30話
陰々滅々とした横穴を、時折、通行者を嘲笑うような冷風が通り抜ける。
この不気味な回廊を構成するのは、黒い溶岩質の岩塊であり、其処彼処に巨獣の牙を思わせる鍾乳筍が乱立している。
しかし、ここが単なる自然洞穴ではない事を、よく均された石床と、標代わりに点在する魔導灯の灯火が照明していた。
歩くこと数分、先頭の魔王が初めて口を開く。
「おっと、通路の雰囲気が変わってきた。そろそろ目標地点に着くみたいだぞ」
進むに従い、無機質で滑らかな岩肌が、赤茶けた荒野のような脆壁へと変じてゆく。
その質感は、夢で見た残虐非道の舞台と全く同質の物であった。
行く手を凝視する田衛文が、前方で輝くアーチ状の光彩を確認する。
「ムコウに明かりが見える。出口ダネ……」
「うむ。いよいよじゃの」
地下通路の先は、遺跡全体が見下ろせる高台になっていた。
天井をびっしりと覆う蛍光性の『闇ゴケ』と、遺跡の所々に点在する魔導灯。
さらには壁際へ規則的に掛けられた松明の炎で、本来は真っ暗なはずの地下迷宮が、煌々と照らし出されていた。
断崖縁に腹這いで偵察する三人が見たのは、茹で卵を上下均等に二分したような楕円形の広場であった。
赤土剥き出しの地面には、跳躍ではとても渡れそうにない裂け目が横一文字に走り、中心に架かった一本の石橋のみが、両ステージを心許なく繋いでいる。
「「エンドーアーク・シャマラ……。ライネーアーク・ヴィシュタ!」」
手前ステージに目を向けると、洗脳を待つおよそ五百人の黒ローブが、虚ろな
眼差しで隊をなし、魔法とは異なる奇妙な呪文を唱和している。
他には何もない。
強いて挙げれば、高台へと通じる坂道が左側に一本あるだけだ。
こうして手前はスッキリしてるというのに、亀裂奥の広場となると、少し込み入っている。
まず、谷に沿って重武装の親衛隊が五十人、横にズラリと整列している。
その眼に理性の光が宿っている所を見ると、彼等は望んでエルドラに服従しているようだ。
壁面左奥に小さな通路が見えるが、何処に繋がってるかは全くの謎。
逆に意識せざるを得ないのは、ステージ右側にある岩削りの丘。
一段二段と階が築かれた頂点に、嫌みったらしいデザインの玉座があり、肌着の上に黒い法衣を羽織ったエルドラが鎮座する。
中央には、朱塗りの柵に囲まれた長方形の祭壇が見える。
その中心を、四隅が上向きに縁取られたテーブルが占拠する。
卓上にはナイフを始め、奇怪な外科器具と教典らしき巻物が一つ、蝋燭台が二つ……。卓の前では、いつもは赤服のオズボーンが、今は黒ローブに着替えて司祭役として待機していた。
祭壇右端を見ると、初日に村で見た、あの機械狼が安置してある。
そこからやや左、祭壇の正面奥には細い通路があり、壁面に掘り刻まれた人間大の巨大髑髏へと繋がっている。
大髑髏の眉間には、第三の眼とでも言いたいのか、拳大の宝玉が嵌め込まれていた。さらには象徴の大髑髏を囲むように、岩棚に本物の曝れ首が飾られてるのが悪趣味の極地である。
三人が場内の構造を把握し終える頃、遺跡内に少年の声が響く。
「お姉ちゃん! 起きてよ、お姉ちゃん!」
聞き覚えのある声に、村長の身体がギクリと震える。
「今のはニルスの声じゃ!!」
「何処だ……。何処にいる!」
魔王の心に、動揺の油膜がジワリと広がる。
周囲の異常さを肌で感じて、ニルスが目を醒ましたのだ。
叫び声は此方からの発見を容易にする代わり、彼自身の危険を加速させる。
田衛文がニルスの姿を捉えた。
「イタ! 祭壇内側の手前右っ!」
「左にはリュンじゃ。ああ、二人とも可哀想に……。待っておれよ。今、救けに行くからの」
魔王としても、そうしたいのは山々だが、状況がそれを許さなかった。
「だけどね村長。この戦力差で、一体どうやって彼処まで行けって言うのさ」
武装兵士五十人に、エルドラとオズボーン。
場合によっては、洗脳された黒ローブ五百人の妨害も考えられる。
これを掻い潜って二人を救う奇襲作戦など、いかに破天荒な魔王・田衛文ペアといえど、すぐには思い付かなかった。
魔王が道具袋に手をつっこみ、苦し紛れの策を講じる。
「とはいえ、手を拱いてる時間もないし、少し危険だけど、コイツを使ってみよう……」
「爆弾? そんなの、ど~やって使う積もりなの?」
田衛文が怪訝そうに眉を寄せると、魔王もそれに応えて、ややこしそうに口角を歪めた。
「入り口に仕掛けてから起爆……。混乱で注意が逸れた瞬間を狙って救けに行くんだ」
「じゃが、逃げ道はどうする? 確実に出入り出来るのは、入口しかないのじゃぞ」
「そこはもう、運頼みさ。奥ステージ左の道を突破するしかないよ……。悪いけど二人は、周囲の警戒を頼むよ。僕はちょっくら、準備して来るから」
それだけ言うと、運の能力値が碌でもない癖に、運頼みの魔王がその場を離れた。
視線を転じて、奥側ステージ。
ニルスの覚醒を機に、エルドラ側に動きが生じる。
壁際左の通路より、大鎌、巨大鋏、鉈を持った三人の執行役が登場した。
三人が石橋の前に到着すると、エルドラはやおら立ち上がり、信者らに告げる。
「どうやら、我等が神に捧ぐ贄が目を醒ましたようだ。これより、威光の儀を執り行う!」
親衛隊は高々と槍を掲げ、黒ローブが地面にひれ伏す。
「「「エンドーアーク・シャマラ! ライネーアーク・メリカ!!」」」
場内の至る所で沸き起こる号声に、ニルスに続いて、リュンもまた覚醒した。
身を捩り、身体の自由を封じられてる事から、彼女は自らが置かれた状況を理解する。
リュンは無言を保ったまま、卑屈な笑みを浮かべて顔を落とす。
このまま何もせずに居れば、現実を受け流すだけの窮屈な日々から、自分は解放されるのだと……。
「お姉ちゃん!」
「ニルス!!」
ニルスの呼びかけを聞いて、リュンは瞬時に我へと返る。
声の方へと顔を上げると、そこには自分同様、丸太に向かい合わせで括り付けられた弟の姿があった。
「ニルス、どうして貴方まで……!」
疑問を形にするや否や、森での光景が蘇る。
暗闇に浮かぶ、複数の信者と戦いの物音。
リュンは視線を上手へと移し、儀式の長を睨み付けた。
「エルドラ……。いったい何故、私とニルスにこんな事を! マオウさんを渡せば、村に手を出さないって約束じゃないですか!」
一瞬、エルドラは彼女の言葉に、おやっと眉を寄せたが、すぐに邪悪な笑みへと戻る。
「そうか、そうか。オズボーンに脅されたからではなく、村長から話を聞いたうえで、自ら魔王を騙していたのか。クハハハハハ! これは凄い。その気丈さといい、魔王を誑かす度胸といい、真、我らが御神体の良き贄となるわ……」
「質問に答えて!」
しばし、エルドラの粘着質な含み笑いが場内に響く。
「ならば教えてやろう。そら、あれを見るが良い」
エルドラが、掌を祭壇の奥へと向ける。
指し示す方角へと首を動かし、壁面の大髑髏を見付けたリュンは、嫌悪感から瞼を薄く閉じた。
「なんて気味の悪い……」
「そう言うな。あれに見えるは、我ら破滅思想を持つ集団、破滅教の御神体。統世神王・メリカ様を象った物よ」
「それが、私達とどんな関係があるの!」
「お前達の命、メリカ様に捧げる」
一瞬にして、リュンの視界がショックに暗転する。
エルドラは相手の絶望を知った上で、リュンの気丈な精神を引き裂こうと、執拗に話を続ける。
人間が生み出す負の感情は、長きに渡って蓄積された体内魔力を、より高度なものへと昇華させるからだ。
「感謝するぞ。お前達の村に住む、あの『マオウ』という男。あれは正真正銘、大陸間戦争の引き金となった恐怖の象徴、フォルト族の魔王なのだ!」
「嘘だ! おじちゃんは、そんな奴じゃない!」
顔を真っ赤にして叫ぶニルスに、エルドラは挑戦的な眼差しを向ける。
「強がっていられるのも今の内だ。それ、祭壇の端を見てみろ」
二人の視線が、鋼鉄の狼へと注がれる。
「あれこそは、かつてこの大陸に栄えた我等が先祖の武器、先史文明期の遺産よ。今日、この時よりあの機械人形は、みずからの意志で敵を屠る破滅教の剣となる」
エルドラは、視線を素早くニルスへと戻す。立て続けの演説で上気したその顔には、憤怒にも似たどす黒い情念が渦巻いていた。
「小僧。貴様の命、その動力源として捧げるのだ」
「うえぇぇぇん!!」
「泣け! 叫べ! それこそが我等が神、メリカ様の御力となるのだ」
常軌を逸した笑い声がドーム内に反響する。
残響音が徐々に鳴りを潜めると、それに伴って、エルドラの所作に落ち着きが戻った。
エルドラは処刑台へと視線を戻して、残る二人の処遇を告げる。
「魔王は、メリカ様が直々に手を下されるそうだ。代わりに貴様の血を御神体へと注ぎ、魔法を用いて洗脳の力へと変える」
リュンの眉間に、不快な皺が刻まれる。
「洗脳……?」
「そうとも。彼処にひれ伏す者共は皆、私の指示で意志を奪わせた、反逆者の哀れな末路だ」
手前ステージに目を向けて、リュンは瞬時に理解した。
そこに跪く多くの洗脳者は、元は戦争奴隷か、ンストゥル国内に住んでいた者達である。
「ケダモノ!! どうして……。どうして私達が、そんな物の犠牲にされなきゃいけないの」
糾弾の言葉はすぐに勢いを失って、悲嘆の声へと形を変えた。
力なく項垂れるリュンの様を見て、エルドラは顔の彫りを深めてほくそ笑む。
喜びの反動か、リュンへと差し向けていた人差し指が肘掛けの上へと下りて、
中指の動きと交互に、タンタンとリズムを刻んで弾んだ。
「それだ、それだとも! オズボーン、貴様の口から教えてやれ」
「ハハッ……」
純真無垢であればこそ、その身に眠る力が弥増すのか……。
オズボーンは恭しく一礼すると、忸怩の表情を忠誠心の下へと隠した。
顔を上げ、お腹の突き出た短躯を祭壇正面の壁際に寄せると、大髑髏の下へと額づく。戸惑いに揺れる肉厚の手が巨大彫刻から離れ、その両脇の右側、岩棚に犇めく頭蓋骨へと伸びた。
「リュンよ、幼い頃に生き別れたとはいえ、これに見覚えがあろう」
実際にオズボーンが手にしたのは、頭蓋骨の傍らに置かれた、流美な細工のペンダントであった。
それは紛うことなき、リュンの家に伝わる家宝の片割れである。
「ああっ! それはお母さんの……」
「そうだ。貴様の両親は、名の知れた魔導士と僧侶であった。それが、魔王の逃亡を計画したばかりにビストゥスへと逃れ、不幸にも死ぬ羽目となった。まさかあの二人に、お前達のような子供がいたとは、胸の装核を目にするまでは気付かなんだ」
オズボーンは眼前に翳したペンダントを岩棚へと戻し、祭壇中央の小卓に置かれたナイフを手に取って、リュンの正面に立つ。
「安心しろ。私とて、命まで取ろうとまでは思わん……。同盟国の支援を得られぬのは残念だが、代わりに優れた魔導士と僧侶の子とあらば、その血に眠る魔力は
相当なもの。この国を護るための良質な糧となろう……」
オズボーンの手で、リュンの衣服が乱暴に引き裂かれる。
「イヤッ!!」
露わになった胸元で、形見のペンダントが怒りに震えた。
オズボーンが、緊張に引き締まった顔を主へと向ける。
遠目に親子関係を確認したエルドラは満足そうに頷くと、座上で一度だけ、片手を上下に振って合図を送った。
意を決したオズボーンが、手にしたナイフでリュンの乳房を短く引っ掻く。
「痛っ……!」
「あとはお前たち生贄を、メリカ様が御認めになるか否かだ」
オズボーンは再び大髑髏へと歩み寄り、銀刃に付着した血を一掬い、御神体の
眉間へと擦り付ける。
すると、リュンの血に反応するように、宝玉が黒い光を煌々と放った。
邪悪な輝きを目の当たりにして、エルドラが感極まった声で宣言する。
「おおぉぉ……。メリカ様が認めて下さったぞ! 者ども、儀式の始まりだ!」




