あといくら
土玉芋の畑を手伝ってから数日後、杏々は午前の依頼を終えて王都へ戻る途中、いつもの武器屋へ立ち寄った。
特に呼ばれていたわけではない。ただ、最近は店の前を通るたびに中を覗くのが習慣になりつつあった。
「できた?」
「まだだ」
「そっか」
「昨日も聞いたな」
「昨日は来てないよ」
「一昨日だったか」
「うん」
「大差ねえよ」
店主は呆れながらも、杏々を追い返そうとはしなかった。店の奥では何本かの剣が作業台に並び、そのさらに向こうから金属を叩く音が聞こえている。
杏々は店内へ入り、自分の剣らしいものがないか奥を覗こうとした。
「見るな」
「なんで?」
「まだ途中だ」
「途中見たい」
「完成してから見ろ」
「減らないよ」
「そういう問題じゃねえ」
◆
注文した剣の製作は、杏々が思っていたより時間がかかっていた。
既製品なら店に並んでいるものから選べば終わるが、今回はそうはいかない。普段の小さな身体ではやや長め、本来の成人した身体ではやや短め。その両方で実戦に耐え、しかも魔力による身体強化を前提にしない重さと重心にする必要がある。
以前の採寸では、店主が二つの身体の寸法を取ったうえで、何本もの木棒を持たせて長さを探った。その結果を元に作られているため、単純に杏々の今の体格へ合わせた剣より手間がかかるらしい。
「あとどれくらい?」
「仕上げまで入れて、十日かそこらってところだな。問題が出なけりゃもう少し早い」
「十日」
「そう毎日確認に来なくても、できたらギルドに知らせる」
「分かった」
「本当に分かったか?」
「明日は来ない」
「明後日は来る気かよ」
杏々は少し考えた。
「通ったら見る」
「勝手にしろ」
◆
「それより」
店主が作業台の端から一枚の紙を取った。
「残りの金、忘れてないだろうな」
「あるよ」
「まだ払わなくていい。完成して確認してからだ。ただ、金額は分かってるな?」
「うん」
杏々は紙を受け取り、書かれた数字を見る。
以前なら金額だけでもリネットか店主に読んでもらっていたが、今は違う。数字を順番に追い、自分がすでに払った前金を頭の中で引く。
「残り、これ」
「そうだ」
「合ってる?」
「合ってる」
杏々はもう一度数字を見た。
今持っている剣用の貯金。
完成までの十日ほどで受けられる依頼。
その間に必要な食費。
頭の中だけでは少し面倒だったので、腰の袋から小さな帳面を取り出す。
「ここでやるのか?」
「忘れるから」
「何を?」
「今いくらあるか」
「自分の金だろ」
「だから書いてる」
店主は何とも言えない顔になった。
◆
帳面の大部分は杏々の故郷の文字で書かれており、店主には読めない。ただ、最近覚えたこの世界の文字と数字もところどころに混じっている。
杏々は一つずつ確認した。
今ある剣用の金。
残金。
食費として確保してある分。
今週受ける予定の依頼で最低限見込めそうな報酬。
少し計算してから、杏々は顔を上げた。
「足りる」
「なら問題ないな」
「十日仕事したら、残る」
「ちゃんと飯代も入れてるか?」
「入れた」
「意外だな」
「ご飯のお金は先に取るから」
「そこだけは絶対に間違えねえんだな」
「大事」
杏々は帳面へ数字を一つ書き足した。
「これで剣払える」
「今の調子で仕事してりゃな」
「うん」
杏々は満足そうに帳面を閉じた。
前金を払った時には手元の貯金がかなり減ったものの、その後もほとんど毎日のように仕事を続けている。黄ランクになってからは白や黒の頃より報酬の良い依頼も増え、最近では多少の余裕を残しながら貯められるようになっていた。
少なくとも今の杏々は、剣の残金についてそれほど心配していなかった。
◆
「できたら教えてね」
「だからギルドに知らせるって言ってるだろ」
「忘れない?」
「お前と一緒にするな」
「私は剣忘れないよ」
「食い物と剣だけはな」
「あと褒めた数」
「何だそれ」
「今日二回」
「聞いてねえよ」
杏々は店を出ると、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
午前中の依頼報告はすでに済んでいるため、本来なら寄る必要はなかったのだが、夕方から受けられる短い仕事がないか確認するつもりだった。
剣があと十日ほどでできる。
なら、その間に少しでも多く稼いでおけばいい。
杏々にとっては、それだけの話だった。
◆
ギルドへ入ると、受付嬢が杏々を見つけて手を上げた。
「あ、ちょうどよかったです。杏々さん」
「なに?」
「依頼を探しに来たんですか?」
「うん。短いのある?」
「それもあとで見ましょう。その前に、杏々さん宛ての話があります」
「依頼?」
「依頼ではないですね」
杏々が少しだけ興味を失った顔をする。
「じゃあご飯?」
「違います」
「そっか」
「露骨に興味なくさないでください」
受付嬢は苦笑してから、机の下に置いていた小さな紙を取り出した。
「前に話した森爪熊のぬいぐるみ、覚えてます?」
「フィアの熊」
「はい。それです」
「かわいいやつ」
「自分で言うんですね」
「かわいく作ったから」
「そこは相変わらずですね」
◆
以前話が出てから、受付嬢は本当に知り合いの布製品店へ相談していたらしい。
ただし、杏々が作った森爪熊はフィアへの贈り物であり、そのまま勝手に持ち出すわけにもいかない。最初は受付嬢が口頭で形や大きさを説明しただけだったが、それを聞いた店の職人が興味を持った。
「一度、実物を見てみたいそうです」
「熊?」
「そうです」
「フィアの?」
「フィアさんにも聞きました」
杏々が少し目を細める。
「持ってくの?」
「勝手には持っていきませんよ。フィアさんも一緒に来てもらう予定です」
「ならいい」
「そこはちゃんと確認するんですね」
「フィアのだから」
「分かってます」
受付嬢は紙を杏々の前へ置いた。
「三日後の午後なら、職人さんの方も時間を空けられるそうです。杏々さんにも来てほしいとのことでした」
「なんで私?」
「作った人だからです」
「見るだけじゃないの?」
「どういう風に作ったのかとか、何を変えて森爪熊らしくしたのかとか、聞きたいんじゃないでしょうか」
杏々は少し考えた。
「丸くした」
「それだけじゃないでしょう」
「爪短くした」
「ほら、そういう話ですよ」
◆
「時間かかる?」
「そこは分かりませんけど、何時間も拘束されるような話ではないと思います」
「仕事できる?」
「午前中なら普通に依頼を受けられるでしょう」
「じゃあ行く」
「決め手そこなんですね」
杏々は紙に書かれた日時を確認した。数字は読める。曜日を示す文字も最近はかなり見慣れてきた。
「三日後」
「はい」
「フィアも?」
「来ますよ」
「熊も?」
「来ます」
「そっか」
杏々は頷いてから、受付嬢へ紙を返そうとした。
「これは持っていてください。忘れないように」
「日記に書く」
「それなら安心ですね」
杏々は紙を帳面に挟んだ。
◆
「それと」
受付嬢が続けた。
「まだ何も決まってませんからね」
「なにが?」
「ぬいぐるみを商品として作るかどうかです。職人さんが実物を見て、作れそうか、売れそうか、材料費がどれくらいかかるかを考えるところからです」
「売れたら?」
「売れたら?」
「お金になる?」
「……そこ、覚えてたんですね」
「剣のお金いるから」
「なる可能性はあります。ただ、どういう形で杏々さんに払うかも含めて、まだ何も決まってません」
「そっか」
杏々は少しだけ考えた。
「熊作る仕事?」
「杏々さんが全部作るわけじゃないですよ」
「ならいい」
「そこも大事なんですね」
「毎日作るの嫌」
「前にも言ってましたね」
◆
受付嬢は杏々の様子を見ながら、少し笑った。
「でも不思議ですね」
「なに?」
「杏々さん、あれを売ろうと思って作ったわけじゃないでしょう?」
「フィアにあげた」
「ですよね。それなのに、もしかしたら商品になるかもしれない」
杏々は少し首を傾げた。
「かわいいから?」
「それもあると思います」
「じゃあよかった」
「それだけですか?」
「うん」
杏々にとって、森爪熊を作った目的はもう達成されていた。フィアが気に入って、家へ持ち帰って、一緒に寝るくらい大事にしている。それ以上のことは元々考えていない。
商品になるなら、それはその後の話だった。
「で、短い依頼ある?」
「もう仕事の話に戻るんですね」
「剣できるから」
「ああ、そっちもそろそろなんですか?」
「あと十日くらい」
「残金は大丈夫なんです?」
「足りる」
杏々は少し得意そうに答えた。
「計算した」
「自分で?」
「うん」
「それはすごいですね」
杏々がすぐに顔を上げる。
「褒めた?」
「褒めました」
「三回」
「今日の合計ですか?」
「うん」
「……いい一日ですね」
「まだ増えるかも」
◆
その日の夕方、杏々は王都内での小さな荷運び護衛を一件受けた。
危険らしい危険もなく、指定された倉庫まで荷車について歩き、途中で道を塞いでいた酔っ払いを避け、荷物が全部揃っていることを確認して終わるだけの仕事だった。
報酬は高くない。
それでも剣用の金は少し増えた。
夜、城へ戻った杏々はいつもの帳面を開き、今日の収入を書き足した。剣の残金と、今ある金額をもう一度比べる。
やはり足りる。
完成までの間に何件か依頼を受ければ、剣を受け取った後にも少し残る計算だった。
杏々はその数字を見て満足すると、三日後の欄に、この世界の文字で短く書いた。
『熊 店』
その横に日本語で、
『フィアの熊みせる』
と補足する。
さらに少し考えて、
『お金になるかも』
と書いた。
そこで杏々は手を止め、今日食べたものを思い返した。
昼に食べたのは、王都西通りの屋台で買った肉串だった。表面に甘辛いタレが塗られていて、焼けた端が少し焦げていた。
帳面の下へ、それも書く。
『肉串 たれ甘い 端かりかり おいしい』
剣の残金よりも、熊の商品化よりも、そちらの記述の方が少し長かった。
杏々は満足して帳面を閉じた。
剣の代金は払える。
仕事もある。
ご飯も食べられている。
今のところ、お金について大きく困る理由はなかった。




