第6話「開眼――飛燕剣」
届くための道を見つけたからといって、すぐに届くわけではなかった。
百日目の夕方。
ランドルフの木剣へ、初めて自分の木剣が届いた。
あの一歩を、レフィーナは何度も繰り返した。
朝に。
昼に。
日が暮れて、手のひらの感覚がなくなるまで。
けれど、二度目には届かなかった。
三度目には、足が流れた。
四度目には、相手の木剣ばかり見てしまった。
「また違う」
ランドルフの声が飛ぶ。
「はい」
「今のお主は、届いた一歩を真似しておるだけじゃ」
「……はい」
「剣は形を覚えるだけでは足りん。何のために踏み込むのか、そのたびに見失うな」
レフィーナは木剣を握り直す。
森を抜ける風が、頬の汗を冷やしていった。
届くべき場所へ。
届くための剣。
言葉では分かる。
けれど、身体はまだ追いつかなかった。
* * *
それから、さらに百日が過ぎた。
森は色を変えた。
濃かった緑は少しずつ薄れ、朝の草には霜が降りるようになった。
小屋の屋根から垂れる雨水は、早朝には細い氷柱になっている。
レフィーナの手も変わっていた。
柔らかかった手のひらには硬い皮ができ、木剣を握ってもすぐには痛まない。
もちろん、痛くなくなったわけではない。
痛くても、手放さなくなっただけだった。
「木剣は、今日までじゃ」
ある朝、ランドルフは小屋の壁に掛けられていた一振りの剣を外した。
飾りのない、細身の剣。
鞘も柄も古い。
けれど、刃だけは丁寧に磨かれていた。
「これは……」
「訓練用じゃ。切れ味は落としてある」
ランドルフは剣を差し出す。
「だが、木剣とは違う。重さも、振った後の戻りも、間違えれば自分を傷つけることもな」
レフィーナは両手で受け取った。
ずしりと重い。
木剣より少しだけ重いはずなのに、手の中へ伝わる冷たさが違った。
これは、誰かを傷つけることのできるものだ。
その事実が、胸の奥へ静かに沈む。
「怖いか」
ランドルフが尋ねた。
レフィーナは、しばらく剣を見つめた。
「……少し」
「それでよい」
老人は頷く。
「怖さを知らぬ者は、剣を振るう理由を忘れる」
レフィーナは鞘から剣を抜いた。
朝日が、刃の上を滑る。
「でも」
レフィーナは、柄を握り直した。
「怖いから、持たないとは言いません」
ランドルフは何も言わなかった。
ただ、いつもの木剣を手に取った。
「構えろ」
「はい」
* * *
鉄の剣を持つようになってから、レフィーナは何度も失敗した。
踏み込みが遅れれば、剣は重く遅れてついてくる。
手首だけで振れば、刃がぶれる。
急ごうとすれば、足が止まる。
ランドルフの木剣は、そのたびに容赦なくレフィーナの肩や脇腹へ当たった。
「痛っ……」
「死ぬよりは軽い」
「そうですけど……!」
「ならば立て」
「はい」
転び。
起き上がり。
振る。
その繰り返しだった。
けれど、レフィーナの中で少しずつ変わるものがあった。
以前なら、ランドルフの剣だけを見ていた。
今は、足元の土を見る。
風がどちらから吹いているかを見る。
木の根がどこへ伸びているかを見る。
自分と相手の間に、どれだけの距離があるかを見る。
そして、剣を振る前に考える。
何へ届くべきなのか、と。
* * *
ある夕方。
小屋の裏手にある小さな畑で、レフィーナは薬草を摘んでいた。
手袋をした指先で、葉の形を確かめる。
「これは、熱を下げる薬草です」
「うむ」
「こっちは、傷薬に混ぜるもの」
「うむ」
「これは……食べられる草です」
「それは雑草じゃ」
「……そうでした」
レフィーナは肩を落とした。
後ろで、ランドルフが小さく笑う。
「剣を振ることだけが修行ではない」
「分かっています」
「薬草を間違えれば、助けるつもりで人を苦しめることもある」
「はい」
「だから、よく見ろ」
レフィーナは、手元の草を見つめた。
似た葉。
違う匂い。
茎の色。
根の形。
細かな違いを見落とさない。
それもまた、届くために必要なことなのだと、少しずつ分かり始めていた。
その時、ランドルフが畑の向こうを見た。
森の奥。
西へ続く細い獣道の先。
「明日、森の外縁まで行ってこい」
レフィーナの手が止まる。
「一人で、ですか?」
「そうじゃ」
「何をすれば」
「白鈴草を採ってこい。北の沢を越えた先に群生しておる」
ランドルフは、小さな布袋を渡した。
「この時期にしか採れん。傷薬に必要じゃ」
「分かりました」
「誰も、お主を助けん」
レフィーナは布袋を握った。
森の奥へ入ること自体は、もう何度もあった。
けれど、その時は必ずランドルフが近くにいた。
見えない場所にいても。
何かあれば、杖の音がした。
小石が飛んできた。
叱る声が聞こえた。
明日は、その声がない。
「……はい」
返事はした。
けれど、その夜。
レフィーナはなかなか眠れなかった。
寝台の傍らには、訓練用の剣が立てかけられている。
窓の外では、森が暗かった。
木々の間には、月の光も深く入らない。
どこかで獣が鳴く。
遠く。
けれど、確かにそこにいる。
レフィーナは、毛布の中で目を閉じた。
怖い。
初めて一人で森へ行くことが怖い。
迷ったらどうしよう。
怪我をしたらどうしよう。
敵がいたら。
帝国軍がいたら。
考え始めれば、いくらでも不安は増えた。
それでも。
ランドルフの言葉を思い出す。
恐れを知らないことが、強さではない。
怖さを知ったうえで、進むこと。
レフィーナは、胸の上で両手を重ねた。
「……大丈夫です」
誰に言うでもなく、呟いた。
「行って、帰ってきます」
* * *
翌朝。
森は、白い霧に包まれていた。
レフィーナは小さな荷袋を背負い、剣を腰へ下げる。
光のティアラは、いつものように額で静かに光っていた。
「地図は覚えたな」
小屋の前で、ランドルフが言った。
「はい」
「北の沢を越えたら、苔むした大岩がある。そこから西へ曲がれ」
「はい」
「白鈴草は、日陰の湿った場所に生える」
「はい」
ランドルフは、しばらくレフィーナを見ていた。
いつもなら、さらに何か言う。
足元を見ろとか。
剣を抜く前に考えろとか。
飯を焦がすなとか。
けれど、この朝は違った。
「行け」
それだけだった。
レフィーナは、深く息を吸う。
「行ってきます」
森の中へ、一歩を踏み出した。
* * *
一人で歩く森は、いつもより広かった。
鳥の羽音が近い。
木の葉が擦れる音が大きい。
小さな枝が折れる音にさえ、何かがいるのではないかと身体が固くなる。
けれどレフィーナは、立ち止まらなかった。
地図を思い出す。
北の沢。
苔むした大岩。
西へ曲がる。
風向き。
太陽の位置。
そして、足元。
数度、獣道を外れかけた。
けれど、焦らず戻った。
沢を越える時には、滑りやすい石を避け、浅い場所を探した。
以前のレフィーナなら、水に濡れることを怖がって、急いで渡ろうとして転んでいたかもしれない。
今は違う。
一歩ずつ、確かめて進む。
やがて、苔むした大岩が見えた。
ランドルフの言った通りだった。
「ここから、西……」
少し西に進んだ、日陰の湿った土に、白い鈴のような花が揺れていた。
「白鈴草……」
レフィーナは必要な分だけを摘み、布袋へ収めた。
その時。
森の向こうから、男の声がした。
誰かを呼ぶ声ではない。
低く、何かを確かめるような独り言だった。
「……また、この爪痕か」
草を踏む音。
荷車の車輪が、ゆっくりと軋む音。
レフィーナは剣の柄へ手を添え、慎重に声の方へ進んだ。
木々の隙間に、小さな荷車が見えた。
毛皮や罠道具を積んだ、狩人用の荷車。
その横に、厚手の革の外套を着た男が立っていた。
年は四十を越えているだろうか。
弓を肩にかけ、太い木の幹へ刻まれた爪痕を調べている。
「あんた、誰だ?」
男はレフィーナに気づくと、驚いたように眉を上げた。
「こんな森の奥に、一人で?」
レフィーナは少しだけ身構えた。
「薬草を採りに来ました」
「薬草?」
男はレフィーナの身なりを見た。
「ヒーラーかい?」
「あ…まあ、色々見習い中ですけど…」
「そうか。俺は狩人だ。西の町から来てる」
「西の町……?」
「ポートハーベン」
その名を聞いた瞬間、レフィーナは少しだけ目を見開いた。
森の向こう。
山の向こう。
西の海に面した港町。
ランドルフが時々、地図の上で指していた町。
「ポートハーベンから、ここまで?」
「ああ。あっちの製材所へ渡す毛皮が必要でな」
狩人は荷車を軽く叩く。
「だが、最近は森の様子が変だ。獣が人を避けなくなった」
レフィーナは、幹に刻まれた爪痕を見る。
太い木を深く裂いた跡。
普通の熊のものとは思えない。
「何か、いたんですか」
「でかい熊だ。灰色の毛をしたやつで――」
その時だった。
森の奥から、低い唸り声が響いた。
空気が震える。
鳥たちが一斉に飛び立った。
狩人の顔色が変わる。
「……来た」
木々の間から、巨大な影が現れた。
熊に似ていた。
だが、普通の熊ではない。
立ち上がれば、木の枝へ届きそうなほど大きい。
灰色の毛はあちこちで抜け落ち、肩の肉は不自然に盛り上がっている。
その下には、黒い筋が根のように走っていた。
黒い筋は肩から前脚へ伸び、皮膚の内側で脈打っている。
片方の肩には、火傷のように爛れた傷。
その裂け目の奥で、黒い肉塊のようなものが蠢いていた。
目は赤く濁っている。
けれど、その奥には怒りだけではないものがあった。
痛みに追い立てられたような。
何かから逃げようとしているような。
そんな揺れ。
「下がってください!」
レフィーナが叫ぶ。
狩人は弓を構えた。
だが、熊は速かった。
巨体が地面を蹴る。
倒木を踏み砕きながら、まっすぐ狩人へ迫った。
「くっ……!」
狩人が矢を放つ。
矢は熊の肩へ刺さる。
だが浅い。
熊は止まらない。
前脚を振り下ろす。
狩人は横へ飛んだ。
その直後、倒木が大きく揺れた。
熊の爪が幹を砕き、崩れた木が狩人の脚へ落ちる。
「うあっ……!」
「大丈夫ですか!?」
レフィーナは剣を抜いた。
熊は、倒木の下でもがく狩人へ近づいていく。
狩人は脚を挟まれ、立てない。
弓も遠くへ飛ばされていた。
「来るな!」
狩人が短剣を抜く。
熊が唸る。
肩の黒い肉塊が、どくん、と脈打つ。
そこから伸びた黒い筋が、前脚へ走る。
爪が地面を抉る。
レフィーナは前へ出た。
「こっちです!」
熊の目が、レフィーナへ向く。
大きな頭。
牙。
荒い息。
獣臭と、湿った土の匂い。
そのすべてが、目の前へ迫る。
レフィーナは剣を構えた。
倒す。
熊を倒さなければ、狩人を助けられない。
そう思った。
熊が突進する。
レフィーナは、正面から踏み込んだ。
「はっ!」
剣を振る。
けれど、刃は熊の肩を浅く掠めただけだった。
熊の前脚が横から振られる。
「っ……!」
レフィーナは剣で受ける。
衝撃が腕を痺れさせた。
身体が後ろへ飛ぶ。
背中から地面へ叩きつけられ、息が止まる。
熊はレフィーナを追わない。
また狩人へ向かった。
「だめ……!」
レフィーナは立ち上がる。
けれど、足がすぐには動かない。
熊の前脚が、倒木の下にいる狩人へ伸びる。
狩人は短剣を構えている。
だが、その刃は熊の厚い毛皮へ届かない。
「逃げろ!」
狩人が叫んだ。
「嬢ちゃん、一人で相手にするな!」
レフィーナは、息を吸った。
熊の喉を狙うには、遠い。
正面から行けば、また爪に弾かれる。
大きな一太刀を振るためには、距離がいる。
距離を取れば、その間に狩人が死ぬ。
違う。
今、届くべき場所は。
熊の喉ではない。
熊を倒すことでもない。
狩人の上へ振り下ろされる、その爪。
倒木の下。
狩人の肩。
熊の前脚。
そこへ届くまでの道。
レフィーナの視界から、余計なものが消えた。
正面には行けない。
けれど、左の斜面なら走れる。
倒木の根元を踏めば、一歩だけ高く飛べる。
熊の死角から、爪と狩人の間へ入れる。
速くなるためではない。
届くべき場所へ。
届くために。
レフィーナは、息を吸った。
左へ走る。
斜面を駆け上がる。
土が滑る。
けれど、止まらない。
倒木の根を踏む。
身体が浮く。
熊の前脚が、狩人へ振り下ろされる。
その一瞬。
レフィーナは、剣を振った。
「開眼――飛燕剣・初太刀!」
剣閃が走る。
熊の前脚そのものではない。
肩の黒い肉塊から腕へ伸び、爪を振るう力を異様に増幅させていた黒い侵食枝。
狩人へ届く爪を止めるため、その枝だけを斜めに断った。
黒いものが弾けた。
どろりとした液体が、土へ落ちる。
熊が、今までとは違う声で吠えた。
怒りではない。
苦痛に近い声。
前脚の力が抜ける。
振り下ろされかけた爪が、狩人のすぐ脇へ落ちた。
レフィーナは着地と同時に、狩人の肩を掴んだ。
「今です! 動けますか!?」
「脚が……!」
「一緒に引きます!」
レフィーナは倒木へ剣を差し込み、梃子のように力をかける。
狩人も歯を食いしばり、身体を引き抜く。
熊は数歩後ろへ下がっていた。
肩の傷口では、黒い肉塊がなお蠢いている。
切られた侵食枝の先から、煙のような瘴気が細く漏れていた。
赤く濁った目から、一瞬だけ焦点が外れる。
熊は傷ついた前脚を引きずり、苦痛から逃げるように森の奥へ背を向けた。
巨体は枝を折り、木々を揺らしながら、深い森の闇へ消えていった。
しばらく、誰も動けなかった。
風が吹く。
倒れた枝が、ゆっくり揺れた。
レフィーナは剣を下ろす。
手が震えていた。
怖かった。
今になって、全身が震え始める。
「……助かりましたか」
狩人が、苦しそうに笑った。
「ああ。助かった」
レフィーナはその場へ膝をついた。
「よかった……」
レフィーナは、森の奥を見る。
熊が消えた方向。
「苦しそうでした」
「……ああ」
狩人は、肩の傷を押さえながら頷く。
「あんな目の獣は、見たことがない。あれも、何かにやられたのかもしれんな」
レフィーナは答えなかった。
肩にあった黒い肉塊。
脈打つ黒い筋。
あれが何なのかは分からない。
ただ、あの熊は最初から、人を襲うためだけに動いていたようには見えなかった。
「傷を見せてください」
「俺より、嬢ちゃんのほうが――」
「大丈夫です」
レフィーナは荷袋から薬草を取り出した。
白鈴草ではない。
ランドルフから持たされた、傷薬用の乾燥薬草。
水で戻し、狩人の裂けた脚へ当てる。
手はまだ震えていた。
けれど、やるべきことは分かっていた。
「ポートハーベンは」
手当てをしながら、レフィーナは尋ねた。
「どんな町ですか」
狩人は、痛みをこらえながら笑う。
「海の匂いがする町だ。船が多くて、人も多い。魚と荷物と、知らない国の言葉が毎日流れてる」
「海……」
「行ったことはないのか?」
「ありません」
レフィーナは、狩人が荷車を引いて何とか歩けることを確かめ、森の外れへ続く道まで付き添った。
「嬢ちゃん、ありがとう。助かったよ」
狩人は森の向こうを見る。
「さっきの町の話だが、機会があったら一度行ってみるといい」
「世界は、ここよりずっと広い」
狩人は町へ向かう道をゆっくり歩きながら別れを告げた。
レフィーナは、その言葉を胸の中で繰り返した。
世界は広い。
姉がいる場所も。
帝国がいる場所も。
自分がこれから進む場所も。
森の外にある。
* * *
小屋へ戻った頃には、空が暮れ始めていた。
ランドルフは、戸口の前に立っていた。
帰りが遅いことを、心配していたのかもしれない。
けれど、レフィーナを見ると、まず剣へ目を向けた。
「何があった」
レフィーナは、狩人のこと。
熊のこと。
黒い肉塊と黒い筋のこと。
そして、自分が剣を振ったことを話した。
ランドルフは途中で口を挟まなかった。
全部を聞き終えてから、ゆっくりとレフィーナの剣を受け取る。
刃には、黒いものがわずかに残っていた。
それを見た老人の目が、少しだけ険しくなる。
「……これは」
「知っているんですか」
ランドルフは、刃に残った黒いものを見つめたまま、すぐには答えなかった。
「似た記録を、わしは知っておる」
「記録……?」
「生き物の中へ入り込み、内側から形を変える。そういう、禁じられたものの記録じゃ」
レフィーナは、森で見た熊を思い出す。
赤く濁った目。
苦しそうな唸り声。
肩の奥で蠢いていた黒いもの。
「では、あの熊は……」
「まだ断じられん」
ランドルフは静かに言った。
「だが、お主が見たものは忘れるな。今すぐ答えを求める必要もない」
老人は、小さな布へ黒い残滓を包んだ。
「答えは、いつか向こうから姿を現す」
レフィーナは頷いた。
分からないことばかりだった。
それでも。
今日、自分が何をしたのかだけは分かる。
「私、最初は熊を倒さないとって思いました」
レフィーナは言った。
「でも、間に合わなかった」
ランドルフは黙って聞いている。
「狩人さんのところへ届くことが先でした」
レフィーナは、自分の手を見る。
剣を振った手。
狩人を引き抜いた手。
「だから、あの爪が届く前に……そこへ行こうって」
ランドルフは、しばらく目を閉じた。
やがて、小さく頷く。
「ついに開眼しおったか……」
レフィーナは顔を上げた。
「飛燕剣・初太刀……できたのじゃろう?」
老人は、レフィーナの剣を返す。
「速さに酔う剣ではない。敵を斬るためだけの剣でもない」
レフィーナは、柄を握る。
「届くべきものを見失わず、最短の道を選べたようじゃ」
ランドルフの声は、静かだった。
「飛燕剣・初太刀は、お主が初めて習得した技じゃ。更に磨くがよい」
レフィーナは、剣を見つめた。
まだ、弱い。
まだ、一度しかできていない。
それでも。
あの一瞬、自分は確かに狩人へ届いた。
手応えは確かにあった。
その事実が、胸の奥で小さな灯りになっていた。
ランドルフは、小屋の向こう。
西へ続く森の道を指した。
「次は一人で、ポートハーベンへ行ってこい」
レフィーナは、息を呑んだ。
「ポートハーベンへ……?」
「今日助けた狩人が言っておった町じゃ。山を越えた先、西の海にある」
「私が、一人で」
「そうじゃ」
不安が、すぐに胸へ浮かんだ。
森の外。
知らない人たち。
知らない町。
ランドルフもいない。
怖い。
けれど。
レフィーナは、額のティアラへ触れた。
それから、剣の柄を握る。
「……行きます」
声は小さかった。
けれど、逃げる声ではなかった。
「怖いです。でも」
西の空は、夕焼けで淡く染まっていた。
その向こうに、まだ見ぬ海がある。
まだ見ぬ町がある。
そして、きっとまだ会えていない誰かがいる。
「一人で、行きます」
ランドルフは、少しだけ笑った。
森を抜ける風が、レフィーナの髪を揺らす。
光を継いだ少女は。
初めて、自分の剣で誰かへ届いた。
そして次は、自分の足で森の外へ向かおうとしていた。
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