22話
気付くと魔王は、全速力で駆けていた。
勝手口のドアを開き、外壁に立て掛けられた農具を手に取って疾駆する。
無用・無価値の存在は大きく道を迂回し、ビストゥス北の境界前へと回り込んで、赤服の連行者に立ちはだかる。
ンストゥル王城へと続く大通り、オズボーンの視界に魔王の姿が映り込んだ。
驚きと、そして行く手を阻む意味を知って、ワナワナと声を震わせる。
「貴様は、何をしてるのか分かってるのか! 私に逆らえば、こやつの弟とンストゥルは救からんのだぞ!」
もう、二十年前のように間違えたりしない。
生きることの尊さに、正解か不正解かなど関係ないのだ。
迷いながらも、魔王は心の底から、自分なりの答えを絞り出す。
「それでも……。それでも、戦わなくちゃいけない理由があるんだ!!」
魔王の想いが、失望に塗り潰されたリュンの心を貫き、彼女は声を上げて泣いた。
己の不運な境遇と、無抵抗を選んだ自責の念に涙して、リュンはクタクタと
地面にへたり込む。
そのすぐ後ろ、オズボーンは魔王の無茶な選択を呪わなかった。
それどころか、一種の強い憧れに、胸を強く震わせる。
若さや未熟さが間違いだとは限らない。
問題の本質に近付くためには、多少の強引さや純粋さから来る直感が必要だ。
――かつての自分には、権力がなかった……。
だが、いま一番欠けてるものが、自分の側にはない。
目の前の魔王にある!
「まっすぐだ、まっすぐだとも……。だがそれでも、護り切れない存在が私にもあったのだ!」
オズボーンは、両肩のうしろに掛けた二振りの棍棒へと手を伸ばす。
「止むを得ん。どうせ貴様には死んでもらうつもりだったのだ!! 行くぞ、マオウ!」
相手は、たった一人で十人近くの自警団を倒した強者だ。
自分一人では勝ち目がない。
勝負所を予期した魔王は、迷うことなく、田衛文へと思考共有を飛ばす。
『田衛文、頼む。君の救けが必要なんだ!』
昼食のため、ニルスと一緒に戻ってくる途中だったのだろう。
間もなく、青空を裂いて紫色の迅雷が両者のあいだに閃いた。
やがて、収まりゆく雷光から現れたのは、技と同じく紫色のジャケットに、所々を銀鋲でパンクにあしらった小さな勇者であった。
「オッス。ボク、田衛文! 大体のコトはリンクで聞いてるヨ♪」
気合い一閃。
空中で腰溜めに構えた拳から電撃が弾ける。
「クッ、味方に精霊が居たのか……。だが、電撃魔法では制御が効くまい!」
電撃属性の最大の売りは、高濃度のエネルギーと、他属性にはない圧倒的な速さだ。
だが、その強すぎる魔力量ゆえに、攻撃範囲や方向性の維持が難しく、近くの
味方に感電する恐れもあった。
オズボーンは、敵の弱点を瞬時に見抜くや否や、魔王に大きく距離を詰める。
「来い。今度こそ僕は負けない!」
実際に先手を打ったのは、迎撃側にあたる魔王だった。
木柄の農具を中距離から打ち出して、振りかぶった相手の武器を跳ね上げる。
オズボーンは獲物を離さない。
衝突の勢いが腕に伝わり、右半身が後方に反れた。
オズボーンは一撃必殺の利き腕を囮にして、左手の棍棒を水平に薙ぐ。
しかし、反撃の軌道が急に動きを変えた!
全身の産毛がピリピリと逆立ち、肌を刺すような奇妙な感覚に襲われる。
迎え電流という自然現象だ。
オズボーンは、うしろに体勢が崩れたまま、爪先で二度三度と背後に短くステップ。
三度目の飛び退きの直後、2人のあいだを紫の閃光が走った。
距離にして、およそ3リトア(4.5メートル)。
魔王の左後方で、田衛文が逆三角形に目を尖らせる。
「ボクの魔王に手を出すな!」
「なんという魔力操技(魔力を操る技術)……。この距離でも調整が効くのか!」
一撃、二撃と、田衛文が無詠唱の電撃を放つ。
その攻撃を、相手の身振りと目線に合わせてオズボーンが躱した。
非殺傷でも詠唱が不要なぶん、田衛文の攻撃は充分な足留めとなる。
『今度は僕が行くぞ!』
思考共有によって、互いの意思が瞬時に伝わった。
電撃が止むのに合わせて、魔王が横から中・上・下段の変則突きを打ち込む。
対するオズボーンは、三撃目をバックステップで空振りさせると、左の棍棒で農具先端の接続金具を上から押さえた。
「貴様ごときに負けるものか!」
魔王の攻撃を封じるためには、左下への重心は外せない。
オズボーンは右腕を肩の上へと振りかぶり、腕力頼みの強撃を試みる。
(オッサンの言った通りだ……。今だけは、相手の動きがちゃんと読める!)
半歩退いた魔王が身体を捻り、肘を前後に入れ替えた石突きをお見舞いする。
「これでどうだ!」
「あがっ……」
伸び切った脇腹を長柄の尻が深く抉り、オズボーンの身体が、魔王の上体と揉み合うようにすれ違う。
「今だ、田衛文!」
「セイヤッ!」
「グァガガガガ……!!」
激しい閃光が相手の背中を叩き、オズボーンが痙攣して俯せに倒れた。
「もらったぁ!」
止めとばかりに、魔王が手にした農具を振りかぶる。
するとその時、急な呼び声に注意を奪われて、魔王は最後の一撃をためらった。
「オズボーン様ぁぁ……!」
「魔王、アレを見て。兵士達がゾロゾロとコッチに来る!」
田衛文が慌てた様子で、北の方角を指差す。
鈍色の鎧に似合わない盗賊面と、兜を飾る赤モヒカンの房。
移住初日に大通りで見た、エルドラ親衛隊の装備である。
「くそっ、警備隊の奴等か!」
「時間切れというやつだ……」
オズボーンは地面を押して病人のように立ち上がり、魔王から用心深く距離を取る。
長く正式な詠唱でない限り、充分なダメージを与えられないのが、『お仕置き魔法』のネックな所。これで折角のチャンスが無駄になってしまった。
村境を越えた8人が、魔王と田衛文を避けて回り込み、オズボーンの守りを固めた。
「こちらにいらっしゃいましたか……。オズボーン様」
「お前達、ちょうど良い所にきた。全員で奴等を叩きのめすぞ」
「倒しても……、宜しいのですか……?」
歯切れの悪い兵士達に、オズボーンが固い表情で指示を出す。
「やむを得ん。これも国を守るためだ」
国という形を守って、そこに住む人を護らない。
彼もまた、昔の自分と一緒かも知れない……。
複雑な感情に揺れる魔王の横で、田衛文は、目の前の集団に注意を向けたまま告げる。
「魔王、このままじゃマズイよ」
「分かってる。下手に手を出さないで様子を見よう」
ゴロツキ兵士の不気味な呼吸音が場を制する。
その周りでは、騒ぎに釣られた多くの村人が集まり、遠巻きに固唾を飲んで両者の対決を見守った。
双方、まったく動けないでいる。
数秒後、視界の端で田衛文が動くのが見えた。
(よし、僕もあとに続くぞ!)
魔王の覚悟を余所に、田衛文はいきなり、オズボーンの手下に呼び掛ける。
「ネエ、アンタ達……。ひょっとして、全力疾走して疲れてる?」
その場の緊張が一瞬にして途切れ、親衛隊の表情に衝撃が走る。
「な、何を根拠に……。我々は、やる気満々だぞ。ホラ、見ろ! こんなに武者震いだって」
「おじさん。それは武者震いじゃなくて、膝が震えてるだけだと思うよ」
魔王が指摘した途端、皆、なぜか口を揃えて反抗を強めた。
「失敬な! だいたい、なぜ貴様みたいなバカに、我々がそうやって馬鹿にされないといけないんだ」
「そうだ、そうだ!」
「撤回しろ! さもないと、酷い目に遭わせてやるからな」
「よぅし、これで戦う口実ができたぞ……。俺達は、オズボーン様に命令されて嫌々、卑怯な戦いに身を投じるんじゃない」
「そうだ! 俺達は、自分達の誇りのために戦うんだ!」
(いったい何しに来たんだろう、この人達……)
脱力しながらも、改めて考えれば、魔王の指摘は全くの逆効果であった。
御陰で敵は、すっかり戦意を取り戻している。
相手は、武装した訓練兵だ。
一気に数で押されたら、魔王達では手も足も出ない。
すると今度は、反対の南側から、皮肉染みた声が聞こえた。
「フン……。真打ち登場のつもりじゃないが、少しばかりタイミングが良過ぎたかな」
二手に分かれた村人の花道から、不敵な笑みを浮かべた男が二人、こちらへと歩み寄る。
「オズボーン。こうしてお前と会うのは、大戦期以来のことか……?」
一人は四十も半ばを過ぎた、強面過ぎるグラサン男、酒場の主人・マスター。
そしてもう一人は、槍の穂先を天へと向けた、顔見知りの自警団員・ローガスであった。
「今回ばかりは、どうにか間に合ったみたいだな、マオウ」
「おっさん、来てくれたんだね!」
「俺だけじゃない。今、ログとトールが、自警団を此処に集めてる最中だ」
言ったそばから、イタズラ小僧の威張り声が村境へと近付いてくる。
「みんな、こっちこっち!」
「あぁ……。なんか、もう始まってるみたいだよ」
今度こそ、非道な振る舞いを止めてみせる。
ローガスは不退転の覚悟で、肩をグリグリと回して準備運動を始めた。
「さぁてと……。どうするよ、オズボーン。この状況で、俺達と総力戦でもやらかしてみるかい?」
「甘く見おって……。貴様らザコが幾ら集まろうと、我が幻術の前では、赤子も同然だ。エル・メグラ・ソ……」
瞬間、バヂッと凶悪なスパークが弾け、オズボーンの詠唱を半ばから妨害する。
「そ~は行かナイヨ。今日はなんたって、ボクが居るんだからね」
「どうだ、オズボーン。お前の短縮詠唱じゃ、田衛文の攻撃には間に合わないぞ!」
短縮詠唱の特徴は、詠唱が速い代わりに効果が薄く、魔力の制御が不安定な所にある。
そのうえ、激しい動作を交えた場合、不発や暴走の危険性すらあった。
「クッ……。貴様ら二人に、私の治安活動がこうも掻き乱されるとは……」
するとその言葉に、超肉体派のバーテンダーが異議を唱えた。
「おいおい。それじゃまるで、俺が役立たずみたいな言い方じゃないか。一応、療養中の身ではあるが、そこにいるお仲間程度の相手なら、ハッキリ言って、俺一人でも片付ける自信があるぜ」
マスターは一歩前へと歩みだし、目にも留まらぬ速さで拳を打ち出す。
「貴様……」
以前、彼が口にしたように、なにか特別な因縁でもあるのだろうか。
オズボーンの敵意が、マスター1人に向けられる。
やがて、相手の拳速から実力を読み取ると、オズボーンは不機嫌な動きで背を向けた。
「ええい……。今日の所は引き上げるぞ!」
山賊面の兵士達が、親衛隊長の命令に戸惑いを見せる。
「宜しいのですか? 特にあの二人を放置すれば、あとあと調子に乗りますよ……」
「構わん。どうせ奴等は、そう長くない!」
オズボーンは忌々しげに吐き捨てると、親衛隊を引き連れてンストゥルへと引き上げてゆく。
彼らと入れ替わる形で、ログとトールが合流を果たした。
「チェッ、もう行っちまったのかよ」
「せっかく、みんなを連れてきたのに……」
十歳にも満たないログとトールは、武器を持った人間同士の争いが、どれほど
危険なものかを実感できないのだろう。
無鉄砲なことを口にする2人を、マスターは苦笑を湛えた優しい笑みで窘めた。
「おいおい2人とも、あんまり物騒なこと言うもんじゃねぇぞ」
続けてローガスが、肩越しに魔王を指差して苦労を犒う。
「とは言え、お前達の御陰で助かった。どうやら被害に遭ったのは、コイツだけで済んだみたいだからな」
すると、ローガスの言葉がキッカケとなり、魔王が重大なことを思い出す。
「被害……? そうだ、お姉さんは!?」
「うん? なんだ、マオウ。リュンがどうしたんだ?」
リュンの姿が見当たらない。
魔王はローガスの問いかけを無視して、役場の勝手口へと戻る。
するとそこに彼女の姿はなく、ニルスが暗い表情で、黙々と片付けをしているだけだった。
「あっ、おじさん……」
ニルスは片付ける手を止めると、しょんぼりとした足取りで魔王へと歩み寄る。
「ニルス。その……、お姉さんの様子は?」
ニルスは悄然と首を横に振った。
「今日はもう、誰にも会いたくないって……」
魔王の瞳が失意に曇る。
「そうかぁ……」
虚しい勝利だ。今日の先には、明日が待っている。
明日の、明後日の脅威が待っている。
結局、ンストゥル軍部の決定を覆さない限り、リュン達に安心できる未来はない。
「おい、マオウ。ひょっとして、ここで何かあったのか?」
振り返ると、ローガスとマスターが心配そうにこちらを見つめていた。
魔王はリュンの評判を気に掛けて、田衛文を加えた三人にだけ、事情を話すことにした。
……数分後、テーブル前へと位置を変えたマスターは、思慮ぶかく腕を組んで、ンストゥル王宮の判断を考察する。
「手配書を元に装飾品のペンダントを証拠にするとは、随分と無茶な賭けだな。それだけ王宮も、外交問題に焦ってるってことか……」
マスターとローガスには、装核を只のペンダントとして話を省いたが、判断基準が大きく変わる事はない。
魔王もその場の勢いに流されたが、結局の所、リュンを犯罪関係者と見做すか否かは、各国の判断に委ねられているのだ。
マスターの座る席の横で、ローガスが軍部の判断に疑いを憶える。
「行方不明の両親や、家宝の片割れだって見付かってないんだろう? ひょっとして奴等、ほかに何か証拠を掴んでるんじゃないのか?」
「デモ、今から追い掛けても、もうお城に戻っちゃてるよね」
田衛文が台所の壁の先、オズボーン達の逃げていった村境へと視線を向ける。
説明に多くの時間を割いたため、彼等に村を離れる余裕を与えてしまった。
また、仮に近くへ潜伏していたとしても、これ以上の手出しは躊躇われる。
あまり過激な手段に訴えると、鎮圧部隊が雪崩れ込んでくる危険性もあった。
反抗するにしたって、ある程度の所で我慢するしかない。
自ずと残酷な立場が認識され、室内には何とも言えない沈黙が立ち籠める。
大人3人と田衛文が押し黙る中、ニルスを中心に、ログとトールが昼食の後片付けをする音が小さく聞こえる。
こうした場合、むしろ大人達が気を遣うべきだろう。
身につまされたマスターが、席を立って強引に口を開いた。
「ローガス。こうして黙ってても何も変わらん。どうせ俺達は、そこの二人に用がある訳だし、ここは一つ、ウチで一杯やりながらってのはどうだ?」
「おお、そいつは名案だな」
マスターの粋な計らいに、ローガスは愁眉を解いて立ち上がる。
「マオウ。これから少し空いてるか?」
失意の魔王は、小刻みに頷いて答える。
「うん。お姉さんとの予定がキャンセルになっちまったからね……」
「よぅし……。もちろん、嬢ちゃんも来るよな?」
「ウン。魔王が行くんなら、ボクも……」
と田衛文は同意しかけて、ニルスの存在を思いだす。
田衛文が気遣うように視線を向けると、ニルスは小さく首を横に振った。
「ううん、行ってきなよ。僕、姉ちゃんが心配だから……」
「ウン。なんか、気を遣わせちゃってゴメンネ」
二人の気不味いやりとりを見て、ログとトールが、ニルスの左右に回り込んで肩を組む。
「なぁに、気にすんなって。代わりに俺達が、ニルスと居てやっからよ!」
「別に、なにか出来るわけでもないですけどね」
(二人共、初めは単なる盗賊志願の少年かと思ったけど、けっこう良い奴なんだなぁ……)
魔王だけでなくローガスもまた、二人の善意を喜ばしく感じていた。
「そいつは助かる。こっちも、マオウと嬢ちゃんに真面目な話があってな」
言い切りを避けた喋り方が、魔王に微かな不安を与えた。
「真面目な話って……。おっさん、僕になにか相談事でもあるのかい?」
「ああ。詳しくは、また後でな……」
ローガスの返事は鈍い。
まるで、移住初日のキナ臭さを思い出させる声色だ。
「場所を移すのは良いけど、少し荷物があるから、先に行っててよ」
魔王が別行動を申し出ると、先に席を立っていたマスターが2人に言付けた。
「なら、一足先に向こうで待ってるぜ。念のため、玄関に人払いの札を掛けて置くから、なるべく裏口から入るように頼む」
その後ローガスとマスターは、二言三言、慰めの言葉をニルスへ掛けて、村長宅をあとにした。




