第2部 * 2 *
起床し、着替えた後、朝食の仕度をするため台所へ向かう途中、食事をする部屋と寝室に挟まれた真ん中の部屋の、玄関とは反対側の窓からの景色は、時々、ショーコにとって懐かしく、そして切ない。
立ち籠める霧が、少し高台に建つショーコの自宅のその窓からは、眼下に雲が広がっているように見え、故郷・青の国を連想させるのだ。……自分のせいで壊滅に追い込まれてしまった、青の国。ショーコは、溜息をひとつ。時々、夢にみる青の国には、城内の書斎にドッシリと構え執務中の父王がいて、中庭で近所の子供たちと花に囲まれ微笑むユウゾがいて、廊下で、ショーコの私室で、庭で、城外でまで、ショーコの周りを忙しなく動き回るバアヤがいて、ショーコの私室の窓辺でくだらないお喋りをするハナコがいる。町には人々の賑やかな笑い声が響き、野原では虫たちが戯れ、森では小鳥たちが歌い……。ショーコが暮らしていた頃のまま。今では、すっかり変わってしまっているはずなのに……。自分の、せいで……。
思い耽って立ち尽くすショーコ。
と、
「お母さん、おはよう! 」
寝室から出てきた貫太の、ショーコの後ろを通り過ぎざまの実に爽やかな挨拶。
ショーコは ハッと我に返り、
「あ、おはよう! 」
既に土間に下りている貫太の背中に返した。
ショーコが土間に下りたところで、
「お母さんっ! 」
外水道で洗濯をするため、たった今、外に出たばかりの貫太が、血相を変えて、丁度ショーコが立っている真正面に位置する勝手口から飛び込んできた。
少々面食らい、
「……何? 」
鈍く聞き返すショーコに、貫太に続いて勝手口から顔を覗かせた明夫が、
「朝早くから悪いね」
申し訳なさそうに言ってから、早口で説明した。有実の姿が見当たらない、と。15分くらい前に起床した明夫は、有実が寝ている部屋を覗いた。昨日こちらに到着したばかりで疲れているだろうから、と、今日1日は、ゆっくり休ませるつもりで、起こす気はなく、ただ、ちゃんと眠れたかどうか気にかけて……。すると、布団がキチンと畳まれ、有実の姿が無かった。玄関に靴も無く、家の周辺を捜したが見つからなかった、と。
ショーコは、自分たちも一緒に捜します、と明夫に申し出、貫太が頷くのを確認してから、部屋の奥の奥を振り返り、
「キーちゃん、ちょっと来てー」
寝室で3人分の布団を畳んでいる清次を呼んだ。
土間の手前まで出てきた清次に、ショーコが、有実がいなくなったと伝えると、清次は舌打ち。
「ったく、何なんだよ、あの姉ちゃんはっ! 」
面倒くさそうに頭を掻きながら、土間に下りざま靴に足を突っ込む。
政枝は連絡係として中村家に残り、ショーコと貫太、清次と明夫、と、二手に分かれて有実を捜すことになった。
清次と明夫は、中村家前から左手側へ。ショーコと貫太は、中村家前から右手側へ。
ショーコと貫太が右手側へ進むと、すぐに自然の木々の短いトンネル。トンネルを抜けて突き当たる道は、緩やかな坂道で、左が上り、右が下り。
坂道手前で貫太は足を止め、有実を出来るだけ早く発見するため左右に分かれて捜そうと提案しようとするが、貫太が皆まで言わないうちに、ショーコ、強めに、
「ダメだよ、そんなのっ! 」
言ってしまってから、ハッと口を押さえた。このところ、貫太は一人前っぽく振る舞いたがっている。努めて大人であろうとしているのが分かる。そのため、今のような子供相手のような頭ごなしな言い方は、貫太を傷つける。分かっては、いる。気をつけてもいるが、やはり、実際に、貫太はまだまだ子供。もう大人なのだと自然に思わせてくれるようになるまでは、またきっと、今のような言い方をしてしまうだろう。以前にも、何度かしてしまった。
最近、ショーコは、貫太への接し方が難しくなったと感じる。気をつけなければ……。しかし、内容に関しては譲れないことが多いため、本当に難しいのだ。貫太を1人で行動させられない。させるとしても、ショーコがすぐに異変を察知できる範囲内。清次は、いい。1人でいる時に日空人に襲われても、相手の飛行能力が10年半前のタークの部下たち以下であれば、子連れのショーコでも逃げきれたのだ、身軽な清次なら逃げきれる。身を守るのに役立つ攻撃性の月空力も持っている。何とか切り抜け、ショーコのもとまで逃げて来れる。赤ちゃんの時以来、(とても良いことだが)能力の出る幕が無く、目にする機会がなかったが、一度目覚めた能力が消えることはない。貫太は、無理だ。空を飛ばない。月空力も持たない。先のことは分からないが、現段階では慎吾のように体ひとつで日空人と渡り合えるとも思えない。
貫太は俯き、黙り込んでしまっている。
だが、他にどう言えばよかったのか。どんな言い方をするにしても、内容は変えられない。もっと優しい口調で丁寧に説明しようとすれば、ますます小さな子供相手に話しているような雰囲気になり、余計に不愉快な思いをさせてしまう気がする。本当に、もう、どうしていいか分からない。こんな時、父親だったら、慎吾だったら、どうするだろう。慎吾が、いてくれたら……。ショーコも俯き、黙り込んでしまう。
暫しの沈黙。
ややして、貫太が小さく息を吐き、
「…そっか……」
ショーコと目を合わさず、
「そうだよね……」
下を向いたまま作り笑い。
本当に、どうしたら……。ショーコは唇を噛んだ。
と、その時、
「あ」
急に貫太は顔を上げ、視線をゆっくりと正面から左側へ移動させた。そして、
「お母さん、あっちだよ」
左手方向を指さす。
「行こう」
左に曲がり、坂を上っていく貫太。
ショーコは慌てて追う。
「待って! どうして? 」
貫太は何かに神経を集中させているように、ショーコの問いには、うわの空気味に、
「何て説明していいか分かんないけど……。有実ちゃんの歩いた跡が残ってるって言うか……」
(…歩いた跡……? )
ショーコは首を傾げる。足跡など、どこにも見当たらない。
ショーコがそう言うと、貫太、やはり、うわの空気味に、
「うん、一般的な足跡じゃなくて、ホント、何て言えばいいんだろう……」
大きなストライドでグングン歩いて行く貫太に、ショーコは小走りでついて行くが、それでも間が開く。
やがて、大きなカーブに差し掛かったところで、貫太は道路の左側に寄り、足を止めた。
左手側は、沢の水が小さな滝のようになっている場所。たくさんのフキが生い茂っている。
貫太は、小さな滝の水が落ちる先、道路から下に向かって、
「有実ちゃん! 」
呼びかけた。
(まさか! )
やっと貫太に追いついたショーコが下を覗くと、そこには、大きく成長したフキに埋もれるようにして膝を抱えて蹲る有実の姿。貫太の呼びかけに反応して、ゆっくりと顔を上げ、ボンヤリとショーコや貫太のほうを見上げる。
ショーコは驚き、同時に思い出した。昔、ショーコが生活費を稼ぐため盗みを働こうとしていた現場を貫太に押さえられた時のことを。貫太はその時、「道路にママの足跡がついていたから」、ショーコがどこにいるのか分かったのだと言っていた。そして今は、「有実ちゃんの歩いた跡が残ってる」と。もしかしてこれは、月空力なのではないだろうか。バアヤが持っていた、ある特定の人物の残して行った微かな気配を辿りその人物の行き先を知る能力に似ている。それが貫太の場合、気配のような曖昧なものではなく、はっきりとした痕跡として目に見えるのではないだろうか。そうとしか考えられない。
少し時間をかけて、目の前にいるのがショーコと貫太であると気づいたらしい有実は、目と口を大きく開き、
「カンちゃん! オバサン! 」
顔をいっぱいに使って驚きと安堵と喜びを表現する。
ショーコは、有美の元気そうな様子に安心し、貫太も、
「よかった……」
大きく長く、息を吐いた。
有実は、昨日、中村家へ向かう途中、この場所にフキがたくさん生えているのを見つけ、内緒で採って来て明夫や政枝を驚かそうと、今朝、起きてすぐ出掛け、採ろうとしたところ、足を滑らせて落ち、その際、足を痛めて登れなくなり、帰れなかったのだと説明した。
それを受け、貫太、
「待ってて、今、助けるから」
言って、滑らないよう注意を払いつつ、90度近い急な斜面を、有実のところへと下りた。
そして、有実を背負い、今度は指先や爪先をかける場所を慎重に選びながら、道路へと登ってくる。
ショーコは、真剣な表情の貫太を見守った。
本当は、ショーコが月空力で有実を道路へ引き上げてもよかった。
中村夫妻にはショーコは自分の月空力のことを特に隠していないのだから、孫の有実にだって、知られても構わない。それに、月空力のほうが安全で早い。
しかし、貫太を尊重してやりたかった。
譲れる部分は出来るだけ譲ったほうがよいと考え、貫太に任せたのだった。
中村家への道を、貫太は、有実を背負って歩く。
有実は貫太の首筋に頬を寄せ、小さな小さな声で、
「来てくれて、ありがとう……。心細かったの……」
貫太が満足げに笑むのを、ショーコは隣を歩きながら見た。




