芋で返ってきた
それから二週間ほど、杏々の生活には大きな事件がなかった。
朝になれば自分で食事を作り、冒険者ギルドへ行って依頼を受ける。夕方には西市場へ寄り、その日の値段を見ながら肉や魚、野菜を買って家へ帰る。
新しい剣にもすっかり慣れた。
家賃を払う日も帳面に大きく書いてある。
森爪熊については、布製品店で最終的な試作品が完成し、少数を作り始めたと聞いていた。ただ、まだ店頭へ並んで間もないため、売れ行きについての連絡は来ていない。
杏々自身も、熊のことばかり気にしてはいなかった。
売れればお金が入る。
売れなければ入らない。
それとは関係なく、今日も仕事はある。
◆
その日の昼過ぎ。
杏々は王都近郊の街道警備を終えて、ギルドへ戻ってきた。
「終わった」
「お疲れさまでした。特に問題はありませんでしたか?」
「ない。荷車三台通った。商人二組。変なのいなかった」
「はい。報告も問題ありません」
受付嬢が依頼票へ記録をつける。
最近の杏々は、以前より報告が具体的になっていた。
最初の頃なら「何もなかった」で済ませていたところを、通行した人や荷車の数、道の状態、気になった痕跡くらいは伝えるようになっている。
その方がギルドにとって役に立つと教えられたからだ。
「報酬はこちらです」
「うん」
杏々が受け取った金額を帳面へ書こうとしたところで、受付嬢が思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ。杏々さんを探してる方が来てますよ」
「誰?」
「南東の農地の方です」
「農地?」
「前に収穫の護衛へ行ったでしょう?」
杏々は少し考えた。
「芋?」
「そうです。よく覚えてましたね」
「芋おいしかった」
「そっちで覚えてるんですね」
◆
ギルドの待合いにいたのは、以前杏々が土玉芋の収穫を手伝った農家の男だった。
足元には、大きな麻袋が一つ置かれている。
「おお、来た来た」
「こんにちは」
「覚えてるか?」
杏々は男を見る。
少し間があった。
「芋の人」
「まあ、間違っちゃいねえな」
名前までは出てこなかったらしい。
男もそれ以上は気にせず、足元の袋を軽く叩いた。
「今日はこれ持ってきたんだ」
「芋?」
「芋だ」
杏々の反応が明らかに良くなる。
「くれる?」
「話が早いな!」
◆
男は笑いながら袋の口を開いた。
中に入っているのは土玉芋だった。
ただし、市場へ並ぶような形の揃ったものではない。
小さいもの。
曲がったもの。
途中で二つに分かれたもの。
表面に大きな凹凸があるもの。
以前、杏々が畑で見つけたものと同じだった。
「形わるい」
「ああ」
「でも食べれる」
「そこも前と同じだ」
男が頷いた。
「覚えてるか? あんた、これ見て『潰したら同じ』って言ったんだよ」
杏々は芋を見る。
「言った?」
「忘れてんのか?」
「んー」
少し考える。
「茹でて潰して、肉入れて焼く?」
「そこは覚えてるのかよ!」
「おいしそうだったから」
「ほんと食い物だけは強いな、あんた」
◆
男は袋の横へ腰を下ろした。
「あの後、村の飯屋に話してみたんだよ」
「ご飯屋?」
「ああ。形の悪い芋を安く回して、何か作れないかってな」
最初は飯屋の主人も半信半疑だったらしい。
形の悪い土玉芋は皮を剥くのに手間がかかる。市場へ持っていっても値段がつきにくく、農家では家畜の餌へ回すことが多かった。
それでも一度だけ試してみた。
「茹でて潰して、細かくした肉と混ぜた」
「うん」
「少し香草も入れてな。それを丸くして焼いた」
杏々が男を見る。
「どうだった?」
「売れた」
「お」
「思ったよりずっとな」
杏々の目が少し大きくなる。
◆
「最初は村の連中向けに十個くらい作ったらしいんだが、昼前にはなくなったってよ」
「おいしかった?」
「俺も食った。普通にうまかったよ」
「外焼いた?」
「ああ。表面に焼き目つけてな」
「じゃあおいしい」
「食ってないのに分かるのか?」
「芋と肉だから」
「ずいぶん強い理屈だな」
翌日は少し数を増やした。
それも売れた。
今では毎日ではないものの、形の悪い土玉芋がまとまって出た日に作る料理として、村の飯屋に定着し始めているらしい。
「名前も付けたぞ」
「なに?」
「潰し芋の肉焼き」
杏々は少し考える。
「そのまま」
「分かりやすいだろ」
「うん」
◆
結果として、農家にも小さな変化が出た。
以前ならほとんど金にならなかった芋を、飯屋が安値ながら買い取ってくれるようになった。
飯屋側も、普通の芋より安い材料で一品作れる。
形が悪くても、潰してしまえば客には分からない。
「だからな」
男が袋をもう一度叩く。
「あんたのおかげってほど大げさな話じゃねえけど、きっかけになったのは確かなんだよ」
「私?」
「あんた」
「何した?」
「だから忘れんな!」
受付の向こうから、受付嬢が笑っている。
◆
「別に大儲けしたって話じゃねえよ。ただ、今まで餌にしてたものが少し金になるようになった。それだけでも農家にはありがたい」
「うん」
「それで、村の飯屋の親父とも話してな。次に王都へ来る時、あの小さい冒険者に礼しといてくれって」
「それが芋?」
「そういうことだ」
男は袋を杏々の方へ押した。
「売り物にはしにくいが、味は変わらん。好きなだけ食ってくれ」
杏々は袋の中を見る。
かなりある。
「いっぱい」
「一人じゃ多いか?」
「大丈夫」
返答に迷いがなかった。
「……聞く相手間違えたな」
「食べれる」
「だろうな」
◆
杏々は袋から一つ取り出した。
ごつごつした土玉芋を手の上で転がす。
「これ、煮てもいい」
「好きにしろ」
「スープも」
「ああ」
「潰して焼くのもする」
「そのために持ってきたんだからな」
「揚げてもおいしいかも」
「また何か始まったぞ」
男が笑う。
杏々の頭の中では、すでに今日の夕食が始まっていた。
潰して肉と混ぜる。
焼く。
それだけでもいい。
チーズに似たものがあれば中へ入れてもいい。
香草を変えてもいい。
薄く伸ばして焼けば食感も変わる。
「杏々さん」
受付嬢から呼ばれ、杏々が顔を上げる。
「今、完全にご飯のこと考えてましたね?」
「うん」
「分かりやすい」
◆
農家の男が帰ったあと、杏々は麻袋を持ち上げた。
かなりの量が入っているが、本人には重さなどほとんど問題ではない。
「これどうするんです?」
「持って帰る」
「全部?」
「私の」
「それは分かりますけど」
受付嬢は少し考えたあと、杏々の帳面へ視線を落とした。
「そういえば、これって杏々さんの中ではどういう扱いなんでしょうね」
「なにが?」
「報酬ではないですよね。依頼として受けたわけじゃありませんし」
「お礼」
「そうですね」
杏々は帳面を開いた。
今日の仕事の報酬を書いた下へ、もう一行増やす。
『芋』
そこで止まった。
「数字ない」
「お金じゃありませんからね」
「でももらった」
「もらいましたね」
「収入?」
受付嬢も少し困った。
「広い意味では……収入になるんでしょうか」
杏々は考える。
そして、この世界の文字で、
『芋 もらった』
と書いた。
「これでいい」
「一番分かりやすいですね」
◆
袋を担ぎ、新居へ帰る。
西市場を通った時、杏々はいつもの芋売りの前で足を止めた。
並んでいる土玉芋を見る。
値札を見る。
それから、自分が持っている大袋を見る。
「今日は買わない」
店主が笑った。
「ずいぶん持ってるじゃないか。どこで仕入れたんだ?」
「もらった」
「そりゃいいね」
「形悪いけどおいしい」
「食うならそれで十分だ」
「うん」
杏々は少し嬉しそうに家へ戻った。
今日の食費から、少なくとも芋の分は消えた。
◆
家へ着くと、まず土玉芋を仕分けた。
すぐ食べるもの。
比較的長く置けそうなもの。
傷があって早めに使った方がいいもの。
城にいた頃なら、こうして大量の食材を自分で管理することもなかった。
「こっち今日」
杏々は傷のある芋をいくつか取り出した。
皮を剥く。
形が悪いので少し面倒だったが、茹でてしまえば同じだ。
柔らかくなった芋を潰す。
そこへ、市場で安く買った細切れ肉を混ぜる。
塩。
香草。
少しだけ辛い実。
丸くまとめて、油を薄く引いた鍋で焼いた。
じゅう、と音がする。
表面に焦げ目がついていく。
「いい匂い」
自分で言った。
◆
しばらくすると、廊下から足音がした。
以前、煮込みの匂いにつられてやってきた長屋の女性が、開いていた窓越しに声をかけてくる。
「今日は何作ってるんだい?」
「芋」
「この前も芋入れてなかったかい?」
「今日は潰した」
「潰した?」
女性が気になったらしく、扉のところまでやってきた。
「これ」
杏々が焼いているものを見せる。
「芋と肉?」
「うん」
「へえ。これも前の国の料理かい?」
「似たのある」
「ちょっと食べてみたいねえ」
杏々は焼けた一つを見る。
女性を見る。
また焼いている分を見る。
「一個なら」
「そんなに警戒しなくても取らないよ!」
◆
半分に割って渡す。
女性が一口食べる。
「……うん。これいいね」
「おいしい?」
「外が香ばしくて、中が柔らかい。肉も少し入ってるから腹にもたまりそうだ」
「辛いのもう少し入れてもいい」
「それはあんたの好みだろ?」
「うん」
「だと思ったよ」
女性は残りも食べながら、作り方を眺めていた。
「安い芋でもできる?」
「今日の全部形悪い」
「へえ」
「もらった」
「どこから?」
「芋の人」
「誰だいそれ」
「農家」
「最初からそう言いな」
杏々は気にせず、次の一個を裏返した。
◆
「うちの店でも似たの出せそうだねえ」
女性がぽつりと言う。
「また?」
「またって何だい」
「この前もご飯の話した」
「ああ、煮込みかい。弟には話したよ」
「作った?」
「まだ少し試してるところさ」
「そっか」
「今度こっちも教えてやろうかね」
「いいよ」
「ほんと気前いいね、あんた」
「?」
杏々には、何か特別なものを渡している感覚がなかった。
食べたら美味しそうなものを話しているだけである。
女性はそんな杏々を見て少し笑った。
「まあ、うまくいったら何か持ってくるよ」
「ご飯?」
「そこだけ反応早いね!」
◆
夜。
焼いた土玉芋と肉の料理を何個か食べ、残った分は明日の朝にも回すことにした。
全部食べてもよかったが、朝食がすでにあると思えば少し楽だ。
杏々は床へ座り、日記を開く。
今日の仕事。
報酬。
食費。
それから、
『芋 もらった』
さらに日本語で書き足す。
『形わるい芋でもおいしい』
『肉まぜて焼いた』
『外かりっとした』
『中やわらかい』
『辛いのもう少しでもいい』
『明日の朝も食べる』
少し考えたあと、
『前に言ったやつ売れたらしい』
と書いた。
その一文だけは短かった。
◆
杏々は帳面を閉じ、部屋の隅に置いた芋袋を見る。
森爪熊からは、売れればお金が入る。
冒険者の仕事をすれば、報酬が入る。
今日は、前に何気なく話したことが芋になって返ってきた。
「芋も収入?」
誰も答えない。
杏々は少し考える。
「食べれるからいいか」
結論は早かった。
明日の朝食代も、少し浮く。
王都で一人暮らしを始めてから、お金が必要なことは変わっていない。
けれど、お金ではないものが生活を助けることもあるらしい。
杏々はまだ、それを収入と呼ぶべきなのかよく分かっていなかった。
ただ一つだけ分かる。
「芋いっぱい」
しばらくは困らなさそうだった。




