15話
林檎がある。それは3つある。それは甘くて瑞々しく美味しい。それを説明するには何であるのか、量、質を言葉にすることは簡単だ。文学はその淡々とした文から更に想像を膨らませ広げたり厚みを持たせたり、時に遊びを入れたり様々な仕掛けを施し、読者を楽しめたりする。そういった天才が文学界を牽引したりする。そういう世界がある。
でも、私が体験する世界はそういった一般的な文学界、空想にはない別世界に突然踏み入れ、更に踏み入った者に問答無用の襲撃がかかる。対処法も常識にはなく、しかもその場の対応が求められる。一歩間違えれば死。唯一の回避法は今のところ見猿聞か猿言わ猿。だが、それは簡単ではなく罠に引っかかってしまう。
そんな霊の存在は死んだ人間が肉体を滅びたあとも尚意識だけがそこに存在する現象。それに触れるのは私のようなごく一部の人間だけ。それだけに誰にも悩みを共有出来ず、抱え込んでいた。時に私のような人間を探そうとネットに踏み入れたりしたが、それは裏切りだった。結局、頼れるのは自分自身。信じられるのも自分自身。それは孤独な道だった。だが、心霊現象を他者に信じ理解してもらうのは無理だと分かっている。その時点で私は孤独なのだ。
私が見ているもの、感じるもの、触れるものは私という身体を通じたもので、私ではない他者では駄目だということだ。
そして、私はそれを皆とは違う別世界と例えている。
心霊現象はあるのかないのか、そんな議論が他所で行われ、時に霊がいるなら死んだ数分いる筈だと極論を展開する者もいるが、そんなものは私にはどうでもいいことだった。どうせ信じないんだから。それは私が見たり感じたり私の感覚器官を通じたものを信じるように他人に出来なければそれは単に信じないだけの話しに過ぎない。ただ、私も理屈は分からないが必ずしも人の死後が全てが心霊として現れるわけではないらしい。
結局のところこれは認識の問題だ。そして、その認識はつまるところ個人の意識の中で行われる。当然、個人はそれぞれだから認識は人それぞれ異なる。その異なる認識から共通認識をある種本質観取したとしても、そこからこぼれ落ちる認識了解がある。私みたいな特有の認識世界では。
結論、この特有な悩みは私の悩みで他者に共有されることはない。
だから、個別性を無視した存在の有無の議論に、そもそも何の意味があるのだろう。
更に懐疑的に考えれば私以外は本物なのか? 幻想ではないのか? 幻想と現存をどう切り分けられるのか? それが出来れば多少私の苦労も和らぐだろうに。
故に、心霊現象が幻想だろうが私にはあまり意味がない。それは私にとって本質ではないからだ。
目が覚め、気づけば夕方になっていた。
その日の病院食は白米、味噌汁、白身魚、サラダだった。味が薄いというイメージ、先入観があったが私には満足するものだった。ただ、男性にはもしかすると物足りない量なのかもしれない。それから夜まで暇な時間が流れた。
しかも、病院の就寝時間は早い。まぁ、病院というのはそういうものだろう。それは分かっていたことだ。消灯されると、私は掛け布団を深くかぶった。
それは夜だからという理由もそうだが、夜になると通路が急に空気が雰囲気が一変する。そう、心霊現象だ。夜になるとあの通路一帯の空間が歪んだように平衡感覚が乱れまともに歩けなくなる。それだけではない。口の中が渇き、若干の苦みが口の中に広がる。
廊下にあるソレはまだ見ていないが、私の危機意識が敏感に激しく警告する。
寝ろ。気づかれるな。
ギィ……車椅子のような錆びれたタイヤのような音が廊下に響くと、私は両耳を塞いだ。
その音は徐々に近づいてきて、私はそれが早く通り過ぎるのを願った。
ギィ……
その音は徐々に遠ざかり、消えていった。
だが、また暫くするとあの音が聞こえ始める。
ギィ……ギィ……
これが夜中ずっと続いた。どうやらあの車椅子は一周しているのか、通路を徘徊していた。
朝、看護師が挨拶をしながら窓を開け換気を始める時間、私はその声と音で起こされ、まだ自分の日常でないことにまず気づくことから一日が始まる。そして、いつの間に私は眠りについたんだろうと疑問に思いながら大きなあくびをした。それを見た看護師が「また夜更かし?」と冗談ぽく言った。私はムッとして「眠れなかっただけです」と反抗的に答えた。しかし、その意図は看護師に伝わらず「あらそう」と言って適当に流されてしまった。だが、嘘ではない。本当のことだ。あの車椅子の霊のせいで私は眠りにつけず、おかげで日中は眠たい気分で勉強も集中出来なかった。そんな勉強ノートは全く進んでおらず、かわりに今回の心霊現象についてメモなんかが書かれてあった。とりあえず今回の心霊現象を記述してみたが、分かったのはあの車椅子の音が聞こえ出すのは消灯時間以降、だいたい23時~あの音が聞こえ始める。トイレは消灯前に必ず済ませるようにして、早めに眠るようにしているが、どうしても23時前には何故か目が覚めてしまう。ここの病院の車椅子は古いタイプばかりで動かすと音が鳴る。だから、音であれが車椅子だと分かる。単に徘徊する患者が車椅子を自走させているだけならいいが、この時間帯で看護師が誰も止めずに放置するだろうか? そもそも巡回する看護師が気づかない方がおかしい。何故なら通路を一周するならステーション前を通る筈だから。一様念の為にさりげなく看護師に訊いてみたが、看護師は本当に知らない様子だった。つまり、この音は私にしか聞こえていない。問題はそれが本当に心霊現象としてあるのかどうかというより、それがいったい何を意味するのか、それは私にとって危険なのかどうかの方が大事だ。私の直感ではまず霊は危険なものと認識するようにしている。勿論全てがそうではない。あの少年のように…… 。だけど、それはごく稀で大抵は気づかれないでやり過ごすのが一番だ。だから、車椅子の霊はまず危険だ。となるとあの霊はいったい何なのか? 車椅子はこのフロアの通路を一周している。速度は多分同じ。これであの車椅子の霊と、その霊の行動パターンがだいたい予測がついた。今のところ病室に入ってくる感じはない。絶対ではないだろうが(それはあんまり考えたくない)あの霊は病院の通路ととりあえず関連している。単に彷徨っているのか?
私は腕を組んで考えた。
霊は大抵、人間には触れられない。人間もその霊の存在に大抵気づいていない。その境界が、お互い干渉し合わず車椅子の霊で言えばずっと通路をぐるぐると回って徘徊している。徘徊にいったいどんな目的があるのかは知らない。ただ、目的があって車椅子は通路を移動し続けている。だが、たまに霊は霊に気づく存在を察知する。それはただそこにいるわけではないということ。
見つけた。
そう言わんばかりに認識した人物を襲ってくる。それが恐ろしい。
そもそもだ、心霊現象を科学的に証明出来たらとか世間一般は言うが、それは存在そのものではなく、存在に対する存在の条件の話ばかりしているに過ぎない。心霊現象を私のように体験した身から言わせれば、私達はなにも条件の話をしたいわけではない。ソレについて話したいだけなのだ。だが、それは中々理解されない。
今のは私のストレスが入った。集中しよう。
……いや、今は眠い。眠気であまり集中出来ない。本当にこれは悪循環だ。なんとかしなくては。
これまでの本編で出たおさらい
心霊現象
①そもそも何故霊が見える者とそうでない者がいるのか、それは認識の問題。それはごく一部の人間におこる特有の認識領域(認識は見るに限らない五感全て)
その領域とは日常では認識出来ない世界(非日常)が別に存在する。その世界はごく一部の人間にしか体験出来ない世界(幻覚とは違う)
②科学者等が心霊現象の証明を求めることは=存在の条件を話しているに過ぎず、存在そのものの話しをしていない。
むしろ、この特有を科学で全て証明可能であるのかは不明。
つまり、心霊現象は誰でも無条件に体験するものではない。また、その限られた条件は明らかになっていない。
③心霊現象はそこにあり、心霊現象を体験する時は普段の日常経験にはない違和感を覚えた時から既に始まっている。
④霊は霊を感じる事が出来ない人には触れること(危害等)は出来ないが、認識したものには触れる(危害等)が出来る。




