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33話

 不(ふ)揃(ぞろ)いに刳(く)り抜(ぬ)かれた細長い通路には、闇ゴケの途切れた暗(くら)がりを縫(ぬ)うように、今にも消えかけの魔導灯が、行く手をボンヤリと照らしている。

 子供と老人の足では大きく距離を稼(かせ)ぐのは難しく、後発組(こうはつぐみ)の魔王とリュンは、走り始めて二分と経(か)からず、先行(せんこう)する三人に追い着いた。

 魔王が、洞(ほら)穴(あな)の中心近くを走るニルスを左から追(お)い越(こ)して先頭へ抜けると、後ろで村長達を護衛していた田衛文が、魔王のすぐ横に並んだ。

「時々(ときどき)、通路の端(はし)に作業機械トカを見掛けるし、此(コ)処(コ)ってやっぱり自然洞窟じゃなくて、人口ダンジョンになってるみたい」

(なら、地上の何処(どこ)かに続いてるんだろうか……)

 声も出さずにそんな期待を抱(いだ)いていると、後(うし)ろから轟々(ごうごう)と激しい燃焼音が近付いてくる。

(いったい何(なん)だ……?)

 振り返ると、大きな壷に跨(またが)った冥(くら)箒(き)が、バックファイアの残照(ざんしょう)を残して急速接近していた。

「ども……♪」

 長い黒髪を靡(なび)かせながらも、涼(すず)しげな表情でVサインを送る冥(くら)箒(き)。

 やがて彼女は、魔王に並んで速度を合わせると、正面奥に二(ふた)股(また)の分かれ道を見付けて、右目の魔眼に意識を集める。

「すぐ先(さき)の通(とお)りを右へ……。そちらの方が、靴跡が比(ひ)較的(かくてき)新しいようです」

 冥箒が、相手の疑問を先(さき)回(まわ)りして助言を施(ほどこ)すが、ひ弱(よわ)な身体(からだ)で重力に逆らう魔王には、口を開けて返すだけの余力(よりょく)はない。

(正しい道を推測してるのか……。分析が趣味って言うのは、どうやら口だけじゃないみたいだぞ)

 考えてる間(あいだ)にも、疲労が腿(もも)に蓄積して表情がキツくなってきた。

 と此(こ)処(こ)で、魔王の左に並ぶ田衛文が、冥(くら)箒(き)の飛行パターンを気に掛けた。

「アレ? いつもの箒(ほうき)じゃないんだ」

「こちらは高度専門です」

 そう言いながら、肩の上へと突き出た箒(ほうき)の柄(え)を、右手でペシペシとぞんざいに叩いてみせる。

「では早速ですが、先(さき)程(ほど)の補足説明と移りましょう」

「ホント~に早速だね。……で、先(さき)程(ほど)の補足説明って、なんの話(ハナシ)?」

 田衛文が胡(う)散(さん)臭(くさ)く目を細めると、対する冥(くら)箒(き)も『ノリが悪いなぁ……』といった表情で、懐(ふところ)から一枚の葉書(ハガキ)を取り出した。

「え~。PN(ペンネーム)・魔王第四世さんからのお便(たよ)りです。最近、僕は霊珠(れいじゅ)を手に入れましたが、何(な)故(ぜ)だか全然パワーアップしてません。どうしてなんでしょうか? 冥(くら)箒(き)お姉さん、教えて下さい……」

 冥(くら)箒(き)は、ラジオパーソナリティーの控(ひか)え目(め)な情感タップリに読み終えると、何(なに)事(ごと)もなかったように、葉書をそそくさと懐(ふところ)へと戻した。

「ん~っと……。確か、魔力活性(まりょくかっせい)と魔力ナンタラが出来るようになった、トカ言ってたヤツだよね?」

 田衛文の問いかけに、冥(くら)箒(き)がコクンと滑(なめ)らかに頷(うなず)く。

「そうですね。魔力粒子(まりょくりゅうし)を励起状態(れいきじょうたい)にするのが魔力活性(まりょくかっせい)。早い話が、自身の魔力強化くらいは可能になったという訳(わけ)です」

「じゃあ、あとは呪文自体を思い出すダケ!? やったじゃん、魔王♪」

 パァ……と明るい表情で斜(なな)め下(した)へと振り向くが、ぜーはー、ぜーはー、と見るからにペースを落とす魔王を見て、田衛文は表情筋(ひょうじょうきん)を不規則に揺らす。

「……ッテ、その割(わり)には、ナンカ凄(すご)く、息が切れてるんですけど……」

「そりゃあ、まぁ……。魔力を使い果たした訳(わけ)ですから、身体能力の強化もできません。ちなみに、日々(ひび)の魔力回復量も、相変わらず雀(すずめ)の涙(なみだ)程度です」

「ソレじゃ、コレまでと全(ぜん)然(ぜん)変わらないじゃない!!」

 田衛門が空中(くうちゅう)で手足を振って抗議すると、冥(くら)箒(き)が、コホン……と咳(せき)払(ばら)いを入れる。

「そこで今すぐ役立つのが、魔力移譲(まりょくいじょう)という現象です。能力強化に失敗した代わりでしょうか……。特殊な条件で結ばれたパートナー同士、魔力を分(わ)け合(あ)うことが出来るようです」

 特殊な条件で結ばれるとは、魔王と田衛文の間(あいだ)で交わされる、リンク通信のことを指(さ)している。

(そいつは良(い)い事(こと)を聞いたぞ……。さっそく田衛文にお願いしてみよう!)

「田衛文……」

 魔王はすぐに潤(うる)んだ瞳(ひとみ)で相棒を見つめるが、田衛文は冷たい空気で顔を背(そむ)けた。

「ヤダ! そんな事(コト)したら体内魔力が減少して、ボクの方がヘ(・)ロ(・)ヘ(・)ロ(・)になっちゃうもん!」

(クスン、釣れないよぅ……)

 涙ながらに落ち込むが、それ以上は要求しない。

 精霊である彼女にとって、体内魔力は命そのものなのだ。

 呉(く)れと言われて簡単に渡せるほど、在(あ)り来(き)たりなものではない。

 已(や)むなく魔王は激しい息(いき)遣(づか)いのまま、人(じん)口(こう)洞(どう)穴(けつ)の狭い道を疾走する。

 それからおよそ20秒ほど、冥(くら)箒(き)は魔導灯が疎(まば)らになった正面の闇に、天井から垂(た)れ下(さ)がった二本のロープを発見した。

「突き当たりに縄梯子(なわばしご)が見えました。皆さん、あと少しです」

 精霊2人の後(うし)ろに続いて魔王が梯子(はしご)に到着し、安全確認のため、後(こう)続(ぞく)を待たずに登ってみる。

 梯子(はしご)の造(つく)りは、予想していたよりも頑丈だ。

 体重を掛けるたびに、縒(よ)り合(あ)わされた縄が引き絞られて、『ギュッ、ギュッ……』と乾いた音を立てる。

 足(あし)場(ば)丸(まる)太(た)も登りやすいように上面が均(なら)されていて、黴(カビ)が生(は)えている様子もない。

 使い込まれているだけでなく、頻(ひん)繁(ぱん)に交換されている何(なに)よりの証拠だ。

「頂上が見えた!」

 右手を伸ばして天井板を押(お)し退(の)けると、四角い蓋(フタ)は難(なん)なく開いて、空気の圧(あつ)がヒュオオ……と抜けた。

 登り詰めた先は、見覚えのない書(しょ)斎(さい)へと繋がっていた。

「ゲホッ、ゲホッ……。なんだか見たことない部屋だなぁ。いったい此(こ)処(こ)は、どの辺(へん)なんだ?」

 机の下からモゾモゾと這(は)い出(で)た魔王が、舞い上がった埃(ホコリ)に噎(む)せて軽く咳(せ)き込(こ)む。

 ややあって、その問いに逸(いち)早(はや)く答えたのは、新入りの冥箒であった。

 彼女は壁(かべ)際(ぎわ)の本棚を見て、背表紙(せびょうし)がいずれも、歴史・異端・宗教に類(るい)する内容だと判断する。

 そのくせ、アルメリア教の教典(きょうてん)だけは、そこからスッポリ抜け落ちていた。

「どうやら此(こ)処(こ)は、教会のようですね。宗教めいた本が沢(たく)山(さん)並んでいます」

「「教会(キョウカイ)~?」」

 魔王と田衛文の声が重(かさ)なる。

 城から近い教会と言えば、ンストゥル近(きん)郊(こう)では一つに絞られていた。

 魔王は、6人全員が書(しょ)斎(さい)に上がったのを確認すると、机下の縄梯子(なわばしご)を地下通路へと迷わず落とした。

「コレ、なんて事をするんじゃ。下には、逃げ遅れた者が大勢居(お)るのじゃぞ!」

 咎(とが)める声は切(せつ)実(じつ)そのものだが、魔王は首を横に振って返す。

「否(いや)、ジイさん。確かに人はいるけど、その中で一番最初に上(あ)がってくるのは誰だと思う?」

「それは……」

 言(い)い淀(よど)む村長に代わって、傍(かたわ)らのリュンが固い声で呟いた。

「地下の構造をよく知るエルドラですね」

「多分ね……。あいつは、霊珠を持ってる僕達を狙ってるんだ。他(ほか)にも出口と繋(つな)がっていそうな道が幾(いく)つかあったし、出来るだけ、時間を稼(かせ)いどいた方が良いと思う」

 書斎扉の内(うち)鍵(かぎ)を開けて部屋を出る。

 屋内はすっかり片付いていて、普通の聖堂らしい装(よそお)いに戻ってはいるが、間(ま)取(ど)りや装飾の配置からして、場所の判断が容(よう)易(い)についた。

「やっぱり此(コ)処(コ)、森の中の教会ダヨ……」

 田衛文が呆(あっ)気(け)に取られた様子で呟き、視線を右から左へと移した。

 互(たが)い違(ちが)いに配列させた石(いし)積(づ)みの外観とは異(こと)なり、内部は一枚岩を綺麗に磨(みが)いてあるかのように石(せっ)膏(こう)が塗られていて、壁の表面に、神殿を連想させる多角形の柱彫刻(はしらちょうこく)のほか、樹木や花のレリーフが彫られていた。

 教会内と書斎を矯(た)めつ眇(すが)めつして、村長が納得に喉(のど)を震(ふる)わせる。

「ここの鍵(かぎ)はエルドラが管理しておったが、まさか城に繋(つな)がっていたとは……。彼奴(あやつ)め、普段は地下道から出入りしとったんじゃな」

 冷たい石床をスタスタと鳴らして扉前から離れると、その後(うし)ろから、ニルスとリュンが書斎を出て、祭壇前(さいだんまえ)の長椅子へと腰を下ろした。

 2人分の荷重(かじゅう)を受けて、耳障りに軋(きし)む椅子の繋ぎ目。

 カシュリと乾(かわ)いた音が鳴って、マッチの燐(りん)に灯(ひ)が点(とも)る。

 教会の主(あるじ)たるエルドラが操作しなければ、魔導灯は点(つ)かないようだ。

 村長が慣れた手付きで蝋(ろう)燭(そく)台(だい)に明かりを作ると、誰(だれ)とは無(な)しに、今後の方針を語り始めた。

 ――緻(ち)密(みつ)な計画を練(ね)るだけの時間はない。

 村長指揮の下、村人全員でビストゥスを棄(す)てる。

 亡命先は、南の隣国・ルサン。途中、流(る)民(みん)狩(が)りを避(さ)けるためにも、幾(いく)つかの商隊(キャラバン)に分かれて、南東部の森林地帯を抜ける必要がある。

 進行速度を稼(かせ)ぐため、動物たちは連れて行けない。

 家畜のほとんどは、野(の)に放(はな)つしかないだろう。

 主な方針はそれで間違いないが、懸(け)念(ねん)事(じ)項(こう)が一つだけあった。

「じゃが、リュンとニルスは……」

 村長が苦(にが)り切(き)った顔で呟くと、リュンは微(かす)かに肩を震わせる。

 彼女のたおやかな腕の中、話の中身を理解できず、不思議そうに姉(あね)を見上げるニルスの仕種が、一層哀(あわ)れに思えてならない。

 2人は、フェルメンティアとエル・グラドの双方(そうほう)から狙われてるのだ。

 両国を相手にしては、道中、2人の素性(すじょう)を隠し通せるとは思えない。

 6人の思考を断(た)ち切(き)るように、北の空から、ゴオオォォン……と鈍(にぶ)い遠(えん)雷(らい)が轟(とどろ)く。

 窓辺では、夜の闇をボンヤリと見つめていた冥(くら)箒(き)の感覚器が、曇(どん)天(てん)がそう長くない事を告げていた。

「どうやら少し、雨が降っていたようですね……」

 その声に誰も答えない。

 沈黙が辺(あた)りを支配する中、リュンの相(そう)貌(ぼう)が戸惑いに揺れた。

 このまま散(ち)り散(ぢ)りに別れたら、もう2度と、彼(かれ)等(ら)と顔を合わせる事もないだろう。

「あの、こんな時に訊(き)くのも変(ヘン)なんですけど……」

 リュンは口を閉ざして短く俯(うつむ)き、やがて勇気を振(ふ)り絞(しぼ)って顔を上げる。


「二十年前の戦い……。魔王さんはどうして、先史文明人(わたしたち)に降伏する気になったんですか?」


 魔王は瞬時に息(いき)が詰(つ)まり、教壇(きょうだん)の上へと腰を落として途(と)方(ほう)に暮(く)れる。

 見知らぬ森へと落(お)ち延(の)びてから20年、本当ならば、ずっと前に直面するべきだった質問を、他(た)種(しゅ)族(ぞく)である彼女の口から、ようやくにして突き付けられた。

(僕は、なんて卑怯(ひきょう)なんだろう……)

 責める心の裏側で、同種族(フォルト)の誰にも知られる事のない、自身が魔王であるが為(ため)の苦悩が渦巻いていた。

「種族や個人差にもよるけれど、フォルトは大(だい)体(たい)、200歳から300歳くらいまで生きる……。僕のひ(・)い(・)爺(・)さ(・)ん(・)ともなると、千年以上も生(い)き続(つづ)ける事例まであったんだ」

 村長が驚いた様子で口を挟(はさ)む。

「なんと……。それでは御(お)主(ぬし)、この世(よ)にずっと生き続けてきたのではなかったのか!」

 魔王は声に出すことなく、フッ……と冷たい笑みを放った。

「そんなの、アルメリア教が流(る)布(ふ)する幻想さ。言い伝えによると、僕の即(そく)位(い)で4代目。いつの頃からか、代(だい)替(が)わりが成(な)される度(たび)に、魔王の称号と大陸の覇権を賭(か)けて、フォルト統一戦が行われるようになったのさ」

 幼馴染みの牛頭(ぎゅうとう)フェリオスと、雛(ひな)の時から大切に育てた怪鳥(かいちょう)ラムドが共に戦い、魔王領から北上して、鳥人族(ちょうじんぞく)のアッカーファを傘(さん)下(か)に招(まね)いた。

 その後(ご)、蛙人族(けいじんぞく)の不倒ガープを罠に掛け、最後は、平原の勇者と名高い神(しん)槍(そう)エスタロンとの一騎打ちを経(へ)て、サンセベリア大陸は、大(たい)陸(りく)間(かん)戦(せん)争(そう)直前の勢力図へと至る。

 その”一つ一つの出来事”のいずれもが、一人のフォルトが体験する日常を優(ゆう)に超(こ)えていた。

「況(ま)して魔王ともなれば、五百年から千(せん)年(ねん)後(のち)の未来までをも考える。生き方そのものが、他(ほか)の種族とは、どうしても違うんだ」

 フォルトとは、人(ひと)去(さ)りし後(のち)に大陸に生(しょう)じた新人類である。

 従ってサンセベリア大陸は、事実上、フォルトのものだ。

 先(さき)の大(たい)戦(せん)で降伏を選んだ後(あと)であっても、その論点は変わらない。

 ただ、そうした経(けい)緯(い)はどうあれ、大陸には既(すで)に2つの人類が衝突し、互(たが)いに生活を始めている。

 フォルトはいずれ、先祖の土地を取り返そうとするだろう。

 だが先史文明人は、自分達の生活を奪(うば)われたと思うに違いない。

 奪(と)った盗(と)られたの対立が続くだけで、互(たが)いの理想は未(み)来(らい)永(えい)劫(ごう)、満たされる事はない。

 ならばいっそ軍事的にではなく、文化的に互(たが)いを取り込んでしまえば良い。

 争いがなくなれば、世界はいずれ、生活文化や知識によって緩(ゆる)やかに調和していくだろう。

 それは恐らく、戦争を続ける選択の未来も一緒だ。

 相手の戦術や思考を学び、技術を盗んでは、生活習慣の良(よ)い所(ところ)だけを取り込んでゆく。

 つまりは、2つの文明が争(あらそ)いながらも緩(ゆる)やかに平均化されるか、戦いを止(や)めて速(すみ)やかに交流を始めるか。

 魔王にとって世界の在(あ)り様(よう)は、その2つに1つかの違いでしかなかったのだ。

「だから魔王城での決戦の時、戦うことを止(や)めてしまったんですね……」

 リュンが無意識に放った相(あい)槌(づち)が、魔王の後悔を深(ふか)く抉(えぐ)る。

「ああ、そうさ……。けど、そいつは僕の間違いだったんだ!」

 激情(げきじょう)が魔王の膝(ひざ)をバシンと叩く。

 衝動的(しょうどうてき)に打ち付けた両手が、膝(ひざ)裾(すそ)からスルリと零(こぼ)れた。

「みんなと話し合うべきだった。それで何かが間違ってても、みんなと分かち合うべきだったんだ……」

 現実は、それとは全くの逆だ。

 誰か一人の決断が民(みん)族(ぞく)全(ぜん)体(たい)の将来を決め、その代償(だいしょう)に、決断とは無(む)縁(えん)の誰かが、選択によって生(しょう)じた負担を背負う。

 その先(さき)に、サンセベリア大陸の現状(いま)がある。


「誰もが願う未来を選んだつもりが、誰も望まない世界になってしまった! そのことを、僕はこの村に来て、初めて知ったんだ……」


 ビストゥスを訪れたその日、魔王は略奪(りゃくだつ)と暴行の現場を目(ま)の当(あ)たりにした。

 しかし、これは何(なに)もリュン達が住んでいる地域だけの事ではない。

 これが、この世界で起きている日常なのだ。

(だからあの時、魔王さんは、村を出て行こうとする私を引(ひ)き止(と)めてくれたんですね……)

 自分と魔王は、本能的にどこか似ている。

 歪(いびつ)な人間性であればこそ、二つの記号がピタリとうまく重(かさ)なり合(あ)うのだ。

 ――これ以上喋(しゃべ)れば、何(なに)かがきっと嘘(うそ)になる。

 リュンは魔王の心(しん)奥(おう)に触(ふ)れたことで、それ以上、言葉にするのを躊躇(ためら)った。

 静寂が周囲にゆっくりと沈(ちん)殿(でん)する。

 灯火から立ち昇る縒(よ)り糸(いと)と牛脂(ぎゅうし)の仄(ほの)かな香りが、ささくれ立った神経を落ち着かせた。

「魔王……。あなたは結局、どうしたいんですか?」

 無機質ながらも、相手の意(い)図(と)を試(ため)そうとする強い意志。

 魔王は、凛(りん)とした声を聞いて振り向いた。

 窓辺の冥(くら)箒(き)は無表情に近い。

 しかし、超然(ちょうぜん)としている彼女の瞳は、多くの物(もの)事(ごと)と出(で)会(あ)い、そして辛(つら)い事(こと)にジッと耐(た)えてきた……そんな深い目をしていた。

 魔王はその眼(まな)差(ざ)しに、冥箒の気持ちが、ほんの少しだけ分かったような気がした。

 彼女は、自身の得意とする力のせいで、見たくもない残酷な現実を見せられ続けていたのだ。

 眼(め)に、心(こころ)に、頭(あたま)の中に焼き付けられた記憶とは、そう簡単に消(け)し去(さ)れるものではない。

 このままだと、リュンとニルスはどうなってしまうのか。

 そんな風(ふう)に誰かが犠(ぎ)牲(せい)になる道を、たとえ想像の中だとしても、彼女はもう、付(つ)け加(くわ)えたくなどなかったのだ。

(なにより僕は、此(こ)処(こ)に来るまでの間(あいだ)、どうするべきか何度も口にしてたじゃないか。そう……。フェルメンティアから逃げた時だって、おんなじ気持ちをしていたんだ!)

 拳が震えて覚悟が決まる。

 二十年の時を経(へ)て刻(きざ)まれた群(ぐん)像(ぞう)劇(げき)の数々(かずかず)が、魔王に新たな未来を選択させる。


「エルドラを……。今、この村で倒すしかない!」


 5人の注目が、魔王の許(もと)へと一斉に集まる。

 驚き、唖(あ)然(ぜん)、戸惑い。

 分けても村長の動揺は最(もっと)も激しく、魔王から右に離れた長(なが)椅(い)子(す)の前、教壇(きょうだん)の上から勢いよく腰を浮かせた。

「そんなの自殺行為じゃ! 本気の彼奴(あやつ)は恐ろしく手(て)強(ごわ)い。早(そう)晩(ばん)、奴と殺(や)り合(あ)うことになろうとも、それは儂(わし)らだけで充分じゃ。余(よ)所(そ)者(もの)の御(お)主(ぬし)らが、無茶することはない……。第一(だいいち)、リュンとニルスを狙う輩(やから)は、国内にも大勢居(お)る」

 初めこそ慎重(しんちょう)に、説明の終わりは諭(さと)すような調子で述べると、村長は思(おも)い詰(つ)めた表情を足下へと落とした。

 祭壇を挟んだ反対側、魔王は固い決意で、村長の横顔を見上げる。

「いいや。リュンとニルスの事を確信してるのは、エルドラとオズボーンの2人だけだ。首(しゅ)尾(び)良くエルドラを倒したあと、村人全員でリュン達の素性(すじょう)を誤魔化せばいい。オズボーン1人の証言だけじゃ、国中の兵士を動かせっこないからね」

 エルドラを排除できれば、2人は確かに安全だろう。

 しかし、この計画には穴があるのだ。

 村長から見て斜(なな)め右(みぎ)、長椅子の端でリュンの唇が心(こころ)細(ぼそ)く震えた。

「でも……。私達、今まで魔王さんを騙(だま)してきたのに、命まで救(すく)ってもらったんです。私も村長さんと同じで、これ以上、皆さんを危険な目に遭(あ)わせたくなんか……」

 言葉の途中、魔王は穏(おだ)やかな笑(え)みで首を振り、リュンがそれ以上、口にするのを遮(さえぎ)った。

「好(い)いんだよ、リュン」

 遠回しの拒絶と、苦々(にがにが)しい声の響き。

 彼女は既(すで)に知っている。エルドラを倒すという事は、重犯罪者の一族よりも重い、国王殺しの汚(お)名(めい)を魔王が着ることを。

「まぁ、アイツの狙いが霊(れい)珠(じゅ)の奪(だっ)還(かん)で、そのうえ、僕自身がお尋ね者だからって

理由もあるけど……」

 魔王は戯(おど)けた空気で口を噤(つぐ)み、今度は真剣な様子で、その場にいる全ての仲間に決意を語る。

「これがもし運命(うんめい)だというのなら、僕は、この運命に抗(あらが)ってみたい。何(な)故(ぜ)ならそれが、僕の『意志』なんだから」

「魔王さん……」

 リュンは両目に熱(ねつ)涙(るい)を溜(た)め、尊敬を込めてその名を呼んだ。

 ニルスの肩へと回した腕が、重力に引かれてハラリと落ちる。

 するとニルスは、一度だけ姉(あね)の顔(かお)を心配そうに見上げてから、『とてとてとて……』と頼りない足取りで魔王へと近付き、ピンと伸びて強(こわ)張(ば)っている魔王の手を、両手でキュッと優しく包んだ。

「おじちゃん、負けないでね」

 円(つぶ)らな瞳が微(かす)かに潤(うる)む。

 歳(とし)で言えば11歳。

 しかし、栄養不足の体付きは、7歳(ななつ)か8歳(やっつ)にしか見えない。

 魔王は膝(ひざ)を崩(くず)して身体を寄せると、右手で彼の小さな頭を、自分の首元にそっと抱き寄せた。

「ああ、勿(もち)論(ろん)だよ」

 魔王が囁(ささや)き返(かえ)した直後、ひっそりとした聖堂の空気に、突然、甲(かん)高(だか)い声が走る。

「当(あ)ったり前(まえ)デショ!!」

「うわわっと!」

 魔王は、声(こえ)が弾(はじ)けた左耳を押さえながら、迷惑そうな顔を隣りへ向ける。

「田衛文、いきなり耳元で怒鳴らないでくれよ。ビックリしたじゃないか」

「だって、ずっと黙って聞いてたケド、許せなかったんだもん! みんなはボク達のこと、余(よ)所(そ)者(もの)だって言うケドね、今じゃもう、立派なビストゥスの一員なんだから!」

 良(い)い事(こと)を言った自覚から、エッヘンと誇(ほこ)らしげに胸を張る田衛文。

 彼女の言葉が胸を強く打ち、村長が清らかな笑みを2人に向ける。

「うむ、そうじゃったな……。ならば魔王よ、一つだけ言っておく事がある」

 魔王が、相手の意(い)味(み)深(しん)な呼びかけに振り向くと、村長は神(しん)妙(みょう)な面持ちで忠告を始めた。

「戦う際(さい)にヤツが姿を消すという話、憶えておるか?」

 救出作戦の前に村長が漏(も)らした、エルドラの特殊能力のことだ。

 魔王は首の動きに戸(と)惑(まど)いを乗せながらも、村長の問いに軽く頷(うなず)いた。

「うん。そのこと自体には半(はん)信(しん)半(はん)疑(ぎ)だけど、一応、憶えてるよ」

「それなのじゃが、ごく一瞬ではあるが、ヤツの全身がハッキリと見える瞬間が

何度かあった。今にして思えば、それは攻撃の直前だったと思う。ヤツと対(たい)峙(じ)する時は、必ずその点に注意するのじゃぞ」

 思(し)慮(りょ)に富(と)んだ厳(おごそ)かな表情と、落ち着きを払った低い声。

 相手の緊張が伝(でん)染(せん)したのか、魔王の返事が、思いがけず時(じ)代(だい)掛(が)かったものとなる。

「分かった。肝(きも)に銘(めい)じておくよ」

 2人の会話が途(と)切(ぎ)れると、最後は自分の番だと知って、冥箒は己(おのれ)の意思を明らかにする。

「そうですか……。まぁ、私もこの件(けん)には興味がありますし、異存はありません。それにしても……」

 浮かぶだけなら、箒(ほうき)がなくても出来るのだろう。

 冥箒はやおら、5人の傍(そば)へと近付いて、先(せん)刻(こく)の言葉に感(かん)慨(がい)ぶかく繋(つな)げる。

「抗(あらが)いたい、ですか……。良(い)いですね、それ。『運命』を凌駕(りょうが)する存在(もの)。それが『意志』であって欲しいと私も願います」

 投げやりな言(こと)葉(ば)遣(づか)いの中にも、彼女が秘(ひ)める仄(ほの)かな情熱が窺(うかが)える。

――もう迷ったりはしない。

 仲間の想いを背(せ)負(お)った魔王は、その場でスッと立ち上がり、ニルスの頭を丁(てい)寧(ねい)に撫(な)でた。


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