28話
所変わって、豪華な赤絨毯が敷かれただけの殺風景な部屋。
その中央に、何やらモゾモゾと動く物体がある。
「くっそ~う。なにが、中から開けると丸焦げだい! そんなデマカセで、この僕がビビるとでも思ってるのか。絶対に此処から抜け出して、あの雑兵2人に”蹴り”入れてやるぞ」
あの雑兵とは、さきほど田衛文らが通路で遭遇した衛兵達のこと。
魔王はこの要人監視室に押し込められたあと、彼等から脱走の危険性について、ありがたい訓辞を受けたのである。
そして現在はと言うと、まだ縄抜けの真っ最中なのだ。
魔王の性格を考えれば、兵士達の忠告を無視して本当に丸焦げになりそうだから、今まで苦戦していたのはむしろ僥倖と言えた。
「あれれ、待てよ……?」
ところが遂に、魔王の変態的な脳味噌が、変態的な思い出を呼び覚ます。
(確か前にも、こんな状況があったような……)
波形模様にモニョモニョと蠢く口が、閃きを得て『ハッ!』と縦に開かれた。
「そうだ……。お姉さんに踏ん付けられる前の事だ! あの時は確か、邪な事を考えてたっけ……」
こう来ると、捕まる前に森でやらかした、トキメキな思い出しか思い付かない。
(ウヘウヘ。僕の黄金の右手……♪)
むうぅ、すごい勢いでニヤけてしまったぞ。
「よし。お次は真面目な顔……っと」
ピクッ、ピククッ!
「おヲ!? どういう訳か、背筋が痙攣し始めたではないか。なら、あとはこの
痙攣を止めさえすれば……」
普通、無意識での筋収縮を痙攣と呼ぶのだが、無知とは恐ろしいもので、魔王は本気で止めに掛かった。
しかも、実際に成功したのである!!
すると気持ち悪いことに、体中の骨がウネウネと動きだし、関節が有らぬ方へと曲がり始めたではないか。
「す、凄いぞ! 生き物の身体ってのは、色んな事が出来るんだね♪」
【注 : 出来ません】
「よぅし、あとはこの調子で……。ぬっ、めヌぬぬぬ……。あれ? 僕、いま
一回、『め』って言わなかった? ……って言ってるうちに抜けたぁ!!」
やってみるもんだ、と独りコクコクと頷いてると、外から勝手に扉が開いて密室が開放される。
その隙間から、攻撃的な翼を持った少女の人影が真っ先に飛び込んできた。
「ハッ……。あれは田衛文じゃないか! ありがとう、僕を救けに来てくれたんだね♪」
感涙噎ぶ魔王の瞳に、文字通り、田衛文(の指)が飛び込んでくる。
「ノコノコ捕まりやがって、このマヌケ~!!」
『ブスリ☆』
「ぐぬわあぁぁ! 痛い、激痛っ。何故、僕の可憐な瞳に指を!?」
「ぬう? そして何故、その指で儂の服を弄っておるのじゃ?」
まったく、失礼しちゃうなぁ。
まるで、汚い物でも触ったみたいに拭き拭きしちゃってさ……。
なっ! そんな風に口を尖らせても無駄だからね。
僕は全然、悪くないぞ。反省なんか絶対にしないんだからね。
フンだ!
「ごめんよぅ。僕のせいで、多大なる御迷惑をお掛けしちまったて……」
食品産地の擬装を指示した重役も斯くやの方針転換に、田衛文も渋々口を利いてやる。
「その通りダヨ! 大体、魔王がいっつも女の子にだらしがないから、こんな風に捕まるんダヨ? もっと異性に警戒心を持たなくちゃ!」
(田衛文や。君の言う、その警戒心って単語の使い方、少し違うんじゃないかい?)
大上段に叱り飛ばした御陰で、田衛文の溜飲も少しは下がる。
「まっ、ちゃんと謝ったから許してあげるケド……。魔王の性格だと、絶対に反抗すると思ってたのに」
「ふふっ。田衛文は分かってないなぁ。ほら、よく言うじゃないか。他人を騙すには、まず自分からって…………?」
さて、問題です。
その場合、僕は自分への信頼を、いったい何処に置いて来てしまったんでしょうか?
「知らナイヨ!」
「そうかぁ……」
(そんな風に心の声に突っ込まれると、僕も少しガックリ来ちゃう……)
落胆から復帰した魔王は、目潰しから回復した視界の端に村長の姿を捉える。
「ところで田衛文。僕のために、村長を此処まで連れて来てくれたのかい?」
「ウン♪ 御陰で魔王の救出も、すっごく捗ったヨ」
「そうかぁ……。ありがとう、本当に助かったよ」
魔王の喜ぶ様を見て、村長が照れ臭そうに鼻頭を擦る。
「なに、勘違いするでない。これも全部、自分のためというヤツじゃ……」
(可愛い女の子ならともかく、こんな爺さんのツンデレじゃ、誰の気持ちも癒せやしないね!)
憎悪に満ちた魔王の両手が、村長の肩をガッチリと掴む。
「勘違いはジイさんの方だぞ……!」
「な、何をする気なんじゃ……」
今にも人を殺しそうな魔王の気迫に、みっともなく萎縮する村長。
視線を横にずらすと、田衛文の形相も、いつの間にか邪悪なものへと置き換わっていた。
「ナニをって、ソンナの決まってるじゃん♪」
「テメエの処刑だよー!!」
「ヒイイィィ!!」
村長は、ようやく己の過ちに気が付いた。
魔王を救出して一段落の流れに持ち込もうとしたが、絶対に不可能である。
なにせ彼の相棒にすら、詳しい事情の説明を後回しにしてるのだから。
「た、頼む! 許してくれとは言わんが、今だけは堪えてくれ。あの娘が、リュン達の身が危ういのじゃ」
「むぅ……。そんな風に平謝りされると、こちらも殺る気が失せてしまうではないか……」
後でどうしてくれよう、と魔王は怒りを収めながらも、相手に拒絶不能な要求を突き付ける。
「だったら村長、今まで僕達に隠してきた事、この場でちゃんと洗いざらい喋ってくれないとね」
「ぐうぅ……。分かった」
村長が覇気を失ってその場にペタンと座り込むと、魔王と田衛文も絨毯の上へと腰を下ろした。
ややあって、不承不承の村長が重たい口を開く。
「事の発端は、エルドラと、奴の信奉する破滅教にある。世の争いを肯定する破滅教は、統世神王メリカを神と崇め、各地で怪しい実験や陰謀を企んでおる。エルドラの場合、自身に逆らう者や国内の犯罪者達を洗脳にかけておるのじゃ」
「えっ、洗脳だって!?」
すると、すぐ隣りの田衛文が、魔王の視線を求めるようにウンと頷いた。
「さっき此処に来る途中、黒ローブの一人と出会ってね……」
と、田衛文が救出の途上で知り得た情報を簡単に説明する。
御蔭で黒ローブにまつわる現実と、ニルスが感じた不気味さの謎が魔王の中で繋がった。
「なるほど。黒ローブの正体は、洗脳者って事か」
「いや、もう少し正確に言えば、エルドラの信奉する邪教の証。その中に、洗脳された者が多数おるのじゃよ」
「邪教か……。以前、僕が壊滅させたフォルトの過激派とは、少し種類が違いそうだね」
当時を振り返った影響か、魔王の顔付きに為政者特有の厳しさが宿る。
彼の親衛隊は、それぞれ特定の任を帯びており、懐刀の牛人族フェリオスは領地防衛。誇り高き馬人族のエスタロンは反乱鎮圧。巨獣グリフォンのラムドが、偵察と大型獣への対応。蛙人族のガープが医療や環境福祉。そして鳥人族のアッカーファが、人権問題および、邪教根絶などの治安維持を担っていた。
意識を散らす魔王に構わず、村長は話を続ける。
「エルドラは大体1年に一度、洗脳効果を上書きするためか、生け贄を選出する。当然、儂は協力なんぞしなかった。しかし、村の者が生け贄の事実を知ってエルドラと衝突すれば、大勢の者が殺されるじゃろう。そう思った儂は、頼まれもしないのに偽装工作へと奔走した」
「そこを、マスターやローガスのおっさんに不審がられたって事か……。オッサンへの監視を付けたのも、誰かが無茶をしないか心配した、村長なりの気づかいだったんだね」
少しずつ疑問の糸が解れてゆく余裕から、田衛文が核心近くへと話を切り込む。
「ソレで今回は、部外者のボク達が攫われる事になってたの?」
「いや、子供達が田衛文を見付けた時点では、まだ其処までは考えておらなんだ……。じゃが明くる日、ニルスの口から魔王の名前を聞いた時、儂の頭に悪魔のような計画が閃いた」
切々と語る村長の顔が、罪悪感に引き締まる。
城の外では、寒暖差が空に激しい気流を生んで、鉄格子が填められた窓ガラスに大粒の雨を叩き付けた。
ンストゥル北部の山脈、不毛の大地から春の嵐が近付いている。
雷はなく、冷えた空気の室内に、村長の告白がぎこちなく続いた。
「すなわち、こちらからエルドラに取引を持ちかけること……。もしも、その男が正真正銘の魔王であったら、その身柄と引き替えに、もう村には手を出さないでくれとな」
話の時系列を頭の中で整理して、魔王が卒然と、「あっ!」とするどく弾かれる。
「それでお姉さんはあの時、初めから僕を攫う積もりだったと言ったんだね」
「やはり何処かで話しておったか……」
村長は染み染みと呟くと、けれん味ありと知りながら、自嘲の笑みで鼻を鳴らした。
「しかし、あの娘らが生け贄になると知って抵抗したばかりに、儂も此のザマじゃ……。思えばエルドラは、初日に魔王らの素性を確かめるべく村を訪れ、そのあと儂の計画を逆手に取ろうと考えたのじゃろう」
「そういやアイツ、あの日以来、村に来てなかったっけ……」
魔王の呟きのあと、田衛文は様々な事情を整理して、跳ね気味な紫色の髪を、怒りにブワッと逆立てる。
「ッテ事は……。リュンのヤツ、全部、知ってたうえで協力してたって事じゃない。ナニよ、ソレ!」
「おおっ……。あの娘を悪く言わんでくれ。あの娘はニルスとおんなじで、本当はとても繊細で臆病な性格なんじゃ」
リュンの負い目を知る故か、村長は見る見るうちに憔悴してゆく。
「あの娘が儂等に遠慮しとることは、薄々勘付いておった。マーサなんかもそれが不憫で、ついつい贔屓にしてしまう。もっとも、それがリュンにとっては重荷じゃったのかも知れん」
――彼女の内向きな考え癖は、確かに自分と似ているな……。
魔王は直感的にそう判断すると、ありきたりな返事で間を繋いだ。
「うん、それで?」
「こんな世の中でも、子供の力だけでは生きにくい。あの娘は儂等に見捨てられないよう、なんにも知らず、儂の計画に従ったまでじゃ。恐らく、村の秘密を怪しみはしたじゃろうが、転居記録などの擬装はおろか、両親失踪の真実も知るまい」
(お姉さんの事だから、ニルスを護りたいって気持ちが、強迫観念に変わったんだろうなぁ……)
魔王の中で、これまで不思議に思えたリュンの動機部分がストンと腑に落ちた。
「そいつを聞いて安心したよ。でも村長、その口振りからすると、やっぱり2人の両親は……」
と、途中まで質問を声に出した魔王は、そこではたと口を閉ざした。
相手に尋ねるまでもなく、自分は既にその結末を、非常に特殊な形で知ってるではないか。
しかし村長は魔王の沈黙を催促と捉えて、寂しそうに頷いてから、話をおよそ二十年前に遡らせる。
「大戦が終結して間もなく、肥沃な大地と豊富な資源を求めたエル・グラド本国は、現在のンストゥル地方に開拓団を送り込んだ。しかし、多くの村の生活がようやく軌道に乗り始めた十年ほど前、エルドラが国王の地位を簒奪し、フェルメンティアへの従属を表明したのを機に、何もかもがおかしくなった。金品は法外に要求され、街には破滅教の魔の手が広がる始末……。前城主への義理立てもあって、儂等もそりゃあ反発したとも」
築城に際して、物資や輸入品のやりとりで相当に潤ったのだろう。
往事に想いを馳せてか、村長の顔が幾分安らいだ。
しかしその表情も、すぐに深い緊張に染まる。
「そこで儂は、当時、めっぽう腕が立ち、なにより信頼の置けた事から、リュンの両親と共に傭兵を従えてエルドラ暗殺を試みた。…………じゃが、それが間違いじゃった。ヤツの護衛を片付けた時、儂等はふと気が付いた……。エルドラの姿が見当たらんのじゃよ」
真に迫った村長の話し方が、なにか良くない物に取り憑かれてるように思えて、田衛文は気味が悪そうに、肩を小さく後ろに退いた。
「にげられちゃった……トカ?」
「いいや、違う! ヤツは……。エルドラは、自分の姿を消せるのじゃ」
魔法原理に詳しい事もあって、魔王はからかい半分の表情で問い質す。
「姿を消すなんて、そんなの魔法でも無理だよ。何かの間違いなんじゃないかい?」
しかし村長は、頑として自身の説を譲らない。
「いいや。奴は間違いなく、儂らの前から姿を消し、傭兵を次々に血祭りへと上げた……。あの時の事は、今でもよく憶えてる。為す術のない儂は、リュンの両親に言われるがまま、一も二もなく村へと駆けた。それから先、2人の姿を見た者は居らん」
村長は胡座をかいた膝の上に両手を乗せると、深々と俯いて肩を落とす。
「あのとき2人が生きておれば、あの娘らが危険な目に遭わずに済んだやも知れん。運命じゃ……。なにもかも、不幸な巡り合わせが招いた事なんじゃ……」
(運命か……。確かお姉さんもそんな事を口にして、努力するのを諦めていた気がする)
残酷とは知りながらも、魔王はしんみりとした声で、村長を運命への悲嘆から
引きずり出す。
「村長。僕が思うに、たとえその2人が生きてたとしても、お姉さん達が攫われるのを止められなかったと思うよ」
「どういう意味じゃ、それは……?」
村長の瞳に、微かな憤激の色が差す。
魔王と村長。
ぶつかり合った二つの視線は、その場に小さな対立構造を生み出した。
「村長なら知ってると思うけど、お姉さんが首から提げてるペンダントの装核。オズボーンはそれを証拠に、2人の両親を指名手配犯だと位置づけて、お姉さんを国際世論の説得材料として大国に差し出そうとしたのさ」
「オズボーンが、あの娘らの両親を指名手配犯だと!?」
「ああ、そうだよ。王であるエルドラの真意はともかく、オズボーンはオズボーンなりに、お姉さんの身辺を嗅ぎ回ってたんだ」
邪教の生け贄と、国際圧力の緩和材料。
二重の鎖に囚われたその根元には、夫婦がそれまでひた隠しにした暗い過去がある。
「ねえ、村長。その罪ってのは、いったい何なんだい? どうして2人の両親は、大国に狙われるような真似をしちまったのさ」
魔王が不用意に放った一言が、村長がそれまで放棄していた感情を爆発させる。
「御主が……。御主がそれを言うというのか!!!!」
ワナワナと震える二つの拳が、村長の怒りを克明に物語る。
張り詰めた横顔をすぐ傍で見ていた田衛文が、不意を突かれて大きく目を瞠った。
「チョット、急に怒鳴ったりしてどうしたの?」
「どうしたもこうしたもない。儂は……、儂は悔しい。元凶である魔王に詰られるとは、死んだ2人が不憫でならん」
いきなり興奮したかと思えば、急にさめざめと泣く村長。
魔王はその豹変ぶりに、薄気味悪い不安を憶えた。
(僕が、その元凶だって……?)
自分の知らない遠い所で、自分を中心に物事が加速している。
魔王はそう思うと、急に理由を問うのが恐ろしくなった。
しかし、心に巣くう運命の手が、自分の背中を前へ前へと冷酷に押し続ける。
魔王は半ば衝動的に、村長が知る秘密を抉じ開けた。
「ジイさん、教えてくれ。2人の両親は、いったい何をしたっていうのさ」
「それは……」
長い逡巡のあと、村長の口から恐るべき事実が語られる。
「魔王処刑の妨害計画じゃ……」
魔王と田衛文、2人の背中に冷たい電流が走る。
「ド~シテ只の先史文明人が、魔王の脱走を計画するの!?」
田衛文がヒビ割れた声で叫ぶと、村長は生前の2人を思い返すように、引き締まった表情で首を横に振った。
「否。リュンの両親は、数ある戦闘チームの中でも、優秀な魔導士と僧侶だったのじゃ」
直前の衝撃が抜け切らないうちに、魔王は新たな驚愕に曝される。
「それじゃあ、お姉さんに魔術の素養があったり、退魔の装核を持っていたのも……」
「うむ。元々あの装核は、2人の両親が持っていたのじゃ」
すると今度は、田衛文が身近な疑問を村長にぶつけた。
「それじゃあなんで、リュンは魔法を使えナイの?」
「そもそも教えられる訳がなかろう。教えれば使い、使えばいずれ、身の上が漏れる。2人は自分らの正体を隠すためにも、子供達には装核を持たせたのじゃ」
呆気に取られたまま、魔王は無意識に話の続きを促した。
「ジイさん。お姉さん達の両親は、どうして僕なんかのために、そんな危険を冒したのさ」
「すべては政治的対立がキッカケじゃった……。フェルメンティア本国と、大陸
居住者との意識格差。やがてそれらが、先史文明人同士による血みどろの闘争へと衝き動かし、敗北種のフォルト差別をも拡大させる……。情けない話だが、世界が均衡を保つためには、まだ御主のような戦うべき相手、言わば『対抗存在』が必要だったのじゃ」
長い吐息が、要人監視室の空気に流れる。
その倦み疲れた残響からは、人類の性に対する深い失望が感じられた。
「そこで最悪の事態を避けるべく、リュンの両親は、勇者フィーダの冒険チームにいたザヴィニア女史と手を組み、同じチームの機甲整備士に接触を試みた。名は確か、瀞流・コールナー…………」
三度、魔王の脳裡に驚愕の迅雷が閃く。
「瀞流……。瀞流だって? くそっ、なんてこった……」
「瀞流って、二十年前、ボク達を逃がしてくれたあの人ダヨ!」
「なんと……。御主ら、本当にあの瀞流・コールナーに助けられたのか!!」
魔王が自分の胸を掌で叩いて、顔面を紅潮させる。
「ああ、そうさ。この服だって、元はアイツの冒険着なんだよ」
ひとしきり騒ぎ立てると、田衛文は不安そうに天井を見上げた。
「でもそれなら、瀞流もあの後、大丈夫だったのかな……」
「それは恐らく心配あるまい。不運にも発覚したのは、リュンの両親による逃亡教唆のみじゃ。2人は他の者に迷惑かけまいと、故郷を捨ててフェルメンティア領を抜け出し、その途中、儂らビストゥス開拓民と出会して行動を共にしたのじゃ」
魔王は、見えざる事実に打ちのめされて慄然とした。
苦痛が胸を咬み、懊悩が理性を揺らす。
(これがあの時、お姉さんが口にしてた『運命』とやらの重みなのか……!)
真実を語り終えた村長は、やおら足下へと這い蹲り、額を床にこすり付ける。
擦り付け、擦り付け……、絨毯に何度も擦り合わせては、自分を貶めるかのように、命を狙ったはずの男に助力を乞う。
「お願いじゃ。虫が良いのは分かっておる! じゃが、リュンとニルスを救うためには、御主らの協力が必要なんじゃ。頼む……」
魔王は村長の気迫に押されて立ち上がり、平伏する相手の様を、息を飲んで見下ろした。
自分も一度、こうして誰かに土下座をした事はあるが、果たして彼と同じくらい、切実な想いで居られただろうか。
況してリュンの両親は、自分の命の恩人なのだ。
「ドウスルの、魔王」
かっきりとした口調で田衛文が問う。
しかしその言葉には、拒否する事を許さない、強い憤激が隠されていた。
紫の瞳が魔王の両眼を貫き、燃えるように揺れている。
――運命がなんだって言うんだ!
自分を生かす命。それは田衛文に瀞流。
そして、二十年の時を経て明かされた4つの名前。
ワビリム、ササナ、ニルス。
そしてリュン。
魔王は強く想う。
もう二度と、無意味に朽ちて死にはすまい、と。
世界に拒絶された一人の男が、自分を求め、声なき声で叫ぶ、多くの魂の願いに応える。
「戦おう……。それが今の僕にできる、唯一つの意思なんだから!」




