森が開いた
翌朝、冒険者ギルドへ入った杏々は、いつもの受付へ向かわず、まっすぐ掲示板の前へ歩いていった。昨日新しく貼られた依頼書を見上げ、そこに書かれた文字を指で追う。
「採取」
読めた。その下に続く文字を見て、杏々は少し首を傾げる。
「赤……」
そこで止まり、もう一文字を読む。
「露」
さらにその下。
「実」
「赤露実」
今度は最後まで読めた。
「おお」
後ろから声がした。振り返ると、受付嬢が感心したように杏々を見ている。
「今日は私が教えていないのに読めましたね」
「覚えてた」
「赤露実だからでしょう?」
「うん」
「やっぱり」
杏々は依頼書を指差した。
「これやる」
「内容は?」
「赤露実取る」
「それだけではありませんよ」
「じゃあ教えて」
「はい」
受付嬢は依頼書を掲示板から外し、内容を読み上げた。
「北の森、旧初心者採取区域の一部再開に伴う試験採取です」
「試験?」
「本当に通常の依頼を再開して問題ないか確認する意味もあります」
「赤露実取ればいい?」
「基本的にはそうです。採取目標は赤露実十二個、採取場所は指定区域内のみ。新しい警戒標識より奥へ入らないこと。それから、魔物の異常な痕跡を見つけた場合は報告してください」
「討伐は?」
「自衛に必要な場合だけです」
「角兎いたら?」
「依頼目的は採取です」
「食べられるのに」
「追わないでください」
「分かった」
受付嬢が目を細める。
「本当に?」
「禁止あったら行かない」
「そこは安心できるようになりました」
「危険も読める」
「はい」
「赤露実も」
「それは前からでしょう」
「ご飯だから」
「知っています」
◆
「一人?」
杏々が尋ねると、受付嬢は首を振った。
「今日は複数人で入ってもらいます」
「誰?」
「同じ試験採取を受ける冒険者が二人いますよ」
受付嬢が酒場側へ視線を向けると、杏々は「あ」と声を漏らした。そこには見覚えのある顔があった。
「レオル」
「またか」
槍使いの青年が片手を上げる。
「最近多いね」
「俺も思ってる」
「蟹おいしかったよ」
「その報告いる?」
「揚げた方よかった」
「聞いてねえよ」
レオルの隣には、二十歳前後の女性冒険者が立っていた。短い栗色の髪に、弓と小さな採取籠を背負っている。
「初めまして」
「杏々」
「知ってる」
「また?」
「森爪熊の」
「それもういい」
「嫌なんだ?」
「ご飯食べてる方で覚えてほしい」
「それはそれで変じゃない?」
女性は笑った。
「私はフィア。採取依頼を多めに受けてる」
「赤露実詳しい?」
「そこそこ」
「おいしいの分かる?」
「たぶん」
「じゃあ大丈夫」
「何の判定?」
レオルが横から呟いた。
◆
北門を出て、三人は森へ向かった。
「お前、昨日も働いてたよな?」
レオルが言う。
「うん」
「毎日仕事してないか?」
「ご飯食べるから」
「稼ぐ必要があるってこと?」
「それもある」
「他は?」
「ランク上げる」
「まだ赤角牛か?」
「うん」
「本当にぶれねえな」
フィアが杏々を見る。
「赤角牛食べたいの?」
「食べたい」
「かなり上の魔物だよ?」
「だからランク上げてる」
「討伐したいんじゃなくて?」
「食べたい」
「……噂で聞くより分かりやすい子だね」
「噂何?」
「聞かない方がいいと思う」
◆
北の森の入口には、以前はなかった新しい杭が立っていた。杏々が指差すと、そこには太い文字で「危険」と書かれている。
「正解」
フィアが頷く。
その下にある文字を見て、杏々はしばらく黙り込んだ。
「読める?」
「立……」
そこで止まる。
「立入禁止」
レオルが教えた。
「たちいりきんし」
「昨日の禁止ある」
「ああ」
「ここからダメ?」
「その杭の向こうがな」
再開された区域は森の外側に限られており、以前の初心者採取区域よりもまだ狭かった。警戒杭も、昔の赤い杭よりかなり手前に移されている。
「前より入れない」
杏々が言う。
「まだ試験再開だからな」
フィアが答えた。
「今日問題がなければ、少しずつ広げるんじゃない?」
「奥に赤露実いっぱいある?」
「たぶん」
「行きたい」
「禁止」
「行かないよ」
「即答なのは偉い」
「今日も言われた」
◆
三人は指定区域へ入った。
「まず別れない」
フィアが言う。
「採取だけなら一人ずつ探した方が早いけど、今日は森の状態確認も兼ねてるから」
「三人一緒?」
「見える範囲で」
「うん」
「魔物を見つけても追わない」
「知ってる」
「変な痕跡があったら――」
「報告」
「本当に新人?」
「一個上がった」
「そういう意味じゃないと思うぞ」
レオルが言った。
森の中へ進むと、以前より少しだけ音が戻っていることに気づいた。鳥の声が聞こえ、草むらの奥では小さな虫が動いている。
「鳥いる」
杏々が上を見上げる。
「普通いるだろ」
「この前、少なかった」
北の森中央部で魔力調査をしたときは、森そのものが妙に静かだった。しかし、ここは外縁部ということもあり、あのときより生き物の気配が多い。
「この辺は外縁だからね」
フィアが言った。
「元々、奥ほど異変が強いんでしょ?」
「うん」
「ギルドでも聞いた」
「有名?」
「森のことはな」
「私じゃない?」
「今のところは」
「よかった」
「そこ喜ぶ?」
◆
最初に赤露実を見つけたのはフィアだった。
「あった。ここ」
低木に赤い実がいくつも実っている。
「赤露実」
杏々が近づくと、フィアが手を上げて止めた。
「待って」
「?」
「採取前に見る」
フィアはしゃがみ込み、周囲を確認する。
「周りに魔物の痕跡がないか、木の状態、それから実がちゃんと熟しているかを見るの」
「赤い」
「赤いだけじゃ駄目」
フィアは二つの実を指差した。
「こっちは色が均一だけど、こっちは先だけ少し薄いでしょう?」
「ほんとだ」
「まだ早い」
「取らない?」
「取らない」
「次なくなる?」
「それもあるけど」
フィアは笑った。
「単純に、まだおいしくない」
「取らない」
「判断速いな!」
レオルが笑った。
◆
熟した実を一つ、二つ、三つと採っていくうちに、杏々が手の上の赤露実を見て呟いた。
「小さい」
「やっぱり?」
フィアも実を見比べる。
「昔より?」
「私は北の森で採るようになって二年くらいだから、そこまでは分からない」
「二年前は?」
「……少し大きかった気はする」
「やっぱり」
「でも」
フィアはすぐに続けた。
「今日の木だけかもしれない」
「リネットちゃんもそれ言う」
「研究者なんでしょ?」
「うん」
「なら正しいよ」
「みんなまだって言う」
「まだ分からないことを、分かったって言わない方がいいからね」
「難しい」
「そういうもの」
◆
少し進んだところで、レオルが足を止めた。
「止まって」
「何?」
杏々が地面を見ると、そこには小さな足跡が残っていた。二つに割れたような形をしている。
「森猪?」
「小さい個体だな」
「新しい?」
「昨日か今日くらい」
「追う?」
「追わない」
レオルが先に答えた。
「今日は採取」
「分かってるよ」
「言ってみたかった」
「ずるい」
「何が?」
「私が言おうとした」
「そこ張り合うなよ」
足跡は警戒区域の奥へ続いていたが、少し先には新しい杭が立っていた。
「危険」
杏々が読む。
「その先は?」
「禁止」
「じゃあ行かない」
杏々は森猪の足跡から、あっさり離れた。レオルとフィアが少しだけ顔を見合わせる。
「何?」
「いや」
フィアが笑った。
「ちゃんと冒険者してるなって」
「冒険者だよ?」
「そうだった」
◆
赤露実をさらに四個採ると、杏々の籠には合計七個が入った。
「十二まであと五」
「数字分かるようになってきたじゃん」
レオルが言う。
「十二はちょっと」
「じゃあ何であと五って分かった?」
「七あるってフィアが言ったから」
「そこから計算したのか?」
「うん」
「数字読めねえだけで計算は普通にできるんだったな……」
「値段とかは分かるよ」
「文字が読めないの、本当にそこだけなんだな」
◆
昼前、三人は少し開けた場所へ出た。
「あ」
杏々が足を止める。
「何?」
「ここ」
見覚えのある場所だった。
「初めて依頼した時」
「薬草?」
「うん」
以前、この辺りで薬草を採ったことがある。
「見ていい?」
「依頼対象じゃないけど、見るだけなら」
フィアが答えると、杏々はしゃがみ込んで周囲を見回した。
「どう?」
フィアが尋ねる。
「前より少ない」
「覚えてる?」
「たぶん」
薬草は生えている。なくなってはいない。しかし、以前同じような場所を探したときよりも、群生が小さくなっていた。
「これも報告対象かな」
フィアが言う。
「採らない?」
「今日は赤露実」
「分かった」
杏々は薬草に触れず、その場を立ち上がった。
◆
その近くで、赤露実の木を見つけた。実が十個以上ついている。
「いっぱい」
杏々が言うと、フィアがすぐに止めた。
「でも、全部は取らない」
「うん」
「依頼分を満たしても、この木だけから取りすぎない」
「次なくなる」
「そう」
三人で熟した実を選んでいると、フィアが二つの実を手に取った。
「杏々、これとこれ、どっち取る?」
どちらも同じくらい赤く、大きさも似ている。杏々は二つの実に顔を近づけた。
「こっち」
「なんで?」
「匂い」
「匂い?」
「こっちの方が甘い」
フィアも嗅いでみる。
「……分かる?」
「少し」
「私はほぼ分からん」
レオルも試したが、首を振った。
「俺は全然分からん」
「食べれば分かる」
「採取品だぞ」
「食べないよ」
「目が本気だった」
「確認」
「駄目」
「分かった」
◆
赤露実が十二個になった。
「終わり?」
「最低数は」
フィアが答える。
「追加納品もできるけど、どうする?」
「もっと取る?」
「採取可能量を見ながらね」
「いっぱいある?」
「この区域全体で見ると、そんなに多くない」
「じゃあ十二でやめる」
レオルが杏々を見る。
「いいのか?」
「何が?」
「追加で取れば報酬増えるぞ」
「次なくなる」
「……そこ、本当に覚えたな」
「あと」
「?」
「リネットちゃんが比べるかも」
「研究用?」
「うん」
「なら余計に残した方がいいか」
◆
依頼はもう達成できていたが、三人はすぐには帰らなかった。試験採取には、区域の確認も含まれているからだ。
「東側も見る」
フィアが地図を確認する。
「うん」
「道から離れすぎない」
「うん」
少し進んだところで、杏々が立ち止まった。
「何?」
「匂い」
レオルが槍へ手を伸ばす。
「魔物?」
「違う」
「何だ?」
「お肉」
「…………」
「どっち?」
「こっち」
杏々が示した茂みへ、三人は慎重に近づいた。
「止まれ」
フィアが先に気づく。
地面には、何かが食べられた跡が残っていた。
「角兎?」
「たぶん」
骨と毛が散らばっており、まだ新しい。
「熊?」
杏々が尋ねる。
「森爪熊にしては食べ残しが小さい」
レオルが周囲を見回す。
「牙の跡も違うな」
「何?」
「分からない」
フィアがしゃがみ込み、地面の足跡を確認する。
「でも大型じゃないと思う」
足跡は犬に似ていたが、指が少し長い。
「見たことある?」
杏々が尋ねる。
「ある」
フィアが答えた。
「灰尾狐だと思う」
「狐」
「小型の魔物。単体なら低危険度」
「食べれる?」
「そこ?」
「食べれる?」
「食べる地域はあるけど、肉はあまり人気ない」
「そっか」
杏々の興味が少し下がった。
「露骨!」
◆
「でも」
レオルが足跡を見ながら言った。
「これ、いい兆候じゃないか?」
「何が?」
「角兎を食う側が戻ってきてる」
フィアも考え込む。
「少なくとも、この区域で狩りが成立してるってことだね」
「狐ご飯あった?」
「そういうこと」
「じゃあ森戻ってきてる?」
「そこまで簡単じゃない」
「また」
「でも」
フィアは笑った。
「悪い話ではないよ」
「そっか」
杏々は角兎の食痕を見た。
「じゃあ報告する」
「うん」
「狐いたって」
「そうしよう」
◆
昼は森の外へ出て、街道沿いで休憩することになった。
「中で食べないの?」
杏々が尋ねる。
「試験再開初日だし」
フィアが答えた。
「長居しない方がいい」
「そっか」
今日の昼食は、パンにチーズ、塩漬け肉、それから茹でた土玉芋だった。
「あ」
「好きなんだ?」
「うん」
杏々が土玉芋を割ると、白い湯気が立ち上った。
「いただきます」
ほくほくした芋に塩をつけて食べる。
「おいしい」
「毎日何か食って喜んでんな」
レオルが言う。
「ダメ?」
「いや」
レオルはパンを食べながら、少し笑った。
「見てると腹減る」
「食べれば?」
「食ってるよ」
◆
「そういえば」
フィアが尋ねた。
「杏々は何で赤角牛食べたいの?」
「おいしいって書いてあった」
「それだけ?」
「うん」
「どこに?」
「ギルド」
「もしかして魔物一覧?」
「たぶん」
「読めたの?」
「リネットちゃんに聞いた」
「……文字読めないのに、最初に覚えた情報が高級肉なんだ」
「大事」
「筋が通ってるような、通ってないような」
「赤角牛って火を使うぞ」
レオルが言う。
「知ってる」
「強いぞ」
「知ってる」
「硬いぞ」
「どこが?」
「皮と角」
「お肉は?」
「……そこ気にする?」
「硬かったら剣困る」
「なるほど?」
「川鎧魚で欠けた」
「何したんだよ!?」
「またその話?」
◆
午後、三人はギルドへ戻った。
「お帰りなさい」
「赤露実」
杏々が籠を置く。
「十二個ですね」
「うん」
受付嬢が状態を確認する。
「傷なし。未熟果なし」
「フィアに教えてもらった」
「いいですね」
「匂いでも選んだよ」
「匂い?」
フィアが横から説明する。
「熟した個体を嗅ぎ分けたみたいです」
「そんなことまでできるんですか?」
「食べ物だから」
「説明になっているようで、なっていないんですよね……」
◆
「森の状態は?」
受付嬢が尋ねると、フィアが報告を始めた。
「指定区域内では大型魔物の新しい痕跡なし。森猪の小型個体と思われる足跡あり。ただし警戒区域方向へ移動していたため、追跡はしていません」
「はい」
「灰尾狐と思われる新しい痕跡と、角兎の捕食痕を確認しました」
「灰尾狐」
「一体だと思います」
「なるほど」
「薬草は?」
杏々が言う。
「何かありました?」
「前より少なかった」
「場所は?」
「最初の依頼したところの近く」
受付嬢が記録する。
「それも報告へ入れておきます」
「赤露実も小さい」
「北西の沢と比べると?」
「小さい」
「以前採ったものと比べると?」
「小さい」
「やっぱりですか」
◆
「試験再開としては?」
レオルが尋ねる。
「問題なさそう?」
「今日一日だけでは決められませんが」
受付嬢は三人の報告を確認した。
「少なくとも、即時再閉鎖が必要な異常はなさそうですね」
「じゃあ明日も入れる?」
杏々が聞く。
「予定では」
「赤露実また?」
「毎日同じ採取依頼を出すとは限りません」
「薬草」
「あるかもしれません」
「角兎」
「討伐依頼はもう少し様子を見ます」
「そっか」
「焦らないでください」
「分かった」
「本当に?」
「赤露実あるし」
「手元にあるからですか!」
◆
「それから」
受付嬢が杏々を見る。
「今日は標識、ちゃんと読めました?」
「危険」
「はい」
「禁止」
「はい」
「立入禁止」
「増えてる!」
「レオルに教えてもらった」
「いいですね」
「もう一個覚えた」
「何です?」
「狐」
「……それは文字として?」
「食べれる」
「そっち!」
◆
その日の夕方、リネットがギルドへやって来た。
「杏々さん!」
「リネットちゃん」
「赤露実採ってきたんですよね?」
「うん」
「見せてもらえます?」
「食べる?」
「まず測ります!」
「また?」
「またです」
依頼分の赤露実は、ギルドを通して一部が木苺亭へ、一部が研究用の比較標本として魔術院へ回されることになっていた。
「私の分は?」
「え?」
「食べるやつ」
「依頼品でしょう?」
「…………」
「杏々さん?」
「一個も?」
「買えばいいじゃないですか」
「そっか」
杏々はすぐに立ち直った。
◆
木苺亭へ行くと、店主が杏々たちを迎えた。
「いらっしゃい。今日の分?」
「うん」
店主は赤露実を見て、すぐに言った。
「やっぱり小さいわね」
「ですよね」
リネットが、北西の沢で採った調査用の赤露実も取り出した。
「比較用に持ってきました」
「こっちは?」
「北の森北西部です」
二種類の赤露実を並べると、店主はすぐに違いに気づいた。
「違う」
「大きさだけでも分かりますね」
「味も?」
杏々が聞く。
「調べたいですね」
リネットが答えた。
「食べる?」
「研究としてです!」
「やった」
「杏々さんが全部食べるわけではありません!」
◆
二つの赤露実について、まず大きさ、重さ、色、果汁量を調べる。
「細かい」
「比較ですから」
店主が実を切り分けた。中央部寄りの再開区域で採れたものと、北西の沢で採れたものを、それぞれ同じ大きさに切る。
「じゃあ」
「食べていい?」
「はい」
「いただきます」
杏々は先に再開区域の実を口に入れた。
「すっぱい」
「前と同じ?」
「この前くらい」
次に北西の沢の実を食べる。
「…………」
しばらく噛んでから、杏々は言った。
「甘い」
「そんなに違います?」
リネットも小さく切った二つを食べ比べる。
「……本当だ」
店主も頷いた。
「こっちの方が明らかに甘いわ」
「砂糖少なくていい?」
「たぶんね」
「お菓子おいしくなる?」
「同じ作り方なら、以前の味に近づくと思う」
杏々の顔が明るくなる。
「じゃあいっぱい取ればいい」
「ダメです」
「なんで?」
「北西部は森爪熊の新しい生息域でしょう!」
「あ」
「それに」
リネットが続けた。
「状態がいいからといって採り尽くしたら、あそこまで弱ります」
中央部では赤露実が小さくなり、角兎や牙鼠も減っている。
「次なくなる」
「はい」
「取らない」
「素直!」
◆
「でも」
店主が言った。
「面白いわね」
「何がです?」
「同じ北の森なのに、これだけ違う」
「魔力濃度にも差があります」
リネットが答える。
「北西側は比較的高く、中央部は低いんです」
「じゃあ」
店主が二つの実を見る。
「魔力が多い方が甘く育つってこと?」
「可能性はあります」
「まだ?」
杏々が聞く。
「まだです」
「やっぱり」
「でも」
リネットは以前より少しだけ強い口調で続けた。
「かなり関係はありそうです」
「お」
「ただし、原因とは別です」
「?」
「魔力が少ないから実が小さくなることと、なぜ中央部の魔力が少なくなったのかは、別の問題です」
「農地かも?」
「可能性の一つです」
「まだなんだ」
「まだです!」
◆
その夜、杏々は木苺亭で作ってもらった小さな試食用の菓子を食べていた。二種類の赤露実を使い、同じ量の砂糖、同じ生地、同じ焼き方で作ったものだ。
「こっち」
杏々が北西側の赤露実を使った菓子を指す。
「おいしい?」
リネットが聞く。
「赤露実の味する」
「こっちは?」
「すっぱいの隠す味」
「砂糖ですね」
「うん」
店主も試食する。
「これは分かりやすいわ」
「研究?」
杏々が聞く。
「立派な比較ですね」
リネットが答える。
「じゃあもう一個」
「それは研究と関係ありません!」
「味確認」
「もう確認しました!」
「もう一回」
「駄目です!」
◆
同じ森で採れた同じ赤露実でも、育つ場所が違えば大きさも甘さも違っていた。北の森は少しずつ人が入れる場所へ戻り始めているが、昔と同じ森に戻ったわけではない。
そのことを、杏々は難しい数字ではなく、舌で知った。
「リネットちゃん」
「何です?」
「魔力戻ったら」
「はい」
「こっちも甘くなるかな」
リネットは少し考え、中央部側の赤露実を見た。
「それを確かめるためにも、今の状態をちゃんと残しておきます」
「食べない?」
「標本にします!」
「もったいない」
「研究です!」




