第2部 * 4 *
明夫の厚意に甘えて休むこと、3日目の朝。
勝手口を出、庭を抜け、細い坂道に面した門まで、ショーコは貫太と清次を見送りに出た。
いつもは、何か、その時その時の事情で、貫太や清次を先に中村家へ送り出すことがあっても、見送りなどしないが、今日は、何となく、そうしたい気分だった。
「行ってらっしゃい」
笑顔で言うショーコに、貫太は、
「行ってきます」
笑顔で応え、清次は、首を傾げながら背を向け、後ろ姿で手を振った。
貫太と清次が中村家の敷地内に入ったために見えなくなるまで見送ってから、ショーコは物干し台の前に立った。
少しくらい家のことをやって 体を慣らさなければ、と、洗濯物干しを引き受けていた。
貫太が、洗濯済みの洗濯物をカゴに入れ、物干し台の前に置いて、干すばっかりにしておいてくれてある。
澄みきった青空。適度に風もある。絶好の洗濯日和だ。
ショーコは腰を屈め、カゴの中、一番上に載っている 清次のシャツを手にとり、パンパンッと宙を舞わせてシワをのばし、ハンガーに掛ける。
そのシャツの大きさは、ほとんどショーコの物と変わらない。
ここで暮らすようになった頃には赤ちゃんだったのに、と、自然と笑みがこぼれる。
ショーコは鼻歌まじり、次々と干した。調子いい。
これならば、もう明日から中村家で農作業が出来そうだ、などと考えながら、カゴの中の最後の1枚に手を伸ばした。
と、その時、にわかに頭上に影が差したのを感じ、雲が出てきたのかと、上体を起こして空を仰ぐ。
直後、
(! )
ショーコは固まった。
太陽の光を遮ったのは、雲ではなかった。
遮ったのは、
(タークッ! )
貫太と清次を抱えて逃げた夜から数えて10年半分老けたタークと、同じく年齢を重ねた、顔ぶれどころか簡単に変えられる髪型等の特徴すら変わらない2人の部下。
「随分、捜シマシタヨ、青ノ国ノ姫君」
タークは、部下と共にゆっくりとショーコの目の前の舞い降り、
「アマリニモ見ツカラナイノデ、私ニ断リ無ク、イズレカノ場所デ既ニ オ亡クナリニナッタノデハトモ考エマシタガ、捜シ続ケタ甲斐ガアリマシタ」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、ショーコの頭の中に語りかける。
「ヤハリ アナタハ、私ノ手ニ掛カッテ、死ナナケレバナリマセン」
ショーコは周囲に視線を走らせた。
タークたちとの距離が近過ぎる。この状況で、どうしたら上手く逃げられるか、と、考えを巡らせる。
逃げる助けとなりそうなものは、地面の土と、細い坂道の向こうの森。
ショーコは地面に両手のひらを向け、自分の身長より高く土を月空力で大量に弾きあげて、タークたち3人から一瞬だけ姿を隠し、その隙に翼を出しざま後ろ斜め上へ飛んだ。
が、
(! )
3人は、ショーコとほぼ同時と思える素早さで舞い上がって来、ショーコを取り囲んだ。
(…ダメだ、逃げられない……)
ショーコは諦め、地面に降りる。
3人も、ショーコが降りるのに合わせるようにして、ショーコを囲んだまま降りた。
「駄目デスヨ。逃ガシマセン」
ショーコの正面でニヤニヤ笑いのターク。
ショーコは覚悟を決め、タークを見据えた。
逃げられないなら、戦うしかない。
タークが、不意にショーコから視線を逸らす。
ゆっくりと首を動かして180度の広範囲を見回し、
「トコロデ、オ子サンタチハ? 」
ショーコは、ふと思いつき、
「死にました」
口に出す。
「あの子たちは、死にました」
死んでしまったことにしておけば、仮に今、ショーコがタークたちと戦って敗れ、命を落としても、いや、間違いなく敗れるが、もう、貫太と清次に、タークに関しての危険はなくなる。
日空人による被害は後を絶たず、そのうち、この静かな農村にまで及ぶ日が来るであろうが、カラスネットワークによれば、どうやら、現在、日空人が地表人の町を襲うのは、その土地を欲しているのではなく、労働力確保のための人集め。執拗につけ狙われたりしなければ、今のあの2人なら、何とかかわし、生き延びられる。協力し合って、生きていける。
自分の役目は終わったのだ。
(カンちゃん、キーちゃん、元気でね……)
ショーコは、タークに聞こえないよう、小さく小さく、心の中で呟いた。
そして一度、大きく息を吸って吐いてから、腹にグッと力を込め、更に強くタークを見据える。
以前、タークは、ショーコに恨みがあると言っていた。
だが、ショーコにだって、タークに対して恨みがある。
勝ち目がないのは百も承知。しかし、同じ戦うなら、せめて一矢報いたい。
ショーコは狙いを覚られにくいよう、若干 威力と正確さは落ちるが、手を使わず、タークの眉間に意識を集中させた。
けれども、月空力がタークに及ぶ寸前で、
(っ! )
ショーコは、自分の斜め左右背後の部下たちに、両側から翼を掴まれ、地面にうつ伏せに押さえつけられた。
狙いが大幅にズレ、また、タークがショーコの狙いを察知したのか素早く上空に舞い上がったこともあり、月空力はタークの衣服の裾を掠めて千切っただけに終わった。
ショーコは歯噛み。
だが、1度ダメだったくらいで諦めるワケにはいかない。
押さえつけられたままの姿勢で上空のタークを睨みつつ、自分の体の周りの地面の土を、部下たちの顔を目がけて月空力で弾き、目をやられた部下たちの手から逃れ、上空へとタークを追う。
待ち構えていたタークが、
(! ! ! )
一度、両腕を、空のもっと高みへと向けて上げ、いっきに振り下ろすといた、満身の力を込めて、といった感じのポーズで、ショーコの手を触れずに物を動かす月空力に似た力を使い、ショーコを地面へ向かって叩き落とした。
その攻撃による勢いで、かなりの速度で背中から地面へと落ちていくショーコ。
タークとの距離からの計算上、あと3メートルで地面というところで、
(! ! ! ! ! )
今度は、背中を衝撃が襲い、再び空へ。
下にいた部下たちが、タークが使ったものと同じ力で突き上げたのだ。
ショーコの鼻と口から血が噴きだす。
上空で待機していたタークが、下から飛ばされてきたショーコを、タイミングを計って右手で襟ぐりを掴んで自分のほうへ引き寄せた。
ショーコは、人形のように、ぶら下がる。
もう、手も足も、翼も動かない。
ターク、
「オ別レデス。姫君」
ニヤリと笑い、ショーコの胸の真ん中あたりに、そっと、空いている左手を置いた。
一瞬、非常に強い圧力が胸にかかったのが分かった。
タークが右手を放す。
落下していくショーコ。
(カンちゃん、キーちゃん、バイバイ……)
意識が薄れていく。
(…シンゴさん……。今、行くから……)
そうしてショーコは、硬い地面へと叩きつけられ……なかった。
ぼんやりとした視界に、慎吾の顔。
地面にぶつかる前に、慎吾が抱き止めてくれたようだ。
(シンゴさん……。迎えに、来てくれたの……? )
だが、何となく違和感。自分を支える腕や胸が、慎吾のものにしては頼りないような……。
ショーコを覗き込んでいた慎吾が口を開く。
「お母さん」
(…お母さん……? )
慎吾は、貫太が生まれてからもショーコのことを「ショーコさん」と呼び、「お母さん」とか「ママ」とかは、貫太や清次相手にショーコのことを話す時にしか使わなかった。
(……? )
至近距離から覗き込む、その顔を、霞む目で見つめること数秒。
やっと、
(…何だ、カンちゃんだったの……)
自分を受け止めたのが貫太だったことに気づき、
(っ! カンちゃんっ? )
気づいた途端、意識も視界もハッキリした。
心配げな貫太の向こうには、背に翼を出し、険しい表情で上空を見据えている清次。
(キーちゃんまでっ! )
「…どう、して……」
思うように出ないショーコの小さく掠れた声を、一生懸命聞き取ろうとしているように、ショーコを見つめる貫太。
「…どう、して、……来ちゃった、の……? 」
皆まで聞き取ったところで、クッとショーコから視線を逸らし、小刻みに震えながら、
「ふ、ざけんなよ……」
呻くように呟く。
ショーコは、ビクッ。
こんなに怒っている貫太は、初めて見た。
貫太は、一度、小さく息を吐き、震えを抑えてから視線をショーコに戻す。
その目は、怒りというより、むしろ、悲しみに満ちていた。
「お母さん。僕たちは、そんなに頼りないの? 」
静かな口調。
「…1人で戦って……。こんなに、傷ついて……」
貫太の底からの優しい心が、傷に沁みる。
辛くて、今度はショーコが目を逸らした。
と、思わぬ人と目が合った。……タークの部下のうち、長髪のほう。
目を見開いて仰向けに転がり、サラサラの髪が地面に放射状に広がっていて、ピクリとも動かない。
ソバカスのほうも、耳から血を流して長髪の上に折り重なり、うつ伏せで倒れていた。
(もしかして、2人ともキーちゃんが……? )
ショーコは清次に目をやった。
清次は、上空を見据え続ける。
その視線の先のターク、地面から2メートルほどの高さまで下りて来、
「コレハコレハ、王子様ガタ。生キテオラレタノデスネ。母君ハ、アナタガタガ亡クナラレタト オッシャッテイタノデスガ……」
余裕のニヤニヤ笑い。
「ソレニシテモ、アナタガタノ母君ハ強イ。マダ息ガアルノデスネ」
タークの、どす黒い感情が流れ込んでくる。
タークは、
「丁度イイ。完全ニ息絶エル前ニ、目ノ見エルウチニ、更ナル苦シミヲ味ワッテイタダキマショウ」
清次に向けて右手を構えた。
(キーちゃん! )
ショーコは動こうとするが、全く体が動かない。
清次は、一旦、目を伏せ、軽く息を吐いてから、再び真っ直ぐタークを見据え、大きく息を吸って、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ・・・・・・・・・・・・・・」
地を這うような低く響く声を発する。……赤ちゃんの頃の泣き声に代わるものだろう。
ショーコはタークの反応を見る。
タークは平然と、相変わらずのニヤニヤ笑い。
驚き、声を止める清次。
ターク、
「『備エアレバ嬉シイナ』トハ、良イ言葉デスネ……オット、ソレヲ言ウナラ『憂イ無シ』デスカ」
ワザと間違えたようで即座に自分でツッコんでから、耳をショーコたちのほうへ向け、空いている左手人指し指で、指さして見せた。
耳栓が入っている。
清次は歯ぎしり。
タークは顔の向きを戻し、耳を見せるために少しズレてしまっていた右手を構えなおした。
(キーちゃんっ! )
気持ちばかりで、やはりショーコの体は動かない。
と、
「お母さん、ちょっといい? 」
貫太が小さく言って、ショーコを そっと地面に横たえた。
(カンちゃん……? )
そして、清次とタークの間に割り込むような形で立ち、タークを見上げる。
(カンちゃん! )
ターク、小ばかしたように、
「アナタモ、何カ、芸ガ出来ルノデスカ? 」
直後、ワサッという音と共に、
(カンちゃんっ? )
貫太の背中に、大きくて立派な翼が現れた。
(カンちゃんに、翼が……)
驚くショーコ。
清次も、
「兄ちゃん! 」
初めて見たのだろう、驚く。
貫太は、バサッ、バササッと、力強く翼を動かし、50センチほど宙に浮いたかと思うと、フッといなくなった。
すぐ次の瞬間、タークが何かに弾かれたように、ターク自身の意志とは無関係な感じで背中から後方へ飛び、それまでタークがいたはずの場所に、貫太が姿を現した。
何が起こったのか全く見えなかったが、高速飛行した貫太がタークに体当たりしたか何かなのだろう。
清次が、
「…兄ちゃん、すげえ……」
感嘆する。
体勢を立て直したタークからは、終始浮かべていた、あの嫌な薄ら笑いが消えていた。
顔は青ざめ、上唇と下唇の隙間から血が滴る。
突然、また貫太が姿を消した。
タークが、今度は空高く、やはり、何かに弾かれたように、ふっ飛ぶ。
ふっ飛んでいく前にタークがいた位置に、再び貫太が現れ、上空のタークを見上げた。
遠すぎて、ショーコからはタークの表情までは見えないが、空中に止まっているのがやっと、といった様子だ。
と、また、貫太の姿が消える。
ドカッという音。
直後、タークが止まっていた位置の真下にあたる地面の土が、かなりの量、爆発でもしたかのように派手に飛び散った。
(っ? )
清次が、土から庇うように、ショーコの顔に覆いかぶさった。
辺りが、急に静かになる。
風に揺れる木の葉の微かな音が、はっきり聞こえるくらいの静けさ。
清次は、ゆっくりと身を起こし、飛び散った土が元あった場所へと歩き、
「大きな穴が……」
覗いて、そこまでで絶句。血の気を失った顔でショーコを振り返った。
清次が覗いたその穴は、おそらくタークが地面に墜落した衝撃で出来た穴。その中には……。
清次は、もう穴のほうを見ることはなく、ショーコを振り返ったきり、呆然と立ち尽くしてしまった。
ややして、上空に暫し佇んでいた貫太が、ショーコの傍へ舞い降りる。
こちらは、初めから青ざめ、穴に背を向けて放心状態。
ショーコは、地面の上に横たわったままの姿勢で月空力を振り絞り、折り重なっている部下2人の亡骸をタークの悲惨な亡骸があるはずの穴へ移動させ、飛び散った土をかき集めて被せた。
貫太と清次に、見せていたくなかった。
戦っている最中は興奮状態のため平気でも、それが醒めた時、平気でいられるわけがない。
事実、貫太も清次も、既に自分のしたことを自覚し、ショックを受けている。
人を殺すなんて、させたくなかった。
貫太と清次の心が壊れてしまうのではと心配で、今 目にした2人の強い能力を、単純に喜べずにいた。
トドメは自分が刺せていたらよかったのに、と、ショーコは、自分の力不足を呪った。
ショーコの目から、涙が伝う。
「おーい」
と、細い坂道に面した門のほうから呼び声。明夫の声だ。
その声に、俯き加減だった貫太と清次はハッと顔を上げ、門の方向を向く。
少ししてショーコの視界に姿を現した明夫は、にこやかな笑顔で貫太と清次に歩み寄ってきながら、
「どうした。2人とも、急にいなく…なっ…て……」
言葉の途中で、倒れているショーコに気づいたらしく、血相を変えてショーコの脇に駆け寄り、膝をついてショーコを覗き込んだ。
「な、なっ……? 」
そして、すぐさま立ち上がり、医者を呼んでくると言い残して踵を返した。
貫太と清次は、ショーコに駆け寄る。
貫太は片膝をついてショーコを抱き起こし、清次は、中腰でショーコの顔を覗く。
ショーコの涙に気づいてか、貫太、気遣わしげに眉を寄せ、
「どこか痛むの? 」
大真面目に聞いた。
思うように声の出ないショーコは、心の中でツッコんだ。
(そりゃ、痛いよ。死にかけたんだから! …でも、心のほうが、もっと痛いよ……)
空が青い。小鳥のさえずりが聞こえる。爽やかな風に、さっき干したばかりの洗濯物が、土にまみれて揺れている。
……とにかく、
(終わったんだ……)




