表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/21

Scene18.『墓前に捧げるアリア』

このエピソードは、バックでG線上のアリアが流れているイメージで描きました。

 鈍色の空に乾いた風が吹く。白い塊が地面を埋め尽くすように並んでいるそこは、この世を去りし者が眠る場所。そこに歩いて来る一人の青年の姿があった。喪服に身を包み、紫色の花束を抱えている。彼はある墓石の前に立ち止まると、長身を折って花束を捧げた。“あなたを忘れない”――という花言葉を持つ紫苑の花束を。

 彼は墓前に手を合わせ、心の中で“亡き人”に語りかけた。



  母さん、あれはあなたが望んだことではないのかもしれない。あなたは生涯あの男を愛し、愛したまま死んでいったのかもしれない。そちらに逝ったときにその罰を受けます。だからどうか今は許してください。僕に彼を守らせてください。僕の従兄弟(しゅじん)を……



 青年は持っていた鞄を開けると、中から薄汚れた皮表紙の手帳を取り出した。その頁を開く。



  ――十月十四日 晴れ。


  午後十時、あなたはまたお店に来てくれた。とても嬉しかった。それはあなたがいつも私のピアノを褒めてくれるからじゃないわ。私にマティーニを入れてくれたからでもないの。それはあなたが

  その瞳の中に私を映し

  その吐息が私を誘惑し

  その唇が息もできないほど激しく情熱を奏で

  私を溶かしてしまったからなの。

  ああ、私はどうかしてしまったのかしら。手帳にこんなことを書くなんて。

  でも書き留めずにはいられなかった。

  どうしても残しておきたかったの。あなたへの愛も、触れ合った時間も、こうして書き留めて、何度も読む度あなたを思い出したかったの。


 記名のないメッセージカード付きの紅い薔薇の花束が届くようになった時から、すでにこの恋は始まっていた。贈り主の姿を何度も想像したわ。そして初めて手渡しで花束をくれたあなたは、想像していた通りの素敵な人だった。


  私はあなたが運命の人であってほしい。

  あなたと一緒に海を渡りたい。

  私はどこへ行っても平気よ。自分のピアノを演奏するわ。酒場でも、コンサートホールでも、ニューヨークでも、アジアでも。どこだっていい。あなたが居てくれるなら、どこでも演奏するわ。小さな楽団でも構わない。規模なんて関係ないわ。愛のない結婚をするのなら、私は小さな楽団長のあなたを選ぶ。

  私はもっと別の世界が見たい。この地位と名誉と金欲を鎖で繋いだ親の策略という束縛から、この計略結婚から解き放たれたいの。

  だからお願い、私をどこか遠くへ連れ去って。あなたの乗った船だけが、私が有るべき姿になれる場所へと導いてくれる。その手で(いざなって、私のプリンス。


    我が愛しのカドマス



 文面をすべて読み終えると青年はそっと頁を閉じた。瞼を伏せて短い息を着く。手帳を鞄に戻して彼は立ち上がった。そして墓前に背を向けて歩き出す。

 鈍色の空の下で、彼の風になびく金糸のような頭髪と氷上を思わせるグレーの瞳が、静かにそこに色彩を差していた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ