21話
話し声が止むと、食卓に穏やかな沈黙が訪れる。
耳を澄ませば、風に揺らめく木々のざわめきと、村人の生活音が微かに聞こえた。
魔王はなんだかリュンと一緒に暮らしているような気がして、羞恥心に染まった顔を、机の上にソロソロと落とす。
魔王の気持ちをそれとなく感じたリュンも、照れ臭さから視線を背けた。
(これって、なにか喋らないとマズイかな……)
こんな時、天気の話だと、わざとらしく聞こえてしまう。
どうせなら、食堂で田衛文が炭に火を通したテクニックが良好だろう。
そう思って口を開いたその時、不意に聞こえるけたたましいノックの音に、魔王は話し掛けるのを躊躇った。
『ドンドン!!』
緊張感の強い物音に、二人はサッと、勝手口のドアへと視線を向ける。
程なくして、住人の返事を待たず裏口の戸が開かれる。
慌ただしい様子で現れたのは、扉の枠に片手をつき、肩で息を整えるオズボーンであった。
オズボーンは喉に絡まった唾液を強引に飲み込むと、テーブル奥の椅子に腰掛けたリュンを見付けて口を開いた。
「はぁ、はぁ、ふうぅ……。やはり此処に居たのか」
「あっ、お前はオズボーン。いったい何の用だ!」
オズボーンはそのとき初めて、視界の端に同席者が居たことに気付く。
「マオウ、貴様も居たのか……。まぁ良い。これより貴様らに、ンストゥル軍部からの決定を伝える」
オズボーンはきびきびとした動作で二重折りの書面を取り出すと、前に広げて
読み上げる。
「重犯罪者の近親、リュンへ告ぐ。本日正午より、その身柄を拘束、同盟宗主国
フェルメンティアへの引き渡しを宣告する」
時代掛かった口調と要求が滑稽に思えて、魔王は鼻でせせら笑った。
「ヘン。なにを言うかと思えば、軍の名を借りて、お姉さんを連れてくだって? 冗談にしては質が悪いや」
「伊達や酔狂でこんな事などせぬわ! ほれ、こいつをよく見てみろ」
グイッと突き出された書面には、赤い蝋の上から、ンストゥル王家を示す紋章が刻まれていた。
「そんな……。どうして私が?」
「そうだよ。なんで罪もない人を捕まえて、他国に売り渡そうっていうんだ。ちゃんと理由を話せ!」
相手を思いやる行為が、いつだって正しい結果に結び付くとは限らない。
オズボーンは書面の端をクシャリと握り締めると、険しい顔で怒りをぶつけた。
「全ては貴様のせいなのだぞ、マオウ。貴様がこの国に居るから、ンストゥルは軍事的に孤立したのだ!」
国境近くの小競り合いは、二人が考えている以上に緊張の度合いを増していた。
隣国のグローネシアは、この重大な時期に『マオウ』の名を聞き付け、ンストゥルが本物の魔王を匿っているという偽情報を流したのである。
その真の目的は、フェルメンティア本国と同盟国ルサンからの援軍を断つ戦略的牽制であった。
ただし、その計画はあくまでフォルトの象徴が実在することを前提にしている。
常識的に考えれば、そんなことは有り得ない。
リュンは、横暴な処置から逃れたい一心で主張した。
「そんなの、マオウさんが本物の魔王な訳ないじゃないですか!」
「いいや。この際、その方が不利なのだ。我が国は身の潔白を証明できず、同盟国は魔王容認の下手は打てぬと、支援を打ち切らざるを得ない。だからこそンストゥルは、エル・グラドの連中を説得する材料が必要なのだ」
オズボーンの主張へ、魔王がすぐさま反論する。
「そんなのデタラメだ! だいいち何処だよ、エル・グラドなんて国。フェルメンティアなら知ってるけど、そんな国名、聞いたこともない」
「エル・グラドを知らないだと? 世間知らずも、そこまで来れば一つの芸だな」
オズボーンは苦虫を噛み潰したように吐き捨てると、苛立ちを抑えて言い放った。
「エル・グラド国とは、先の人魔大戦を治めた、勇者フィーダが建てた国。今や、大陸で一・二を争う規模の強国よ」
人魔大戦。
先史文明人がよく口にする、フォルトへ向けた大陸間戦争の蔑称だ。
魔王はオズボーンの説明を聞いて、二十年前、運命の日に対峙した一人の勇敢な青年を思い出す。
「勇者フィーダ?」
そうか……。あのとき、玉座の間で僕に剣を向けたアイツか!
(けど、大陸で一・二を争う強国だって? サンセベリア大陸は今、一体どうなってるんだ……)
魔王が逡巡していると、テーブルを挟んだ向かい側、リュンが意を決して口を開いた。
「それなら教えて下さい。父と母は、いま何処にいるんですか? 以前、私の両親がどんな罪を犯したんですか?」
片手を胸に当てた切迫した問い。
どこかちぐはぐな要求ではあったが、今から十年前、突然、自分たちのもとから失踪した両親を見付ける、唯一の手掛かりに思えたからだ。
リュンの言葉が、理性の糸を断ち切る。
オズボーンは、すぐさまそれに答えられず、口を開けたまま立ち尽くした。
――言えない……。
そんな残酷なこと、自分の口から明かすことは出来なかった。
自分が直接、手を下した訳ではない。
だが、そのあと荷担した行為を思えば、自分も正しく同罪であった。
「言えん……。これは極めて高度な政治的問題だからだ」
失望が先か、慟哭が先かは分からない。
リュンは陳腐な逃げ口上に憤り、首を揺らして激昂する。
「だったらなんで、今さら両親のことを蒸し返すんですか!!」
頭がビクンと震えた拍子に、両の瞳から涙の欠片が跳ね落ちた。
――前者は無理でも、質問の後者ならば答えられる。
たとえそれが繰り返しの文言になると知りながら、オズボーンは視線を斜め下へと向けたまま、重苦しい声で説明を付け足した。
「今からおよそ20年前、貴様の両親が大罪を犯し、フェルメンティア,エル・グラド両国より指名手配されてることが、つい最近になって判明したのだ」
ビストゥス初日、村人を脅迫した傲慢さは影も形もない。
魔王はそこに、強い不安と信憑性を募らせた。
「証拠は? お姉さんの両親が犯罪者って証拠は何処にあるんだよ」
オズボーンは顎をしゃくってリュンを示し、魔王の懇願めいた指摘を漂白する。
「以前、その娘が首から提げていたペンダントの装核だとも! 手配書にある女性の容姿に加え、特徴的な意匠を施したペンダント。どう考えても、関係者の証にしか思えん……」
暗く淀んだオズボーンの呟きが、リュンの心を掻き乱す。
「そんな……。私の父と母が?」
たじろぎ、身体の平衡を失って、テーブルを支えに立ち尽くす。
彼女が所有するペンダントと装核は、この世に二つしかない形見の品なのだ。
「両国の緊張は、日増しに高まる一方だ。事が事だけに、このままだと、その責めは本人の家族すべてに及ぶかも知れん」
ニルスの存在が頭にチラ付いて、リュンの心が折れ欠ける。
「それって、弟にもですか……?」
(マズイ! 今のお姉さんにとって、ニルスの名前は最大の弱点だ)
焦る気持ちが、魔王の思考を加速させる。
しかし、自分にオズボーンを退かせる論法がないと気付いた瞬間、魔王はみっともない敗北宣言を口にしていた。
「どんな罪かは知らないけど、お姉さんを他国に差し出したらどうなるかくらい、分かってるだろう……」
証人喚問など、たんなる口実に過ぎない。
責任転嫁の相手を欲し、外交手段の一つとなりさえすれば、フェルメンティアに加盟する諸外国にはそれで充分なのだ。
「私とて、これが最善などとは思っておらん!!」
オズボーンは激昂するも、その使命感に揺らぎはない。
代わりに彼は、普段は忠誠心の下に隠した苦悩を、風来坊の魔王に初めて明かした。
「だがな、マオウよ。貴様にこの国が救えるのか? 隣国グローネシアは強大な軍事力と引き替えに、慢性的な資源不足に陥っている。もし、なにかの弾みで軍事衝突が始まれば、一体どれだけの重税と災禍に見舞われるのか、お前は分かっているのか?」
オズボーンは真摯な口調で語り掛けると、ハアァ……と陰鬱な溜め息をつく。
「それにどの道、近隣諸国から調査団が来ればお終いだ。その娘だけでなく、弟の方も連行される」
現状、軍部の方針は、リュンの召喚のみで済んでいる。
それに異議を唱えなかったのは、あとの切り札としてニルスを残して置こうと考えた、オズボーンの智略と温情が入り混っていた。
残酷な通知に、リュンは覇気も意欲もない声で呟く。
「私が犠牲になれば、弟は見逃してくれるんですね……」
「お姉さん、自分が何を言ってるのか分かってるのかい?」
魔王は強い口調で諫めるが、なにか思い当たる節でもあるのか、リュンの口は止まらない。
「好いんです、マオウさん……。私も薄々は、そんな事なんじゃないかって思ってたんです……」
溜め込んでいたものを吐き出すと、弱音が堰を切って溢れ出す。
「以前、どうして私達を拾ってくれたのか、村長さんに聞いてみた事があるんです。でも、何故かは答えてくれませんでした。だって私たち家族は、本当は御尋ね者だから……」
「そんな……。そんな事ないよ……」
魔王は内心、己を侮辱した。
理屈も信憑性もないハリボテの言葉に、一体どれだけの価値があるのだろうか。
その無意味さが、まるで自分自身の価値のように思えてならない。
事実、リュンの心は少しも救われる事はなく、彼女は堪らず声を荒げる。
「だったらなんで、父と母は帰ってこないんですか! 10年間も私達を置き去りにして、手紙ひとつ寄越さない。それは……。それは、ずっと逃げ回ってるからとしか、考えられないじゃないですか……」
そこから先は、もう声にならない嗚咽へと変わっていた。
二人の沈黙を降参と捉えて、オズボーンがリュンのそばへと歩み寄る。
硬直する魔王の目の前で、後ろ手に縄を掛けられたリュンが動きだす。
――国に逆らう力など、自分にはない……。
それでも魔王は、愚かしくも惨めったらしくも、勝手口の前へと立ちはだかった。
「行っちゃダメだ、お姉さん! それじゃ、残されたニルスはどうなるんだよ」
リュンは何も答えない。
沈黙する彼女に代わり、オズボーンが冷静に返す。
「その弟のために、彼女は行こうというのだ。そこを退け、マオウ……」
「お姉さん……」
今なら、まだ間に合う。
魔王は微かな望みを抱いて、リュンの言葉をジッと待った。
やがて、諦め切ったリュンの言葉が、魔王の胸を冷たく打つ。
「…………退いて下さい、マオウさん。所詮これが、私の運命なんです」
たったそれだけを言い残して、厳粛な表情のオズボーンと、人生にうらぶれた少女が、魔王の横を通り過ぎて行った。
その場に取り残された魔王が、身体の脇で拳を固める。
「そんな……。そんな言い方ってないよ……」
乾き声を表すたびに、言葉と全身に嗚咽めいた震えが加わった。
「お姉さんにそんな事を言われたら、僕にはもう、戦う理由が見付からないよ……」
(自分が守る相手から裏切られるのが、こんなにも辛く哀しい事だなんて思わなかった……。これが、二十年前に僕が犯した最大の過ち。降伏を選んだ僕の罪なのか!)
大戦末期、傷だらけの部下と最期に交わした一言が、頭の中に蘇る。
『魔王……。何があろうと、絶対に諦めちゃあなら無ぇ。たとえ、どんなに苦しい状況だろうと、お前が同胞に未来を示してくれるってんなら、俺達はいつだって、納得して死ねるんだ』
魔王は一歩も動けない。
リュンに拒絶され、オズボーンに諭され。
とうの昔に世界全てから蔑まれた彼は、無用、無価値の塊でしかないのだ。
そしてそれは、運命に弄ばれるリュンも同じであった。
指名手配犯の子として各国に疎まれ、外交手段として国に連行される。
そしてもう、なんの未来も許されない。
もう一人の自分が、あの勝手口の扉から去って行った……。
(こんな時、何をすれば良い……。あんな時、僕を支えてくれた人達は、僕になんと言ってくれた?)
魔王はふと、自分の命を繋いでくれた、二人の恩人の言葉を思いだす。
『悔しいですけど、あなたはきっと、死んではいけない人なんでしょうね……』
『もう、独りぼっちはイヤだよ……』
そして自分は何を想い、なんと答えたか?
――抗おう。それが今の僕にできる、唯一つの意志なのだから……。




