< 28 > age15
ようやくーー私は二か月後で十六歳。
姉は相変わらずアグレッサ侯爵邸に居座っているが、結婚して四年目を迎えるのに子供がいない事について、母が疑問を持ち始めたようだ。
母が疑問を持ち始めたきっかけは、義理兄はシャプル伯爵領の方が落ち着いた辺りから、王都のアグレッサ侯爵邸へ顔を出していた事である。義理兄と姉の様子を見て、母が「貴方たちの子供はまだかしら?」と、無邪気に訪ねたらしい。
姉はアグレッサ侯爵邸に居座っているのだから、義理兄と別居状態だ。
そんな二人に子が出来るはずもなくーークレージュ夫人の魔眼で判明したように、姉は自覚なく魅了を撒き散らしている様なので、その魅了を完全に抑えるべく魔道具を作ったのである。
その魔道具とは姉の大好きな装飾品。
普段使いの指輪や首飾り、そして耳飾りに髪飾りといったものだ。
夜会や茶会用の豪華な物まで様々。それらを義理兄に渡して姉にプレゼントする様にお願いした。このプレゼントを渡す為に、義理兄がアグレッサ侯爵邸へ足を運んでいるわけだが、意外にも早く母に効果はあったらしい。
義理兄の何度目かの来訪の後、姉は彼と一緒に王都のアグレッサ侯爵邸から、シャプル伯爵領へ移り住む事が決まったのである。姉の年齢を考えたら子作りは早い方が良いだろう。最初の子は二十歳を過ぎてしまうが、現在の別居生活で子が出来ない状態を続けるより、シャプル伯爵領で夫婦一緒に生活を共にすれば子は出来るはずだ。
最後の仕上げに母へ忘却魔法を仕掛ける。
これはーー私という存在を、母の記憶から完全に消すものだ。母の中で姉と弟が自分の子供である事を指す。
私にとっての家族は、祖父母と弟だけ。
両親と姉は血縁関係があるだけの他人である。
私の方は国立ヴァソール学園の卒業式の前日から、王都のクレージュ公爵邸へ移り住む事が決まった。
アグレッサ侯爵邸の私の部屋は、既に何もない状態である。私物は空間収納へ保管したり、夏季休暇毎に訪れるクレージュ公爵邸へ少しずつ荷物を移動させていたので、元から私物を置かないようにしていた。
部屋にある家具にも愛着はない。
私の部屋に残っているのは、二つの転移門のみである。
これを解除すれば引っ越しの準備は完了。
ーー本当に祖父母には感謝しても足りない。
クレージュ公爵邸へ移り住む本日のタイミングで、私はアグレッサ侯爵家の籍を抜けてから、アンダーソン侯爵家の養女として迎えられる。
アンダーソン侯爵家の養女といっても書面だけの家族であるが、彼らは温かく迎え入れてくれた。
長男のアンダーソン侯爵令息と同級生だった事が、私を迎えてくれた要素の一つ。
私の後見人が国王陛下と、その姉である元第一王女殿下クレージュ夫人というのが大きな要因だろう。
そして私がクレージュ公爵令息の婚約者という立場も要素の一つだ。祖父母が内々に動いてくれたおかげで、養子縁組の書類が揃って無事に提出済み。晴れてアグレッサ侯爵家と縁を切る事が出来た。
私は部屋にある転移門の二つの魔法陣と結界魔法を解除する。
ーーこれで終わり。
私の卒業式には祖父母が参加するので、両親には日付すら告げていない。
父にとって母校の卒業式だから日付くらいは把握しているかもしれないが、そこに何かしらの感情があるとは思えないので、このまま家を出る事にする。
まだ姉が邸内にいるので絡まれる事を考慮し、私は認識阻害の魔法で自分の姿を変えた。この変装はクレージュ公爵邸へ向かう為にも必要である。転移門の魔法陣を解除してしまったので、馬車での移動になるからだ。
髪色は国内の割合を占める薄茶色、目の色も同様にこげ茶にしておく。
私の服装はメイドが休日の時に着るようなもので、この姿のまま裏口から外へ出れば問題ない。
私室から出て裏口を目指して歩いていると、母と姉の話し声が聞こえてきた。
「ハリエット、貴方は結婚して四年経つけれど、わたくしの孫はまだなのかしら?」
「お母様はわたくしよりも孫が大事なの?」
「孫は欲しいわね。レイモンが結婚するまで長いもの。ハリエットはシャプル伯爵の妻になったでしょう? 貴方と彼の子供は可愛いに違いないわ」
相変わらず支離滅裂な会話である。
そこへ父が合流したようだ。姉の前でも母とイチャイチャするらしい。
「お父様、お母様がわたくしの孫が見たいの言うの。お父様も孫が見たい?」
「メグは孫が欲しいのか?」
「ええ、そうよ! ハリエットとシャプル伯爵が結婚して四年も経つのに、孫の気配が全くないのだもの。わたくしは孫が生まれたら嬉しいわ」
「今期の社交シーズンが終われば、ハリエットはシャプル伯爵領へ向かうのだろう? まだ二人は若いのだから、子が出来るのは時間の問題だろう。私はメグが孫を欲しいと思っているのを知らなかった」
「そうね……小さい子が傍にいれば賑やかになると思ったのよ」
「小さい子が欲しいなら、母上からレイモンを取り戻せば良い」
そこにレイモンの意思は関係ないのか。
父は祖父母から孫を取り上げるような言葉を告げている。
そもそも母が育児放棄をしているから、祖父母が領地へレイモンを連れて行ったのだ。その事すら父は理解していないのか。レイモンはアグレッサ侯爵家の嫡男であるのに、三歳になるまで育児放棄が続いた。
母がレイモンにしていたのは、気まぐれに抱っこして可愛がるだけ。
姉もレイモンの寝顔を眺めたり、時には抱っこもしていたがーー私には子育てじゃなく、母が人形遊びをしている様にしか見えなかった。
「ダーレン、わたくしが欲しいのは腕に抱ける小さな赤子よ。わたくしの年齢では、もう子は望めないわね」
母の年齢も四十歳になっているので、ギリギリ健康な子が産めるか。
どちらにしても両親は親になれないのだから、新たな子供を産むのは止めた方が良い。父が合流してから両親の会話だけとなり、姉が必死で父へ話しかけているものの、父は母の言葉以外は耳に入らないようだ。
その場に姉の存在はなく、夫婦二人だけで会話を続けている。
これ以上、三人の会話を聞くのも時間の無駄だろう。
私が生まれ育った邸だけど、何の感情も湧かない。
特に楽しかった思い出もなければ、家族と過ごした記憶もないのだ。祖父母が訪れた時が、私にとって唯一の楽しかった思い出だろう。
ーー感傷に浸るわけでもないけど、一言だけ。
「さようなら」
私は裏口の扉を開けて外へ出る。
この裏口は使用人専用のものなので、門番は一人しかいない。外門を抜けて通りに出ると、辻馬車を拾う。辻馬車でクレージュ公爵邸へ向かい、外門が見えたあたりで認識阻害の魔法を解く。
外門に立つ顔見知りの衛兵に中へ入れて貰った。
クレージュ公爵家といった高位貴族の邸は、外門から内門まで距離がある。徒歩だと約四十分くらいだろうか。なかなかの運動量になるので、敢えて馬車での移動を選ぶ。
クレージュ公爵邸に到着すると、衛兵が正面入り口の扉を開く。
そして玄関ホールに懐かしい顔を見つけた。
「ダニエル様!」
「エンヌ、久しぶり……綺麗になったな」
十八歳になったクレージュ公爵令息は、留学した当時よりも大人びて立派な紳士に見える。身長も伸びて体つきも大人と変わらない。
私はクレージュ公爵令息の腕に抱かれている。
所謂ハグというものだ。
「ダニエル様も……素敵になって驚きました」
クレージュ公爵令息の成長に驚くばかり。
背の高さや体つきもそうだが、何よりも雰囲気が大人びている。
「エンヌにそう言われると照れてしまうな」
何気ない表情も以前とは比べ物にならない。
はにかんだ様な表情も全く違う。
「ふふふ、わたくしの正直な感想ですわよ」
「今日からエンヌと一緒に暮らせるなんて嬉しいよ。俺が留学して離れていた分の埋め合わせがしたい」
ずっとクレージュ公爵令息がハグしているので、私はその場に立ち尽くしたままだ。
そこへ足音も立てずに近づいて来た存在に、ようやくクレージュ公爵令息の腕が解かれる。
「ずっとその場にいるつもり?」
約半年ぶりに会うクレージュ夫人に淑女の礼を落とす。
「クレージュ夫人、本日よりお世話になります」
「祖母上とエンヌは親しいの?」
「ええ、二年前から親しくさせて頂いているのよ」
「領地で?」
クレージュ公爵令息の問いかけに頷いて答える。
「ダニエル様が留学された年の夏から、レベッカと三人で過ごしておりました」
「ああ、ベッキーも毎年訪れていたな。そこに祖母上が加わったのか」
「ダニエル、ジュリエンヌを部屋へ案内しないつもりですか? 話があるのなら場所を移しなさい」
「はい、祖母上。エンヌの荷物は……って何もないの?」
「以前より荷物を運び入れているので」
「そうか。なら祖母上と一緒にお茶を頂こう」
「はい」
私たちはゆっくり話をする為に場所を移す。
案内された先はクレージュ公爵邸の広いサロンだった。既にお茶の準備がされていたようで、私たちはそれぞれ椅子へ腰を降ろす。
「いよいよ明日ね、ジュリエンヌ」
「はい、クレージュ夫人。それとダニエル様の方は大丈夫でしたか?」
明日は私の卒業式である。
国立ヴァソール学園の卒業式は二月なので、四月生まれの私は十五歳で卒業という形だ。午前中に伝統という名の、堅苦しくて退屈な式典が二時間ほど。
その式典には卒業生の両親が参観する。私の実の両親は欠席だが、義理両親となったアンダーソン侯爵夫妻と、アグレッサ家の祖父母が参観する予定だ。
式典が終わって家族と一緒に過ごした後、午後十八時から卒業を祝うパーティーが始まる。パーティーへの参加は自由なので、卒業生の両親や身内も参加している事が多いらしい。
私がクレージュ公爵令息に確認したかったのは、そのパーティー用の衣装についてである。
クレージュ公爵令息の為に仕立てたパーティー用の衣装は、体に合っていたのか。通信機でサイズの確認をしていたけれど、その時のクレージュ公爵令息は成長期で身長や体格が安定していなかったのだ。
「わたくしが立ち会って確認したのよ」
「有難うございます」
「本当にアレを着るのか?」
「まあ……ダニエル様はわたくしに一任するとおっしゃったわ。わたくしはダニエル様に似合うデザインを考えたのよ。それを着てわたくしをエスコートして下さると嬉しいわ」
「エンヌがそう言うなら」
クレージュ公爵令息が頷いて答える。
「ジュリエンヌのおかげでクレージュ公爵家も安泰ね」
「わたくしはダニエル様が学ばれてきた農耕学に興味があるの。土壌の環境や肥料についても深堀して聞きたいわ」
「土壌や肥料について色々と勉強してきた。他には気候や日照時間の関係性や、作物の品種改良の勉強も時間の許す限り学べたと思う」
「素晴らしいわ!」
土壌や肥料は作物を育てるのに、とても重要な事だ。
気候や日照時間も関係性が大きい。
「そういえばーーエンヌはハリソン伯爵令嬢と親しいのか?」
クレージュ公爵令息の言葉に、私は首を傾げる。
ハリソン伯爵令嬢と言えば、最後の園遊会へ参加した時にぶつかってきた相手だ。彼女の着ていたドレスの生地や、身に着けていた物で「伯爵家の者」と判断したが、父が彼女の家名を知っていただけ。
それも三年前の出来事である。
彼女の態度や言葉に対して不愉快だった記憶はあるが、たった一度のーーぶつかってきた相手の顔など、私が覚えているはずがない。
彼女は謝罪どころか名乗ってもいないのだから知り合いでもない。
私は彼女と知り合いでも友人でもないので、クレージュ公爵令息に聞き返す。
「ハリソン伯爵令嬢とは?」
クレージュ公爵令息は私の言葉に驚いた表情を浮かべる。
「え? 彼女はエンヌと親しいと言っていたが?」
今度は私がクレージュ公爵令息の言葉に驚く。
「誰がーーですか?」
あの園遊会の場で両親と一緒に歩いていた時の、一瞬の出来事だったはず。
そこに親しくなれる要素がない。
おまけに彼女は名乗っていないのだ。
伯爵家の人間が侯爵家の人間にぶつかり、一言の謝罪すらないのは無礼に当たる。伯爵家よりも格上の人間に向かって話しかける事もマナー違反だ。
「彼女は王立ノヴェール学院の生徒だけど、繋がりのある友人が主催した茶会で知り合ったと言っていた。エンヌに憧れているとか、とても親切にして貰ったと嬉しそうに話していた」
「わたくしが参加するお茶会は、国立ヴァソール学園の同級生が開く個人的なものだけです。それと卒業生が主催する同窓会みたいなものですね。毎回レベッカと同伴しているので、彼女が欠席する茶会はわたくしも欠席しております。そういう理由で、わたくしは他の学園の方と面識を持った事がないのですが?」
二年前にクレージュ公爵令息の噂を流した出所を探る為に、レベッカとお茶会に参加して情報を集めた事がある。それと同時に、クレージュ公爵に影を使って貰って調べたのだ。
結果はーー自作自演と言うより、妄想話を流していただけ。
クレージュ公爵令息は、自分の噂話を聞いていなかったのか。
「エンヌはベッキーと同伴しているのか。そうだな……ベッキーは主催する相手の家を選ぶ。では……ハリソン伯爵令嬢の言う事は間違いだろうな」
「ええ、わたくしは面識がございませんし、どういった方なのかも存じません。それで……その方とダニエル様の関係をお尋ねしても? わたくしとその方が親しくしていると聞いたのは、何方から?」
確か王立ノヴェール学院内でハリソン伯爵令嬢は、クレージュ公爵令息に付きまとっているという話は、私も同級生から聞いた事がある。
学校が違うので噂の真相まで知る事は出来ないが、家同士の繋がりがある令嬢から令嬢へ話が流れてくるのだ。
「ハリソン伯爵令嬢との関係ーーは後輩という認識しかない。俺は彼女と挨拶以外の言葉を交わさないが、留学から帰国してきた時に偶然その場にいたんだ。彼女は家族の見送りに来ていた様だった。そこで彼女ーーハリソン伯爵令嬢から、エンヌと親しくしていると聞かされた」
クレージュ公爵令息が言うなら間違いないだろう。
それにしてもーーハリソン伯爵令嬢は、どうしてクレージュ公爵令息の帰国日を把握していたのか。他国へ行く手段は複数ある。その中でも馬車で移動するのは、一番スタンダードな手段だ。実際、留学する際にクレージュ公爵令息は馬車での移動を選んでいる。
他にも船を使用したり、空から向かう事も可能なのだ。
クレージュ公爵令息は選択肢に含まれない、転移門を利用して帰国してきたのである。この転移門は王宮の中に設置してあり、限られた人間しか利用できない。その限られた人間と言うのは、王族関係者と転移門を設置した私である。
転移門は王族のプライベートエリアの場所であり、園遊会でレベッカと一緒に過ごした思い出の場所を示す。
更に言えば、クレージュ公爵令息の帰国日は誰にも教えていなのだ。
「ダニエル様が使った転移門は、王族のプライベートエリアにあるのよ。どうして彼女が王族のプライベートエリアに入り込んでいたのかしら? それと見送り? あの転移門は王族の方と、わたくし以外は使用できないの。それと彼女……わたくしと親しいと言っている事も謎なのよ。ダニエル様はお会いした事もない相手に、親しくなれるのかしら?」
ハリソン伯爵令嬢の行動が謎すぎて気持ち悪い。
ーー気持ち悪いのと不気味だ。
「俺はーーその場にハリソン伯爵令嬢がいたから、ベッキーやエンヌと親しくしていると勘違いしていた。エンヌが言う様に、転移門を使用できるのは限られた者のみ。部外者が簡単に利用できるはずがない」
「ダニエルはジュリエンヌ以外の異性に、必要以上の関心を持ってはいけませんよ」
「勿論だ。ハリソン伯爵令嬢が一方的に話をしていたが、俺はその場から離れて邸に戻っている」
「その女の事は影に探らせましょう。これ以上その話をするなら、お茶が楽しめないわ。ダニエルも相手に誤解を招くような態度を取るのは控えなさい」
「クレージュ夫人、有難うございます」
その後は三人で仲良くお茶を楽しむ。
明日の卒業式のパーティーについて、どこで合流するのかと待ち合わせ場所について考える。国立ヴァソール学園の生徒数は、国内にある学校の中でも特に少ない。
しかし卒業生の両親や身内が参観するので、人数は多くなるだろう。しっかり待ち合わせ場所を決めておかないと、合流するのに時間がかかる。
その他にも、アンダーソン侯爵家の養女になった件についての話をした。
そして卒業式が終わった後の生活についても。
秋にある大舞踏会のデビュタントの翌日、私とクレージュ公爵令息の入籍に関して、クレージュ夫人に相談する。結婚式は入籍を済ませた後、王都か領地の教会のどちらで行うか。
まずはーー明日の卒業式を済ませてからの話だ。




