第2部 * 5 *
よく晴れた気持ちのよい朝。ショーコは小鳥たちに交じり歌を歌いながら、洗濯物を干す。
(……)
ふと感じるものがあり、足下を見るショーコ。
と、突然、
(! )
地面から、男性のものと思われる大きなゴツゴツした右手が突き出た。
直後、
(! ! ! )
同じく左手も。
恐怖で後退るショーコ。
洗濯カゴに躓き尻もちをつきそうになったところを、誰かに支えられる。
振り向いて見れば、
(っ? )
そこには、タークの2人の部下が無表情で立っており、ショーコは長髪のほうに支えられていたのだった。
ソバカスが横から両手を伸ばし、ガッとショーコの頭を掴むと、見ろ、といった感じで、地面から突き出た手のほうへ、ショーコの顔を強引に向けた。
ショーコの視線の先で、土から突き出た手は、手のひらを地面につける。地面を押さえるように、その手に力が入ったように見えた。
手の少し後方の地面の土が盛り上がる。
そこから、不気味なほど静かに現れたのは、
(タークッ……? )
頭と手だけが地面から出た状態で、タークは、ニタアー、と笑った。
ショーコの体は完全に固まってしまっていた。
動けない。声も出ない。呼吸も、思うようにできない。
そこまでで、ショーコの視界がパッと切り替わった。
目の前に天井。
(……? )
目だけで辺りを見回す。
見慣れた ここは、寝室。体の下には敷布団。上にはタオルケット。
ショーコは、
(…夢……)
大きく息を吐いた。
(また、こんな夢……)
タークとの決着から1ヵ月。このところ、ショーコは こんな夢ばかりみる。
パジャマが、汗でグッショリ濡れている。
着替えようと、ショーコは、ゆっくりと半身起き上った。
本当は風呂にでも入りたいところだが、それは、もう少し我慢。
何とか自分の身の回りのことを出来るくらいまで回復したところなのだ。
正直、まだ長時間 起き上がっているのは辛い。
1日1回、蒸しタオルでザッと体を拭くのが、やっとの状態だ。
起き上がると、右手側、開け放った障子の向こうの縁側で、清次が、取り込んだ洗濯物を畳んでいるのが見えた。
視線を正面に移すと、台所に、夕食の仕度をしているのだろう、貫太の後ろ姿。
(もう、そんな時間なんだ……)
食事とトイレの時くらいしか起き上がらない生活では、時間の感覚が無い。
ショーコは、ゆっくりゆっくり立ち上がり、ヘロヘロと おぼつかない足取りで、寝室内の押入れの前まで歩くと、押入れ内のタンスの中から替えのパジャマを出し、思うようにならない自分の手つきに少々イラつきながら着替えた。
明日 洗濯してもらえるように、汗で汚れたパジャマを、土間の隅、風呂場に通じるドアの前に常に置いてある、汚れた衣類を入れる専用のカゴの中へ入れに行こうと、やはりヘロヘロ、台所のほうへ。
台所の手前まで来たショーコは、貫太に声を掛けようとするが、貫太の包丁を持つ手が止まっていることに気づき、声を掛けるのをやめて、暫し様子を見る。
5秒経過、10秒経過、15秒……。
手だけではなく、まな板に向かった姿勢のまま、全身、全く動く気配がない。
タークとの決着以降、いつの頃からだったか、貫太は時々こうなる。
ボーっとしているような、何か考え込んでしまっているような……。
タークとの戦いの精神的ショックが残っているのだろうか?
大人のショーコでさえ、タークとの戦いが原因と思われる夢を頻繁にみるのだから、当然と言えば当然だが……。
そこへ、
「カンちゃん」
勝手口から、有実が顔を覗かせた。
貫太はハッと我に返った様子で、勝手口の有実を見る。
ショーコは咄嗟に、台所の手前の部屋と台所を仕切るための障子の陰に身を隠した。
何も隠れる必要は無いのだが、何となく。
障子に開いた小さな穴から、ショーコは、そっと、貫太と有実を窺った。
有実は貫太のところまで歩き、手にしていた1冊の厚めの本を両手で差し出し、
「はい、これ。和尚さんに借りた本。次、貸してって言ってたでしょ? 私、読み終わったから」
貫太は包丁をまな板の上に置き、手近にあった布巾で軽く手を拭って、体ごと有実のほうを向き、
「ありがとう。でも、明日でもよかったのに」
両手で受け取る。
すると、有実、ちょっと頬を赤らめながらニコッと笑い、
「うん。でも、急にカンちゃんの顔を見たくなっちゃって。本を渡すのは、実は口実」
(さっきまで中村さんちで会ってたばっかのはずなのに……)
有実の言葉に、貫太は実に調子よく、
「やっぱり? 気が合うね。僕も丁度、有実ちゃんに会いたいって思ってたとこだよ」
ニッコリ笑って、恥ずかしげもなく返す。
見つめ合い、微笑み合う2人。
このところ、この2人は、いつもこんな調子だ。
見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
(…でも、ちょっといいな……)
もともと貫太と有実は気が合うらしく、有実が中村家で暮らすようになってすぐの頃から、中村家での農作業中に一緒にいるだけでは足りずに、作業終了後、それぞれの家でやるべきことの合間をみては、互いの家を行き来していたが、ここ最近、特に行き来が頻繁になり、親密になったように思える。
「本、どうだった? 」
貫太の問いに、有実、
「うん、面白かったよ」
普通に答えてから、
「でも……」
急に沈んだ声になる。
「ちょっと切なくなっちゃった……。主人公の女の子に、優しいお父さんとお母さんがいてね、家族みんなで仲良く暮らしてるの……」
(有実ちゃん……)
ショーコの胸が、キュンとなった。
有実は両親と離れて、本当は寂しいのだ、と。
いつも明るいだけに、余計に胸が締めつけられる。
貫太もショーコと同じだったようで、
「有実ちゃん……」
と呟いたきり、表情に影を落として黙り込んだ。
そんな貫太を前に、有実、軽く息を吐き、
「でもね」
明るい声と表情を作った。
「私、信じてるの。お父さんも お母さんも、そのうち絶対、無事に帰ってくるって」
「どうして? 」
暗さを残したままの貫太の問い。
有実は明るく答える。
「昔、まだ私も生まれたばっかだったから、全然憶えてないんだけど、聞いた話、昔も一度、今ほどじゃないけど、たくさんの人たちが日空人に連れ去られたことがあったんだって。でも、その時は、救世主が現れて、連れ去られた人たちは解放されて、日空人もいなくなって、平和が戻ったんだって」
ショーコは、覗き穴から視線を逸らす。
「今度もきっと、その時の救世主さんが、お父さんとお母さんを助けてくれるよ」
明るく、しかし軽さは無く、熱く語る有実の言葉を聞きながら、
(ゴメンね、有実ちゃん……)
ショーコは台所の2人に背を向け、障子に寄り掛かって俯いた。
(今度は、その救世主さんは、現れないよ……)
おそらく有実のように、17年半前の有実の言うところの救世主の存在を知り、再来を期待する人は多いと思う。
その正体を知っているカラスたちがショーコに色々と情報をくれるのも、ショーコに、日空人を何とかして欲しいと考えているからに違いない。
しかし、無理だ。
17年半前と現在とでは、日空軍全体の規模も戦闘能力も違うと考えられる。日空軍を何とかしようとすれば、精鋭を集めてあるであろう本隊との戦闘は避けられない。ショーコは、一小隊の長に過ぎないタークとその部下たちにさえ敵わなかったのだ。何とか、出来るわけがない。
もし仮に、何とか出来る実力をショーコが持っていたとしても、多分、現在のショーコは、自分と子供たちを守るためにしか戦わない。
今、せっかく、執拗に自分たちをつけ狙っていたタークがいなくなり、貫太の心の中、おそらく清次の心の中にも、まだタークとの戦いの際のショックが残っていると思われるものの、穏やかに暮らせている。この生活を失いたくない。……そういう考えは、身勝手だろうか?
「盗み聞きかよ、趣味わりーなあ」
突然の声に、ショーコはハッと顔を上げる。
清次が、いつの間にか目の前に立っていた。
ショーコは慌て、シッ、と自分の唇の前に人指し指を立てるが、時、既に遅く、
「お母さん、トイレ? 」
貫太に気づかれた。
ショーコが、バツの悪さをごまかすための笑顔を作りつつ頷き、それから、これも、と付け加え、持っていたパジャマを見せると、貫太は両手で持っていた本を左手に移し、右手を差し出してパジャマを受け取ってから、優しく、
「手伝わなくて、大丈夫? 」
清次が、バッサリ斬り捨てるように、貫太の語尾に被せ、
「大丈夫だよ。オレらがいない時には、1人で行ってるんだから」
それから、少し呆れ口調で、
「兄ちゃんさ、家の中でイチャつくなよ、恥ずかしい」
そんな清次の台詞を、有実が、
「あ、キーちゃん、羨ましいんでしょ! 」
茶化す。
清次、
「ば、馬っ鹿、羨ましくなんて、ねえよ! 」
貫太は笑い出しながら、有実は本を持ってきてくれただけだと説明。
清次は、最近 貫太が本を読んで夜遅くまで起きているので 灯油の減りが早いと、ブツブツ文句。
有実は、この本 面白いからキーちゃんも読んでみたら、と提案。
それに対して、清次は脹れ、
「嫌味かよ。オレが、字、読めねーの、知ってるだろ? 」
言い放ちつつ、土間へ下りざまサンダルをつっかけ、毎日の日課である風呂の準備をするべく、土間の隅の風呂場へ通じるドアへと歩く。
貫太は、清次の背中に、
「今度、字の読み方を教えるから、読んでみない? 」
清次は後ろ姿のまま、ぶっきらぼうに、全く可愛げなく、しかし、字が読めたらいいな、とは思っていたのだろう、
「そのうちな」
*
数日前から、ショーコは きちんと起き上がり、貫太と清次と共に、普段食事をしていた部屋で食事をとるようになった。
今日の夕食のおかずは、塩漬け肉入り野菜炒めに玉子焼き、ナスの味噌汁。
ショーコは、時間はかかるが、怪我をするより更に前、過労で倒れる前の完全な健康体の時と同じだけの量を食べる。
ゆっくりゆっくりショーコが食べている間に、貫太と清次は食べ終わり、ジャンケンで勝った清次が入浴。
貫太は、調理に使用した鍋類や貫太と清次の分の食器類の後片付けを、考えられないくらい手早く済ませ、
「ちょっと、行ってくるよ」
ショーコに声を掛ける。
何処に? 何の用事で? などと、野暮なことは聞かない。
行き先は中村家。用事は、有実に会うこと。それ以外無い。
ショーコは箸を休め、
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
それを背中で受け止め、一旦 振り返って、ショーコに向かって笑んでから、貫太は勝手口を出て行った。
箸を止めたまま、貫太が出て行った後の勝手口の戸を、ほんの少し寂しく感じながら、ショーコは見つめる。
少しずつ、だが確実に、貫太がショーコから離れていっていると感じる。
(…しょーがないよね……)
カンちゃんが成長して大人に近づいていっている証拠だよ、と、ショーコは心の中で呟き、自分を納得させようと努めつつ、夕食の続きに箸をつけた。
夕食を平らげたショーコは、自分の使った食器を、ヘロヘロの足取りで手にも充分に力が入らず危なっかしいながらも、何とか無事に台所の流しに運んで洗う。
調理に使用した鍋類と貫太・清次の分の食器類は、既に貫太がキレイに洗い終わっているため、自分の使った分をそのままにしておくのは何となく申し訳なく思ったからだ。
洗い終え、その足で勝手口から外に出、外水道で、手製の歯磨き粉で歯を磨く。
家の中で、
「兄ちゃん」
清次の声。
「兄ちゃん、風呂! 」
ややして勝手口が開き、清次が顔を覗かせた。
「お母さん、兄ちゃんは? 」
もう充分に歯を磨いたショーコが、水で口を漱いでから、
「出掛けたよ。有実ちゃんのとこでしょ? 」
答えると、清次、忌々しげに舌打ちし、
「ったく、色ボケしやがって」
夕方、台所で散々イチャついてたばっかなのに、と、ブツブツ。
ショーコは、まるで小舅のような清次を、ちょっと からかいたくなり、
「キーちゃん、カンちゃんを有実ちゃんに取られちゃって、寂しいの? 」
清次は、暫し沈黙。
(あ、図星……? )
数秒後、ムキになった様子で、
「それは、お母さんだろっ? 」
こちらは間違いなく図星。
清次をからかうつもりが、逆に遣り込められてショーコは俯き、そっと、上目遣いで清次を見、
「そう、見える……? 」
清次は、少々呆れ気味に息を吐き、
「見えるよ」
言ってから、
「くだらねーこと言ってないで、歯、磨き終わったんだったら、さっさと寝ろよ」
ショーコを家の中へと追いやった。
ショーコが布団に入り、ウトウトし始めたところへ、
「兄ちゃん! 風呂が冷めちまうだろっ? 早く入れっ! 」
清次の怒鳴り声と、明らかに笑いながらの、貫太のゴメンゴメンが聞こえた。




