< 39 >
吐く息が白くなり始めた頃、空から雪が舞い降りてきた。
クレージュ公爵領は北方に位置している為、国内で二番目に冬の到来が早い。夏の避暑地として有名な王領は、最北なのでクレージュ公爵領よりも雪景色になっているだろう。
先週はレベッカの結婚式だった。
第一王女殿下の結婚式ともなれば、豪勢で他国から祝辞を祝う賓客も大勢いると思われがちだが、レベッカは最小限の招待に留めたらしい。それでも披露宴の場は二か所に分かれた。
王宮の大広間の方は、他国から訪れた賓客を始め、レベッカとアンダーソン侯爵家と縁のない者たちで溢れていたらしい。主役の二人は先に王宮の披露宴会場にて祝いの言葉を受ける為に、披露宴会場の梯子をする形となる。
王族としての最後の務めである為、レベッカも受け入れたようだ。
もう一つの披露宴会場は、アンダーソン侯爵家の王都の邸。そちらの方は大広間と庭園を利用し、アンダーソン侯爵家の親族や友人たちに限定されていた。
レベッカが結婚式の準備に二年もかかった事が伺い知れる。
私は久しぶりに王太子殿下と第二王子殿下に会い、魔道具の件について要望を聞かされた。王宮でも空調機が大活躍しているようで、懇意にしている国から発注が届いたらしい。
空調機の魔道具は商業ギルドに設計図を提出しているので、王太子殿下の判断で交渉の材料にしても良いと伝えた。
夫になったばかりのクレージュ公爵令息は、私のエスコートをしないで壁の花となり、ずっとワインを飲んでいたらしい。クレージュ夫人は王宮の方へ行った後、アンダーソン侯爵家に顔を出して孫の態度を見て無言でいた。
クレージュ公爵令息は壊れかけた友情を回復する様子もなく、ただ壁の花として披露宴会場を眺めるだけ。披露宴がお開きになる間際、ようやくアンダーソン侯爵令息にお祝いの挨拶をしていた。
アンダーソン侯爵令息は結婚しても学生という立場である。
王立ノヴェール学院の専門科へ進学したので、十六歳から二十歳まで学生を続行。夏季休暇もノヴェール学園長の誘いがあるので、二十歳で卒業するまではレベッカと一緒に休暇を過ごせないらしい。
冬季休暇も同じ理由で、レベッカを一人にしてしまうようだ。
今期の冬は私もアンダーソン侯爵領へ行くので、レベッカが寂しくないように一緒に過ごそうと思う。
その為に、現在はクレージュ公爵の執務が捗るように試行錯誤をしている。執務で一番時間がかかる作業は、他国語の翻訳だろうか。文字変換が出来る魔道具があれば、あっという間に他国語が翻訳されるもの。
頭の中にはスキャナとかプリンターのような機材が浮かぶ。
これを作るのは大変だけど、新しい物を作るのは楽しい作業でもある。出来上がった機材を執務室へ運び、動作のチェックをしてから事務官たちに使い方を教えた。
「凄い! とても画期的な道具ですね」
他国の書類を機材に入れると、翻訳されたものが出て来る。自国の言語で書かれた書類も、機材へ入れると相手国の言語に翻訳される仕組みだ。念の為に周辺諸国の言語を全て搭載済み。
一応、何かの間違いがあっては困るので、原文と控えの両方二枚ずつ出て来るようにしている。こちらも魔力を注げば永久的に使えるが、用紙の補充だけは確認するように伝えておく。
「ジュリエンヌ嬢の顔が見られないのは寂しいな」
「旦那様、私たちも同じ気持ちです」
クレージュ公爵の天然タラシ発言が来たと思ったら、他の執務室の方も口々に言ってくれる。
「アンダーソン侯爵領へは二週間の予定ですから、すぐに戻って参ります」
「母上も寂しがるだろうな」
「お土産たくさん買ってきますね」
クレージュ公爵令息は王都の邸に住み、私は領地に住んでいるので別居中だ。これは入籍する前から変わらないので、周りも特に気にしてない。
ベル伯爵令嬢も私専属となっているが、一向に領地の方へ来ないので、彼女はクレージュ公爵令息と一緒にいる方を選んだのだろう。二人の関係が深くなれば、その分、私は後ろ髪を引かれずに離縁できる。
同じ邸にいた方が聴覚で様子が伺えるのに、敢えて別居を選んだのはクレージュ公爵令息の方なので、私はいつもと変わらない態度で過ごすだけだ。
私は二日後にアイリスと一緒に王都の邸へ向かい、アンダーソン侯爵の邸でレベッカと合流する。
そしてアンダーソン侯爵家の玄関ホールに、アンダーソン侯爵領の本邸の玄関ホールへ繋ぐ転移門を設置。私は行った事がない場所でも、その相手と手を繋げば転移門を繋げる事が出来るのだ。
こちらの転移門はアンダーソン侯爵家の人間と、レベッカの血を一滴ずつ垂らして使用者の登録が完了。
「二週間お世話になります」
私はクレージュ公爵領の特産品を空間収納から取り出した。場所は厨房の作業台である。持参してきた物は保存食がメインだが、高級蜂蜜を見て歓声が沸き起こった。続いてソーセージとハムは人気商品だけあり、物凄く感謝されてしまったのである。
後はピクルスと乾燥した野菜。
冬場は作物が激減するので、葉もの野菜は大歓迎のようだ。
アンダーソン侯爵家の人には、保湿クリームと通信機をプレゼント。保湿クリームは乾燥を防ぐだけではなく、小さなあかぎれや傷も癒す効果をつけたもの。冬場限定の特産品として販売を開始したのだ。
広告塔は美魔女なクレージュ夫人。
冬季限定という名目なので、売れ行きが凄い。
やはり限定と銘打つと商品が売れるようだ。
私はアリエルと共に客室へ案内され、そこで一息つく。不意に部屋の扉をノックする音が聞こえ、アイリスがドアを開いて相手を確認してから、部屋の中にレベッカが通された。アイリスが気を利かせて部屋の隅へ消える。
室内にレベッカの二人だけになると、彼女は開口一番に言葉を放つ。
「ジュリーはダニーと上手くいってる?」
「どうかしら?」
元々クレージュ公爵令息との関係は、上手くいっているとは言い難い。
彼の事を見直して気持ちを改めようとした事もあったが、結局それも無駄に終わってしまった感じだ。子供っぽくて価値観が違う。初対面の時は本気で思っていた。
私が家を出る口実の為だけに、婚約を受けただけに過ぎない相手だったのである。彼からの申し出を受けたのは、初恋の相手の息子だったから。
ただそれだけの理由で婚約を受けた。
お茶会を通して彼の為人を見て、心根は真っすぐで素直というのが分かり、その素直さが故に子供っぽくなるのだと気づいたのである。
王立ノヴェール学院へ入学してからは、学問だけじゃなく魔法の実技も努力していた。その努力が報われて属性魔法が発現し、成績も首席が取れる程に成長したのである。それと同時に子供っぽさが抜けて、大人の対応が取れるようになっていった。その辺りから彼を見直したと思う。
ーーあの時の気持ちを返して欲しい。
そんな事を思い返していたら、レベッカがポツリと呟いた。
「ハリソン伯爵令嬢の次が、侍女のベル伯爵令嬢ね……どちらも王立ノヴェール学院時代に関係があったのかしら?」
その言葉にストレートで返すしかない。
「ハリソン伯爵令嬢の方は白だけど、ベル伯爵令嬢の方は真っ黒ね」
ハリソン伯爵令嬢は本人が言うように白だった。
クレージュ公爵令息を追いかけ回していたが、結果的に相手にされていなかったと思う。おそらく付け回されたり、追いかけられる相手が苦手だったのかもしれない。
興味本位でハリソン伯爵令嬢に声を掛けてみたものの、クレージュ公爵令息の好みからかけ離れていたのだろう。あの調子でグイグイ近づいて来られたら逃げるしかない。
それとは逆にベル伯爵令嬢の方は、相手と距離を置くタイプに見える。
良く言えば謙虚、悪く言えば自分を卑下する言い方で、相手の同情を買って近づく。自分は被害者面をしながら、敵とみなした相手を貶める。異性に好かれるけど、同性に嫌われる典型的なタイプだ。
「わたくしも詳しく調べていないけど、王立ノヴェール学院時代から体の関係が始まっていたようね。逆算すると彼が十五歳の頃には、既に深い関係になっていた時期だと思う。その頃に土壌改善や肥料の事に興味を持ち始めたから、彼なりにベル伯爵領を何とかしたかったのかも?」
この推測で間違いはないと思う。
「……っていうかさ、ダニーが十五歳の時ってジュリーと婚約していたわよね?」
「そうね」
「ジュリーと婚約したいって言い出した方が、堂々と不貞してるって事が有り得ないんだけど。それも現在進行形で不倫中って笑えないわ」
「その為に離縁書にサインを頂いたのよ。わたくしの希望としては、来年の夏に離縁する予定でいるわ」
来年の夏にレイモンを領地に招待して、一緒にダンジョンへ行く。
老公爵夫妻とクレージュ公爵が招待するのを許可してくれたので、レイモンと一緒に過ごす夏が待ち遠しい。
レイモンがアグレッサ侯爵領へ戻るタイミングで、教会へ離縁書を出してから弟と一緒に向かう。その後は、王領へ向かって生計を立てる予定だ。
国王陛下と王太子殿下から了承を貰って、王領の街にある庭付きの一軒家を購入している。避暑地として栄えている首都ではなく、海が見える小さな港町だ。
離縁後は港町でのんびり過ごそうと思っている。
既に働かなくても暮らしていける個人資産があるので、当分は何もせずに自堕落に暮らしたい。そこへ移る時は祖父母にだけ伝え、転移門を繋げようと思っている。
「結婚一年を迎える前に離縁を決意したのね」
「もう無理でしょ。誰かを触った手で触れないで欲しいわ」
一人の男性を誰かと共有するのは無理だ。
「ああ……確かに嫌ね」
レベッカも頷く。
「まだ離婚歴があるとか、妻を亡くした相手なら嫌悪感はないのよ。だけど不貞不倫は無理。さすがに気持ち悪いわ」
相手が元既婚者であっても、離婚した後なら恋愛対象になりえる。前妻が病死している相手も同様だ。
だけど婚約者や妻がいるのに、別の女性に手を出すのは違うと思う。一人の相手と添い遂げる覚悟がなければ、初めから婚約や結婚などしなければ良いのだ。相手が浮ついた気持ちでいられたら、こちらも対応を考えなければならない。
「多分だけど、ダニーはジュリーに不貞がバレている事に気づいてないんじゃない?」
「彼の態度を見ていれば、そんな感じかも。あんな挙動不審な態度で、わたくしにバレてないって思うのも不思議よね。クレージュ夫人なんて汚い物を見る目つきよ? 老公爵とクレージュ公爵は模索してるみたいだけど」
クレージュ夫人は明らかに、クレージュ公爵令息の不貞に気づいている。
女の勘というのは侮ってはいけない。
「伯母様は魔眼を持っているから隠し事は無理ね。伯父様も同じだと思うわよ」
「やっぱり魔眼って良いなぁ……」
魔眼に対する憧れは消えず、私の中で大きく膨らんでいる。
クレージュ夫人は魔眼の子を産むと、その子の繋がりで魔眼と同じ物が母親にも授かると言っていた。魔眼を持っている相手は限られるので、私には縁がなさそう。
初恋相手との関係は良好だが、恋愛に発展する気配がない。
「ジュリーは魔眼に憧れていたの?」
レベッカが意外そうな顔を浮かべている。
彼女は身内が魔眼持ちだから興味が湧かないのだろう。
歴代の国王陛下を始め、彼女の兄二人も魔眼を持って生まれている。魔眼を持っているだけでチート感が味わえそうで夢が膨らむのだが、レベッカには魅力を感じないようだ。
クレージュ夫人の話では、魔眼で見ると魔力が可視化されて見えるとか、相手の素性が分かる鑑定みたいな機能も備わっているらしい。魔道具を使わず自分の目で確認できるのは、私には素晴らしい能力だと思う。
「異世界あるあるで憧れない?」
「異世界あるあるなら、食テロしかないわ!」
レベッカの食べたいリストは無限にあるらしい。
国内にある素材だと、作れるものが限られてしまう。カカオやコーヒーが見つからないのだ。私は紅茶より珈琲派なので、どうしても見つけたい。
それとカカオがあれば、ホットチョコやココアが飲める。
ずっと探しているのは米だ。
レベッカの伝手でも見つかっていない。国内にあるのは麦と大麦、それとトウモロコシといったものばかり。米文化の前世を知っているので、炊き立ての白いご飯が食べたいと思うのは罪だろうか。
ハードパンも食べたい。
バゲットやフランスパンといった、表面がカリっとして中が柔らかいパン。日本の食パンも捨てがたいが、パンと言えばハードパンが好みだ。港町でパン屋を開くのもアリかもしれない。
ーー当分は何もする予定はないけど。
「サミーの子が早く欲しいわ」
「子育ては大変よ?」
「前世と違って乳母やメイドがいるから大丈夫よ」
「確かに!」
ワンオペ子育てじゃない環境は、母親も育児ノイローゼとは無縁だ。
常に乳母とメイドが傍にいるので、子供の世話に追われずに済む。全てを乳母やメイドに任せるわけではないけど、自分の時間が持てるだけでも心に余裕が持てる。
「子供か……わたくしも欲しくなるわね」
勿論、クレージュ公爵の子供である。
書類上の夫の子供は作る気ゼロだ。
相手の女性が先に妊娠すれば、離縁は簡単に出来るだろう。
「伯父様と既成事実を作っちゃえば?」
レベッカが悪魔の囁きをする。
クレージュ公爵とそうなって子供が出来たら、私は絶対に可愛がる自信があった。それに魔眼の子が生まれる可能性も高い。魔眼に憧れているのは確かだが、クレージュ公爵に対しての気持ちは魔眼狙いではないのだ。
ーーまずは彼に恋愛対象として見られたい。
勢い余って迫ったら、クレージュ公爵に嫌われるのは確実だと思う。あまり女性に対して興味がなさそうだし、女性に騒がれ過ぎてウンザリしているのを知っている。
「そんな事をして嫌われたくないわ」
私はクレージュ公爵に嫌われたら生きていけない。
「ジュリーに対して伯父様は脈アリだと思うけど?」
「レベッカの言う事を真に受けて、クレージュ公爵に迫って振られたら立ち直れないわ」
「女は度胸よ! わたくしも捨て身でサミーに告白したのだから、ジュリーも頑張りなさい」
レベッカに恋愛相談から、子供の話まで色々と語り尽くした。
初めてのアンダーソン侯爵領は、ほぼレベッカと部屋で話をして終わった気がする。観光もしていなかった事に気づいたのは、クレージュ公爵領に戻ってからだった。




