SOS 073 水
元々の予定では、シルビアとソアラは遅番で夜勤となるはずだったが、
サブマスターのグレースがそれを変更させた。
「そんな疲れた顔で受付でもされると、ギルドの士気にかかわります。
早く帰って早く寝なさい」
言葉はきついが、本音は別にある。
というより、早く帰って早く寝ろというのが本音だろう。
経験の浅い二人では、このままでは職務に支障が生じるというのも
本音といえば本音ではあるが。
とはいえ、厳しいだけの人では無いのが、
グレースがサブマスターである理由でもあった。
あまり充足感の感じない帰路を、シルビアは黙って歩いていた。
別に始末書を書かされたことを気に病んでいるわけでは無い。
そもそも、戦術ギルドとは違い、冒険者ギルドで始末書など
鼻紙か裏紙程度の認識しかされていないのが実情だ。
いろんな意味で品行方正とは真逆の人材が渦巻いている冒険者ギルドで、
始末書の一枚や二枚、何の影響もないのだ。
「……っと、待って、待ってってば!」
何やら背後から胸が大きくて女としての性的魅力だけで
仕事が特に出来るわけでもなく、それなのに年頃の男連中には
外見上の受けが良いためちょいちょい食事に誘われているが、
元々の育ちが良すぎて、求める食事の水準が高く、また妙に詳しいので
男達が誘っては引き誘っては引く、寄せて返す波のように男の上を
すいすい泳いでいるようないけ好かない女の声が聞こえてくる。
「ちょっと! いま失礼なこと考えてたでしょ! シルビアちゃん!」
「はい? 事実をそのまま思いだしていただけですが? 何か?」
寄せて返す胸もないシルビアは半眼でソアラを見るのだった。
「ちょ、怖い! 何か、逆恨みっぽい感じがするから! 止めてその眼!」
「順恨みですよ」
「何?! 順恨みって!」
どうやら適当にあしらって帰ってはくれないらしく、
シルビアは仕方なく要件を聞くことにする。
「えっと、その、ちょっと話があるんだけど」
「だからその話の要件を聞いているのですよ」
「その、さっきオズマット教務官に言われた、ゼンくんのこと……」
「ソアラ先輩の若いツバメのことですか」
「囲ってません! てゆうか、私も若いよ!」
「どうしました? 着床でもしましたか?」
「してないわよ! もう、わかってるでしょ! その……どう思う?
関わらないほうが良いって、やっぱりそうなのかな……?」
シルビアは少しだけ回りを見て、仕方なく場所を変えることにした。
ここでは誰が聞いているか、わかったものではないから。
本当に嫌だが、シルビアはギルド職員の宿舎に
ソアラを招くことにする。
ソアラの住んでいる自称別宅に行くことも出来たが、
気分的な問題でそうしたくなかったからだった。
同じ階には基本的に同じギルドの職員が入っており、
ジルスチュアートことサティ先輩も、同じ階に入っている。
今日の夜勤を交代して貰ったため、サティはここにはいない。
「はい、採れたての井戸水です」
「何? 採れたての水って…?」
簡素な部屋の中にある、質素な食卓にシルビアとソアラは座る。
ギルド職員の宿舎では、基本的にいつでも食堂で食事ができるため、
時間を気にせず過ごすことができるのが良かった。
寄宿舎時代ではありえない好待遇といえる。
お互いに水をちびちびと飲みながら、一息ついた頃に
シルビアから話を切り出した。
「お話しは、教務官の件でしたよね…」
「う、うん……」
「ソアラはどうしたいんですか?」
シルビアとソアラは、同期入職であるが年齢と学年では
ソアラが先輩に当たる。それが二人の関係を少し微妙なものにもしていた。
「わ、わたしは……やっぱり、ゼンくんが故郷に帰るまでは、
少しは手伝ってあげたいって思ってる。だって、可哀想じゃない……
突然、全然知らないところに連れてこられて、言葉もわからなくて、
たぶん、不安でいっぱいだと思うの。
私の仕事じゃないかもしれないけど、私は、約に立ちたいの」
ソアラは不器用であるが、一途であり、正しいと思った。
しかし、それが気に食わないシルビアはつい、その言葉に反目してしまう。
「……それは、どうでしょう?」
「え?」
「彼が、何の理由もなく呼び出されたとは思えません。
それに、彼が帰りたいと願っているのかは、
私たちにはわからないことですよ」
「そ、そんな! 普通は帰りたいって思うじゃない!」
「ソアラの普通を押し付けないで下さいよ。
故郷を忘れたい人間だっているでしょう」
シルビアの言葉は、冷たい。
「召喚術式は禁忌。その中でも時空間操作は秘中の秘。
国家の中枢にいるような連中が囲っている術式ですよ。
そもそも、それも空想話に尾ひれがついたような代物で、
あれほどの術式を実際に行る存在なんて、限られてます。
私たち冒険者ギルドは、あいにくそういう興味が薄いから
たいして騒いでませんが、神導術、戦術、学術、情報、
果ては教育ギルドまで色めき立ってますよ。
カルマリに直営の支部がないギルドは
歯がみしすぎて大変でしょうね」
シルビアは機嫌が悪くなると饒舌になる。
子供のころからの悪癖だ。
「そ、それはそうかもだけど、
じゃあ、シルビアちゃんはゼンくんを見捨てても良いの?
このまま誰かに任せて放っておくの?」
「そんなことはしませんよ」
「じゃ、じゃあ一緒に」
「あれほどの能力。手放せるわけがないじゃないですか」
「……え?」
ソアラは予想もしていなかった答えに戸惑う。
「あの《融合化》という固有能力。あれは、世界を一変させるほどの
力を秘めています。間違いなく、彼が召喚された理由がそれです。
それに気が付いたからこそ、教務官も管理官もギルマスもサブマスも、
誰一人あの見るからに怪しいカイケンとかいう奴を
拘束しなかったんでしょう。
黒幕とその目的を探るため、泳がせているんです」
「そ、それは偉い人達のことで、
その、私たちには関係ないじゃない!」
「ありますよ。あの力があれば、私だってギルドマスターに、
いや、グランドマスターにもなれます。
こんな機会、逃がせるわけありません」
「な、なんでそんなこと言うの?
そんなに出世するのが大事?
そんなの……そんなの、悲しいじゃない!」
「うるさいですよ」
「……!」
「ソアラの価値観を押し付けないでください。
あなたみたいな才能の塊を持った人間に、
何がわかるんですか?」
シルビアのあまりの威圧に、ソアラは押し黙ってしまう。
「それ、飲んだら帰ってくださいね。もう夕食の時間ですので」
水は、ぬるくなっていた。




