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数日前の騒動が嘘のような日々を送っている。
私は正式にクレージュ公爵令息と離婚をして、バツイチとなった。それなのにクレージュ公爵邸に住まわせて貰っているのは、クレージュ公爵の執務補佐として任務が与えられているからだろう。
もう既に私がいなくても執務は回るはず。
そしてーークレージュ夫人は、私を手放す気がなさそうだ。彼女に気に入られているのは知っているが、孫と離婚した元孫嫁が居座り続けるのも肩身が狭い。
レイモンは老公爵だけじゃなく、クレージュ夫人にも気に入られたようだ。
クレージュ夫人は「あの男の息子とは思えない」と言いながら、レイモンを可愛がっている。元父の評価は物凄く下なのだと、改めて痛感する一言だ。
今日は朝から老公爵に連れられて、レイモンはダンジョンへ行ってしまった。私もレイモンと二人でダンジョンに挑もうと出かけたら、なぜか老公爵とクレージュ公爵がダンジョンの前に待機していたので、そのまま四人で入る事になったのである。
クレージュ公爵は私が弟と二人で出かけるのを察知し、前倒しで執務を終わらせていたらしい。老公爵と共に現れた二人は、レイモンにその力を見せつけた。
二人の攻撃魔法と剣術に「凄い!」と尊敬の眼差しを向け、「僕も公爵様みたいに強くなりたい」と、キラキラした目を向けて言い出したのである。
その言葉に感動したのか分からないが、老公爵がレイモンを連れてダンジョンへ通うようになった。あと数日でレイモンは、祖父母の待つアグレッサ侯爵領へ戻ってしまう。
レイモンがアグレッサ侯爵領へ向かう時、私も一緒に帰省する予定だ。
本日も例外なく老公爵にレイモンを奪われたので、私は聴覚を使って軟禁中の二人の様子を伺ってみる。
部屋の中は静かだった。
二人を同じ部屋に入れて軟禁していると聞いたけど、物音一つもしない。
以前までの彼らは部屋で二人きりになると、淫らな行為に耽っていたものだ。先日の騒動で二人の気持ちが冷めた可能性も有り得る。
ベル伯爵領が正常に戻れば、二人はそこへ向かう予定だ。
クレージュ公爵家がベル伯爵領を買い取り、既にクレージュ公爵領としての土地だったのである。前ベル伯爵と懇意にしていたらしく、毒素で荒れた地でも他の者に譲りたくなかったらしい。いずれ領地の毒素を浄化して、生き残った領民が戻って来られる環境に戻す予定でいたようだ。
その前に生き残った領民の人体に影響があるので、彼らを安全な場所で保護する事を優先したらしい。前領主の行いで自分たちに害が及んだ事に対し、領民たちは生き残った領主の娘に後を継いで欲しくないと願った。
領民の意見を尊重し、クレージュ公爵はベル伯爵領を、自分の管轄に置く事に決めたらしい。その事を踏まえて、前伯爵の忘れ形見であるベル伯爵令嬢に報告したようだ。
しかし彼女は何を勘違いしたのか、領地を取り戻す為に侍女として働く事を申し出たのである。
ーー彼女が侍女として働いている所を見た事がないのよね。
アリエルから彼女が仕事をしている話を聞いていない。
いつも休憩室にいて、メイドたちとおしゃべりをしているだけ。彼女の姿が消える先は、クレージュ公爵令息の部屋。
最初から仕事をする気がない態度だ。
「……お前のせいだ、メグ」
クレージュ公爵令息が言葉を発する。
「わたくしが何をしたと言うの? 全てあの女が仕掛けた罠ですのに……」
「俺はエンヌの姉ハリエットが嘘つきなのは知っていた」
「ハリエットに会った事があるの?」
「俺とエンヌは正式に婚約を結んでいたから、その家族に会うのは当たり前だ。あいつは父上がエンヌの入学祝いに贈った髪飾りを、自分の物だと嘘をついた」
王都のアグレッサ侯爵邸で、姉に待ち伏せをされた時の事だ。
あの日ーークレージュ公爵と共に婚約の打診をしに訪れ、大人同士で婚約の契約を進めるからと、まだ子供だった私たちは庭の方へ行くように促されたのである。
その途中で姉がいきなり目の前に現れ、クレージュ公爵令息と一緒に去って行ったと思う。その後、私は自分の部屋へ戻って聴覚で二人の会話を聞いていた気がする。
「それってブラックダイヤモンドのついた髪飾りですか?」
ベル伯爵令嬢が確信をつく。
ーーあの髪飾りに何か意味があったのだろうか?
「ベッキーと親しくしている令嬢への入学祝いに、公爵家のブラックダイヤモンドを贈る事は聞かされていた。父上一人の一存でブラックダイヤモンドは贈れないから、まず家族の許可が必要な物なんだ」
ーーああ、それで!
クレージュ公爵令息が髪飾りの存在を知っていたのか。
「その髪飾りは本来なら、ハリエットに贈られるはずだった物です。ジュリエンヌはハリエットより知識が足りないはずなのに、なぜ国立ヴァソール学園に入学できたのか不思議だったのよ。あの女はセルペット女学院に入学する予定だったのに……ハリエットは王立ノヴェール学院で、ダニエル様と知り合う運命だったのよ。そして二人は親しくなって、ダニエル様がハリエットに髪飾りを贈る予定だったはず」
「どういう事だ? 俺はハリエットの事は嫌いで、あの女に好意の欠片もないが?」
そこはハリソン伯爵令嬢が言っていた事と話が違う。
元姉ハリエットと婚約して結婚するのは、子爵令息と聞いている。なぜクレージュ公爵令息が、元姉に髪飾りを贈る事になるのか。その経緯すら分からない。
ーーただ親しくなっただけの相手に贈るもの?
「エンヌは国立ヴァソール学園の入学試験では、三番目の成績で入学している才女だ。首席は神童と呼ばれていたサミーで、次席が王女殿下のベッキーと聞いている」
「そこが間違っているの! ジュリエンヌは我儘放題で浪費家。頭も良くない馬鹿のはずなのに。それと男性なら来るもの拒まずの色情女よ。その中で彼女が狙っていたのがサミュエルだったのよ。物語と全く違っているじゃない!」
ハリソン伯爵令嬢が言ったように、本来の私は頭が悪いようだ。
セルペット女学院は別名「花嫁修業学校」と聞こえは良いが、そこに通う生徒は国立ヴァソール学園を始め、王立ノヴェール学院と国営オードブル学園の入学試験に受からなかった落ちこぼれが通う学校である。
本来の私が通う学校だったらしい。
それと「来るもの拒まずの色情女」が追加である。
ーーその物語というのを読みたいものだ。
「お前の言う事は全てが間違いだらけじゃないか。俺はエンヌと離婚する気はなかった。メグにした事は責任を持つつもりだけど、メグとエンヌのどちらか選べと言われたら、俺は迷わずエンヌを選ぶ」
そこまで私を思っていたのが意外である。
ベル伯爵令嬢の方が本命で、私はお飾り妻という扱いだと思っていた。
「わたくしの事は遊びでしたの?」
「お前が変な薬を飲んだのが発端だ。それがなければ……こうなっていなかった」
ーー変な薬って何!?
もしかして媚薬効果があるような薬だろうか。
その頃のベル伯爵令嬢は、学校の寮で生活していたはず。
ーー寮生が変な薬を入手できる環境だったの?
学校側は学生を守るのが義務なのに、警備が杜撰なのだろうか。
「酷い!」
ベル伯爵令嬢が金切り声を上げる。
「酷いのはお前だろ! エンヌは不貞などしていなかった。それが事実だ。俺はメグのせいでエンヌだけじゃなく、サミーやフィル兄……そして公爵家の嫡男の立場まで失くしたんだぞ」
二人が言い争うのは勝手だが、どちらか片方が悪いっていう問題じゃないと思う。
確かにーーベル伯爵令嬢より、クレージュ公爵令息の方が失った物は多い。それも私から見たら自業自得だ。相手の言葉を鵜呑みにして、事実確認をしなかったクレージュ公爵令息の非である。
それを他人のせいにするのは違うだろう。
今回の件でクレージュ公爵は息子との縁を切ってしまった。老公爵夫妻もそれに同意し、クレージュ公爵令息はベル伯爵を正式に受け継ぎ、今後はベル伯爵として振舞わなければいけない。
ベル伯爵令嬢は、既に貴族籍ではなかったようだ。
クレージュ公爵が後見人となった時には平民であり、前伯爵の忘れ形見である彼女には成人まで自分が援助する事を決めたらしい。本人には貴族籍を抜けている事は伏せていたようだ。家族と領地を失った事を知れば、生きる希望がなくなるとーークレージュ公爵の優しさだろう。
ベル伯爵令嬢は家名がないので、マーガレット。
彼女はクレージュ公爵令息の子を身籠っているが、その子は養子扱いとなる。
平民となった彼女は、彼の正妻にはなれない。
クレージュ公爵令息はベル伯爵となるので、これからも貴族として生きられるのだ。公爵令息から伯爵になってしまったが、貴族のままでいられるのだから十分だと思う。
彼は温室育ちなので平民に落とされたら、長くても数年は生きられない。ある意味、貴族らしい考え方の持ち主なので、平民の立場を理解しないまま一生を終わらせていたはずだ。
ーー貴族のままでいられて良かったわね。
「わたくしを捨てるの? 子供は?」
「メグは自分が平民だって事を忘れるな。子供の責任は持つが、メグは乳母として働けよ。平民の立場で正妻を望む真似はしないように」
クレージュ公爵に説明を受けたのか。
ベル伯爵令嬢ーー改め、マーガレットが平民になっている事を告げる。
「わたくしが平民? それこそ嘘よ」
マーガレットの方が現実を受け入れられないようだ。
「嘘じゃないさ。父上が言っていただろう? メグの両親の判断で領地と領民に被害が及んだ事は事実だ。その事を恨んでいる領民が大勢いるらしいな。彼らがベル伯爵の生き残りが、その爵位を継ぐのを反対していたらしいぞ」
ーー二人を軟禁した後に、クレージュ公爵から説明があったのか。
クレージュ公爵令息の方は耳を傾け、それを受け入れたらしい。
この口調では頭で納得していても感情は違うのだろう。
それでも受け入れる事にしたのは、全て自分が招いた事が原因だと自覚したからだ。
「お父様が領民風情に恨まれている?」
マーガレットは自分の立場を理解していないらしい。
ーー彼女は選民思想の持主だったようね。
領主一家が領民の事を思っているなら、「平民風情」といった言葉は出てこないはずだ。
彼女の口からそれが出るという事は、領主一家は元から領民に嫌われていた存在なのだろう。別にスタンピードの件がきっかけではなく、積もり積もった不満が爆発した。
ーーそういう事ね。
「近隣の領主やヴァソール侯爵家、そして父上に協力を要請していたら被害に遭う事はなかっただろ? ベル伯爵家は魔力が少ない血筋だからな。周囲との連携を怠ったのは領主としての判断ミスだ。領民に恨まれている理由が分かったか?」
冷静になればクレージュ公爵令息も、当たり前の事が分かっている。
領主の判断ミスは、絶対にあってはならない。
「じゃあ、この子は?」
「平民の子供を認知出来ないから、俺が手続きして養子として引き取るさ」
再び口論が始まった。
いい加減それを聞くのも鬱陶しくなってきたので、私は聴覚を遮断する。
そしてーーすっかり冷めたお茶を口にした。
レイモンと老公爵がダンジョンから戻り、晩餐の時間を楽しく過ごす。
高級蜂蜜を祖母の為に手に入れたレイモンは、誇らしげな顔をしていた。老公爵にすっかり懐いたようで、第二の祖父といった様子が伺える。
両親に愛されていなくても、こうして祖父母や別の大人に可愛がられる姿を見て、私もほっこりした気持ちだ。
レイモンが領地に戻る時、なぜかクレージュ公爵も一緒に来る事に。
私はアグレッサ侯爵領へ向かった後、王領に向かうはずだった当初の予定が崩れてしまう。しかも二週間ずっとクレージュ公爵も交えて過ごす事になり、レイモンが王都へ戻るタイミングでクレージュ公爵領へ戻る結果となった。
私はクレージュ公爵家とは関係のない存在なのに、どうして良くしてくれるのだろう。
これまでと日常が変わらない。
午前中はクレージュ公爵と共に執務をこなし、午後はクレージュ夫人を交えてお茶を楽しむ。そういった日々を過ごしていたら、ベル伯爵領の領土の毒素が浄化されて住める環境になった。
いよいよクレージュ公爵令息と、お腹が膨らんだマーガレットが伯爵領へ出発する日の前夜となる。
その日の夜ーー私は予想していなかった事態に陥ってしまう。すっかり油断していた自分の落ち度だ。部屋に置かれた水差しの水の中に媚薬が混入されていたのである。
水の入ったグラスが床に叩きつけられた音が響く。
ーー即効性の媚薬!?
ほんの少しの量だけで体の芯が熱く火照る。
動悸が激しくなり額や背中に汗が集う。
ーー癒しの魔法が効かない。
これはクレージュ公爵令息が言っていた変な薬だろうか。
一体誰がこんな真似を?
「お嬢様?」
私の異変に気付いたアリエルが部屋に入って近づく。
「これはーー旦那様にお知らせして参ります」
アリエルの咄嗟の判断だった。
クレージュ公爵を連れてきたアリエルは、そのまま部屋から去って行く。全属性魔法の使い手のクレージュ公爵なら、私を何とかしてくれるという主人に対する信頼なのだろう。
クレージュ公爵は私の様子を見て眉間に皺を寄せる。
「悪趣味だなーーこれは癒し魔法が効かない古い薬だ」
彼は魔眼で薬の正体に気づいたようだ。
「ジュリエンヌ嬢、よく聞いてくれ。これを鎮める方法は一つしかない。俺が貴方の純潔を奪う形になってしまうが、それでも構わないか?」
「……はい」
私は何とか声を出して頷く。
そして私は初恋の相手クレージュ公爵と一夜を過ごす事になった。
私は薬のせいで何も考えらず、クレージュ公爵に身を委ねる。大好きな彼と一つになれたというのに、私の記憶は曖昧で彼との行為を記憶に残す事は無理だった。
ただーー彼に対する気持ちを告げたような気がする。
ーー六歳の頃から貴方の事が大好きでした。
そんな言葉を発した気がするけれど、夢か現か分からない。
私はクレージュ公爵によって、忌まわしい媚薬の呪縛から解き放たれたのだった。




