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神奈備を後にして再び本殿前の庭に戻った俺は、そこで、見慣れた小さな人影が立っているのを見た。
「……どうじゃ、今の気分は?」
声とともに、その小柄な人影――兼義は、こちらの方へと歩いてくる。
兼義は、俺がここにいるのが当たり前であるかのように、平然とそんなことを言った。
「……どうして、何も言わなかったんだよ」
「言ってどうなっというんじゃ?」
思わず問いただした俺に、兼義は、飄々とした態度を崩さずに言う。
「こういうことは、自分の耳で聞き、自分の目で確かめねば意味のないことじゃろ」
自分の耳で聞き、自分の目で確かめる……か。
兼義の言うことはどこまでも正論で。だから俺は、過去の愚痴を早々に切り上げ、本題へと入る。
「何か……助ける方法はないのか?」
「そんな方法がわかっていたとして、おぬしは、わしらがそれを実行せんと思うのか?」
「……だよな」
月詠殿のみんなが、まゆをどれだけ大切に思っているのは分かっている。それでもなお、儀式を行おうとするのは、もう本当に、それしか方法がないからなんだ。
それでも、それを黙って受け入れられるほど……俺は殊勝な人間じゃない。
「なら、何か手掛かりを……そうだ。まゆの――巫女のことだ。玉響の巫女について、知っていることを全部教えてくれ」
「……とは言ってものう」
兼義は溜息を吐き、
「わしが語れるのは、せいぜい古い文献に書かれてあることくらいじゃ。あとはおぬしが祇鶴や巫女様から聞いたことだけじゃが……まあ良いかの」
それでも、聞いてみなければわからない。なんでもいい。兼義の話に、少しでもまゆを助けられる手がかりがあるかもしれない。まゆが死ぬなんて、黙って受け入れられるはずがない。はいそうですかと、諦めきれるはずがない。
だから俺は、見苦しくても、みっともなくても、できることをやる。それだけだ。
「おぬし、『玉響の巫女』という名の由来を知っておるかの?」
「由来……?」
「さよう。玉響とはすなわち、玉が触れ合う時に響くごく僅かな音、という意味じゃ。玉響の巫女というのは、代々の巫女の儚い命を憂い、あるいは偲んで呼ばれた名なのじゃよ」
「玉響の巫女に、そんな意味が……」
由来なんて、考えたこともなかった。
じゃあ、まゆは。どんな気持ちで……自分のことを玉響の巫女と呼んでいたのだろうか。
「玉響の巫女と、その因果は代々続いておってな。烏衣神様をその身に宿す巫女は、死すれどもいくらか時が経てばまた生まれ、同じ運命を辿るのじゃ。そうして死神の刻印を背負って生まれた子供は、またここへと連れて来られ、巫女として育てられる。今代の巫女様も、その一人にすぎんのじゃよ」
そういや……祇鶴も言ってたな。我々が生を受ける遥か以前より、この連鎖は延々と続いてきた、って。
「昔、まだ京が山城ではなく、大和にあった頃の話じゃ。京から少しばかり離れた国に、妖を呼ぶと言われる少女がおってな。背中に奇妙な刻印を持つその少女は、ここ、月詠殿に匿われ、何人かの祓妖師の下、育てられることになった。しかし、ある朔の日の夜、押し寄せる妖により、幼くして少女は命を落としたそうじゃ。そして、それとともに、どこからともなく烏衣神様が現れ、死の災いをもたらした」
「それが……朔の禍刻の、始まり……」
「さよう。じゃが、少女の死から十年も経たんうちに、また、刻印を持つ少女が見つかっての。少女は再び月詠殿に匿われるも……結果は同じ。少女は死に、災厄は再び起こった。人々はそれを、少女の祟りであると恐れ、少女を丁重に扱い、奉るようになったそうじゃ。少女が巫女と呼ばれるようになったのは、これが切っ掛けかの」
崇りの恐れによる――『崇』拝、か。
「少女の死と祟りは何度も繰り返された。しかしある時を境にして、巫女に関する記述が大きく変わっておっての」
「変わっ……た?」
「書には『玉梓』を巫女が持つようになった、とだけある。誰が、どこからもたらしたものかはわからんが、ただ古い書には、巫女の力を導く杖と書いてあってな。以来、玉響の巫女は代々この杖を持ち、舞を舞うようになった」
「それって……」
「そう、おぬしも何度か目にしておる、あの杖じゃよ」
まゆが舞の時に持っていた杖に、そんな力が……。
「あの杖――玉梓を持って舞を舞うのは古くからの習わしでな。あれによって巫女は魂鎮めの力を得て、妖に対する術を持った。それからじゃ。祟り巫女は神聖な力を持つ巫女としてより一層奉られ、また幼い頃に命を落とすこともほとんどなくなった。ところが……」
「朔の禍刻は起こった……」
「そうじゃ。命を落とさずとも、巫女はいずれ烏衣神様の穢れに呑まれ、人を襲う。皮肉にもこれは、玉梓によって生き長らえることができたからこそわかったことでの。さらに、巫女の成長によって烏衣神様はより力を溜めこみ、それゆえに朔の禍刻はより大きな災厄となった」
巫女が妖怪に殺されれば、死神が現れて人が死に、巫女が玉梓を持って生き延びれば、その巫女が死神に呑まれて人を襲う。だとしたら、何も……
「結局、朔の禍刻を止めるには巫女を殺さねばならぬ。それも、ただ殺すだけでは駄目なのじゃ。巫女は死ぬだけでも烏衣神様を呼び寄せるからの」
「でも、なんでだ……? なんで死ぬだけで烏衣神なんて……」
「強力な妖や祓妖師が命を落とした時、その身体にあった霊気は一気に霧散する。特に玉響の巫女のそれは、想像を絶するような凄まじいものだそうじゃ。おぬしも祓妖師ならわかるじゃろう、それこそが烏衣神様を呼ぶのじゃよ」
……霊気爆発。妖怪や祓霊師が健常な状態で死亡した時、体内の霊気が魂の制御を放れ、爆発的に拡散する現象だ。そして、その規模が大きければ……。
「『場』は不安定になり、悪霊や妖怪が出現しやすくなる。そして、場合によっては死神までも……」
「ふむ、理屈ならおぬしのほうがよく知っているようじゃの」
兼義は頷き、
「だからこその儀式なのじゃ。月詠の儀とは、この月詠殿に高度な結界を張り、その中で巫女を殺めるもの。そうして始めて、朔の禍刻を起こさぬようにすることができる。代々の巫女は烏衣神様を抑える限界を迎えたその時、儀式で殺される運命となったのじゃ」
だけど。それじゃあ何も解決していない。朔の禍刻を防ぐには、儀式によって巫女を殺すより他なく。結局、巫女に死神が宿っている以上、それはどうしようもないことで……
「畜生……」
駄目だ。そんなの、俺に一体何ができる?
巫女の宿した死神が原因なら、その死神をまゆから祓う?
……無理だ。無理に、決まっている。死神なんか、人の力でどうにかなるものじゃなくて。それは誰よりも――俺が。身を以て思い知り、一番よく知っていることで。
「俺は……どうすればいいんだよ……?」
「そんなものは知らん。どうするか、どうしたいかはおぬしが決めることじゃ」
途方に暮れた俺に、兼義はあくまで、厳しく言う。
「そっか……そうだよな……」
それは正しい。不要な慰めよりも、気休めよりも。今必要なのは、自ら動く指針。
これは――これだけは本当に、自分の意志で決めなきゃならないんだ。
俺は……まゆを助けたい。でも、実際はどうにもならなくて。助ける手立てなんて、今の今まで――それこそ数百年にわたって、全く見つかっていなくて。
でも、現実に目を背けて、駄々をこねたってどうにもならない。まゆが死ぬのは嫌だ。そう言うのは簡単だが、言っただけではどうにもならない。
ここで逃げても。また、まゆを傷つけてしまうだけだから。
それなら、俺はどうする?
神楽渉がまゆにしてやれる、最善の選択とは――何だ?
考えて。腹を括って。覚悟を決めて。
そうして、動き出すまでには、少しばかりの時間を要した。
「俺は――」
宣言する。兼義と、そして自分自身に、自らの意志を宣言する。
「俺は――まゆを殺す」
それが、どうにもならない現実の中で、唯一叶えてやれるまゆの悲願だと言うのなら。
俺はもう――迷いはしない。
随身として、儀式を最後までやり遂げてみせる。
それが、まゆに対してしてやれる――ただ一つのことなのだから。




