第2部 * 3 *
昼食の仕度をしようと台所の流しの蛇口のカランを捻ったショーコは、
「あれ? 」
首を傾げ、一度、カランを締めてから、もう一度、水が出てくるはずの方向へ回す。
「あれ? 」
水が出てこない。
ショーコの、あれ? あれ? を、少し後れて中村家の畑から戻ってきた貫太が聞きつけ、
「どうしたの? 」
勝手口をくぐりながら声をかけた。
ショーコが、水が出ないと話すと、貫太、
「どこかで管が外れてるのかもしれないね。僕、見てくるよ」
言って、入ってきたばかりの勝手口から出て行こうとする。
水を引くための管は、だいぶ遠くから繋がっている。外れている箇所が、自宅から、かなり離れた場所である可能性もある。
貫太を1人で行かせるわけにはいかない。
この間、いなくなった有実を捜している時に、貫太にも月空力らしきものがあると気づいたが、身を守るのに使える能力ではない。1人で行動させられないことに変わりはない。
ショーコは、
「待って、お母さんも行くから」
焦って貫太を呼び止めた。
貫太はショーコに背を向けたまま、大きな溜息。
「また? 」
聞いたことの無い低い声に、ショーコは驚き、一瞬、竦む。
「ま、『また? 』って……。だって、1人で行って、もし日空人に襲われたら、どうするの? …お母さんと行くのが嫌なら、キーちゃんと一緒に……」
貫太が体ごと振り返った。
軽く構えてしまうショーコ。
貫太は、そんなショーコの脇を通り過ぎ、靴を脱いで畳の上に上がってから、一旦、足を止め、ショーコに背を向けた状態で俯き、
「そうだよね。僕、頼りないから……」
低く暗い沈んだ声で、それだけ言い、土間から一直線に並んでいる2部屋を早歩きで通り抜け、寝室に入って、普段は閉めることのない襖を閉めた。
「カンちゃん……? 」
ショーコは靴を脱いで上がり、寝室の、閉ざされた襖の前へ。
「カンちゃん」
呼びかけても、返事が無い。襖を開けようとしても、つっかえ棒でもしたのか、開かない。
「どうした? 」
貫太より更に後れて帰ってき、ショーコの背後までやって来た清次から、声がかかる。
言葉を濁すショーコ。
清次は、中途半端に状況を察し、
「襖自体を外せば、開くだろ? 」
4枚並んだ襖のうち1枚の襖の両側の縁に手をかけ、外そうとした。
ショーコは、
「あ、いいの、いいの」
大急ぎで止め、
「お昼ごはん、食べよう」
清次の背を押し、寝室から離れた。
水が使えないため、昼食は、朝食の残りごはんで作ってあった おにぎりだけで済ませ、貫太の分を ちゃぶ台の上に置き、ショーコは一度、寝室前へ行って、
「ちゃぶ台の上に、おにぎり置いてあるから、食べてね。キーちゃんとお母さん、中村さんちに行ってくるから……」
言い残して、清次と2人で中村家へ。
*
1日の作業を終え、帰りがけに水道の管の外れた箇所を調べて修繕してくるよう清次に頼み、ショーコが自宅へ戻ると、ちゃぶ台の上に、貫太の分のおにぎりが、手つかずのまま置いてあった。
靴を脱いで土間から上がろうとしたショーコは、ヨロける。
(……? 疲れたのかな……? )
何だか、頭が少しボーっとしている。
頭を軽く横に振り、1度、深呼吸してから、ショーコは寝室の前へ。
「…カンちゃん……」
遠慮がちに声をかける。
返事は無い。
ショーコは襖に手をつき、中の様子を透かして見る。
貫太は、両手を頭の後ろで組んで枕にし、畳の上に寝転がって、天井を見据えていた。
(カンちゃん……)
貫太は、頼りなくなどない。今の生活の中では、随分と貫太に助けられている。それだけではない。慎吾の死後、ショーコは、ずっと、まだ幼かった貫太と清次に精神的に支えられてきた。今だって、そうだ。頼りなくなど、ない。それだけでは、不充分だろうか……?
ショーコは小さく息を吐く。
水が出なければ夕食の仕度が出来ないため、先に洗濯物を取り込もうと、ショーコはサンダルを履き、洗濯物を取り込むのに使うカゴを持って外に出、庭の隅、縁側と平行に置いてある物干し台へ。
高い位置のサオに干してあるバスタオルを取ろうと、上を向いて腕を伸ばす。
瞬間、めまい。
咄嗟に物干し台に掴まる。
(……? )
めまいは、すぐに治まった。
3人分、3枚のバスタオルをサオから外して、地面に置いたカゴに入れ、続いて、他の洗濯物も、サオやハンガーから外しては、カゴに入れていく。
全て取り込み終わって、縁側へと運ぶべく、一旦、カゴを持ち上げた、その時、視界が大きく揺れた。
立っていられず、膝をつく。
「お母さん! 」
清次の叫び声。
「お母さん! お母さんっ! 」
自分は、どうやら仰向けに転がってしまっているようだと、ショーコは、何となく分かる。
清次が間近から顔を覗き込んでいるようだが、とにかく視界が揺れていて、自信が無い。
そこへ、
「どうしたの? 」
清次の尋常でない叫び声が聞こえたのか、貫太が出てきたらしい声が聞こえる。
貫太のものらしい顔が、ショーコを覗いた。
清次は叫び続ける。
「お母さん! お母さんっ! 」
貫太が、
「落ち着いて! 」
完全に取り乱している様子の清次を一喝。
「落ち着いて、キーちゃん。とりあえず、布団に寝かせよう。僕が運ぶから、キーちゃんは布団を敷いて。それから、明夫オジサンを呼んできて」
貫太が的確に指示を出すのを、ぼやけた意識の中で聞きながら、
(カンちゃん、すっかりお兄ちゃんだね。頼りに、なるね……)
そんなふうに思ったのを最後に、揺れる景色が全て消え、貫太の声も清次の声も次第に遠く、やがて、聞こえなくなった。
*
目を覚ましたショーコは、寝室の、普段通りの場所に敷かれた布団の中にいた。
目を開けて最初に見えたのは、心配げにショーコを覗き込む清次の顔。
「キーちゃん……」
ショーコと目が合うと、清次、最初に見えた心配げな表情から一転、素っ気ない態度で徐に顔を上げて台所のほうを向き、
「兄ちゃん! お母さんが起きたよ! 」
大きな声で貫太を呼ぶ。
ややして、貫太がやって来、
「気分、どう? 晩ごはん、食べられそう? 」
ショーコの枕元に腰を下ろした。
昼に聞いた低い声ではない。いつもと変わらないトーン、優しい口調。
「明夫オジサンが、お医者さんを呼んでくれてね、診てもらったんだけど、お母さん、疲れが溜まってるんだって。心配はいらないけど、たくさん栄養を摂って、2・3日ゆっくり休んだほうがいいって言ってた。明夫オジサンも、作業のほうは気にしなくていいからって」
「ゴメンね、心配かけて……」
ショーコの言葉に、貫太は優しい笑みを浮かべ、首を横に振る。
と、そこへ、
「ごめん下さーい」
玄関から大人の男性の声。
「はーい」
貫太は返事をしながら立ち上がり、玄関へ。
玄関を開ける音。
大人の男性の客人が、
「お母さんの具合は、いかがですか? 」
と尋ねる。
答えて貫太、
「たった今、目を覚ましたところです」
「そうですか。それは良かった。……あ、これを」
「ありがとうございます。助かります。もう暗くなってきてるのに、すみませんでした」
「いえ、完全に暗くなる前に届けられて良かったです。今度は、仲間と一緒に行って、もっとたくさん採って来ますよ。では、また明日」
会話は、
「ありがとうございました」
との貫太の台詞を最後に終わったらしく、沈黙が流れる。
少ししてから、玄関を閉める音。客人は帰ったようだ。
寝室へ戻ってきた貫太は、再びショーコの枕元に腰を下ろしつつ、
「お母さん、これ」
何かを握っているらしいグーにした右手をショーコに差し出す。
ショーコが条件反射で手のひらを上に向けて貫太の右手の下に出すと、貫太はグーを解いた。
そこから落ちてき、ショーコの手のひらの上に転がったのは、サクランボ1つ。
「お母さんが過労で倒れたって言ったら、良い物を知ってるから採ってきてくれるって言って、今、届けてくれたんだよ」
貫太の言葉に、ショーコは、
(過労にサクランボ? しかも1個……)
首を傾げながらも、その気持ちは嬉しく、
「そう、今、来た人が……? 」
手のひらのサクランボを見つめた。
途端、
(……違う! サクランボじゃない! )
驚きすぎて、来てくれたのが誰なのかと聞こうとしていたのが、ふっ飛んだ。
ショーコの手のひらの上で転がっている実は、サクランボではなく、「ジヨーの実」。
青の国の風の縁近くの森に多く自生していた実で、青の国の人々は、古くから薬として利用していた。効能は、肉体疲労時や病中病後、産前産後の栄養補給、滋養強壮、虚弱体質等。地表界では見かけたことが無いのだが……。
ショーコの驚きに応えるように、貫太、
「人じゃないよ、カラスだよ」
それでショーコは納得。カラスならば、青の国や、その他の月空界の3国のうち いずれかの国へ行って、採ってきたのかも知れない、と。
しかし、今度は、一度は聞き流してしまったが、はたと気づいて、別の理由で驚く。
「カラスッ? カンちゃん、カラスと話せるようになったのっ? 」
驚いたショーコに、ちょっと呆れ気味の調子で清次、
「は? 何言ってんの? オレら月空人がカラスと話せるのは、当たり前だろ? 」
(…そりゃ、そうだけど……)
「お母さん、前に、オレに、自分で言ったんだろ? 月空人がカラスと話せるのは普通のことだけど、地表人は話せないのが普通だから、気味悪がられるから、中村のオジサン、オバサン以外の地表人に、カラスと話してるところを見られないように気をつけろって」
(確かに言ったけど……)
と、いうことは、清次の目に、貫太がカラスと話すことが当然のこととして映るくらい前から、貫太は、カラスと話していたということだろうか?
全然知らなかった、と、ショーコは少しショック。




