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 神奈備。

 自らの手で準備もした、月詠の儀の儀式場。

 南を本殿、残る三方を回廊と塀で囲まれたその空間には、柵と石灯籠で作られた八角形の領域がある。

 それは、巫女の最期の舞の舞台であり。そして――まゆの死に場所。

 仄かな明るさで神奈備を照らす空は、まだ姿の見えない陽の存在を感じさせ。

 辺りを包んでいた朝霧は既になく、夜の名残の冷たい空気だけが、この場を静かに満たしている。

 それは、まゆに最期の時が迫っているのを、否が応にも感じさせるものだった。

 本殿側の柵の傍。その舞台の入り口となっている部分に、俺は立つ。

 左隣には、祇鶴が。灯篭の傍には、兼義が。

 ――右には、まゆがいる。

 静かに時を待つ少女の姿は見知ったものでありながら、その装いは、見たことのないものであった。

 その身を包むのは、いつもの月夜を連想させる巫女服ではなく。

 上は、雪のような純白の白衣。下は、烏衣神の名が示すように――真っ黒な袴で。

 全ての光を吸い込んでしまうその色は、間近に迫ったまゆの最期を、更に連想させてしまう。

「……では始めるとするかの」

 兼義が告げるのは、儀式の始まり。

「――はい」

 しかし、それは終わりだ。

 まゆの――まゆとの日々の、終わり。

 ……突然、俺は。

 大声で叫んで、全てを壊して、何もかもめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られた。全身がカッと熱くなり、火がついたように獰猛な衝動が全身を駆け巡る。

 何もかも無くなってしまえばいい。まゆの運命を束縛するものなんて、全部、壊してしまえばいい。そう叫んで、暴れて。全てをグチャグチャにして。どこか二人、遠くまで逃げて。そんなことをしたってどうにもならないとわかっていても、その衝動は、耐え難いもので……。

「……っ!」

 だけど、堪える。両の拳を握りしめ、歯を食いしばり、目をきつく閉じて。

 必死で――心を抑える。

 それは、まゆのため。まゆの意志を――最期の最期まで、貫き通すためだ。

 だから……


 ――その時、ふわりと。


 首を、温かくて、軽くて、柔らかい感触が覆った。

「え……?」

 それは、まゆに貸していたはずの――俺のマフラー。

 ――ありがとう。

 音もなく口ずさんだそれは、透明な風に流されて、

 柵を越えたまゆに向かって、俺は、

「まゆ……」

 何か言おうと手を伸ばし。しかし、その肩を祇鶴が静かに掴む。

 動けない俺を置いて。まゆの姿は――音もなく離れていく。

「……っ」

 なんだよ、こんな不意打ちって……。

 俺はまゆに何も返してないのに。何もしてやれてないのに。

 ――本当にこれでいいのか?

 ――本当にこれが、まゆが望んでた結末なのか?

 あいつが本当に望んでいたのは、こんな終わり方じゃなくて。

 自分もみんなも救えて、誰も、何も犠牲にならない。そんな、最高の結末を。

 本当は――望んでるんじゃないのか?

 ……柵の向こうへ行くまゆの背中は、どんどん遠ざかって。小さくなって。

 こちらと向こうを分かつそれは、此岸と彼岸を隔てているように。

 もう、手を伸ばしても――届かなくて。

 

 ――『…………いやだよ……』


 その時――意識の中央を、一つの声が貫いた。

 それは、まゆの心。

 死神に呪われ、巫女の運命を背負わされたまゆの――唯一の、心の叫び。

 だけど、それすらも。ただ生きたいという、願いですらない、人間として当たり前の心でさえも、叶えてやることはできなくて。

 やっぱり……嫌だ。まゆが死ぬのは、どうしたって嫌なんだ。

 だって、あんまりじゃないか。

 生まれながらにして死神をその内に宿し、親も知らずにこんな所で育てられて、挙句の果てに、妖を引き寄せてるだの、死神に呑まれて自我が崩壊するだの……――


 ……………………………………………………………………あれ?


 ――その時。

 何かが、食い違った気がした。

 ぞわり、と。

 底冷えするような違和感の冷風が、意識を這い。

 す――――……と。

 思考が急速に冷えていくのを感じる。

 なんだ……? 今俺は、何に引っかかった……?

 考えろ。考えるんだ。

 生まれながらに死神をその内に宿していること? ……違う。

 親も知らずにこんな所で育てられてること……でもない。

 なら、まゆが妖を引き寄せてること…………?

 ――その時。

 ふと、昨日市で郷長から聞いた言葉が頭をよぎった。


 ――『昔は妖もよく出ておりましたが、最近はめっきり少なくなりましたな』


 …………おかしい。

 まゆは、言っていた。自分には死神が宿っており、そのせいで、周囲から悪霊や妖怪を引き寄せているのだ、と。そして今、その死神の力がどんどん強くなってきており、もう抑えきれなくなってきているのだ、と。

 もしこれが本当なら、死神の力が強くなるにつれ、この悪霊を引き寄せるという能力もどんどんと上がっていくものじゃないのか? つまり、このあたりの村は昔と比べて、悪霊が寄り付きやすくなっているのが普通じゃないのか?

 でも、郷長は言っていた。最近は、村に妖がめっきり少なくなった、と。

 ということは……死神の能力が、衰えてる?

 いや待て、それならどうして、まゆが死神に呑まれるなんてことになるんだ。

 というかそもそも、死神のせいで悪霊が寄り付きやすくなるなんてこと、本当にあり得るのだろうか? もしそれが本当なら、まゆと同様に死神の刻印を持つ俺だって、昔に比べて悪霊に狙われやすくなってるはずだ。だが、そんなことは全くなかった。だいたい、悪霊が寄り付くかどうかというのは、その人の体質によるもので……――

 …………待てよ?

 もしも、仮にだ。この悪霊を引き寄せるというのが、死神の力によるものじゃないとしたらどうだ? あいつが悪霊を引き寄せるのは、ただ単に、まゆ自身が吸引体質なだけなのだとしたら。

 死神の力が強くなってるんじゃなくて、まゆ自身が弱ってる……?


 ――『魂鎮めの舞でいたずらに体力を消耗するというのは、朔の禍刻が訪れる前触れだ』


 当たり前だ。まゆ自身が弱っているのなら、体力も衰えるに決まってる。


 ――『実はね……前から辛くなってたんだ』


 当たり前だ。まゆ自身が弱っているのなら、死神を抑えきれなくもなるだろう。


 …………繋がる。

 死神の力が強くなってたんじゃない。まゆが、まゆ自身がそもそも弱っていたのだ。

 だからこそ、まゆの体力は衰え、死神を抑えきれなくなった。

 ……だが、それがわかったところで何になる? どちらにせよ、まゆの身が危険なことに変わりはない。

 必要なのは理由だ。なぜ、どうして、まゆが弱っていくのか……。

 考えられることと言えば……何かの病気?

 ……いや、朔の禍刻は、なにもまゆに始まったことじゃない。歴代の巫女がみんな同じくらいの歳に、同じように病気にかかるなんてことがあり得るのか?

 なら、生命力である霊力の枯渇?

 でも、兼義は言っていた。巫女が死ぬ時、想像を絶するような凄まじい霊気爆発が起こると。そもそも、生きるのに必要な霊力すら残ってない状況で、霊気爆発なんか起こるはずがない。

 じゃあ、一体なんだ……? 何がまゆを苦しめてるんだ……?

 身体の異常でもない。霊気の枯渇でもない。 

 畜生……。あと、一歩なのに……。

 あと一歩、その理由さえわかれば、まゆを救えるかもしれないのに……ッ!


 ――しゃらん。


 その時。音が聞こえた。

 鈴の音。まゆの持つ杖が、奏でる音。

 それは、刻限の終わりを告げるもので。

 世界が――変わる。

 始まりを刻むため。終わりを奏でるため。

 まゆは、その全てを、色鮮やかに染め上げて。

 

 世界を――舞う。

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