20話
洗い物を片付けたあと、リュンは食休みのため、テーブル前へと座り直す。
その頃にはさっきの苛立ちもすっかり晴れたようで、リュンの素朴な問いが室内に広がった。
「そういえばマオウさんって、田衛文さんとホントに仲が良いんですね」
「へっ、アイツと?」
『本当は半身なんだ』とは言えず、魔王は真実を大きく暈かして言い繕う。
「まぁ、ずっと二人で暮らしてたからね。自然と、相手の気持ちが分かるもんさ」
「それ、私にも分かるような気がします」
言下に同意しながらも、その声は暗い。
見ると、リュンは虚ろな表情で頬杖を突いていた。
「私とニルスには、家族がいないんです」
「えっ? だって、あの村長が……」
「あれっ、言ってませんでしたか? 私達、村長さんに拾われたんです」
驚きも一瞬のこと、どこか納得の行く話である。
魔王の記憶では、これまで彼女は只の一度も、村長のことを、父や祖父と呼んだ憶えはなかった。
「私達の両親は、10年くらい前から行方不明なんです。そこを、村長さんやマーサさん達に助けていただいて、今はこうして、なんとか生活してるんです」
「じゃあ、この前、村を案内してくれた時に回った所って……」
「ええ。ほとんどは、私がお世話になってる人達の所です」
「そっか……。道理でみんな優しいわけだ」
温和で小太りなのが特徴的なパン屋のドビー。
面倒見が良くてオカマっぽい仕立て屋のモートン。
そして、肝っ玉母さんのマーサ。
彼らを見ていると、日々、協力して生きているという感じがハッキリと伝わってくる。
魔王の相槌に答えることなく、リュンは視線を宙に彷徨わせて、当時の様子を
述懐する。
「あの時の私は、まだ6歳。ニルスなんて、たったの1歳ですよ。これからどうやって生きて行けば良いんだろうって、すごく不安だったのを憶えてます。でも、
怯えてばかりでも居られませんでした。だって私には、幼いニルスが居るんですから……」
言葉が進むに連れて、リュンの言動に、追い詰められた母親のような執念が加わる。
「あの子は、私のように怯えることすらも出来ない。それなのに、もしも私まで居なくなったら、ニルスはきっと、足掻くことなく死んでしまう。そう思った時、私は強く決意したんです。誰も私を守ってはくれないけど、代わりに私が、この子を守ってあげなくちゃって」
悲愴感が滲む決意に、魔王は反射的に口を開く。
しかし、魔王が気休めを口にする直前、ポツリと悲しげな音色がそれを制した。
「でも、ときどき思うんです。誰かの存在に自分の人生を預けるのではなく、自分のために、何か他にやるべき事があるんじゃないかって」
物憂げに視線を落とすリュンの仕種に、魔王は理解した。
彼女は今、惰性で進みゆく一生に必死で抗おうとしている。
魔王は、何か励ましの言葉を掛けようとして、すぐに思い止まった。
――今の自分に、何が言えるというのだろう。
考えてみれば、一村人に紛れて人生を受け流す自分もまた、リュンと同じく、その命題に囚われたままなのである。
(軽はずみな慰めは止そう……)
だがしかし、同じ悩みの先人だからこそ、彼は、胸に刻むべき幾許かの答えを
見出していた。
「お姉さん……。僕はね、世の中には、二通りの宿命があるんじゃないかと思うんだ」
そう語る魔王の顔には、人生に倦み疲れた、それで居て、賢者のように澄んだ穏やかさが浮かんでいた。
それは、なにか大切なものを失った人だけが時折見せる、心からの叫びと後悔なのかも知れない。
リュンは、魔王の不思議な空気に自然と引き込まれて、なんの気負いもなく続きを求める。
「二通りの宿命?」
「うん……。一つは、生まれながらにして、何等かの使命と対峙しなくちゃならない宿命」
それは、敗北と降服を余儀なくされた魔王やフォルト達の一生。
敷衍すれば、敵対した勇者らの人生もその部類に入る。
水が低きに流れるように、彼らは宿命に身を任せているだけで良い。
程度の差こそあれ、その先には、余人には到達しがたい何かが待っているのだ。
反面、本人の意志が尊重される事はなく、それ以外の生き方を選ぼうものなら、ことごとく妨げられる。
「そしてもう一つは、なんの使命もない代わり、大切な何かを果たす事が許されない宿命」
これは大陸間戦争から解放された、今を生きる子供達の生活を表す。
彼らは何をするのも自由だが、決して『特別な何か』にはなれない。
常識と、規則と、社会性と、とにかくありとあらゆる生活環境に押し込められ、仮面のような一生を強いられる。
ンストゥルの圧政下で生きるリュンもまた、何者にもなれない一人であった。
魔王は、そんな意地悪な定めを皮肉るように、フンと気障ったらしく鼻を鳴らす。
「どちらも嫌なもんさ。使命があるのは迷惑だし、使命がない代わり、何をするにも制限があるんじゃ、何もかもが詰まらなくなっちまうよ」
でも……、と魔王は一旦言葉を区切り、改めて抗いの意志を紡ぐ。
「どうせ何方もややこしいなら……。自分が進むべき道を、自分で選んで生きていたい」
結局は二者択一しかないのだと知って、リュンは力なく眉を寄せる。
「宿命を受け入れるって事ですか?」
「違うよ。『宿命を受け入れる』か『拒絶する』かを選ぶんだ。ただ巻き込まれただけの宿命なら、幸も不幸も現実味がない。反対に、自分で選んだ生き方なら、嬉しい事があると実感できるし、悲しい結末でも、納得することぐらいは出来ると思うよ」
半分近くは、自分自身に言い聞かせている慰めだ。
魔王が不器用な笑みで答えを待つと、リュンは寂しげに首を振った。
魔王の言葉に嫌悪したからではない。
温かみのある言葉だが、それを受け容れるのに充分な環境が、彼女には整っていなかったからだ。
「私には、少し難しいです……。だって、『それじゃあ、今からどんな風に生きていたいんだ』って言われても、すぐには思い付きませんから」
視線を落としたまま自嘲気味に返したものの、その言葉には、悩んだ者の誰しもが抱く、不確かな憧れが感じられた。
うまく言葉に出来ないだけで、その想いはキチンと胸の中にある。
なんだか魔王は、反対に自分が元気付けられてるような気がして、安らかな笑みで語りかけた。
「別段、そんな難しく考えなくっても……。今、一番何がしたいのか、ってくらいで良いと思うよ。お姉さんには、何かしたい事はないの?」
何がしたいか。
なんの変哲もないその言葉が、リュンから少しずつ憂いの念を吹き払う。
「ええっと……。それなら私、色んな所に行ってみたいです!」
「旅行とか、旅に出るってこと?」
「ハイ。私、この村とンストゥル以外は何も知らないんです。ですから、いつかはこのビストゥスを出て、世界中、色んな景色を見て回りたいんです」
(分かったぞ……。道理で、僕が魔法とかの説明をするたびに、夢中で話を聞いてるわけだ)
もう自分には、そんな明るい未来を語れる純粋さは、何処にも残ってないかも知れない。
――相手を諭しているつもりが、反対に憧れていた。
今度は魔王がテーブルに頬杖を突いて、嬉々として将来の夢を語るリュンを眩しそうに見つめる。
そんな視線を察してか、リュンはハッと我に返って顔を赤らめた。
一瞬、照れ隠しのつもりで顔を伏せてから、リュンはすぐに勇気を振り絞って
はにかんだ。
「でも、今は御預けですね。だってお金に余裕がありませんし、ニルスが心配ですから」
魔王は相手の気づかいに胸を打たれて、すぐに苦笑いで返す。
「まぁ、そいつは仕方ないかもね。ニルスは確かに良い子だけど、自立するには
最低でも、あと三,四年は経かりそうだもん」
自分の見立てと答えが外れて、リュンが悩ましげに眉をくねらす。
「あれれ。今、変なこと言ったかな? 別に、ニルスの悪口を言ったつもりじゃ……」
「いえ! そういう意味じゃなくて、あの、なんと言うか……」
特別な事情でもあるのか、リュンは暫しのあいだ口を噤み、思い切って秘密を打ち明ける。
「ニルスと言うより、私達の家系に伝わる『変わった体質』が原因なんです。なんでも、吸魔体質というらしく……」
(吸魔体質? むうぅ、謎だ……)
性急すぎる言い回しを、リュンが慌てて補足する。
「ああ、すみません。えっと……。吸魔体質っていうのは、周囲から魔力を取り込みやすい体質の事らしいです。たぶん……」
「たぶんって、そんな曖昧な」
我慢できずに本音を漏らすと、リュンは申し訳なさそうに肩を縮こまらせた。
「実は私も、詳しくは知らないんです。なんでも昔、母が偉い魔導士様に診ていただいた際、そう聞いたとかで……」
「なるほど。又聞きみたいなもんか。そりゃあ、自信がなくても仕方ないや」
初めて耳にする単語、吸魔体質の機能は理解できたが、魔王には納得できない点が一つある。
「でもさ……。たしかお姉さんって、魔法を全然使えないんだよね?」
急に話の流れが変わったので、リュンは戸惑いに語尾が揺れる。
「はい、そうですけど……」
「それって結構、深刻だと思うよ。なにせ、処理不可能な魔力を体内に溜め込んでるんだからね。場合によっちゃ、発狂するなり暴走するなりしててもおかしくないのに、今までよく無事だったね」
「すごい……。やっぱり、そういった専門的なことまで分かるんですね」
魔王が身を乗り出して心配すると、リュンは強い関心に瞳を輝かせて、胸元をまさぐり始める。
(嗚呼、こんな真っ昼間から大胆な……。いけないぞ、お姉さん。僕達は、まだ初デートすら……)
などと妄想を抱くも、実際に何も起きないのは百も承知。
魔王はただ見つめるばかりである。
間を置かず、リュンの目的は達成される。
「それはですね……。我が家には代々、この家宝の御守りがあるからなんですよ」
首から提げたペンダントが、胸の谷間を抜けて、白いブラウスの襟から零れる。
風や水の流れを模した装飾の土台に、楕円形の白い宝石が埋め込まれたそれを、リュンが誇らしげに魔王へ見せびらかす。
形状、材質、なにより近くだからこそ分かる魔力性の刺激に、魔王の双眸が驚きに見開かれる。
「あっ! そ、そいつは……!!」
「どうです、とっても綺麗でしょ? 私もすっごく気に入ってるんですよ♪」
魔法の造詣がないせいか、リュンの態度はお気楽そのものである。
実際の所、リュンを取り巻く環境は、彼女が思ってる以上に危険と隣り合わせである。
魔王は、目の色を真剣なものへと変えると、テーブルの上で両手を揺すり、事の重大さを訴える。
「お姉さん、なにを呑気なこと言ってるのさ。僕がこの前話してたのは、まさにそいつのことだよ」
指示語の多い忠告に、リュンが疑問を連発する。
「この前? この前って、いつの事ですか?」
ハッキリしない言い方のうえ、相手が魔力不適合者なのだから、不思議がるのも当然だろう。
「ぬあぁ~……!」
魔王は自分の未熟さに軽く苛立ってから、忠告の意味を改めて解説する。
「だから、村を案内してくれた日、雑貨屋で説明したじゃないか。お姉さんが持ってる、そのペンダントの宝石。それは間違いなく、装核の一つだよ!」
「うええっ!?」
「いや、お姉さん。仮にも女の子なんだから、『うええっ!』は無いと思うよ」
普段ならば直ちに同意するところだが、ようやく言葉の意味を理解したリュンには、それだけの余裕はない。
「どどどど、どうしましょう。だってコレ、ものすごく高いんですよね!?」
呂律は盛大に狂ってるし、瞬きは多めで、瞳は完全に泳いでる。
魚だったら、ピッチピチの活きの良さだ。
魔王は相手の冷静さを引き出すように、視線を合わせて穏やかに答える。
「うん。もしも知らない土地で、そんな事を触れ回ったら、本気で命を狙われると思う」
一番危険な行為を例示してから、魔王は危機感を強めて念を押す。
「お姉さん。もうそのペンダントの事は、誰にも言わない方が良いと思うよ」
魔王がいつになく真剣な声色で諭すと、リュンは顔の筋肉を引きつらせる。
「でも……。このペンダントの事は、村長さんやマーサさん達も知ってるんですよ。いまさら秘密にしたところで、もう遅くはないですか?」
「そこは多分、大丈夫だと思う。きっとみんなは、それが装核だって知らないんじゃないかな? でなきゃ、魔核の話を切り出した時、マーサさんが、お姉さんを前にしてあんなに感心するのは、ちょっと不自然だと思う。あの村長に至っては、案外、全部知ってて秘密にしてくれてるんじゃないかな?」
魔王の気づかいも空振りに終わり、不安を残したまま、彼女の口から新たな問題が明かされる。
「その……。実はコレ、元々は家に2つあったんです。吸魔体質は一時的なもので、個人差も大きいんですけど……。それだけに、家族が多い場合には、一つでは間に合わない事もあるので……」
世界的にも稀少な装核が、一般家庭に2個もある。
魔王は、その点に強い興味を抱いた。
「2つってことは……。ひょっとして、ニルスもそれを持ってるのかい?」
「いいえ……。もう一つは、母と共に行方知れずなんです」
一拍置いて、彼女は一言、「恐い……」と口にした。
その反応を見るに、両親失踪を誘拐事件と結び付けているのは明白である。
――このままでは彼女が気の毒だ。
魔王は明るい声で慰めの言葉を掛けた。
「心配する事なんかないよ。もしも誰かに狙われてるなら、お姉さんはとっくに危ない目に遭ってる筈じゃないか」
「はい。でも……」
リュンの表情は依然として冴えない。
(駄目だ、てんで効果がないや……。こうなったら、いっそのこと話を逸らしてみよう)
「むしろ危ないのは、お姉さんよりもニルス達の方さ。勝手に森の中に入ったりして、僕の仕掛けた罠に掛かったら、一体どうする積もりなんだか……」
「はい、そうですね。罠に…………」
痛烈な違和感に、リュンの声が勢いよく立ち上がる。
「はぁ!? 『僕の』仕掛けた罠ぁ!?」
「うん、その通りだぞ。いやあ……。考えてみれば、本当に運が良いよ。なにせ、大型も一撃でコロリの奴だって……」
ボクスッ!! と鈍い殴打の音が、魔王の頭頂部を中心に広がる。
「なにが一撃でコロリですか! ニルスにもしもの事があったら、どうする気なんです!!」
痛たたた……。グーで叩かれた、グーで。
しかもその口振りじゃ、ログとトールのことは、どうでも好いと?
「だって、僕は平和主義者だし、田衛文じゃ逆に、パクッと行かれそうなんだもん。生きるためには仕方ないよ。ネッ♪」
「ネッ♪ じゃありません。すぐに撤去して下さい。誰か怪我してからじゃ遅いんですよ!」
そんなリュンの心配を、場違いにも魔王が笑い飛ばす。
「ハハハハハ。お姉さんってば、なにを言い出すかと思えば……」
「何がおかしいんですか!」
「だって、誰か怪我してからだなんて、そんなの今更だから……」
一瞬、傷害事件の号外文が頭をよぎり、リュンの顔が真っ青になる。
「今更って……。まさか、もう誰かが……」
すると魔王が、おもむろにズボンの裾を捲り上げる。
「ウン、僕が。久し振りなもんで、つい引っ掛かっちゃったぞ」
(凄んげえ痛かったっス……)
不安が強かっただけに、リュンの口から切れ味鋭いツッコミが飛ぶ。
「正気ですか、あなたは!」
どう考えても、リュンの方が間違っている。
正気の奴が魔王なんかやってないのだ。
ガタンと上体を伸ばして、勢いよく立ち上がったリュンだったが、数秒後、なんの拘りも見せずに、ストンと座面に沈み込んだ。
人間、口を開けた風船と同じで、怒りを一気に吐き出したぶん、気持ちのゆとりが生まれるのも早い。
騒ぐだけ騒いだせいか、彼女の顔は、憑き物が落ちたかのように明るかった。
「ハアァ……。なんか、すっごく疲れました。こんなに大きな声を出したのは、ほんと数年ぶりです」
(そっか……。その数年前にも、『うええっ!?』って言ったんだな)
「ムッ……。今、なんか変なこと考えませんでした?」
「違うぞ」
むう……。エスパーお姉さん、現る。
「まっ、好いですけど」
魔王の言い訳を軽く流したリュンは、椅子の背凭れに寄り掛かる。
寛いだ心境で深呼吸すると、自然と記憶の整理がされて、数日前の出来事を回想した。
「それにしても私達、あんな衝撃の出会いだったのに、こうしてゆっくり話すのって、実質これが二度目なんですね」
「うん、そうだね」
(僕も、あの靴裏の衝撃は忘れられそうにないや……)
いまにして思えば、随分とみっともない扱いだった気がする。
魔王はテーブルの上に肘を乗せて、タハハ……と気が抜けた表情を支える。
ほんの僅かな静寂の時間、何を思ったか、リュンの瞳が怪しく光った。
「あっ、そうでした。私、実は前から一つ、マオウさんにお願いしたい事があったんです」
「へっ、お願い?」
空々しい声色と、両手を軽く打ち合わせた動きから、魔王は急速に不安を覚える。
「あっ、言っとくけど、連帯保証人だけは駄目だからね。死んだ両親からキツク……」
「違います!」
と再び鋭角に突っ込んで、リュンの顔が不吉な笑みへと戻った。
「初日からずっと気になってたんですけど、お姉さんってあの呼び方、どうにも落ち着かないんですよねぇ」
「むうぅ。だったら、なんと呼べば……」
血は争えないとは、よく言ったものだ。
リュンは、初日のニルスを想像させる、意地悪な表情で爆弾発言をかます。
「いっそ、リュンって名前で呼んで下さい」
「ええぇ、呼び捨てぇ!?」
「ハイ。その方が気楽ですし、それ以外に呼びようもないですから」
呼び捨ての許可。言い出した本人としては気楽だろうが、異性の側からすれば、かなり気恥ずかしい。
魔王はサビ付いたロボットのように、眉・頬・口……と、顔のパーツをぎこちなく歪めて赦しを乞うた。
「でも、お姉さ……」
「ホラッ、言ってるそばから!」
(うっ……。お姉さんってば、意外と強引なんだな)
有無を言わさぬ強情な態度に、魔王は為す術もなく白旗をあげた。
「分かったよぅ。その……、リュン」
相手の口から望み通りの言葉を得ると、リュンは命令ポーズを解いて満足そうに頷いた。
「ハイ、よろしい♪」
(でも、こちらは全然よろしくないやい。あぁ~、なんかドギマギしてきた……)




