26話
隠密行動を始めてから、たったの2分。
魔王はちょっぴり憂鬱な気分に陥っていた。
「相手の目的地は、さっきの教会だって分かってるんだし、偉そうなこと言わず、田衛文と一緒に引き返してるんだった……」
そのうえ、大見栄切って足留めするとは言ったものの、今の魔王には、戦闘力など無きに等しい。
時間稼ぎが出来るかどうかも疑わしかった。
「ハァ……。僕ってホント、役立たずなんだな……」
心細さに呟くと、すぐ横の大木を挟んだ闇から誰何の声が響く。
「誰、そこに居るのは!?」
「ヌハッ、いきなり見付かっちまったい!」
超絶にヤバイ状況である。
不安を紛らわせるべく発したボヤきが、どうやら敵に聞こえてしまったようなのだ。
(ええい、こうなったら一か八かだ!)
ヤケを起こした魔王は、出会い頭の襲撃を試みる。
「せいやあ! 僕の渾身の背負い投げぇ!!」
選りにも選って、超接近戦という最低の選択。
もちろん、田衛文への救援要請など、発覚された動揺でとっくに忘却済みである。
だがしかし、後に彼は、この時の選択をこう評価したという。
神の為せる技(選択)と。
『フニフニ~ン♪』
狙い澄ました魔王の手(略して魔手)は、暗闇のために距離感を大きく誤り、
相手女性の胸を、ワッシワッシと鷲掴みにしていた。
「ぐぬぅ……。こいつは或る意味、僕にとって最強の敵だい!」
と言いつつも、自力では痴漢を働く手をどうにも離せない。
これで、名実共に魔手である。
「キャア!! 何するんですか!」
指摘として飛んできた言葉は穏当なのに、制裁として飛んできた物は中々にハードだった。
「痛たたた……。グーで殴られたぞ、グーで」
声の調子と聞いた事のある台詞に、被害者女性Aが何かを悟る。
「その声は、もしかしてマオウさん!?」
「今の感触は…………。まさか、お姉さん!?」
バチコン!! と魔王の頬に平手打ちが吸い込まれる。
「もう一発、必要ですか……!」
「間違えました。”その声は”、です」
目を凝らすと、胸をガードしながら顔を赤らめる、可憐な少女の姿がボンヤリと見えた。
この春イチ押しの体験に、魔王の心は、元の調子をすっかり取り戻す。
「どうしてお姉さんは、こんな所に居るんだい? しかも、たった一人だなんて……」
詰問されてるとでも思ったのか、リュンは途切れ途切れに答える。
「その……。お手伝いさんを見送った時、田衛文さんが空に見えたので、追いかけてみたら……」
「森に入る僕らを見た、と……?」
相手の意思を先読みすると、コクンと可愛げな反応が返ってきた。
(なんてこった……。まさか追跡する側が、反対に追跡される側でもあるなんて)
こんな話、田衛文には、みっともなくて聞かせられない。
魔王は額へと添えた手を身体の脇に下ろすと、リュンの行動力に舌を巻いた。
「それにしても、この森には幻術が掛けられてるってのに、一人でよく此処まで
来られたね」
「えっ、そうなんですか?」
リュンは不思議そうに小首を傾げて、右手をソワソワと落ち着きなく背後へと回す。
思案して暫く、魔王は自分が見当外れな質問をしてる事に気付いた。
「そうか、ペンダントがあったんだっけ……」
「ペンダントって、コレですか?」
リュンが左手で上着の襟を開き、胸元のペンダントを見遣る。
(嗚呼、僕はあの胸に触れたんだなぁ……。うん、決めたぞ。今日からこの右手を、『黄金の右』と呼ぼう)
浮付いた気分にムリヤリ蓋をすると、身体中の筋肉がウネウネと気持ち悪く動き始めた。
魔王は、全身を走る奇妙な痙攣をひた隠しにして、リュンの疑問に短く答える。
「うん。ペンダントに付いた装核の御蔭で、結界魔法の影響を受けなかったんだよ」
結果的には、吸魔体質の彼女だからこそ、森の中を自由に歩けたのだ。
納得の行った所で、魔王はリュンの手を取って、森の外へと先導する。
「そんな事より、ここから早く逃げないと……。お姉さん。悪いけど、僕と一緒に来て欲しいんだ。この森には、獣なんかよりも遙かに危険な連中がいるんだ」
歩きながらも説明するが、事件を知らないリュンの動きはひどく遅い。
「そんなに慌てて、どうしたんですか?」
振り向くだけの時間も惜しく、魔王は徐々に歩幅を広げて、相手の身体を引っぱるようにして返答した。
「教会だよ! 黒ローブの怪しげな集団が、生贄を使った儀式を向こうでやってるんだ。そのうえ、村長も一緒なんだよ!」
「へえぇ、そこまで知ってるんですか……」
背中に突き刺すような悪寒が走り、引き手の握力が一気に強まる。
とっさに魔王が後ろへ振り返る。
振り上げられたリュンの右手には、銀色に輝く注射器型の暗殺道具が握られていた。
――烈管。
その機能は、対象に固有の魔力を注入し、抵抗不能な魔法攻撃を与えるもの。
いくら零魔力状態の魔王でも、魔力を直接注入されてはキャンセルできない。
リュンの姿勢が前のめりに崩れていたことで、魔王は辛うじて、彼女の右手を掴み止めた。
「私とニルスのために、大人しく捕まりなさい……!」
覆い被さろうとするリュンが、血走った眼で魔王を睨む。
「ど、どうして……!」
(いや……。悩むより、まずは離れるべきだ!)
魔王はリュンの腕を押しのけると、バックステップで距離をとった。
「逃げるなっ!」
リュンは魔導具を手にして執拗に追い縋るが、所詮は戦い慣れない女性の動き。
落ち着いて対処すれば御遊戯も同然で、非力な魔王でも難なく避けられた。
「お願い、抵抗しないで……」
射すべき筈の魔術道具を、ナイフで斬り付けるように振り回す。
その攻撃を躱されるたび、彼女の殺気に哀しみが宿った。
「みんな、皆……。私にどうしろっていうのよ!!」
やがてリュンは鬱積した想いをぶち撒けると、途方に暮れて地面に崩れた。
もう彼女には、戦意の欠片もない。
否。本当は戦意など、初めからなかったのかも知れない。
彼女の言動を振り返ると、なにか義務感のようなものに急き立てられて、嫌々戦っている節さえ感じられた。
魔王はリュンに目線をあわせてしゃがみ込み、穏やかな声で語りかける。
「お姉さん、いったい何があったんだい?」
少し間を置いて、リュンが憔悴した顔で事情を明かした。
「お城に連れて行かれる途中、オズボーンが、私に烈管を渡して言ったんです。
ニルスと一緒に暮らしたければ、あなたを捕まえて、その身柄を引き渡すようにって……」
「それでお姉さんは、僕を捕まえようとしたんだね」
予想に反して、リュンは首を激しく横に振った。
「いいえ、それは違います。たとえその事がなくても、私は貴方を捕まえる積もりでした!」
「なんだって!? どうしてまた、そんな無茶な真似を……」
『フフフハハハハッ……!!』
魔王の問いを遮って、森の中に不気味な哄笑が響き渡る。
悪意と威厳が入り混じった笑い声に、身体が瞬時に反応した。
「誰だ!」
魔王はすぐに立ち上がって辺りを窺うと、黒い塊が木々の間でゆっくりと動いた。
闇より溶け出る禿頭の巨体。
黒い法衣が歩みに合わせて小さく揺れるが、衣擦れの音はそよともしない。
着衣の選択と身のこなしから、魔王は暗殺者の手管を連想した。
国王エルドラ。その表情がいつにも増して陰惨に見えるのは、葉隠れに差し込む月明かりのせいなのか。
姿こそ見えないものの、ほかにも複数の気配が森の中に感じられた。
「また会ったな、マオウ君。否、魔王……」
魔王はリュンから少し離れると、彼女を庇うようにエルドラと対峙した。
「僕の正体なんて、とっくに御見通しってヤツかい」
「フフフフフ……。全ては我らが神、メリカ様の御神託によるものだ」
謎めいた言葉に続けて、エルドラは失望と嘲笑を込めた瞳でリュンを見下ろす。
「しかし小娘、貴様はやっぱり使えない女だな」
エルドラの叱責など関係ない。
ただ、他人の好意に付け込もうとした自分の選択が辛かった。
立ち上がるだけの気力も湧かず、リュンは両手を地面について嘆く。
「だったら、もう許して下さい。マオウさんは私達のために、身体を張って抗議してくれた人です。私にはもう、彼を傷付ける事なんて出来ません」
「フン……。ならば、これでも同じ事が言えるかな?」
合図と共に、厚手のローブを着込んだ信者が現れる。
表面を覆う黒く滑らかな布と、錦糸で直線模様をあしらった特注の魔導衣。
その脇の下が大きく膨らんで、茶色い髪の小さな頭頂部が見えた。
リュンの瞳が驚愕に見開かれる。
「まさか…………。ニルス、ニルスなの!?」
彼女の悲鳴を聞いても、ニルスの両手は地面にダラリと垂れたままだ。
魔王とリュン。
二人が思い浮かべる最悪の可能性を、エルドラが冷笑と共に否定する。
「安心しろ、眠っているだけだ。しかし、私の言うことに従わなければ……、分かるな?」
魔王が悔しさに耐えきれず、その場で小さく身動ぎする。
靴裏の地面から、小石が擦りあう不快な音が鳴った。
「くそっ。卑怯だぞ、エルドラ!!」
「せいぜい醜く吠えるが良い。どうせ貴様の命は、もうじきメリカ様の許に送られるのだからな」
エルドラは落ち着きを払って答えると、視線を横にずらして、魔王の後ろに冷然とした瞳を向ける。
「さあ、リュンよ。其奴を捕らえるのだ」
魔王が反射的に身を開く。
対してリュンは、一瞬、魔王にするどい視線を向けるも、仮初めの敵意は長続きしなかった。
「私には、もう無理です……」
「お姉さん……」
魔王にはその反応が嬉しくもあり、また同時に、ニルスを危険に曝すぶん、申し訳なくも感じた。
リュンの不服従が、エルドラの不興を買う。
「フン。そう答えると思ったわ……。どうせなら、教えといてやる。実を言うとな、貴様が魔王捕縛に成功しようが、どのみち貴様ら姉弟は、我ら、破滅教の生贄として捧げられる運命だったのだ」
「そんな……。それじゃあ私はなんのために、ここまで苦労してきたっていうの?」
絶望と後悔が胸を貫き、リュンは蒼白い顔で打ち拉がれる。
激しい義憤に駆られた魔王が、片手でエルドラを指差したあと、怒りに任せて、手刀で宙を振り払った。
「くそう……。破滅だか神託だか知らないけど、いったい何処まで他人の人生を狂わせば気が済むんだ。勝負しろ、エルドラ! この場で全部、終わりにしてやる!!」
エルドラは、フフッと軽く笑ってあしらうと、肩の隣りで片手を振って、部下に合図を送った。
「残念だが、そうも行かん。このンストゥルにも、危機が迫ってるのでな……」
エルドラの意思を汲み取って、潜伏していた黒ローブ達が一斉に動きだす。
狙いは魔王ではない。
戦う意思そのものとなる護衛対象の方だった。
「いやっ! 止めて、離して!!」
「しまった、お姉さんが……。おい、お姉さんから離れろ!」
「他人の心配をしている場合か……。おい、魔王も捕らえてやれ」
黒衣の信者が、無言で魔王を取り囲む。
魔王は親指で胸元の革ベルトから金属釦を弾くと、冒険着付属のナイフを抜いて中腰に構える。
包囲の中心でダガーナイフを軽く振り、威嚇と同時に敵との間合いを調整するが、敏活を欠く信者の動きからは、殺気が何故か読み取れない。
これではまるで、死者との舞踏だ。
それでいながら、ずっと昔に魔王が戦ったスケルトンとも、動きが鈍間なゾンビとも違う。
結局は、多勢に無勢。
瞬く間に叩き伏せられて、リュンが所持していた烈管が首筋に押し当てられた。
「ぐあっ!!」
烈管の正体は、睡眠作用の魔力が封入された睡烈管であった。
「マオウさん。マオウさん!」
運び去られるリュンの目から、涙の欠片が幾つも零れる。
薄れ行く意識の中、悲痛に叫ぶリュンの声が、魔王に次善の策を働きかけた。
(お姉さんが、僕に救けを求めてる……。そうだ、救けを呼ばなくちゃ…………)
「お、ねえ、さん……」
息も絶え絶えの呼び掛けを聞いて、エルドラは初めて、魔王に賞賛の眼差しを向けた。
「ほほう。この状況で、まだ動けるか……。おい、お前ら。念のため、少し痛め付けてやれ」
身動き一つままならない魔王を、三人四人と、寄って集って袋叩きにする黒ローブ。
一層の闇が視界を埋め尽くす直前、魔王のリンクが相棒へと飛んだ。
『ゴメンよ、田衛文……。僕の代わりに、二人を守ってくれ……』
限りない意識の闇、一組の男女が泣き、叫び、喚く声が魔王の脳内を反響する。
(これは確か、田衛文が言ってた内容とまったく同じものだ……)
自身の言葉を思い浮かべると、視線の下に、四角い映像空間が現れた。
堅い岩盤に仕切られた、広い地下空洞。
その中心に丸太が二本、離れて垂直に突き立てられ、片方には顎先のするどい
知的な男性。
もう片方には、同年齢くらいの緋色の髪をした女性が括り付けられている。
(二人は夫婦なのかな……)
あとの展開を、魔王はすでに知っている。
田衛文からの話通り、まずは女性が喉を切り裂かれた。
胸元で揺れるペンダント。
魔王はごく最近、同じ装飾を施されたソレを見たことがある。
男は、声の限りに妻の名を叫んだ。
「ササナーーー!!」
その直後、男は生きたまま心臓を抉り取られた。
事切れる直前、女は声なき声で夫の名を告げる。
ワビリム、と。
『許せませんね……』
と、魔王はその時初めて、足下の四角い映像の外に、小さな女の子が立っていることに気が付いた。
眠たげな眼差しと、雪のように白く、しっとりとした肌。
理知的に引き締まった唇に、流れるような芯の太い黒髪。
世界を越えて表現すれば、それはちょうど巫女装束を着た、白く儚い日本人形であった。
(君は、いったい何者なんだい?)
すると闇の中に浮かぶ少女は、声だけは意外そうに、平然とした表情で顔を上げた。
『おや、聞いていましたか……。私は、冥き瞳に封じられし精霊。自分の名前を
語呂に合わせて、冥箒と名乗っています』
少女の性格が表れているのか、その声は抑揚に乏しく、そして何処かしら皮肉な響きを含んでいた。
(この映像って、いったい何なんだい?)
『まぁ、被害者たちの残留思念……とでも言うべきですかね』
(ずいぶんと残酷な殺され方だね)
すると少女は、ムウゥ……と不服そうに眉を寄せる。
『なにを他人事みたいに言ってるんですか? あなたもじきに、そうなるんですよ?』
(そいつは嫌だぞ)
相変わらず思念のみで答えを返すと、冥箒はまた、持ち前の飄々とした口調で魔王を励ます。
『なら、少しは頑張ってみることですね。私としては、あなたに結構期待してるんですよ、魔王』
不意に、目に映る景色のすべてが、足下の映像へと吸い込まれ、別角度の光景へと切り替わる。
映像内の壁際、赤茶けた岩盤が大きな髑髏型に刳り抜かれていた。
『良いですか? ドクロの瞳を手にしたら、必ず私の名を呼んで下さい。そうすれば、あなたを巡る物語が、また一つ、息を吹き返します……』
その瞬間、魔王の脳裡に幾つもの未来が刻まれた。
張り出した大地の先に浮かぶ、絶海の孤島。
幾つもの爆発と衝撃が走る港町。
落城する首都で美女に別れを告げて、放浪の果てに、自分は戦場で『運命の人』と巡り会うのだ。
(それは……。その人は、いったい誰なんだ!!)
加速する視界の中、魔王は反射的に大声で問いかける……。
やがて白い粒子が辺りを埋め尽くし、魔王の記憶は光の彼方へと消え去った。




