27話
ンストゥル外門前に、暗黒面に堕ちた一人の精霊がいた。
その後方、地面に折り重るようにして倒れた多くの衛兵達。
一応、皆、死んではいない様子である。
「こ、此奴、強えぇ……」
いかにも雑兵な台詞を吐いて、宙を浮く魔物に襟首を掴まれていた衛兵が、今、気絶した。
『トサリ……』
最後の犠牲者が地面に落ちた瞬間、荒涼とした大地に一陣の風が吹き抜ける。
そう。田衛文はブチ切れていた!!
「あのクソ女! よくもボクの魔王を騙してくれたなぁ!」
田衛文の身体から、黒く禍々しいオーラが放たれる。
しかもそれは、まるで意思を持ってるかのように蠢き、彼女の全身が何倍にも膨れ上がったように錯覚させる。
「どうせフン縛ったうえで、☆○△×なコトしようとか考えてたに決まってる! そのうえ、こんな所にまで連れ回すなんて……。恋人気取りか、あのドブ板臭い
田舎娘! イヤ、ドブスメが!!」
ドブ、ブス、小娘と三位一体の罵声を口にした田衛文は、一時間前の出来事を
回想する。
時を遡ること暫し、無人の村長宅を発った田衛文は、魔王のリンクを受信して悔やんだ。
冷静に考えてみれば、彼女こそ、自分達を村長派の人間だけに紹介した要注意人物である。
エルドラが現れる直前、彼女自身が口にした通り、リュンは初めから、魔王に
危害を加える計画だったのだ。
そうと分かると、田衛文の動きは早かった。
リンクを応用して魔王の現在位置を推定し、目的地に目星を付ける。
それが此処、ンストゥルである。
一応、マスターとローガスには、有事の際に村人を逃がすよう伝えてある。
なにせ、これから喧嘩を売る相手は国王なのだ。
村人いびりのオズボーンとは、危険度がまるで違う。
追想から我に返った田衛文は、悠然と門を抜けて、城下の街並みに身を躍らせる。
「一度ナカに入っちゃえば、コッチのもんだもんね~」
飛行を遮る高い壁など、ここから先は存在しない。
田衛文はその脚(翼)で、ンストゥル本城を目指す。月に照らされた石畳の上空をまっすぐ進み、歩哨の魔術兵が少ない西側練兵場を飛び越えて更に奥へ。
やがて、石段の先にある小さな中庭へ降り立つと、ニシシと笑ったしたり顔の
口元を掌で覆い隠した。
「ホリョと言えば、やっぱり此処だよネ……」
闇夜に紛れてまんまと兵員宿舎に忍び込んだ田衛文は、まっさきに城の地下一角、牢屋へと向かう。
ここから先は、少し工夫が必要だ。
宿舎の内扉を抜けた城内部ともなると、通路のあちこちに魔導灯が設置されており、今までのように呑気に宙を飛んでるわけにも行かない。
『カサカサ……。カサカサカサ…………』
そこで田衛文が編み出したのが、天井這いの技術。
まさかそんな所に、小さな侵入者がいるとは誰も思わない。
ところが世の中、そう簡単には行かないものである。
牢屋という空間は、言ってみれば囚人達の個人的空間。
通俗の様式とは一味も二味も違う。
ぶっちゃけ、天井が低かった……。
そんな理由から、だらしがなく大口を開け、ボンヤリと天井を見つめていた牢屋番が、偶然にも、彼女の姿を遠目に発見してしまう。
椅子に背を預けたまま、一言。
「んぁ? 虫かぁ?」
『ブチッ!!』
怒れる田衛文が、天井でワナワナと小刻みに震える。
しかし、何も知らない牢屋番の青年は、やおら看守机から立ち上がって持ち場を離れる。
「どれ。ちょっくら、用でも足して来るか……」
そうしてノコノコと中庭に出てくる番兵。
どうやら彼は、他人に隠れてこうした所でやるという、非常にレアな性癖の持ち主らしい。
『じょぼぼぼぼ…………』
「ういいぃぃ……。極楽、極楽……」
不意に耳元で、死神が囁く!
「ナラ、今すぐソコに送ってヤル!」
「アあァ……!!」
一瞬、不幸な男の断末魔が城内を駆け抜けた。
しかし何分、男が自ら志願した絶好のスペース故、城の広さも手伝って、誰一人、彼の悲鳴に気付く者はいなかった。
魔導灯の明かりの下、不幸な男が俯せのまま、『ズルッ、ズルッ……』と不吉な音を立てて、茂みの中へと引きずり込まれてゆく……。
ややあって、田衛文がニコニコと牢屋に戻ってきた。
おやおや、どうした事か。
その手には、鍵束をジャラつかせているではないか。
「さっきの人ってば、ナンテ親切なんだろう。ちょ~っとバチバチする手で触ったダケで、ボクにコレをくれたんだモン♪」
人、それを強奪と呼ぶのだが、そんな事は気に掛けず、田衛文は次々に牢の木戸へと耳を当て、中の様子を探ってゆく。
やがてその動きが、一番奥で止まった。
「ムッ、ヒトの気配……。ってコトは、魔王はココ?」
田衛文は牢の鍵を開けて、部屋の中へと素早く入り込む。
しかし、そこで待っていたのは、涙と洟で顔を一層皺クチャにした村長であった!
村長は喜びから両手を目一杯に広げて、田衛文に抱擁を迫る。
「おおっ、儂を救けに来てくれたんじゃな!」
ガス、ドム、ビターン! と連続コンボを村長にお見舞いしてから、田衛文の拳がマウントポジションで唸りを上げる。
「だまれ、このクサレ外道! ボクの魔王を捕まえといて、ナニをしゃあしゃあと!」
「うぐおっ、死ぬる……」
村長が苦悶の呻きを漏らしたその時、折悪しく、見張りの交代が牢屋に降りてきた。
しかし、中の状況まで確かめようとはせず、どっかと椅子に腰を落ち着けてしまう。
すると村長は、事もあろうに、敵である牢屋番に救いを求めた。
「うぬうぅ……。た、助けてくれぇい……」
だが、忠誠心よりも仕事のサボリに熱心な番人は、立ち上がりもせず嘲笑うような声で、
「おいおい、拷問にでも掛けてんのか?」
(ハッ、マズイ!)
田衛文はとっさに声色を変えて同僚を装った。
「へへっ。コイツ、俺達に楯突いてるそうだからな。ちいっとばかし、お勉強させてやってんだ」(野太い声)
「ハハ、そうか……。あんまり、やり過ぎんなよ」
番兵は疑うことなく、アッサリと騙された。
邪魔者の気を逸らしたところで、田衛文は村長の上から身体を退かした。
元より体格が合わないうえに、これ以上、番兵に向かって何かを叫ばれては堪らない。
いっぽう、相手の馬乗りから解放されたばかりの村長は、ガチガチと歯の根が噛み合わない。
「なにゆえ御主のような女子が、ジ○ン軍の次男みたいな声が出せるのじゃ……」
「ヘン! 今のボクはチョットばかし魔力が多いから、どんな声だって出せるんだよ。名付けて、七色の声!」
いつにも増して何でもアリの田衛文が、拳の関節をバキボキと鳴らして村長へと歩み寄る。
「さあ、大人しく啼いてもらうよ……。どうしてボク達を、罠にハメようとしたの?」
「ま、待って下され。説明はあとで幾らでもする。じゃから、まずは牢屋から出してくれ」
「ヤッ!!」
「即答で拒否じゃと!?」
「ダッテ……。どうせ逃げるか、誰かに通報するに決まってるもん!」
田衛文がにべもなく撥ね付けると、村長は彼女の膝にすがり付いて哀願する。
「そんな事はせん……。それと言うのも、このままではリュンとニルスが危ういのじゃ。二人を救うためにも、儂も彼奴を逃がす手助けをしよう。あの男、腐っても魔王なのじゃからな……」
それを聞いて、田衛文の声が大きく上擦る。
「もしかして、魔王の正体を知ってるの!?」
案の定、その声は牢屋番に察知される。
「オイッ、今の声はなんだ!」
ガタッ、と椅子から飛び跳ねる音に次いで、脛当てがガチャガチャと揺れる音が近付いてくる。
「イカン、今ので牢屋番にバレてしもうた。ここは切り抜けるしかないぞい!」
事、此処に至っては、やるべき事はたった一つである。
どさくさ紛れに主導権を奪われた田衛文は、渋い顔で入り口へと向き直った。
「なんか事情がよく分かんないけど……、オッケー。取り敢えずはボクに任せて!」
気合いの一声を上げてから、田衛文が外の牢屋番へと奇襲を試みる。
「ウワァ! なんだ、あの虫は!?」
「オマエも言うかぁ!!!!」
本日二度目の虫呼ばわりに、怒り爆発の田衛文。
負のオーラが甲冑の如くうねり、手刀に至っては七色に燃えていた。
「オマエみたいなヤツが、地上に悪意を蔓延させるんだぁ!!」
雷跳ねて、手刀が奔る!
「くそっ、俺の『一人トリプラーアタック』が効かない!? うわあぁぁぁぁ!!!!」
またしても、断末魔の悲鳴が虚空へと掻き消えた。
雨粒がパラパラと窓ガラスを打つ。
重く垂れ籠める厚い雲と、粘りつくような湿気に空が堪え兼ねて、地上に驟雨を降り散らした。
雨音が響く城内三階。エルドラ私室を始め、宝物庫や貴賓室など、重要な部屋ばかりが並ぶフロアを、猫背の黒ローブがノロノロと歩く。
信者の扮装をした村長である。
もちろん田衛文も一緒なのだが、彼女は身体が小さいために、ローブの中へとスッポリ隠れていた。
腹部の弛んだ布地の中で、田衛文が不安に胸を躍らせる。
黒ローブ姿での徘徊は、たとえ平凡な町中であっても不審感抜群である。
それを厳重警備の城内でするというのだから、村長の潜入意識は敬服に値した。
「ネエ、ホント~にコレで大丈夫なの? むしろ、怪しさ全開なんだケド……」
彼女の問いに、村長は余裕の態度で徘徊を続ける。
「なに、これにはちゃんとした訳がある。さっき、牢屋の近くをウロ付いとった黒ローブを、お主に倒してもらったじゃろう?」
とその時、正面の交差路で、巡回する二人の兵士と出会した。
「ヤバ、見付かっちゃった……!」
「そう慌てるでない。ちょうど好いから、黙って見ておれ」
村長は相手の警戒も顧みず、意味不明な祈りを口遊む。
「アーヴェーイスター、グロニスタ。ネーベルカイネー、アイエスタ…………」
この不審行動に、巡回兵士達は呼び止めるどころか、気味の悪い表情で左右に道を空けた。
やがて、二人の姿が兵士達の視界から外れる。
田衛文はローブの端をチョコンと捲り上げて、衛兵の追跡がないのを確かめた。
「フゥ~ン。本当に大丈夫みたいダネ……。一体なんで素通りできたの?」
すると村長が、苦り切った口調で答える。
「エルドラの頭に彫られた入れ墨と黒ローブは、奴が推し進める信仰・破滅教の証なのじゃ。そしてその中には、具体的にどういった仕組みかは分からんが、洗脳された者が数多くいる。今の譫言は、その者達が口にする呪文のようなものじゃ」
「ナニソレ、酷過ぎる!」
「じゃろうとも……。儂等もそれが恐ろしゅうて、嫌々従っとるだけじゃ……。それより、ホレ……。ここが魔王の捕まっとる場所じゃ」
二人が立ち止まった要人監視室は、石壁のど真ん中に、一枚の重厚な木の扉を閉てただけの、宿屋で頻繁に目にする普通の造りであった。
「ホントに此処なの? なんか、楽勝に抜け出せそうじゃない?」
「見た目はの……。しかし、外から開けると罠が解除されるが、中から無理矢理開けようものなら、一瞬で黒焦げになる仕掛けらしい」
「そんな部屋、誰が作ったの?」
「いったい全体、この城は儂にも分からん事だらけじゃ……。思うに、至る所にフェルメンティアの技術が使われとるんじゃろう。もしかすると、その辺りについては、お主よりも魔王のほうが詳しいかも知れんな」
それを聞いた田衛文は、天井を見上げて『う~ん……』と難しそうに眉を捻った。
「ボクと比べると、魔王の方があんまり知らないと思うよ」
「そうなのか?」
魔王の経歴を知らない村長は、意外そうに瞼を開いた。
「まぁよい……。とりあえず、中に入るぞい」




