潰したら同じ
王宮魔術院でリネットの召喚研究に付き合った翌朝、杏々はいつも通り冒険者ギルドにいた。
しばらく黄ランクの仕事を続けたことで、依頼掲示板を見る時の動きにも迷いが少なくなっている。以前なら受付へ持っていって最初から読んでもらっていた依頼書も、今ではまず自分で読めるところまで確認し、分からない部分だけを聞くようになっていた。
その日、杏々が一枚の依頼書の前で止まった。
「収穫」
読めた。
「護衛」
これも読める。
「土玉芋」
むしろこれはかなり早い段階から覚えている。
その下には集合時間と報酬額が書かれていた。数字を確認し、杏々はしばらく考える。
「悪くない」
隣で掲示板を整理していた受付嬢が振り返った。
「杏々さん、最近ちゃんと報酬を比較するようになりましたね」
「剣のお金いるから」
「そうでしたね」
杏々は依頼書の続きを指差した。
「これ何?」
「『収穫期臨時警戒』です」
「警戒?」
「農作業中に畑の外周を見回って、魔物や野生動物が近づいたら追い払う仕事ですね。必要があれば収穫物の運搬も手伝ってください」
「土玉芋食べれる?」
「依頼報酬に食事は含まれてませんよ」
「そっか」
「そこから確認するんですね」
少し残念そうではあったが、報酬は悪くない。杏々は依頼書を受付へ持っていった。
◆
向かったのは王都の南東にある農村だった。
王都の近郊にはいくつもの農地が広がっており、杏々もこれまで採取や護衛でその周辺を通ったことはある。ただ、畑そのものの収穫作業に付き添うのは初めてだった。
土玉芋は名前の通り、土の中に丸い塊を作る作物である。薄い茶色の皮に包まれ、中身は淡い黄色。茹でても焼いても食べられ、潰せば粘りが出るため、王都の食堂でも付け合わせや煮込み料理によく使われていた。
杏々も何度も食べている。
特に、木苺亭で肉の煮汁を吸わせた土玉芋はかなり好きだった。
「杏々ちゃんだったか」
「うん」
畑へ着くと、日に焼けた農夫が声をかけてきた。
「今日は畑の東側と林沿いを中心に見てもらいたい。収穫の時期は牙鼠が寄ってくるんだ。人が多い間はそうそう出てこないが、油断すると掘り返される」
「倒す?」
「畑に入る前なら追い払うだけでいい。入り込んで作物を荒らしてるなら討伐で構わない。ただし、深追いはしなくていいぞ」
「護衛だから?」
農夫が少し意外そうな顔をした。
「そうだな。よく分かってるじゃないか」
「前も言われた」
「なら助かる」
褒められたような気がして、杏々は小さく頷いた。
◆
午前中の仕事は平穏だった。
収穫する人々が畑へ入り、茎を引き上げ、土の中から土玉芋を掘り出していく。杏々は外周を歩きながら周囲の気配を探り、時々畑へ近づいてくる小動物を見つけて追い払った。
一度だけ牙鼠が二匹、林側の柵の下から入り込もうとしたが、杏々が小石を指で弾くと、一匹目の鼻先すれすれを石が抜けた。驚いた牙鼠が跳び退き、もう一匹も一緒に林へ逃げていく。
杏々は追わなかった。
畑へ戻ろうとしたところで、少し離れた場所にいた農夫が声を上げる。
「今のでいい! そのまま戻ってくれ!」
「うん」
言われる前に戻っていたので、農夫は感心したように笑った。
「ちゃんと仕事分かってるな」
「褒めた?」
「え?」
「今の」
「……まあ、褒めたな」
「一回」
「何を数えてるんだ?」
杏々は答えず、そのまま外周の巡回へ戻った。
◆
昼になると、畑の端で休憩になった。
農家の人々は持ってきたパンや干し肉を食べ、杏々も朝のうちに王都で買っておいた昼食を取り出した。ただ、周囲に山積みになっている土玉芋がどうしても気になる。
収穫された芋は、その場でいくつかの山に分けられていた。
大きさが揃っていて傷の少ないもの。
少し小さいもの。
そして、形が大きく歪んだものや、掘り出す時に傷がついたもの。
最後の山だけ、籠へ入れられていない。
杏々はパンを食べながら、しばらくそこを見ていた。
「それ、どうするの?」
近くで休んでいた農夫が視線を追う。
「ああ、あれか。家で食べられる分は持ち帰るが、残りは家畜の餌だな」
「売らない?」
「売れないんだよ」
「なんで?」
「形が悪いからさ」
杏々は立ち上がり、山の中から一つ拾った。
大きく曲がり、途中で二股になっている。表面には小さな傷もあった。
「食べれる?」
「もちろん食えるよ。傷が深いのは早めに使わないと腐るけどな」
「味違う?」
「ほとんど変わらん」
杏々は芋を見る。
「じゃあなんで売れないの?」
「だから形だって。料理屋や市場が欲しがるのは、大きさが揃ってて扱いやすいやつなんだ。皮を剥くにも手間が増えるし、客にそのまま出す料理だと見栄えも悪い」
「ふーん」
説明を聞けば理解はできた。
杏々は土玉芋を元の山へ戻して、また昼食を食べ始めた。
◆
午後も大きな問題は起こらなかった。
収穫が進むにつれ、畑の端には袋詰めされた土玉芋が次々と積み上がっていった。その一方で、売り物にならない芋の山も少しずつ大きくなっていく。
仕事が終わりに近づいた頃、杏々は運搬を手伝うため、袋を荷車へ積んでいた。
小さな身体で自分より大きな袋を普通に持ち上げる杏々を見て、農夫が何度目か分からない顔をする。
「それ、重くないのか?」
「重いよ」
「そうは見えないんだが」
「持てるから」
「そういうもんなのか……」
杏々は袋を置くと、今度は脇に積まれていた不揃いな芋の山を見た。
「これいっぱいあるね」
「今年は特にな。雨の降り方が少し悪くてな。味は問題ないんだが、形の悪いのが多い」
「もったいない」
「そうは言っても、売れないもんは仕方ないさ」
農夫はそう言いながら、傷の深い芋をいくつか別の籠へ移していた。
杏々はその手元を眺めていたが、ふと口を開いた。
「潰したら?」
「ん?」
「形なくなるよ」
農夫の手が止まる。
「潰す?」
「うん」
「どういうことだ?」
「茹でて、潰す」
杏々は手で芋を押し潰すような仕草をした。
「そしたら、曲がってても同じ」
「まあ……そりゃそうだが」
「肉入れて丸くしたり、焼いたりする」
「肉を?」
「前食べた」
「どこで?」
杏々は少し考えた。
「日本」
「ニホン?」
「前いたところ」
「ああ、杏々ちゃんの故郷か」
「うん」
◆
農夫は少し興味を持ったらしく、作業を止めて杏々を見る。
「それは、芋を潰して料理にするのか?」
「うん。芋だけでも食べるし、肉とか入れたりする。外焼くとおいしい」
「揚げるのか?」
「揚げるのもある」
「油を使うなら、農家で作るには少し高いな」
「じゃあ焼く」
「簡単に言うなあ」
杏々は首を傾げた。
「煮込みに入れるなら?」
「それなら形が残ってた方がいいだろ」
「じゃあスープ」
「スープ?」
「潰して入れたら、とろっとする」
杏々はそこまで言ってから、少し考えた。
「牛乳みたいなの入れてもおいしい」
「みたいなの?」
「こっちの名前分かんない」
「乳なら乳でいいと思うが……」
「それ」
農夫は不揃いな芋の山へ視線を戻した。
「でも、そういう料理を作るのは俺たちじゃなくて食堂の仕事だろうな」
「じゃあ食堂に売る?」
「形が悪い芋を?」
「潰すなら同じ」
杏々はもう一度言った。
それ以上の説明はなかった。
◆
農夫はしばらく黙っていた。
「……安ければ買う店もあるかもしれんな」
「売れる?」
「分からんよ。料理屋が実際に使いたがるかは聞いてみないと分からない。皮剥きの手間は増えるし、傷のあるものは保存も利かないからな」
「そっか」
「ただ、最初から『潰す料理用』としてまとめて安く出すなら……全部家畜に回すよりはマシかもしれん」
杏々は頷いた。
「食べれる方がいい」
「杏々ちゃんは本当にそこ基準だな」
「食べ物だから」
「間違ってはいないが」
農夫は笑いながら、形の悪い芋を一つ拾った。
「今度、村の食堂にでも聞いてみるか。駄目なら今まで通り餌にすりゃいいし」
「うん」
杏々にとっては、それで話は終わった。
◆
依頼を終えて王都へ戻る前、農夫が杏々を呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ」
「なに?」
「これ持っていきな」
渡されたのは、小さな袋だった。
中には土玉芋がいくつか入っている。
どれも市場へ出すには少し形が悪いものだったが、深い傷はなく、食べるには何の問題もない。
「芋」
「そうだ」
「報酬とは別?」
「別だよ。今日ちゃんと畑を守ってくれたし、運ぶのも手伝ってくれただろ。それに、さっきの話も少し面白かった」
「話?」
「潰して使うって話だよ」
「言ったね」
「もう忘れかけてるのか?」
杏々は袋の中を覗いた。
「これ焼いていい?」
「好きに食え」
「お」
「話より芋の方が大事なんだな……」
杏々は袋を抱えて、少し嬉しそうに頷いた。
◆
その日の夕方、杏々は王都へ戻ると、依頼報酬を受け取った。
受付嬢が報告書を書きながら尋ねる。
「特に問題はありませんでしたか?」
「牙鼠二匹。追い払った」
「討伐はなしですね」
「うん」
「農家の方からも、指示通り動いてくれたと連絡が来ています。問題ありません」
「褒めた?」
「……今日何回目ですか?」
「四回」
「ちゃんと数えてるんですね」
「うん」
杏々は報酬を受け取ると、いつものように食費と剣用に分ける。その横には、農家からもらった芋の袋が置かれていた。
「それは?」
「もらった」
「依頼報酬とは別ですか?」
「うん」
「何かしたんです?」
「畑守った」
「それは依頼でしょう」
杏々は少し考える。
「あと、芋潰したらって言った」
「……何の話です?」
「形悪いの、潰したら同じ」
受付嬢は一瞬考えたものの、それだけでは事情がよく分からなかった。
「それで芋を?」
「たぶん」
「たぶんなんですね」
「食べれるからいい」
「杏々さんがいいならいいですけど」
◆
その夜、城へ戻った杏々は、もらった土玉芋を厨房で茹でてもらった。
そのまま一つ食べる。
「普通においしい」
形が曲がっていても、味は変わらない。
もう一つは潰し、少し塩を入れ、余っていた焼き肉を細かく切って混ぜる。料理人に頼んで表面だけ焼いてもらうと、外側に薄く焼き目がつき、中は柔らかいままだった。
杏々は一口食べた。
「うん」
悪くない。
むしろ、かなり好きな味だった。
日記を開き、その日の記録へ新しく覚えた文字と数字を書き込む。
仕事。
報酬。
剣用の金。
ほめ、四。
そして最後に、日本語で一行だけ付け足した。
『形わるい芋 つぶしたらおいしい』
その日、杏々はそれ以上のことを考えなかった。
農夫が本当に食堂へ話を持っていくのかも、その話が何かに繋がるのかも知らない。
ただ、食べられるものを捨てるのがもったいないと思って、以前食べた料理を思い出しただけだった。
その何気ない一言が、しばらく経って別の形で自分のところへ戻ってくることになるとは、この時の杏々はまだ知らなかった。




