魔力はどこから来るの?
翌朝、王宮の食堂で杏々は昨日の森猪を食べていた。皿の上にあるのは薄く切られた燻製肉で、昨日一頭分の森猪を解体所へ預け、焼く分、煮込む分、燻製にする分、塩漬けにする分と分けてもらったうち、比較的早く仕上がったものを朝食へ持ってきてもらったのだ。表面は少し乾いているが、噛むと中から脂がにじみ、生の肉を焼いたときとは違う煙の香りと塩気が口に広がる。
「これもおいしい」
杏々にとっては、保存できるうえにおいしいという、かなり重要な発見だった。
「これ持ってお仕事行けるかな」
「朝から何を相談しているんですか」
向かいに座っていたリネットが呆れたように言う。
「お昼」
「今日はもう依頼へ行くつもりなんですか?」
「うん」
「昨日、森猪を二頭討伐したばかりですよね?」
「怪我してないよ」
「そういう問題ではなく……」
言いかけたリネットは、もう諦めたように息を吐いた。
「まあ、杏々さんですからね」
「リネットちゃんは?」
「今日は調べ物です」
「昨日の?」
「はい」
リネットはパンをちぎりながら頷いた。
「杏々さんが言ったでしょう。魔力も、戻るより早く使えば減るんじゃないかって。それを確認するには、まず実際にどれくらい魔力を使っているのか調べないといけません」
「分かる?」
「記録が残っていれば」
「なかったら?」
「探します」
「大変だね」
「原因の半分くらいは杏々さんですからね?」
「でも私、魔力使ってないよ」
「そういう意味ではありません!」
◆
朝食を終えた杏々は、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
「おはよ」
「おはようございます」
いつもの受付嬢は、杏々の腰の剣を見てから尋ねた。
「今日は討伐依頼ですか?」
「何ある?」
「先に決めてはいないんですね」
「おいしいのあったら討伐」
「基準が分かりやすいですね……」
受付嬢が依頼書を確認する。
「今日は低危険度の討伐依頼は少ないですね。角兎が一件ありますけど、昨日とは別の地域です」
「角兎はこの前食べた」
「もう飽きたんですか?」
「飽きてないよ」
「では?」
「違うのも食べたい」
「でしょうね」
受付嬢は別の依頼書へ目を移した。
「でしたら、戦闘ではありませんが、農地設備の点検補助がありますよ」
「設備?」
「以前見たでしょう。魔力調整柱です」
「あ」
杏々は、畑の間に立っていた淡く光る柱を思い出した。農地の魔力を安定させるための設備だ。
「壊れた?」
「定期点検です。技師の方が魔力系統を確認するので、道具の運搬や周辺確認をする人手を募集しています」
「ご飯ある?」
「依頼主から昼食支給、とあります」
「やる」
「そこは本当に早いですね」
受付嬢が依頼書を渡そうとして、ふと手を止めた。
「……そういえば杏々さん、魔力設備に興味があるんですか?」
「ちょっと」
「珍しいですね」
「森の魔力減ってるから」
「ああ」
「これ、魔力増やすんでしょ?」
「農地では、そうですね」
「どこから?」
「え?」
「魔力」
受付嬢は少し考えてから答えた。
「……地脈、だったと思いますけど」
「地面?」
「詳しくは技師の方に聞いてください」
「分かった」
◆
今日の依頼場所は、王都東側の農地だった。杏々が指定された場所へ行くと、荷車の横で一人の男が工具を確認していた。三十代くらいで、作業着のような厚手の服を着ており、腰には工具袋を下げている。魔術師が持つような杖ではなく、先端に透明な石がはめ込まれた短い棒を手にしていた。
「ギルドから来た子か?」
「うん」
「杏々」
「俺はダリオ。農地魔力設備の保守技師だ」
「だりお」
「覚えられそうか?」
「たぶん」
「正直でいいな」
ダリオは笑った。
「今日はこの辺りの調整柱を六本見る。俺が点検するから、道具運びと周辺の草刈りなんかを手伝ってくれ」
「分かった」
「重いものもあるぞ」
「大丈夫」
「そうか?」
ダリオは荷車に載せられた工具箱を指した。
「じゃあ、それを――」
杏々は工具箱を持ち上げた。
「これ?」
「…………」
「どこ?」
「荷車から降ろしてくれればいい」
「分かった」
杏々がひょいと持ち上げると、ダリオはしばらく黙って彼女を見た。
「身体強化?」
「使えない」
「そうか」
少し間を置いてから、ダリオは遠い目をした。
「最近、俺も驚くのをやめる訓練をしてるんだ」
「なんで?」
「世の中には色々いるからな」
◆
一基目の魔力調整柱は、畑の端に立つ、杏々の身長よりずっと高い石柱だった。表面には細い溝が刻まれており、その中を淡い光が流れている。
「光ってる」
「正常に動いてる証拠だ」
ダリオは短い棒を柱へ近づけた。先端の透明な石が青白く光る。
「何してる?」
「流入量と放出量を測ってる」
「りゅうにゅう?」
「入ってくる魔力」
「放出?」
「畑へ出してる魔力」
「あー」
杏々は柱を見上げた。
「ここから畑に出る?」
「そう」
「じゃあ柱の中に魔力入ってる?」
「正確には、下から来てる」
「下?」
ダリオが地面を指す。
「地脈だ」
「地面の中に魔力流れてる?」
「そう考えればいい」
地下には、目には見えない魔力の流れがある。太いものもあれば細いものもあり、濃い場所も薄い場所もある。その流れから必要な分だけ魔力を引き上げ、柱を通して周囲へ広げているのだ。
「作ってるんじゃないんだ」
「魔力を?」
「そうだ」
「じゃあ持ってきてるだけ?」
「まあ、そうなる」
杏々は柱を見た。
「どこから?」
「だから地脈からだ」
「地脈の魔力は?」
「ん?」
「どこから来るの?」
ダリオの手が止まった。
「自然に集まる」
「どこから?」
「空気中とか、土地とか、生き物とか……使われた魔力も戻るし」
「どのくらいで?」
「…………」
「戻る?」
ダリオは杏々を見る。
「嬢ちゃん」
「なに?」
「保守技師に聞く質問じゃないな」
「分かんない?」
「俺は設備を正常に動かす専門だ」
「そっか」
「魔力循環そのものなら、魔術院の研究者に聞け」
「リネットちゃんも分かんなかった」
「魔術院でも分からないのか?」
「調べてる」
「……随分面倒な話に首突っ込んでるな」
「熊がお腹すいてるから」
「何の話だ?」
◆
二基目、三基目と点検が進む間、杏々は道具を運び、柱の周辺に伸びた草を刈り、作業が終わるのを待った。
「こっちは?」
「問題なし」
「これは?」
「少し流入が弱いな」
「魔力少ない?」
「この柱へ来ている分はな」
ダリオは工具袋から細い金属板を取り出し、柱の根元に差し込んだ。
「でも畑は普通」
「調整してるからだ」
「どうやって?」
「別系統から回す」
「別?」
「地脈は一本だけじゃない。途中に集積所があって、そこから複数の区域へ振り分けてる」
杏々は少し考えた。
「水道みたい」
「水道?」
「水いっぱいあるところから、管で分けるやつ」
「ああ」
ダリオが頷く。
「かなり近い」
「じゃあ、こっち少なかったら、別のところから持ってくる?」
「そういうこともある」
「別のところ減らない?」
また、ダリオの手が止まった。
「普通は問題ない範囲でやる」
「普通は?」
「管理基準があるからな」
「どのくらい?」
「魔力濃度が規定値を下回らない範囲だ」
「どこの?」
「農地側の」
「持ってくる方は?」
ダリオは少し考えた。
「集積所で流入量は測ってる」
「その前は?」
「地脈だ」
「地脈減ってないか見る?」
「…………」
「見ない?」
「定期観測はしてるはずだ」
「誰が?」
「王国の魔力管理局だ」
「なるほど」
杏々はよく分からないまま頷いた。
◆
昼になり、二人は畑の脇にある小屋で休憩することになった。
「昼飯だ」
「おー」
農家から届けられた籠の中には、丸いパン、焼いた岩鳥、葉野菜、そして蒸した土玉芋が入っていた。
「土玉芋!」
杏々の反応が一気に良くなる。
「知ってるのか?」
「ずっと食べたかった」
「そんな大げさな食い物じゃないぞ」
土玉芋には皮ごと塩と少量の油がかけられている。杏々は一つ取って半分に割った。中から湯気が立ち上り、淡い黄色の身が現れる。
「いただきます」
一口食べると、杏々は目を少し見開いた。
「どうだ?」
「ほくほく」
「芋だからな」
「甘い」
「この辺の土玉芋は甘みが強いんだ」
「おいしい」
杏々はもう一口食べてから尋ねた。
「これいっぱい作ってる?」
「ああ。王都周辺じゃ冬の主食にもなる」
「魔力ないと育たない?」
「全く育たないわけじゃない」
「違うの?」
「収穫量がかなり落ちる」
ダリオは自分の芋を割った。
「土地の魔力が安定してる方が、大きく育つし病気にも強い」
「だから柱ある」
「そういうこと」
「柱なくしたら?」
「この辺の農家が困る」
「ご飯減る」
「ああ」
杏々は土玉芋を見つめた。北の森では魔力が減り、小型魔物が減り、森爪熊のご飯も減っている。一方、こちらでは魔力を持ってきて畑のご飯を増やしている。
「こっち増やしたら」
「ん?」
「どっか減る?」
ダリオが黙った。
「理屈だけなら、あり得る」
「ほんと?」
「ただし、それが起きないように管理するのが、この設備と管理局の仕事だ」
「じゃあ大丈夫?」
「そういう前提だ」
「前提」
「ああ」
杏々は芋を食べながら言った。
「リネットちゃん、前提いっぱい調べてる」
「……そのリネットって子、大変そうだな」
「大変だよ」
◆
同じ頃、王宮魔術院では、リネットが一冊の記録簿を机へ置いていた。
「ありました」
「今度は何だ?」
先輩術師が尋ねる。
「王都周辺の魔力設備稼働記録です」
「よく借りられたな」
「管理局に三回断られました」
「四回目に貸してくれたのか?」
「先輩のお名前を出しました」
「おい」
「ありがとうございます」
「許可してないぞ」
「でも借りられました」
「後で絶対面倒なことになる……」
リネットは気にせず記録を開いた。
「十年前」
農地用調整柱、水路安定装置、王都外壁の防護術式、街灯、公共施設。王都で使われている設備が次々と書き出されている。
「多いな」
「王都ですから」
「で?」
「こちらが五年前」
記録を並べて比べると、農地の拡張、新設された調整柱、増設された集積設備が目についた。王都人口の増加に合わせ、魔力利用量は少しずつ増えている。
「今年は?」
「さらに増えています」
「だが、それだけなら当然だろ」
「はい」
リネットも頷いた。
「王都が大きくなれば、使用量も増えます」
「なら何が問題なんだ?」
「問題かどうかを調べています」
リネットは別の記録を並べた。
「これが北の森の魔力濃度です」
先輩術師の目が細くなる。王都北側を含む農業用設備の魔力使用量が徐々に上がっている一方で、北の森の魔力濃度は徐々に下がっていた。
「時期が近いな」
「はい」
「だが」
「相関だけです」
リネットが先に言った。
「まだ因果関係は分かりません」
「分かってるならいい」
「農地が魔力を使ったから森が減った、とはまだ言えません」
「地脈が別なら無関係だ」
「はい」
リネットは地図を広げた。
「なので、次は地脈系統を調べます」
「……嫌な予感がする」
「何がです?」
「お前がまた管理局へ行く未来だ」
「一緒に来ます?」
「断る」
◆
午後、杏々とダリオは五基目の調整柱へ到着した。
「ここ、光弱い」
「よく気づいたな」
「前のより暗い」
柱を流れる光は、確かに先ほどまでより薄かった。
「故障?」
「確認する」
ダリオが測定器を当てる。
「どう?」
「柱自体は正常」
「じゃあ魔力ない?」
「流入が低い」
「下から?」
「ああ」
ダリオは別の数値を確認した。
「この時期は負荷が高いからな」
「ふか?」
「いっぱい使ってるってことだ」
「暑いから?」
「作物の生育期だし、水路設備も動かしてる」
「じゃあもっと持ってくる?」
「そうなる」
ダリオは柱の側面にある小さな術式板へ触れた。
「集積所へ調整要求を出す」
「別のところから?」
「ああ」
杏々は地面を見た。
「また何か考えてるな?」
「減らないかなって」
「さっきの話か」
「うん」
ダリオは少しだけ困った顔をした。
「嬢ちゃん、設備屋としてはな、足りなきゃ回す。それで畑を守る」
「うん」
「農家は今日、水が必要なんだ。作物は一週間待ってくれない」
「そうだね」
「だから、魔力が足りないなら別の系統から補う」
「うん」
「でも、その『別の系統』が本当に余ってるのかは、俺たち現場じゃ分からん」
「誰なら分かる?」
「全部を見るなら管理局だな」
「リネットちゃん行きそう」
「その子、本当に大変だな」
◆
六基目の点検を終え、依頼は無事に完了した。
「助かったよ」
ダリオが依頼票へ印を押す。
「道具運びがいつもの半分以下で済んだ」
「いっぱい持った」
「ああ。次から二人分で依頼を出すのをやめたくなるくらいにな」
「お金二人分くれる?」
「それは無理だ」
「そっか」
「そこは残念そうなんだな」
「剣代戻したい」
「なるほど」
帰り際、ダリオが杏々を呼び止めた。
「嬢ちゃん、今日の話を研究者にするなら一つ伝えとけ」
「何?」
「農地の調整柱は魔力を作ってるわけじゃない」
「うん」
「どこかから引っ張って、必要な場所へ回してるだけだ」
「分かった」
「だから調べるなら柱一本じゃなく、系統全体を見ろってな」
「けいとう?」
「魔力がどこから来て、どこへ行ってるか」
「なるほど」
杏々はその言葉を覚えた。食べ物とは少し離れているが、ご飯に関係する話だから覚えられそうだった。
◆
夕方、ギルドで依頼達成報告を終えた杏々は、王宮へ戻る途中でリネットを見つけた。
「リネットちゃん」
「杏々さん!」
リネットは大量の紙を抱えていた。
「いっぱい」
「いっぱいです」
「分かった?」
「少し」
「私も」
「何がです?」
「柱」
「魔力調整柱?」
「うん」
二人は道の端へ寄った。
「魔力作ってないって」
「もちろんです」
「知ってた?」
「それは知っています!」
「そっか」
「地脈から引き上げて、必要な場所へ配る設備ですよね?」
「そう」
「……それが?」
「足りなかったら別のところから持ってくるって」
リネットの表情が変わった。
「誰から聞きました?」
「ダリオ」
「誰です?」
「今日の人」
「説明が雑です!」
「技師」
「ああ」
「系統全部見た方がいいって」
リネットは、杏々の言葉を聞きながら抱えていた紙へ目を落とした。
「……ちょうど、それを調べようと思っていたところです」
「ほんと?」
「はい」
二人はそのまま王宮へ戻った。
◆
夜、リネットの部屋の机には、古い地図、新しい地図、設備配置図、魔力観測記録が広げられていた。杏々はその横で森猪の燻製を食べている。
「いい匂いがして集中できないんですが」
「食べる?」
「後でいただきます」
「今おいしいよ」
「後で!」
リネットは地図へ顔を近づけた。
「王都周辺には大きく分けて複数の地脈系統があります」
「うん」
「東、西、南……」
「北」
「はい」
北側には農地と北の森がある。リネットは資料をめくった。
「これが現在の系統図です」
北側農地の調整柱、複数の集積所、そこへ繋がる地下の流れが描かれている。
「こっちが古い地脈調査図……」
何十年も前、まだ農地が今ほど広くなかった頃のものだ。
「ちょっと待ってください」
リネットは線を追った。北の森、その地下、王都北側、農地。指先が一本の太い線をなぞっていく。
「……同じ?」
杏々が尋ねた。
「完全に同じではありません」
「違う?」
「でも」
リネットは一本の太い線を指した。
「大元が近いです」
「大元?」
「北の森の地下を通る支脈と、北部農地へ魔力を供給している地脈は、この辺りで同じ主脈から分かれています」
「じゃあ繋がってる?」
「……地脈としては」
「じゃあ」
杏々が燻製を食べながら尋ねる。
「畑にいっぱい持ってったら、森の分減る?」
「まだ分かりません」
リネットはすぐに答えた。
「主脈から十分に供給されているなら、問題はありません」
「足りなかったら?」
リネットは黙った。
「森減る?」
しばらく考えたあと、リネットは慎重に言葉を選んだ。
「可能性はあります」
初めて、そこまで認めた。
杏々は燻製を食べながら地図を見る。
「じゃあ調べる?」
「はい」
「何を?」
「主脈から入ってくる量」
「うん」
「農地側へ引いている量」
「うん」
「森側の魔力濃度」
「うん」
「そして、それが何年くらい続いているのか」
「いっぱい」
「いっぱいです」
「大変だね」
「杏々さんも手伝ってくださいよ!」
「文字読めない」
「そうでした!」
リネットが机へ突っ伏した。
◆
しばらくして、杏々が燻製を一枚差し出した。
「食べる?」
「…………」
「おいしいよ」
「いただきます」
リネットは燻製を受け取り、一口食べた。
「……おいしい」
「でしょ」
「煙の香りがいいですね」
「いっぱい保存できる」
「はい」
杏々は残りの燻製を見る。
「でも食べたら減る」
「当然です」
「作るより早く食べたらなくなる」
「……はい」
「魔力も一緒かもね」
リネットは、今度は否定しなかった。
「そうかもしれません」
魔力は無限ではない。使えば巡り、いずれ戻る。それが誰もが教わってきた常識だった。だが、戻るまでの時間を誰も気にしていなかったとしたら。そして、戻る量よりも使う量の方が多い状態が何年も続いていたとしたら、北の森で起きている異変は、ただの自然現象ではないのかもしれない。
それでも、まだ答えを出すには早かった。
「明日、管理局へ行ってきます」
「また?」
「またです」
「怒られない?」
リネットは黙り込んだ。
「リネットちゃん?」
「先輩にも来てもらいます」
「怒られるんだ」
「違います!」




