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ずっと、この腕のなかに……  作者: 獅兜舞桂


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12/19

第1部 * 11 *


 夕食をテーブルの上に並べ、ショーコ、

「はーい、ゴハンでーす」

貫太を呼ぶ。

 つたい歩きでコタツの周りを歩き回る清次に踏まれないよう、頻繁に位置や姿勢を変えながらコタツにもぐっていた貫太は、

「はーい」

返事をして台所へ来たが、テーブル手前で立ったままテーブルの上を見つめ、何か言いたげ。 

「……? どうしたの? 」

ショーコが声を掛けると、

「あ、なんでもない なんでもない」

言って、笑顔を作り、自分の席に座って、

「いただきまーす」


 食べている最中も、貫太は、やはり何か言いたげで、話している内容が本当に言いたいこととは違うと、何となく分かる。

 食事のメニューは、以前のような質素なものではない。誕生日から今日までの5日間、ずっと、誕生日のメニューと比べ、見劣りしないメニューを続けている。今日だって、150グラムはある、子供にとっては大きな豚カツがのったカツカレーだ。だが、貫太が喜んでくれたのは、誕生日とその次の日だけ。昨日も一昨日も、今日のような態度だった。思い返せば、誕生日の次の日から食べさせてあげるようにしたオヤツも、昨日と今日は、あまり喜んでいる様子がなかった。

 ショーコは心配になる。 

(夕食とオヤツの時以外は普通だから、どこか体の調子が悪くて食欲が無いとか……? 体調が悪そうには見えないけど、それならそうと言ってくれれば、すぐに何か、食べやすい物を用意するのに……。それとも、食事関連のことで、幼稚園で何か……例えば、箸の使い方が変だと注意されたとかの、嫌なことでもあったんじゃ……)

そこまで考えが及んだところで、ショーコは、

(でも、箸が原因だと……)

沈んだ。 

 相談に乗ってやれない。ショーコも、箸は得意ではない。




                  *



 貫太と清次を寝かしつけた後、ショーコは、また、そっと自宅を抜け出した。

 明日は家賃の支払日。少なくても、家賃4万8000円と、明日の食費分くらいの額が、絶対に必要だった。

 夜道を歩くショーコの足取りは重い。盗む以外に方法が無いとは言え、やはり、気がすすまない。足下の道路の隅々まで、持ち主の分からない財布のような、滅多に落ちていない物を、落ちていてくれないかと、目だけをキョロキョロ動かし、探しながら歩く。



 ショーコは、貫太の幼稚園の送り迎えの際に目をつけておいた何軒かの家々のうち、道路から見える限りの全ての窓の明かりが消えていた、エンドウの駐車場の隣のアパートの1階の角部屋に狙いを定めた。

 目をつける際の条件は2つ。1つは、換気扇が道路に面した場所に無いこと。理由は、ドアや窓の開閉は音が出やすいため、金を家人に気づかれないよう静かに家の外へ出せるのは、11月の現在、換気扇の隙間だけ。そのため、夜間であっても全く人が通らないわけではない道路から簡単に見える場所に換気扇があっては困るのだ。もう1つは、外で犬を飼っていないこと。理由は、説明するまでもない、誰もが想像のつく、ごく当然な理由だ。

 狙いを定めた角部屋は、道路に面した玄関を正面とした時、側面、つまり、道路から見える位置に換気扇があるが、エンドウの駐車場との間にある塀と建物の隙間が、ショーコがやっと通れる程度と非常に狭く、しかも、道路側から見て換気扇のある位置より手前にエアコンの室外機があるため、充分、身を潜められる。


 辺りを見回し、ショーコは、人目が無いことを確認してから、素早くエンドウの駐車場との間の塀と建物の隙間に入り、室外機の奥に、かなり窮屈だが、しゃがんで潜んだ。

 アパート側面奥に、正面から見えなかった窓が1つ。赤みがかった小さな明かりが、部屋の上部についているのが見える。おそらく、ナツメ球の明かりだ。ナツメ球くらい、就寝時や帰りが夜になると分かっている外出時には、つけっ放しだったりする。ショーコもそうだ。気にする必要は無い。

 早速、ショーコは外壁に両手のひらをつき、神経を集中させる。壁の向こうは、真っ暗だった。闇に目が慣れていたショーコには、鍋のような物が重ねて置いてある輪郭と、上から下へと続く管のようなものが、うっすらと見える。ここは、台所の流しの下に違いない。手をつく位置を、少し上にずらしてみる。やはり、流しだった。視界を蛇口に邪魔されたため、今度は、左へ少しずれる。

 外壁の内側、台所にもナツメ球がついており、様子がよく見えた。

 テーブルの上に、セカンドバッグが置いてある。中に財布が入っているかも知れない。しかし、テーブルの上に無造作にバッグが置かれているという状況。人が家の中にいる可能性が高い。音をたてないよう、やらなければ……。そう考えながら、そうっと、バッグのジッパーを開けた。

 その時、ナツメ球の明かりだった奥の窓が、パッと明るくなった。蛍光灯の明かりに変わったのだ。

(……! )

ショーコは、一旦、作業を中止し、手は壁についたまま、息を凝らして中の様子を窺い続ける。

 ややして、上下ジャージ姿の、ショーコと同じくらいの年頃の男性が、今まで眠っていたのだろう、ボサボサの頭をバリバリ掻きながら台所へ姿を現し、台所の中央付近まで進むと、寝ぼけマナコで右を見、左を見。大きな欠伸を1つ。踵を返して台所からいなくなった。

 数秒後、蛍光灯がついたばかりの窓は、再びナツメ球に戻った。

 ショーコはホッと息を吐き、数分、様子見を続けてから、作業を再開。予想通り、バッグの中には財布があった。 

 また男性が起きて台所へ来ないよう、ショーコは、小さな物音もたてないよう細心の注意を払って、財布をバッグから取り出す。財布は換気扇の隙間を通らないため、その場で中身を確認すべく、財布を開け、中が見える角度に傾けた。苦手な細かい作業。11月だというのに、体中が熱くなり、背中や胸に汗が滲む。

 紙幣は、1万円札1枚と、5千円札1枚、1000円札1枚。硬貨は音が出易いため、初めから狙わない。


 ショーコは、財布の中の紙幣を全て抜き取り、換気扇の隙間を通して手元へ。

 と、そこへ、

「まま」

突然、道路側から声。

 ショーコがギクッとし、振り返ると、パジャマ姿の貫太。上着も着ていない。

(カンちゃん……! )

ショーコは立ち上がり、急いで自分の上着を脱いで貫太に羽織らせてから、小声で、

「1人で、こんな所まで出てきて、危ないでしょっ! 何してるのっ? 」

 貫太は、ショーコの問いには答えず、逆に問い返す。

「ままは、なにしてるの? 」

 貫太の視線は、ショーコが左手に握りしめている紙幣に向けられていた。

 どうしよう、と、ショーコの体は、月空力での財布の中の確認作業中以上に熱くなり、嫌な汗が噴き出す。

 何て言おう。何とか、ごまかせないだろうか……ショーコは、ドギマギしているために完全に働きが停止してしまっている頭を、必死に働かせようとする。

 貫太は視線を移動させ、ショーコを真っ直ぐに見上げる。

「それって、どろぼーじゃないの? わるいことだよね? へんだと おもってたんだよ。 おかね ないって いってたのに、このごろ ごちそーばっか だったから」

 どうやら、ごまかすのは無理そうだ。初めて貫太から責められ、ショーコは、最初、言い訳っぽく、

「だって、キーちゃんを預けられないから、働けないでしょ? お金が無かったら、ゴハンも食べられないでしょ? 」

言葉を重ねていくうちに、自分がこんなことをしているのは貫太と清次のためなのに、と、だんだん、実に久し振りに、自分が可哀想に思えてきてしまい、ついに、

「あんたなんて、何も出来ないくせにっ! 」

キレた。

 一瞬の間を置いて、貫太、作り笑いしながら視線を下方へ逸らし、

「うん、そうだね。ごめんね」

 ショーコは、言い過ぎた、と、手で口を押さえ、同時に反省。貫太と清次のためなどではない。生活のためだ。親が子供を養うのは当然のこと。そのために、どれだけ苦労しているかなど、子供には関係無い。しかも、事情はどうあれ、貫太の言うとおり、盗みは犯罪。ショーコだって分かっていた。罪悪感もあった。しかし、仕方のないこととして、何となく、許されるような気にも、少しなっていた。子供がある程度大きくなるまで、親は、子供の人生の道標のようなものだ。その、道標たる親が悪いことをしている場面を見てしまった子供は、どれだけ傷つくだろう。自分の存在自体を否定されたような気分になるのではないか。

「そうだった そうだった、ごめん ごめん」

と、俯き加減の作り笑いで繰り返し呟いている貫太の頭を、ショーコは、前屈みになって腕を伸ばし、自分の胸に引き寄せる。

「カンちゃん、ごめんね」

(…あったかい……)

貫太の温もりは、ショーコの気持ちを落ち着かせた。

 ショーコは貫太を放し、貫太の目をしっかりと見つめ、

「ママが、間違ってたね」

語りかけて、手にしていた紙幣を貫太の目の高さまで持っていき、

「これは返すから」

言って、月空力で、換気扇の隙間から、紙幣を元あった場所へ戻した。

「さ、帰ろうか」

ショーコは笑顔を作り、貫太に左手を差し出す。

 貫太は自然な明るい笑顔で、

「うんっ! 」

ショーコの手を握り返した。




 つないだ手を、大きく揺らして歩く帰り道。

 「よるに おさんぽするの はじめてだね」

 貫太が、軽く空を仰ぎ気味に、まるで、たった今ショーコの盗みの現場を見てしまったことなど、完全に忘れてしまっているかのように、楽しそうに言う。

 無邪気な横顔。…カンちゃんは、こんな暗い夜の道を、たった1人で、どんな気持ちで歩いてきたんだろ……。と、ショーコは、胸をしめつけられる思いで見つめた。

 貫太は、貫太の言葉に何も返さないショーコを振り仰ぐ。

 ショーコは笑顔を作って返し、つないだ手を握りなおしてから、そういえば、と、口を開いた。

「どうして、ママがあそこにいるって分かったの? 」

 ショーコは、盗みを働く予定のアパートに向かって歩いている間、足下の財布探しに少し注意を持っていかれてはいたが、充分、辺りを気にしていた。塀と建物の隙間に入る時には余計だ。後をつけられていたわけでは、絶対にない。加えて、どう考えても、貫太がショーコを捜してあちこち歩き回っていたと思えるほどの時間は経っていない。

 答えて貫太、

「だって、ままの あしあとが どーろに ついてたから」

(は? 足跡? )

 ショーコが歩いてきたのは全て舗装された道路。このところ雨なども降っていないので、その道路も乾ききっている。その上、財布探しのために足元にも気をつけていたのだから、仮に足跡のもとになるような何かが落ちていたとしても、わざわざそれを踏んで靴を汚すことなどしない。足跡などつくワケがない。わけが分からない。

(まあ、いいや……)

もう、盗みはしない。したくない。もっと、ちゃんと、よく考えてみれば、盗みなどしなくても、金を得る方法はあるかもしれない。家賃は、少し待ってもらえるよう頼んでみよう。食料は、ここ5日間のようなごちそうは無理だが、家にある物で、3・4日つなげると思う。その間に、何とか考えよう。…もし最悪、他に良い方法が見つからなくて、また盗まなければならなくなったとしたら、その時からは、カンちゃんに不審を抱かせないよう気をつけよう……。そう結論づけ、ショーコは、大きく息を吸い込みながら、空を仰ぐ。


 ショーコの見上げる夜空には、満天の星。と、不意に星空を横切る1つの白い影。 

(……! )

日空人だ。

 日空人は、とても急いでいる様子で幼稚園方向から飛んで来、ショーコの自宅方向へ向かっていた。

 ショーコは胸騒ぎがした。一刻も早く自宅へ帰るべく、日空人を刺激しないよう出来るだけその視界に入らないよう気を配りつつ、貫太の腕をグイグイ引っ張りながら、自宅へと全力疾走。



 ショーコの自宅アパートの上空付近で、日空人は突然、姿を消した。ショーコの不安は、ますます強くなる。


 貫太の足が地につかないほど速く走り、自宅の玄関が見える位置まで来たショーコは、

(! )

一瞬、心臓が止まるかと思った。

 玄関のドアが開け放たれている。

 ショーコは、何とか落ち着こうと努めつつ、貫太に聞く。家を出て来る時、玄関のドアを閉めたか、と。貫太の答えは、鍵は無かったから閉められなかったが、ドアはちゃんと閉めたとのこと。不安的中。

(キーちゃんっ! )

家の中には、清次がいる。



 離れると逆に危険だと考え、ショーコは貫太を連れて、自宅内の気配を探りながら静かに玄関を入った。

 瞬間、

「ふえぇぇぇぇぇぇぇんっ! 」

清次の大音量の泣き声。

(キーちゃんっ! )

ショーコは、貫太の手を引き、出掛ける前に清次を寝かしていった寝室へと走る。



 寝室では、今し方、上空に見かけたのと同一人物のように見えるスポーツ刈り顔中ソバカスの日空人が、ショーコに横顔を向ける形で、ペコペコと、何度も何度も頭を下げていた。

 頭を下げている相手は、

(タークッ! )

 タークは、翼を出して大泣きしている清次を、両腕で、月齢の小さな首の据わっていない赤ちゃんを抱くように、頭を左腕で支える形で横抱きしていた。

 貫太がショーコの後ろに隠れ、ウエストにしがみついて震える。

 タークの斜め後ろには、もう1人、さらさらストレートの長髪の日空人。

 タークは、ショーコを一瞥してから、腕の中の清次に視線を落として、口元だけで、わざとらしい笑みを作り、

「母君ガ オ戻リデスヨ、王子」

 よくよく見て思い出してみれば、ショーコは、ターク以外の2人にも見覚えがあった。……まだ前の町に住んでいた頃、柏谷公園で会った日空人。やはり、タークの部下だったようだ。

 ショーコは、清次を抱いているタークを見据えた。以前、タークは清次の泣き声でダメージを受けた様子だったのだが、

(平気なの? )

平然としている。

 ショーコの思考が聞こえたのか、タークは、ショーコのほうに耳を向け、清次を左腕だけで支え、清次から放した右手の指で自分の耳の穴を指さして、ニヤニヤ笑う。

(? )

ほんの数メートルの距離だが見えにくく、目を凝らすショーコ。どうにか見えたタークの指さす先には、

(耳栓! )

タークは耳栓をしていたのだった。

 あとの2人も、タークを真似てショーコに耳栓を見せ、ニヤニヤ。

(耳栓で、防げるものなんだ……)

ショーコは途惑う。タークだけでも強いのに、どれほどの力量かは分からないが、あと2人もいては、ショーコに勝ち目は無い。勝ち目があるとすれば清次の泣き声だけなのに……と。

 月空力でタークたち3人の耳栓を破壊すればいいのかも知れないが、清次は今、タークの腕の中だ。タークが抱いているという、この状況で、耳栓を壊すだけとは言え攻撃などしたら、タークが清次にどのような仕打ちをするか分からない。攻撃などしなくても、すぐ次の瞬間、タークがどのような行動をとるか分からない。とにかく1秒でも早く、清次を自分の許へ戻さなければ……。ショーコはチャンスを窺った。

 今、タークは、一旦放した右手を戻し、清次を両手でしっかりと抱いている。今は無理だ。

 と、その時、右耳の耳栓が取れそうになったのか、タークは 再び清次から右手を放し、右人指し指を右耳の穴に突っ込んだ。

(今だっ! )

ショーコは、月空力で清次をタークの腕から自分の左腕へと素早く移動させた。それから、右腕を貫太のウエストに回し、脇でガッチリ抱えて、自分の左手側、一番近くの窓のガラスを月空力で粉砕した。

 タークは、ショーコの突然の行動に軽く驚いた表情を見せてから、どうせ自分たちには勝てないのに無駄なことを、とでも言っているような小馬鹿にした調子で、

「何ヲ……? 」

 ショーコは、

(勝てないなら……)

砕いた窓に駆け寄り、窓枠に足をかけ、おもいきり窓枠を蹴って斜め上方へジャンプ。すぐさま翼を出し、上空へ舞い上がった。

(逃げるのが一番っ! )



 タークたちは、すぐに追ってきた。

 ショーコは別に驚きはしない。慌てもしない。予想していたことだ。子供の頃から、鬼ごっこには自信がある。

 しかし、タークたち、特に、ターク以外の2人の飛行は速かった。ショーコと同レベル……いや、それ以上だ。少しずつ距離が縮まっていく。

 ショーコの体中から、嫌な汗が滲んできた。


 ショーコは、何とかタークたちを振り切ろうと、急降下、急上昇を繰り返したり、翼を地面に対して垂直にしなければ飛べないようなビルとビルの狭い隙間をスピードを落とさず通り抜けてみたりしたが、タークたちは見事についてくる。



                 *



 いくら鬼ごっこが得意でも、全速力で飛び続けること4時間以上。無理な急降下・急上昇を繰り返し、ショーコの翼は限界近かった。動かすたび、翼の付け根に激痛が走る。翼全体に風が沁みる。体力的にも、もう限界だ。


 ショーコは、眼下に常緑樹の多い深い森を見つけ、賭けに出た。翼の痛みに歯を食いしばり、最後の力を振り絞って、森を目がけて急降下。葉の生い茂った位置で急停止。出来るだけ太い枝を選んで腰掛けた。

 貫太と清次を膝の上にのせ、落ちないよう腕で支え、息を凝らして身を潜める。

 都合の良いことに、貫太は繰り返しの急降下・急上昇で気を失い、清次は、赤ちゃんと言えどもどういう神経をしているのか、ぐっすり眠っている。

 ショーコを追って森の地面に舞い降りたタークたちが、キョロキョロ辺りを見回してショーコたち母子を捜しているのを、ショーコは木の上から覗く。生い茂る緑の葉と夜の闇が、ショーコたちの姿を、タークたちの目から上手に隠してくれている。



                  *



 空が白み始めてきた。

 相変わらず息を凝らして木の下の様子を窺っているショーコの頭の中に、言葉ではない、吐き気がしてくるくらいにドス黒い不穏なものが流れ込んできた。ショーコが腰掛けている枝の真下には、今、タークがいる。このドス黒いものは、タークの感情だろうか。

 タークの右手方向2メートルくらい向こうの地点にタークに背を向ける格好で立っていたソバカスのほうの部下が、タークを振り返り頷いて、森の木々の葉を突き抜け、空へ舞い上がった。




 空へ舞い上がり何処かへ飛び去ったソバカスは、5分ほどで戻って来た。脇に、

(! )

恐怖に顔を強張らせた、貫太と同じ年頃のパジャマ姿の地表人の男の子を抱えている。

 木の根元に腰を下ろしソバカスが戻ってくるのを待っている様子だったタークは、立ち上がり、ソバカスの連れてきた男の子を受け取って、右手で男の子のアゴを掴み、男の子の両腋の下に自分の左腕を通してガッチリ押さえた。そして、

「聞コエマスカ? 青ノ国ノ姫君」

首をゆっくりと横に180度動かして辺りを見回しながら、何処にいるか分からないショーコに呼びかける。

「コノ近クニ イラッシャルコトハ 分カッテイマス」

 ショーコは、ソバカスが男の子を連れて戻って来た時点で、タークが何をしようとしているか分かっていた。男の子を人質にして、ショーコを自分たちの前へ出てこさせるつもりなのだ。貫太と同じ年頃の男の子を人質として選んだのは、わざとだろう。ショーコが素直に出てくる確率を高めるためだ。

(……卑怯な! )

ショーコは激しい怒りを覚え、歯軋り。だがすぐに、ハッと気づき、感情を抑える。強い思考は、タークたちに聞こえてしまう。

 タークは続ける。

「出テ来テ下サイ。 アト10数エル間ニ 出テ来ナケレバ、コノ子供ヲ 殺シマス」

 男の子の表情はショーコの位置からは見えないが、想像できる。きっと、頬は硬直して、目には涙を浮かべて……。

(…ゴメンね……)

「10! 」

タークによるカウントダウンが始まる。

 ショーコの頭の中への直接のその声には、楽しげな響き。腹立たしい。タークが? いや、自分がだ。男の子を助けるために出て行けば、自分たちが殺される。…男の子を、もし抱きしめたなら、貫太や清次と同じで温かいだろう。柔らかで優しい、良い香りがするだろう。分かってる。男の子のことを世界で一番愛している母も存在する。男の子が死んでしまったら、母も、悲しみのあまり死んでしまうかも知れない。分かってる。自分は今、男の子と男の子の母、2人の地表人を見殺しにしようとしているのだ。分かってる……。それでも、出ていけない。何て身勝手なのだろう。

「9! 8! 」

カウントダウンは進んでいく。

 男の子は何も抵抗しない。怖くて怖くて、体が動かないのだろう。ただ、

「あ、あ……」

と、低く、小さく、掠れた声を漏らす。

(ゴメンね……)

「7! 6! 5! 4! 3! 」

 ショーコは顔を背けた。

(ゴメンね……)

自分は貫太と清次を守りたい。何処までも逃げて、共に生き延びたい。親としての義務や使命、というより、本能。そして、

「子供たちを頼む」

慎吾との最後の約束でもある。

 ショーコの、貫太と清次を支える腕に、自然と力が入る。

(ゴメンね……)

ショーコは、ギュッと目を瞑った。呑めない物を呑み込むように、これから起こる現実を無理に受け入れ、覚悟する。

 しかし、

(……)

カウントダウンの続きが聞こえない。

 ショーコ、

(……? )

タークのほうに目をやる。

 タークは男の子から手を放していた。

 解放された男の子は、タークのやや後方の地面に尻をつき、やはり、

「あ、あ……」

と、低く小さな掠れた声を漏らしながら、タークを見上げている。

 タークの注意は、全く男の子に注がれていない。

 タークは、軽く斜め上方を仰いでいる。ややして、その視線の先、空からタークの前へと、タークより大分若いと思われる、かなり小柄な1人の日空人が、ゆっくりと舞い降りた。

 タークは、その小柄な日空人の前に、地面に片膝をつき、頭を垂れる。

 少し離れたところにいたタークの2人の部下が、慌てた様子でタークに駆け寄り、左右からタークを挟むようにして、タークと同じように跪いた。

 小柄な日空人は、タークの上官だろうか? タークと2人の部下は、頭を垂れて膝をついたまま動かない。

 小柄な日空人、こちらも、ただ、じっとタークを見下ろして、動かない。

 数分後、タークは顔を上げ、小柄な日空人を真っ直ぐに見上げて頷いた。

 返して、小柄な日空人も軽く頷き、それから再び空へ。

 タークと2人の部下も、すぐに後に続いて空へと舞い上がった。

 森の木々の上へと出たタークは、悔しげな表情で森を振り返る。

 瞬間、

(……! )

ショーコは、タークと目が合ってしまった。

 固まるショーコ。

 だが、タークは、一度、ショーコをギラッと睨み据えただけで、そのままスッと視線を逸らし、小柄な日空人や2人の部下と共に、飛び去って行った。




 飛び去って行く4人の日空人の姿が遠く見えなくなると、ショーコは、いっきに力が抜けた。

 大きくひとつ息を吐き、ショーコは貫太と清次を抱え、翼を使い、木を下りた。

 木の下では、男の子が、尻をついた姿勢のままで呆けていた。

 ショーコは、男の子の顔を覗きこみ、出来る限りの優しい声で、

「大丈夫? 」

声をかけるが、男の子は、ビクッ。恐怖に満ちた目でショーコを見、姿勢を変えないままで数歩分後退り。何とか、といった感じで立ち上がると、ショーコに背を向け、恐怖のためか足を縺れさせながら、森の外へ向かって駆け出した。




 男の子を暫く見送ってから、ショーコは、おぼつかない足取りで、タークたちが飛び去ったのとは反対方向、男の子が駆けて行ったのとも反対の方向へ歩き出した。 

 今いる、ここが、どこかも分からないが、またすぐにタークたちが戻って来るかもしれない。出来るだけ、この場から遠く離れなければ、と思った。 貫太と清次を、暖かくゆっくりと寝かせてあげたいとも思った。もう、翼は、木から下りる時に使ったのを最後に、少しも動かなくなった。仕舞うことすら出来ない。男の子が自分で無事に家へ帰れるかどうか心配で、本当は、きちんと母のもとまで送り届けてあげたかったが、もう、そんな力など、どこにも残っていなかった。

 ショーコの意識は朦朧としてきた。…とにかく、遠くへ……。貫太と清次を、静かに休ませてあげられる場所へ……。頭を横に振って意識をはっきりさせては歩を進めようとするが、体が、思うように動かない。

 

 森の中を通る、車が2台すれ違えるくらいの幅の舗装道路に出たところで、ショーコは、ついに、ガクンと膝を折り、倒れた。意識がスウッと地面に吸い取られていく感覚があった。


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