< 40 > age17
今年も夏がやってきた。
弟のレイモンは学年末の試験で首席という結果を出し、夏季休暇の二週間だけクレージュ公爵領へ滞在する事が決まったのである。
レベッカも当初は滞在する予定だったが、アンダーソン侯爵令息の子を妊娠したので辞退。
いつも夏に来ないクレージュ公爵令息が、気まぐれに滞在する予定との事らしい。彼と最後に会ったのは、レベッカの結婚式の時だ。その当日に婚姻契約書を交わしたが、それ以降は無言を貫き会話の一つもない。
王都の邸でベル伯爵令嬢と夫婦ごっこをしているようだ。
私とは破局した噂が流れているらしく、クレージュ公爵令息が噂を聞いて焦ったのか。いきなり通信機に連絡がきたと思ったら、「夏の休暇はそっちで過ごす」と一言だけ言って、通話が切れたのだ。
最初から私と結婚式をする気はなかったのだろう。
彼は王都で暮らし続け、私は領地でクレージュ公爵の補佐を続けている。
次期公爵という立場でありながら、クレージュ公爵令息は仕事をしていないのだ。彼がやっている事と言えば、国立図書館へ通って蔵書を読み耽るだけ。
王都で執務をするわけでもなく、ただ予算を食いつぶすだけの存在。
ベル伯爵令嬢はクレージュ公爵令息の世話という名目で、彼の部屋から出て来ないらしい。こちらも侍女という仕事を放棄している。仕事もしないで給料だけを支払うのは無駄なので、私はクレージュ夫人に相談して、彼女の給料を昨年の冬に打ち切らせた。
現在はクレージュ公爵令息の予算で食いつないでいる状態である。
私の方は着々と離縁に向けて動いていた。
クレージュ公爵の執務の改善を施し、私がいなくても執務が回るように魔道具を作って設置。翻訳機が大活躍しているのは嬉しい。他は見積書と帳簿の定形を作り、これを統一させて見やすいようにした。
それだけで執務作業が捗るのだから、これまでの作業は何だったのかと執務官たちが嘆いている。
「ジュリエンヌ嬢、お茶にしないか?」
クレージュ公爵に誘われてサロンへ移動した。
「最近は執務の時間が短縮されて、執務官たちが喜んでいる。これも全てジュリエンヌ嬢のおかげだ」
「クレージュ公爵に褒められると照れてしまいますわ」
「その呼び方……ジュリエンヌ嬢には、名前で呼んで貰いたいのだが。母上の事は「お母様」と呼ぶのだから、俺の事は名前で良いだろう?」
最近はクレージュ公爵に「アルカード」呼びを迫られている。
その発端は老公爵夫妻の呼び方だった。老公爵は「お父様」でクレージュ夫人は「お母様」なので、クレージュ公爵の呼び名は名前で呼ぶように言われたのである。
書類上では「義理父」なので、名前呼びは違うはず。
領地で行われる主要貴族の集まりも、私はクレージュ公爵のエスコートで参加しているのだ。この状況に期待してしまうので、私は頑なにクレージュ公爵の名前を呼ばない。
「周囲に誤解を招く恐れがありますので……それに、明日には弟が来ます」
レイモンと一緒にダンジョンへ向かうのが、今からとても楽しみなのだ。
「学年末の試験で首席を取ったそうだな。やはり優秀なのは血筋か? 先輩も入学試験から首席を通していた。ジュリエンヌ嬢の姉君は違っていたようだが、コンサル侯爵家の三男を捕まえた事は褒めるべき要素だな。あの家の血筋は影の実力者とも呼ばれている。三男の成績は次席だが、同学年にレジス侯爵家の嫡男がいた事が災難というべきか」
クレージュ公爵は元父の事を尊敬していたらしく、私の事がなければ気持ちは揺らがなかったと思う。
元父は元母にしか興味を持たなかったので、自分の子でも父親として愛情を注ぐ事はしなかった。それは元母も同じだろう。元姉が魅了で母親の愛情を向けるようにしていたが、その魅了がなければ全員が放置された状態だった。
ダーレン・アグレッサ侯爵はマグノリア・アグレッサ侯爵夫人だけだが、マグノリア・アグレッサ侯爵夫人という人間は自分の事しか考えていない。母親になってはいけない人種だ。
ーーあの二人は親になってはいけなかったのよね。
義理兄のシャプル伯爵は、やはり凄い人だったらしい。
ーー影の実力者っていう響きにそそられる!
それとレジス侯爵令息もチートだった。
年代毎にチート能力者がいるのが当たり前の世界って、何となくわくわくする。
「やはりレジス侯爵令息は優秀な方なのですね。あのダンジョンを見つけた時、ご一緒しましたが頭脳派と言うべきか……頭の中で瞬時に攻略を考えて行動する方でした」
「一緒にダンジョンへ行った事があったのか?」
いきなりクレージュ公爵の機嫌が低下したらしい。
ーーどこに不機嫌になる要素が!?
「ええ、わたくしが十二歳の時に一度きりですが。その時にダンジョンの存在を初めて知ったのですよ」
冒険者ギルドへ行ってクエストを見物に行き、目ぼしいクエストがなければ魔道具の素材を依頼する予定だった事を告げる。その時にギルドの人からダンジョンの事を教えて貰い、その場にいたメンバーでダンジョンへ向かったのだ。
私はクレージュ公爵領へ来たのが三度目で、ダンジョンの存在を知らずに過ごしていたのである。
「ダンジョンの事を知らなかったのか?」
クレージュ公爵が「言ってなかったか?」と聞き返す。
「……聞いておりませんでした」
じとりと視線を向ければ、クレージュ公爵が苦笑を漏らす。
「そうか……俺の失態だな」
「アルカードはジュリエンヌに粗相でもしたの?」
「母上」
「お母様」
クレージュ夫人が華やかなドレス姿で現れた。
本日も王都に滞在している貴族の茶会へ招待され、外出していたはずが早々に戻って来たらしい。
「クレージュ公爵が粗相をしたわけではなく、わたくしがダンジョンの存在を知ったきっかけを話していたのです」
「あら、アルカードは教えていなかったの?」
「聞いておりませんでした。わたくしが知ったのは、冒険者ギルドの方から教えて頂いたからです」
「そうだったの。ダンジョンのある近辺の領民は知っているけど、観光地がある首都の者は知らないのよ。隠れた名所って所かしら」
「そうだったのですね。わたくしはダンジョン産の蜂蜜が欲しくて、よく通っています」
「ジュリエンヌがダンジョンへ行くのは蜂蜜が狙いだったのね」
「ええ、それと魔道具の素材に使う鉱石も必要なので」
「ジュリエンヌが増えたから、あのダンジョンでスタンピードが起こる確率が激減したわ」
クレージュ夫人がスタンピードの事を語り始める。
あのダンジョンは元々、老公爵が見つけたものだったらしい。急に魔獣の数が増えて不振に思い、領地の見回りを兼ねて森へ向かったようだ。そこに洞窟を見つけて中に入ったら、低層のダンジョンだと判明。
冬から春にかけてダンジョンへ行って魔獣を狩るが、夏は王領の避暑地で過ごす為に、どうしても魔獣狩りをしない期間が出来てしまう。低層と言っても最下層の大熊を倒せる冒険者は少ない。四階層でリタイヤする人が圧倒的に多かったようだ。
そこでダンジョンがある洞窟の周囲を開墾して、二十四時間体制のギルド出張所を作り、魔獣を狩るシステムにしたがスタンピードは定期的に訪れてしまう。
スタンピードが起こっても、公爵家私営の騎士団や老公爵が瞬時に対応しているので、領地や領民の被害まで発展しないようだ。
そして十二歳になった私がダンジョンの存在に気づき、そこから老公爵が不在している間に、魔獣を狩り尽くしているのでスタンピードが起こっていないらしい。
そして現在ーーいつでもダンジョンへ行けるので、またもや私が魔獣を狩り尽くすから溢れる事がなくなった。
「まあ……わたくしは知らない間にスタンピードを抑えていたのね」
「そうなるわね」
「弟も張り切ってダンジョンへ通うでしょう」
「あの男の嫡男は十歳になったのよね?」
「はい、去年の夏以来ですから会えるのが楽しみです」
クレージュ夫人とクレージュ公爵の三人で、午後のひと時を過ごした。
「姉上!」
「レイモン、良く来たわね」
去年より少し大人っぽくなったレイモンを抱きしめる。
「まあ、貴方が嫡男?」
「二週間も滞在を許して頂き感謝致します。こちらは我が領の品々です。是非、お受け取り下さい」
レイモンが持参していた拡張バッグを渡す。
「まだ十歳なのに立派な挨拶ね」
クレージュ夫人が感心したように呟く。
「自分の家だと思って寛いでくれ」
その隣に立っていたクレージュ公爵も言葉を続けた。
「ダンジョンに興味があると聞いているが、苦手な魔獣はいるか?」
「王都のダンジョンしか行った事はないですが、僕は虫型が苦手ですね」
「ジュリエンヌ嬢と一緒だな」
クレージュ公爵が意地の悪い笑みを浮かべる。
「わざわざ弟にバラさなくても……」
私は溜息交じりに漏らす。
弟には知られたくなかったのに、たまにクレージュ公爵は意地悪な事を言う。
「まず先に部屋に案内しましょう。サリー、案内して差し上げて。アルカード、話はその後ゆっくりでも構わないわね?」
「はい、奥様」
サリーは私専属となったメイドである。
元孤児だと聞いているが、所作や立ち方が綺麗なので、おそらく彼女は貴族令嬢だったのだろう。両親を病で亡くした後、親族に爵位を奪われて家を追い出されるケースは多い。
もう一人のメイドのエレンも同じ。
彼女も所作や動きが貴族のものだ。本人は平民出と言っているので、親が元貴族なのかもしれない。
「さて、わたくし達はサロンへ移動しましょう」
「はい、お母様」
私たちがサロンの方へ向かって歩いていると、クレージュ公爵令息とベル伯爵令嬢が、王都から転移門を使って現れたタイミングで遭遇した。
「祖母様、父上、ご無沙汰をしております」
クレージュ公爵令息がクレージュ夫人に気づいて挨拶の言葉を交わす。
しかしクレージュ夫人の方は、相変わらず汚いものを見るような視線を向けるだけ。
私たちの間に重たい空気が流れる。
「お前は何をしに来た? ずっと王都で遊び惚け、自分の仕事すらしていないようだが?」
クレージュ公爵が冷たい視線を息子へ向けた。
かつてない程の怒り具合である。
彼を怒らせる何かが、クレージュ公爵令息にあったのか。
実際、王都の邸で悠々自適に暮らし、国立図書館へ通って本を読むだけの日々を過ごしている。これで遊んでいないと言うなら、根本的に間違っている事だろう。
「遊んでなどいません。調べ物をしている時間が多く、仕事を疎かにしている事は認めますが」
本人には遊んでいる自覚がないらしい。
クレージュ公爵令息は、本業と趣味を混合している。
彼の本業は公爵領の次期領主としての執務であり、個人で調べる作業は仕事と呼べないものだ。本業の執務を終わらせて空いた時間で調べるものであり、仕事時間を犠牲にして行うのは間違っている。
彼がベル伯爵領について調べる事は悪い事ではない。
それで本業を疎かにするのは間違っているだけだ。その事にクレージュ公爵令息は気づいていない。間違った考えを改めなければ、そのうち彼は次期公爵としての立場を失ってしまうだろう。
もう少し自覚して欲しい。
「根本的に間違っているだろう。まず先にするのは仕事であり、調べ物はその後にすれば良いだけだ。それも分からないようでは、後継者から外す」
クレージュ公爵は私と同じ認識のようだ。
「待って下さい、公爵様!」
「お前も同様だ。侍女をして奉公すると言ったのは嘘か? 母上が差配した配置につかず、息子と遊んで暮らしているようだが? 既に給金は打ち切っているはずだ。無能な居候は不要なのだがな。一刻も早く荷物を纏めて出て行け」
クレージュ公爵は息子を見るより更に零度を増す。
自ら奉公すると契約書まで交わしたらしい。
それなのに、仕事ではなく嫡男を誑し込んで快楽に耽っていた。
クレージュ公爵も彼らの関係を知っていたのだろう。冷たく突き刺す視線は鋭い。
「メグは俺の子を身籠っているのです」
ベル伯爵令嬢は妊娠しているようだ。
彼女はクレージュ公爵令息の部屋から、滅多に出て来ないという話を聞いている。その話が本当なら、子の父親は間違いなくクレージュ公爵令息なのだろう。
ーーこれで離縁決定ね!
私は必死で冷静を保つ。
今すぐにでも離縁書を神殿へ飛ばしたい。
クレージュ公爵令息と離縁したら、クレージュ公爵やクレージュ夫人とは会えなくなる。
それだけは残念に思う。
「仕事もせずに不貞相手と子を作るとは、お前は恥さらしだな。クレージュ公爵家を貶めたいのか?」
「エンヌにも落ち度がある。俺とは別の相手と隠れて交際しているんだからな」
ーーは?
何を言っているか分からないんですけど?
確かにーークレージュ公爵令息に対し、私は恋愛感情を持ち合わせていない。私が好きな相手は彼の父であるクレージュ公爵だ。実際、夫となったクレージュ公爵令息より、彼と過ごす時間の方が長い。そもそもクレージュ公爵令息よりも先に知り合ったのだから当然の事だろう。
ーー隠れて交際しているって何?
クレージュ公爵の執務を手伝っているが、あくまで仕事がメインである。彼以外にも執務補佐官や書記官も傍にいるのだ。執務室に二人きりでいる事はない。二人きりでダンジョンに行った事はあるけれど、魔獣討伐や素材集めに夢中で甘い雰囲気とは言えないものだ。
それにーーこれは私の片思いであって交際相手に入らない。
「あの……聞いても宜しいですか? わたくしは誰とお付き合いされているのでしょうか?」
「誰ってサミーに決まっているだろ! 俺は知っているんだからな。ずっと俺の事を騙していたんだろ。ベッキーに悪いと思わなかったのか?」
どうして私がアンダーソン侯爵令息の不貞を疑われているのだろう。
ーー意味が分からない。
「わたくしが義理の弟であるアンダーソン侯爵令息と? どこからの情報ですか? わたくしはレベッカと親しい間柄ですが、彼女の夫とは特に疚しい付き合いはしておりません。ダニエル様は間違った情報を掴まされて、それを確認しなかったのですか?」
公爵家の嫡男なら影を使うなりして、その情報を裏づける確認くらいすれば良いのに。
その言葉を真に受けて調べもしなかったのか。
私なら情報に左右されず、真っ先に商業ギルドの諜報員に依頼して情報の元を調べる。
ーーつか、嘘の情報を教えたのは誰だよ!
しかも交際相手がアンダーソン侯爵令息って笑えない。クレージュ公爵令息の目は節穴か?
なぜ不貞を疑われている相手がアンダーソン侯爵令息なのだろう。クレージュ公爵との関係を疑われるなら分かる。そもそも誰からの情報なのか。裏どりも取らずに証言だけを鵜呑みにするのは、自身を窮地に立たせる材料になりえる。
私は深い溜息をついた。
「それで……ダニエル様は誰に嘘の情報を教えられたのですか?」
「メグが嘘を言っていると言いたいのか?」
ーーその間違った情報は彼女からだったのか。
彼女は私を貶めたいのだろう。
そして自分が公爵夫人として成り上がりたい?
「情報元は分かりました。そうですね、彼女はわたくしを嵌めたいのでしょう。ダニエル様に近づき、体で篭絡して自分の言いなりに動かせる。意外としたたかなのですね。体の関係はダニエル様が留学する前から始まり、留学から戻って来て再開した事は既に承知の上です。わたくしが白い結婚にした理由は、最初から二人の関係を知っていたからですよ」
「……え? 知ってた?」
クレージュ公爵令息がごくりと喉を鳴らす。




