SOS 163 痛覚
雨が降る。
ただそれだけで、世界は地獄となった。
段々と雨足が強くなる中、
サイエンは視線の先に北方の王を捉えていた。
獣の王は鼻を鳴らして不快そうに呟く。
『酸の雨か、死ぬほどでは無いが
不快極まりないな、この感触は』
『うえ~! 痛くて気持ち悪い~!
ちょっとお兄様! 早く行こうよ!』
『そうして頂けるとありがたいっすね』
サイエンがボロ布の様になった王を抱えながら、
相手の出方を待っていた。
ヒナギクはふらふらの足取りで、
ディッケルベルトとファインドベルトの背中から零れ落ちてきた
四人を順番に建物の影に運んで行く。
ためしにそんなヒナギクへちょっかいを掛けてみるものの
北方の王に邪魔をされて、術式の効果はまたしても無効にされた。
『(やっぱり向こうに付いてんのか……
あの獣を手なずけるなんて、どういう手を使ったんだか)』
サイエンはどんどん溶けていく自分の身体を
気にすることは無く、相手の戦力状況を分析していく。
雨が顔に当たる。その雨は皮膚を焼き、刺すような痛みが
ゼンの朦朧としていた意識をはっきりと覚醒させた。
「痛っ!」
焼けた鉄箸でつつかれたような痛みは、
ひりひりと皮膚を浸潤し続ける。
まるで冗談のような光景に、ゼンは言葉も出ない。
薄っすらと覚えているのは、
この雨があのサイエンの術式により発動したものであり、
間違いなく全ての生物に害悪のある代物だということだ。
身も蓋もない言い方をすれば、それは強烈且つ凶悪な酸性雨。
それが上空の暗闇色した雨雲から、とめどなく流れ落ちてきていた。
この世界に来て、初めての明確な恐怖が生まれる。
皮膚を這いまわる痛みは現実的で、まるで夢物語では無かった。
どこか夢想に近い感覚で過ごしていたゼンに取って、
いまこの瞬間こそが、
初めてこの世界を現実のものとして実感した瞬間となった。
「……痛い」
ゼンは何かを思いだした。
「痛い、痛い」
それは思いだしたくない、何かだが
それ以上の絵は浮かんでこない。
ただ、その痛みを否定することしか、
頭には思い浮かばなかった。
「痛いのは……嫌だ」
実際、皮膚の痛みはそれほど大したものでは無かった、
けれどゼンの記憶の無意識の底にあるそれは、
大きな痛みとなって掘り起こされ、
ゼンの感情を揺さぶった。
無意識に《融合化》を発動させる。
『ぬっ!?』
ギン、という音とともに
ディッケルベルトが踏みしめていた《宝剣》が強制転移する。
『えっ!?』
同時にサイエンの抱えている王も強制転移させられた。
その二つのモノはゼンに引き寄せられる。
傍で状況を窺っていたヒナギクは、その様子を見て口を開ける。
「え? え?」
無詠唱のまま、ゼンは痛みから開放されるべく、
イメージだけで《融合化》を進める。
すべての痛みを無に帰すため、
その《宝剣》と王の身体を融合させる。
それだけではなく、この城も土地も全て
同じ一個の存在として無理やりに混ぜ合わせる。
水と油が混ざる様に、あり得ない二つが強制的に
ない交ぜになり、一つの存在として同一化させた。
この世界の言葉はまだわからない、しかし、
言葉に力があるならば、力を持った音は反対に言葉となるはずだろう。
ゼンは言葉を吐く。力を限界まで込めたその音は
音の領域を逸脱して言葉となり、真言となる。
しかし、それだけにとどまらず、
その真言は更なる高みの音へと昇華される。
即ち《神言》という代物だ。
「《 》」
ヒナギクにはその音が認識出来なかった。
しかし、それが普通では無い圧倒的なものであると
超直感的に理解した。
ゼンを起点として、カルマリは全てのモノと融合を始めた。




