく顔を上げる。


「前よりおいしい?」


 女性が聞く。


「前食べてない」


「そうだったね!」


「でもこれおいしい」


「それなら十分だよ」


「辛いの少し入れてもいい」


 男が笑う。


「姉貴からそれも聞いた。ただ、客全員があんたほど辛いの好きとは限らんからな」


「別にする?」


「卓上に少し置くのはありかもしれないな」


「お」


 また一つ、杏々が思いついたことが増えた。


     ◆


 食べ終わる頃、店内にはさらに客が二人入ってきた。


 入口の板を見て、そのまま迷わず入ってくる。


 杏々はそちらを見た。


「ほんとに増えた」


「おかげさまでね」


 女性が言う。


「杏々が話してくれたことだけで全部変わったなんて言う気はないよ。弟たちも味を調整したし、値段も考え直した。常連が人を連れてきてくれたのも大きい」


「うん」


「でも、きっかけにはなった」


「きっかけ?」


「肉を先に焼くことも、芋を少し崩すことも、外に何を出す店なのか大きく書くこともさ」


 杏々は少し考える。


「私、言っただけ」


「その『言っただけ』が助かったんだよ」


     ◆


 男が厨房へ戻り、小さな包みを持ってきた。


「だから、これ」


「なに?」


「今日の分とは別に、煮込みを少し持って帰りな。夜か明日の朝にでも食えばいい」


 杏々の顔が明るくなる。


「くれる?」


「ああ」


「お」


「それから」


 男は続ける。


「今後も店に来た時、煮込み一杯くらいなら金はいらん」


「ほんと?」


「毎日三杯も四杯も食うなよ」


 杏々が止まる。


「一杯?」


「そこ引っかかるのか」


「大盛り?」


「普通盛り!」


「じゃあパンつく?」


「付けるよ!」


「いい店」


「評価基準が単純すぎる!」


     ◆


 女性が笑いながら、杏々の頭を軽く撫でた。


「別に正式に何か頼むって話じゃないよ。ただ、また食べて気づいたことがあったら教えてくれりゃいい」


「おいしかったら言う」


「まずそれでいいさ」


「おいしくなかったら?」


「それも言ってくれ」


「分かった」


 杏々は包みを大事そうに鞄へ入れた。


 森爪熊のようにお金が入るわけではない。


 冒険者の依頼でもない。


 芋をくれた農家の時とも少し違う。


 前に何気なく話したことが、今度は一食分のご飯になって戻ってきた。


「便利」


「何が?」


「話したらご飯になった」


「そういう言い方すると、こっちが何か騙されてるみたいだね!」


     ◆


 店を出たあと、杏々は長屋までの短い道を歩きながら包みを確認した。


 今日の昼は無料。


 さらに持ち帰りまである。


 朝は身体の調整をしたので、普段より腹が減っていた。


 その分をちょうど埋めてもらった形になる。


「赤でご飯増やせる」


 少し考える。


「話してもご飯増える」


 生活の仕組みが、また一つ複雑になった。


     ◆


 家へ戻ると、杏々は帳面を開いた。


 まず朝の調整のあとに受けた依頼と報酬を書く。


『赤 林道調査』


 その横に金額。


 次に、


『ご飯屋 煮込み』


 少し考えてから、


『一杯 今度からただ』


 と書いた。


 さらに日本語で、


『肉先に焼いたの残ってた』

『芋少し崩すと汁おいしい』

『パンつけるのやっぱりいい』

『店の外に肉って大きく書いてた』

『人増えてた』


 そこまで書いてから、杏々は少し考える。


『私が言ったらしい』


 最後だけ妙に曖昧だった。


     ◆


 夜になり、持ち帰った煮込みを温め直す。


 昼にも食べたばかりだが、朝から身体を動かしたせいか、まだ普通に食べられた。


 パンも自分で追加する。


 汁へ浸して食べる。


「おいしい」


 そこは昼と変わらない。


 食後、杏々は寝台へ移り、ハンバーガー猫を抱えた。


 赤ランクになって報酬が増えた。


 それで以前より多く食べられる。


 身体も少しずつきちんと整え直せる。


 そして、前に何となく話したことが、知らないところで誰かの店を少し変えていた。


 杏々本人には、それらが一つの大きな流れに見えているわけではない。


「明日も朝やる」


 今の関心は、もっと身近だった。


「そのあとご飯」


 結局、そこが基準だった。


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