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新たな靴音が耳に届いた。
警備室に誰かが入って来たのだろう。
その場の空気が変わる気配がする。
「ご令嬢、卒業パーティーの時間を間違えたのかな? ご令嬢のような人間は、この学園への立ち入りは禁止のはずなのだがね。学園の生徒や教師には、君の精神異常の魔法は効かないよ。そもそも魔力量が違うからね。この学園の生徒は選ばれし人間であり、不要な人間が近づいてはいけない場である」
ーーヴァソール学園長!
「はあ!? 主人公のわたくしが入れない場なんてないわ! 今すぐアグレッサ侯爵を呼びなさい。アンタみたいなオヤジに用はないのよ!」
ハリソン伯爵令嬢は、ヴァソール学園長と知らずに啖呵を切る。
「アグレッサ侯爵を呼び出して何かしたいのかな?」
「わたくしを養女にする件を聞きたいのよ。ジュリエンヌは頭が悪いから、生まれた時から両親に愛されない。家族に虐げられて育っていたから笑えるわ。そして姉のハリエットも、地味でしがない男と結婚した惨めな女よね」
「ジュリエンヌ嬢の頭が悪い?」
ーーそれ! 私も初耳なんですけど!?
「そうよ。生まれた瞬間から両親に愛されずに、ずっと放置されて育ってきたはずよ。マグノリアがハリエットしか興味はないし、ダーレンは妻のマグノリアしか興味がない。そしてジュリエンヌは、ハリエットの数々の殺人未遂によって運良く生き永らえてきた。ハリエットがジュリエンヌに殺意を抱いたのは、確かマグノリアの妊娠時期だったかしら?」
ここで話を区切り、ハリソン伯爵令嬢は水を貰って喉を潤す。
いっきに言葉を発したので喉が渇いたのだろう。
「これまで一人娘だったハリエットは、両親を独占していたのに兄弟が増える。マグノリアが妊娠中ずっと、胎内のジュリエンヌに話しかけていた事が許せなかったのね。ハリエットは大好きなダーレンとマグノリアの愛情を、生まれてくる子供に向けて欲しくなかった。ハリエットの場合は、両親というよりダーレンね。ハリエットの歪んだファザコンが理由かしら? あんな顔だけのダーレンに執着するのが気持ち悪い。彼はマグノリア以外に興味がないのに。たとえ自分の娘でも他人と同じように興味を持たない。本当に笑える家族よね」
「それはーー本当の話だろうか?」
「わたくしが嘘をつく必要ないじゃない。本当はアグレッサ侯爵家の養女になるはずが、いつまで経っても養女の話が来ないから、わたくしが此処まで来てあげたのよ」
「君がアグレッサ侯爵家の養女に?」
「そうよ。本当は十二歳の園遊会の時に縁を結び、そこから養女の話が来るはずだったのよ。長女のハリエットは頭が悪くて魔法が使えない。次女のジュリエンヌも頭が悪い所は長女と一緒だけど、最悪なのは彼女の性格かしら? 傲慢で浪費家……そして人間不信を患っていたわね」
ーーその物語を読んでみたかった。
「わたくしがアグレッサ侯爵家の養女となるのは、クレージュ公爵夫人になって二人以上の子を産むこと。そして、その子供の一人をアグレッサ侯爵家の嫡男とする為よ。その前にアグレッサ侯爵家の養女にならないと、クレージュ公爵家という肩書を持つダニエルの婚約者になれないじゃない。だから物語の本来の筋へ戻す為に、わたくしは動いているのよ」
ーーそれではアグレッサ侯爵家の、正当な血筋が途絶えるのでは?
貴族は血筋を重んじる。
彼女が話す内容には同意できない部分が多い。
「アグレッサ侯爵という立派な肩書があっても、役立たずな娘を持つとダーレンも苦労するわよね」
なぜハリソン伯爵令嬢は上から目線で語るのだろうか。
目の前にいるのはヴァソール学園長で、家柄で言えば筆頭のアンダーソン侯爵家に並ぶ。同じ侯爵家でも、アグレッサ侯爵家より立場が上の存在なのだ。
伯爵令嬢としての立場しかない彼女が、よく偉そうに言えるものだと逆に感心する。私だけじゃなく、クレージュ公爵令息を始め、元両親に姉の名を呼び捨てで呼ぶなんて狂気の沙汰だ。元姉の夫シャプル伯爵に対しても、彼女は失礼な発言をしている。
だけどーー彼女はレイモンの存在を知らないようだ。
アグレッサ侯爵家には正当な血筋の嫡男が存在している。
「アグレッサ侯爵家には嫡男がいるから、養女は必要ないと思うよ」
「そんなの嘘よ! デタラメを言わないで。アグレッサ侯爵家には、馬鹿で無能な娘が二人だけのはずよ。嫡男の存在はなかったし、もしソレが本当なら養女ではなく養子を取ったってこと? それじゃ……わたくしに養女の話が来ないのは、養子を取ったから必要がなくなった? 駄目よ……こっちが困るわ。ダニエルと結婚するのは、わたくしのはずよ。ダニエルはわたくしの最推しなんだから、誰にも譲れない」
ハリソン伯爵令嬢が突然ぶつぶつと言い出した。
彼女の口から色んな事が飛び出し、私も正直許容オーバーに近い。
ハリソン伯爵令嬢はクレージュ公爵令息の事を、「最推し」と何度も言っているが、果たしてそれは真実なのだろうか。現在のクレージュ公爵令息の見た目は、理想の貴公子そのもの。
だけどーー彼女の口からは、クレージュ公爵夫人という立場に執着しているようにしか聞こえない。クレージュ公爵令息の内面について、彼女は一つも言葉にしないのだから。アグレッサ侯爵家の養女になって、クレージュ公爵令息と結婚をする。
ーー本当にダニエル様の事が好きなの?
ハリソン伯爵令嬢が始終言葉にしていたのは、爵位と立場の二つだけ。
そこに相手を思うような言葉は何もなかった。口では「最推し」と言っても、全く説得力にもならない。彼女は伯爵令嬢という現在の立場から侯爵令嬢となり、最終的に公爵夫人という立場になりたいだけだろう。
ヴァソール学園長は問答を諦めたのか、その場から去ってしまった。
「第一王女殿下、彼女の話によれば……」
レベッカに彼らの会話を伝える。
この世界がハリソン伯爵令嬢を主人公にした物語であること。
そして本来の私は現状と生活の境遇は変わらないが、頭と性格が悪くて傲慢で浪費家という立ち位置らしい。
十二歳の園遊会の時に、私とぶつかった彼女を見て気に入った母が、父に頼んで養女にして貰う。
公的手続きで正式なアグレッサ侯爵令嬢となった彼女は、養父となったアグレッサ侯爵の縁でクレージュ公爵令息と婚約を結ぶ。クレージュ公爵令息の父と元父の二人は、学園時代の先輩後輩の関係なのだから、そこは有り得そうだ。
姉は結婚した後は領地に閉じ込められ、私は北方にある孤島の修道院へ入れられるようだ。養女のアグレッサ侯爵令嬢はクレージュ公爵令息と結婚して、二人以上の子を産む。
その内の一人の子が公爵家、更に一人の子が侯爵家を継ぐらしい。
「呆れた……ソレって完全なお家乗っ取りじゃない」
「彼女の中ではレイモンの存在がないのよ」
ーーもしかして、レイモンは物語と関係のない存在?
「わたくしとジュリーが転生した事によって、その本来のキャラが崩壊して物語の内容が変わったのかもしれないわね。あの女がダニーに言い寄っても、ダニーの魔力で魅了を跳ね返すから近づけないのが笑えるわ。あの女はダニー推しだったのかしらね?」
「最推しって言っていたわ」
「サミーにちょっかいをかけないのなら、わたくしは見逃しても良いけど。ジュリーの立場で考えて、あの女の処遇はどうしたい?」
「話をしてみたいかな?」
「確かに一理あるわね。本当に物語の世界であるなら、あの女しか話の内容を知らないと思うし」
私とレベッカは話を切り上げ、式典が始まる時間になったので場所を移動した。
式典の場は演劇をするような舞台会場に似た広い部屋である。舞台を隠すような垂れ幕もあり、中央と左右には椅子が段差別に設置されていた。椅子の数は五百人分くらいだろうか。
中央の前半分には卒業生が座り、後半部分には在校生が着席している。
左右の席には卒業生の両親、又は祖父母や親戚といった身内が揃っていた。
「ヴァソール学園長より、卒業生への祝辞の言葉」
アナウンスをしているのは、この学園の教師の一人。
まず最初にヴァソール学園長の言葉を受け、次に在校生の祝辞の言葉。最後は卒業生代表として在校生へ向ける言葉は、在学中ずっと首席を取っていたアンダーソン侯爵令息である。
これは国立ヴァソール学園の伝統的な卒業の式典であり、会場にいる人間も式典という意味を理解して静まり返っているせいか、この場の空気が重く感じてしまう。
ーーさすがに緊張とは別のものよね。
国立ヴァソール学園が代々繋いで来た儀式ーーだろうか。
入学式の時に感じた空気とは雲泥の差であり、卒業式は重い空気が漂っている。誰一人として言葉を発する事は許されない、そんな重苦しい空気だ。
静まり返った場にヴァソール学園長の言葉が響き渡る。
この学園の卒業生としての自覚、数年おきに起こるスタンピードへの強制参加。その為に振り分けられた希少な存在という事を説明していた。
毎年の入学式に卒業生へ招待状が送られてくる意味を説明する。
招待された卒業生は、その年の新入生を見て「首席」を確認するらしい。その首席は学園を卒業した後、自分と一緒にスタンピードで溢れた魔獣を討伐する仲間となる。その繋がりを持つ為に、入学式で首席を認識しておく必要があるようだ。
この場でも自分の知らなかった情報が開示され、先ほどのハリソン伯爵令嬢の告げた件もあって頭の中がパンクしそう。これ以上の情報は整理できない。せめて小出しにして欲しいと思う。
気が付いたらアンダーソン侯爵令息が壇上に立っていた。
彼は学園に入学してきた当時の思い出話から、今日に至るまでの話をしている。
ーーさすが神童!
アンダーソン侯爵令息の言葉一つに淀みがない。
そしてーー祝辞や挨拶の言葉が全て終了して式典が終わる。この後はパーティーまでの時間を過ごす為の場へ移動し、卒業生は家族との団欒をしてから着替えに向かうのが流れらしい。
「ジュリエンヌ!」
「祖母様」
祖母が私を抱きしめる。
祖父は私と祖母を二人にする為に、アンダーソン侯爵夫妻と歓談しているようだ。こういったさりげない行動が取れる祖父を見ていながら、元父は何を学んできたのだろう。
クレージュ夫人が言う様に、「母親の胎内に感情を置き忘れて生まれて来た」のが正解なのか。
「ダーレンもメグさんも、貴方の卒業式の事は何も言ってこなかったわ。本当に二人は親として失格ね。ハリエットの時は卒業式とデビュタントにも出席したというのに。なぜ、貴方とレイモンに関心を持たないのかしら。二人の行いが気持ち悪く感じるわ」
元父は元母の言葉しか耳にしない。
その元母は私の存在を覚えていないのだから、元父へ話題を振る事はないだろう。元母は自分が生んだのは、シャプル伯爵夫人と弟のレイモンの二人だけ。
祖母が悲しむかもしれないから、元母に忘却魔法をかけた事は告げないでおく。
「元母なのでアグレッサ侯爵夫人と呼んでも? 彼女はわたくしが生まれる前から、元姉であるシャプル伯爵夫人に魅了をかけられていたらしいわ。これは魔眼を持つクレージュ夫人から教えて頂いたのよ」
「ハリエットがメグさんに魅了?」
祖母が驚くのは無理もない。
実の息子が妻に魅了をかけられているのは知っていても、まさか妻の方も孫に魅了をかけられているとは、さすがに想像もつかなかった事だろう。
それほど元姉の魔力が弱いという意味もある。
「ええ、シャプル伯爵夫人はアグレッサ侯爵が大好きなの。そしてアグレッサ侯爵夫人の愛情も、自分が独占したかった。当時まだ三つの子供が持つ独占欲かしら? わたくしが生まれる前から、毎日アグレッサ侯爵夫人に魅了をかけていた様ですわ。わたくしが胎内にいる間は、シャプル伯爵夫人の魅了はかかりにくかったでしょうね。わたくしが生まれた後、アグレッサ侯爵夫人は簡単に魅了されてしまったみたいですけれど」
「それで貴方とレイモンは……」
祖母はようやく納得といった顔を浮かべた。
これまでの息子夫妻の言動や行動が全て繋がったのである。言葉は悪いが出来損ないの長女を溺愛し、優秀な次女に関心を持たない。親の義務である子供への予算を打ち切り、結婚して家を出たはずの娘を傍に置き、更に予算まで与えているのも不可解なものだ。
嫡男であるはずのレイモンも、生まれた時から予算が与えられていなかったのである。祖父母が彼の養育をしていなかったら、今頃どんな子に育っていたのか。
ーーレイモンは唯一の嫡男なのに、私以上に酷い扱いだろう。
「アグレッサ侯爵邸を出る時、シャプル伯爵に頼んで魅了を無効にする魔道具を渡しておいたわ。わたくしは結婚するから良いけど、レイモンの為に対処しておいた方が良いと考えたのよ。それに……シャプル伯爵夫人も、夫と別居生活を続けるわけにもいかないわよね。二人が結婚して四年も過ぎたのだから潮時でしょう」
「そうね」
「レイモンはアグレッサ侯爵家の血筋を受け継ぐ正当な後継者よ。わたくしは弟の将来が心配で、シャプル伯爵夫人の魅了からアグレッサ侯爵夫人を解放しただけ。この先レイモンが健やかに暮らすのに、シャプル伯爵夫人の魅了の呪縛は不要なものですもの」
私は祖母にシャプル伯爵へ渡した魔道具の説明をする。
シャプル伯爵夫人が使用する普段使いのアクセサリーに、茶会や夜会に見つけるアクセサリーに小物類。それらを身に着けている限り、他者へ魅了を行う事は出来ない。
元から魔力量が少ないので、シャプル伯爵夫人の魅了にかかる相手は、魔力量の少ない下位貴族か平民だろう。主に使用人に該当するので、阻止しておくに限る。
それにシャプル伯爵領へ向かえば、社交界へ参加する機会が減るのだ。せいぜい年に数回の夜会がメインになるだろう。シャプル伯爵も傍にいる限り、魅了に関して対応してくれるようだ。
「ダーレンが不甲斐ないわね」
祖母が改めて謝罪を口にする。
「元からアグレッサ侯爵に期待していなかったわ。わたくしは早くアグレッサ侯爵家を出て自立したかった。あの二人とは縁を切りたかったの……祖母様には申し訳ないと思ってる。わたくしの我儘で養子先を見つけて下さった事は、本当に心から感謝しているわ」
祖母は私の境遇を嘆いて協力してくれたのである。
祖母だけじゃなく祖父も伝手を頼って動いてくれた。養子先は元からアンダーソン侯爵家と決めていたらしい。アグレッサ侯爵家よりも力を持つ家だ。
そしてアンダーソン侯爵は、アグレッサ侯爵の先輩にあたる。
祖父母の話では、アグレッサ侯爵もアンダーソン侯爵の言う事を素直に聞くらしい。これは学生時代からの刷り込みに近いようだが、チート能力を持つアグレッサ侯爵を抑えられるのは強みになる。
アンダーソン侯爵家が後ろ盾になるなら、アグレッサ侯爵も手だし出来なくなるようだ。
祖父母の考えを聞かされ、改めて二人に感謝するしかない。




