なんだいこれは
森爪熊の売上を受け取った翌日も、杏々はいつも通り朝から仕事へ出た。
赤ランクへの昇格審査が進んでいるとはいえ、結果が出るまでは黄ランクの冒険者であることに変わりはない。その日は王都近郊の農道を巡回し、昼過ぎには依頼を終えてギルドへ戻った。
「今日も問題なしですか?」
「うん。荷車二台。角兎一匹いたけど逃げた」
「追いませんでした?」
「依頼にない」
「はい、それで大丈夫です」
受付嬢が報告を書き終える。
杏々は少し待った。
「……なに?」
「いえ?」
「今の褒めてない?」
「確認しただけです」
「そっか」
少し残念そうだった。
「毎回は褒めませんよ」
「なんで?」
「褒めるために受付してるわけじゃありませんから」
杏々は納得していない顔で報酬を受け取り、帳面に数字を書いた。
◆
午後にもう一件仕事を入れることもできたが、その日は家でやりたいことがあった。
西市場へ寄って夕食用の魚と野菜を買い、さらに布屋でいくつか端切れを選ぶ。
「また買うのかい?」
店の女主人が笑った。
「うん」
「この前も買ってっただろ」
「使った」
「何に使ってるのか、まだ教えてくれないの?」
「作るもの」
「それは分かってるよ」
杏々は並んだ布の中から、灰色と白の端切れを取った。
「これも」
「今度はずいぶん地味な色だね」
「いる」
「また妙なもの作ってるんじゃないだろうね」
「妙じゃない」
「その言い方、この前も誰かがしてた気がするよ」
杏々は首を傾げたが、布を受け取るとそのまま家へ帰った。
◆
夕食を済ませたあと、杏々は床へ裁縫道具を広げた。
寝台の上にはハンバーガー猫がいる。
すでに何度も抱いて寝たせいで、完成直後より少しだけ身体が馴染んできていた。中央部分は柔らかく潰れ、逆に端の部分は形を保っている。
自分用としてはかなり出来がいい。
「次」
杏々は買ってきた灰色の布を広げる。
今度は細長くするつもりだった。
頭の中にはすでに形がある。
ただ、今日はまだ布を切り始めたばかりなので、完成まではしばらくかかる。
その横には、別のものも置いてあった。
ハンバーガー猫とほぼ同じ顔と色使いだが、抱き枕ほど立体的ではない。もっと小さく、平たくして、座ったり背中へ当てたりできるように試しているものだった。
「こっちは綿少なくていい」
杏々は指で厚みを確認する。
抱くなら大きくて柔らかい方がいい。
座るなら平たい方が使いやすい。
作ってみれば、それぞれ役割が違う。
誰かに売るためではなく、杏々が自分の部屋で使うためのものなので、好きなように試せた。
◆
そんなことをしていると、突然扉が強く叩かれた。
どん、どん、どん。
リネットではない。
近所の女性でもない。
妙に勢いがある。
「杏々!」
声を聞いた瞬間、杏々には誰なのか分かった。
「いる」
「いるなら開けな!」
杏々が扉を開ける。
そこには、森爪熊の商品化を担当している布製品職人が立っていた。
「こんにちは」
「はいこんにちは――じゃないよ!」
「なに?」
「あんた最近、布買ってるらしいね!」
「うん」
「何やってんだい!」
昨日聞かれたことと、ほとんど同じだった。
「作ってる」
「だから何をだよ!」
「私の」
「それも聞いた!」
職人はかなり気になっていたらしい。
昨日店先で杏々に逃げられてから、今日になってまた布を買っていたという話まで耳に入った結果、とうとう本人の家まで来たようだった。
◆
「入る?」
「入るよ! そのために来たんだから!」
「靴そこ」
「分かってるよ!」
職人は靴を脱ぎ、勢いのまま部屋へ入った。
そして数歩進んだところで止まった。
「……」
杏々が後ろから扉を閉める。
「なに?」
「……なんだいこれは」
職人の視線の先には、寝台がある。
その上に、ハンバーガー猫がいる。
茶色い上下のパン。
間から覗く黄色、緑、赤の布。
そして猫。
職人はしばらく黙って見ていた。
「杏々」
「うん」
「なんだいこれは」
「ハンバーガー猫」
「…………何?」
「ハンバーガー猫」
「二回言われても分からないよ!」
◆
職人は寝台へ近づき、ハンバーガー猫を持ち上げた。
「猫なのは分かるよ。ぎりぎり分かる。でもこの身体は何なんだい」
「ハンバーガー」
「だからそれが分からないんだよ!」
「パン」
杏々が上下を指す。
「肉」
真ん中。
「野菜」
緑。
「チーズ」
黄色。
「それで猫」
「なんで最後に猫が入るんだい!」
「かわいいから」
「どういう理屈だい!」
杏々にはこれ以上説明する必要があるとは思えなかった。
パンと肉と野菜と猫。
かわいい。
それで完成している。
◆
職人は呆れながらも、ハンバーガー猫を手放さなかった。
むしろしばらくすると、見る場所が変わってきた。
「……ここ、詰め物変えてるね」
「うん」
「中央は柔らかいけど、外側は少し多い」
「抱くから」
「端まで柔らかいと形が潰れるから?」
「うん」
「耳の付け根も二重にしてある」
「取れたら嫌」
「この具の部分は別布を挟んでるのか」
「色違うから」
「……」
職人の顔から、だんだん呆れだけが消えていく。
代わりに仕事をしている時の目になっていた。
「森爪熊より面倒なことしてるじゃないか」
「私のだから」
「売り物じゃないから手間を気にしてないのかい」
「うん」
「なるほどねえ……」
◆
そこで職人は、床に置かれたもう一つへ気づいた。
「こっちは?」
「クッション」
「同じ顔じゃないか」
「ハンバーガー猫」
「それはもう分かったよ!」
まだ完成していない平たい方を持ち上げる。
抱き枕より小さく、部品の数も少ない。具材の表現も簡略化されており、基本的には前後二枚の布を縫い合わせて形を作れるようになっている。
「これ、あんたが座るのかい?」
「うん。あと背中」
「だから薄い?」
「抱くなら長い方。座るならこっち」
「用途で形を分けてんのか」
「うん」
職人は平たいハンバーガー猫と、大きな抱き枕を交互に見た。
「……こっちの方がずっと作りやすいね」
「そう?」
「型が少ないし、詰め物も少なくて済む。森爪熊みたいに立体を整える手間もない」
「ふーん」
「あんた、これ――」
「売らないよ」
職人が止まった。
「まだ何も言ってないだろ!」
「私の」
「分かったよ!」
◆
職人は平たい方を元へ戻すと、今度は床に広がった灰色の布を見た。
「じゃあ、これは?」
「次」
「次って?」
「作る」
「何を?」
杏々は少し考えた。
「まだ途中」
「昨日と同じこと言って逃げる気だね?」
「できてないから」
「何になるかくらい言えるだろ!」
杏々は灰色の布を持ち上げる。
「アザラシ」
「お。今度は普通じゃないか」
「ちくわ」
「……」
「ちくわアザラシ」
職人がしばらく動かなくなった。
「ちくわって何だい」
「食べ物」
「また食べ物かい!」
「魚で作る」
「なんでそれとアザラシを混ぜるんだい!」
「合うから」
「何がだよ!」
◆
杏々はまだ形になっていない灰色の布を見せた。
「細長い」
「アザラシが?」
「ちくわも」
「それで合うって?」
「うん」
「……あんたの頭の中、どうなってるんだい」
「普通」
「絶対普通じゃないよ」
職人は額を押さえた。
それでも、帰ろうとはしなかった。
むしろ床へ座り込み、ハンバーガー猫の縫い目や、平たいクッションの型を何度も見ている。
「森爪熊だけじゃなかったんだねえ」
「なにが?」
「あんた、こういう形考えるの好きなんだろ?」
杏々は少し考えた。
「かわいいの好き」
「それを形にするのも?」
「自分で欲しいから作る」
「……そういうことかい」
◆
職人はハンバーガー猫を指した。
「最初から売ろうと思って作ったわけじゃない」
「うん」
「誰かに頼まれたわけでもない」
「うん」
「自分が欲しかったから?」
「うん。部屋できたから」
「部屋?」
「前は置く場所なかった」
杏々は寝台を見る。
「今は家だから」
職人は少しだけ黙った。
最初の森爪熊はフィアのために作られた。
商品化の話も、後から周囲が勝手に持ってきたものだった。
そして今回のものは、さらに商売から遠い。
杏々が自分の家で、自分が使うために作っただけ。
「なるほどね」
職人はようやく少し笑った。
「じゃあ、それはあんたのだ」
「うん」
「勝手に売れとは言わないよ」
「うん」
「ただし」
急に指を立てる。
「新しいのができたら一回見せな」
「なんで?」
「職人として気になるんだよ!」
◆
「あと、この平たい方」
職人がクッションを指した。
「これはちょっと話が別だ」
「私の」
「それは分かってるって!」
「売らない」
「現物を売れって言ってるんじゃない。似た作り方で別に商品を作れるかもしれないって話だよ」
杏々は少し首を傾げた。
「森爪熊みたいに?」
「そう。あんたのこれはあんたのもの。そのまま持っていったりはしない。ただ、この平たい作りは量産しやすい」
「ふーん」
「まだ何も決めないけどね。森爪熊の追加分だって、これから売れるか見なきゃならない」
「じゃあ後?」
「ああ。後だ」
「分かった」
杏々はあっさり納得した。
◆
話が終わったと思ったところで、職人は部屋をもう一度見回した。
「しかし、布だけじゃなくて料理道具も増えたね」
「ご飯作るから」
「保存肉まで吊ってあるじゃないか」
「遠出用」
「服も自分で直す。ぬいぐるみも作る。保存食も作る」
「うん」
「一人暮らし始めてから急に色々やってないかい?」
杏々は少し考えた。
「前もできたよ」
「じゃあ何でやらなかったんだい?」
「必要なかった」
城では食事が出た。
部屋も最初から用意されていた。
荷物を増やしても、いつかそこを出ることは分かっていた。
今は違う。
自分で食事を用意し、自分で家賃を払い、自分の好きなものを置く。
「ここ私の家だから」
「借りてる家だけどね」
「借りてる間は私の」
「そうだね」
職人は笑った。
◆
帰り際、職人は扉のところで振り返った。
「杏々」
「なに?」
「ちくわアザラシとやら、できたら見せな」
「うん」
「あと市場で布買うたびに秘密にするのやめな」
「なんで?」
「こっちが気になるんだよ!」
「来ればいいよ」
「……」
職人が止まる。
「家に?」
「うん」
「見に?」
「うん」
「最初からそう言いな!」
「聞かれてない」
「ほんっとにあんたは!」
大きな声を残して、職人は帰っていった。
◆
扉を閉めると、杏々は床へ戻った。
ハンバーガー猫を寝台へ戻し、平たいクッションはまだ詰め物を調整するため床へ残す。
灰色の布も広げ直した。
「ちくわアザラシ」
少し作ってみようと思ったところで、腹が鳴った。
「お腹すいた」
さっき夕食を食べたばかりだったが、裁縫をしていると妙に何か食べたくなる。
杏々は棚から薄焼きの携行食を一枚取り出し、ぱき、と割って口へ入れた。
「おいしい」
それを食べながら、また針を持つ。
◆
その日の最後、日記には仕事のことより先に、
『ぬいぐるみの人 家にきた』
と書かれた。
さらに、
『ハンバーガー猫みつかった』
『クッションもみつかった』
『ちくわアザラシ途中』
日本語では、
『ハンバーガー猫は私の』
『売らない』
『クッションは別の作るかも』
『灰色もう少しいる』
と続く。
最後に少し考え、
『また来るらしい』
と書いた。
杏々は寝台に上がり、ハンバーガー猫を抱く。
「見つかった」
別に隠していたわけではない。
ただ、まだ自分の部屋にしかなかっただけだ。
森爪熊に続いて、ハンバーガー猫まで職人の目に入ってしまった。
けれど杏々にとって、今一番大切なのは商品になるかどうかではなかった。
「私の」
ハンバーガー猫を抱き直す。
そこだけは、最初から決まっていた。




