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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第1章 光の継承者

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第7話「風の姫騎士、墜つ」

 ロアーナ王国、陥落。


 蒼き姫騎士イレーネ、消息不明。


 その報せがコーディアラへ届いた朝。


 エターナルグリーンを渡る風は、ひどく冷たかった。


     * * *


 コーディアラ王国は、広大な森の外周に築かれた国だった。


 王都の石畳には、朝から人々の足音が響く。


 木組みの家々。


 麦を積んだ荷車。


 森から運ばれた木材を加工する工房。


 町の外れでは、いくつもの風車がゆっくりと羽を回していた。


 風は、コーディアラの暮らしを支える力だった。


 麦を挽くために。


 水を汲み上げるために。


 森から町へ、季節の匂いを運ぶために。


 そして今は。


 遠い戦火の匂いを、運んできていた。


「北の見張り台より伝令!」


 城壁の上で、兵士が叫ぶ。


「帝国軍の先遣隊が、北方の森道へ侵入!」


「エボルモンスターを確認! 数は二十以上!」


「避難民の一団が、渓流の木橋で足止めされています!」


 城門の内側で、人々がざわめいた。


 子供を抱き寄せる母親。


 荷物を抱えた商人。


 風車の羽を見上げたまま、立ち尽くす老人。


 その城壁の上を、一人の姫騎士が駆けていた。


 淡いミントグリーンの髪が、朝の風を受けて揺れる。


 白銀の鎧。


 深い緑のマント。


 額には、煌めくティアラ。


 風の姫騎士、エレゼリア。


「フリッツ!」


「ここに!」


 城門の下から、男が応じた。


 コーディアラ森林防衛隊隊長、フリッツ。


 弓を背負い、深緑の外套を翻しながら、隊員たちへ指示を飛ばしている。


「避難は?」


「北側の住民を、迷いの大森林の外縁へ誘導しています!」


「ルディアガーデン周辺の保護地まで、道は開いてる?」


「ヴェンツェル様から許可をいただいています!」


「よし」


 エレゼリアは、北の森を見た。


 木々の向こうに、黒い煙が上がっている。


「町を空にできれば、あたしたちは森だけを守ればいい」


「姫様。ですが、森を抜ける前に敵へ追いつかれます」


「なら、道を作る」


 エレゼリアは即答した。


「北の森道は、あたしが開ける!」


 城壁の上から、彼女は跳んだ。


 風が身体を受け止める。


 落下は、滑空へ変わった。


 白銀の鎧をまとった少女が、朝の風を裂いて森へ降り立った。


     * * *


 渓流に架かった木橋の前で、避難民たちは立ち尽くしていた。


 橋の向こうには、黒い獣たちがいる。


 狼に似た身体。


 だが、肩からはもう一対の腕が生えている。


 四本の前脚には、岩を砕くほど太い爪。


 黒い外殻。


 赤く濁った目。


 エボルモンスターだった。


「下がって!」


 エレゼリアが、橋の手前へ降り立つ。


 怪物の一体が、低く唸った。


 次の瞬間。


 四本の腕を広げ、地面を蹴る。


「エアロブースト!」


 翡翠色の風が、エレゼリアの足元から全身を包んだ。


 鎧の隙間を風が駆け抜ける。


 踏み込みが軽くなる。


 怪物の爪が、ゆっくりと迫るように見えた。


 振り下ろされた爪を、彼女は剣の腹で受け流す。


「アプゼッツェン!」


 押し返すのではない。


 爪の勢いを外へ逃がし、その流れへ自らの風を重ねる。


 剣先が跳ね上がり、怪物の胸元を鋭く突き払った。


 巨体が、大きく仰け反る。


 そこへ、二体目が横から噛みついた。


 素早くかわし、黒い外殻の継ぎ目を断った。


 怪物の首が大きく逸れ、赤い目が揺らぐ。


 だが、背後には三体目。


 四本の爪が同時に迫る。


 エレゼリアは振り返らなかった。


「ドゥルヒラウフェン!」


 風が、彼女の身体を前へ押し出す。


 爪の届く寸前。


 彼女は怪物の脇を通り抜けた。


 そのまま懐へ潜り込み、すれ違いざまに剣を振るう。


 風を纏った刃が、黒い外殻を深く裂いた。


 怪物は数歩進んでから、ようやく地面へ崩れ落ちる。


「姫騎士様……!」


 避難民の一人が、震える声を上げた。


 だが、森道の奥からさらに怪物が現れる。


 帝国兵もいる。


 魔導弩を構え、橋の向こうから矢を放とうとしていた。


 エレゼリアは、剣を下げた。


 周囲の風を感じる。


 川を渡る湿った風。


 木々の葉を揺らす風。


 怯えた人々の頬を撫でる風。


 すべてを、一つへ集める。


「みんな、目を閉じて!」


 避難民の前へ、風の壁が立ち上がった。


 エレゼリアは、剣を空へ掲げる。


「サイクロントルネード!」


 翡翠色の竜巻が、森道の奥から巻き上がった。


 木々を折らない。


 橋を壊さない。


 避難民には、一片の葉も触れさせない。


 けれど。


 帝国兵とエボルモンスターだけを飲み込み、空高く巻き上げる。


 魔導弩が宙を舞う。


 怪物たちが吠える。


 黒い外殻の巨体が、森の外へ叩き出されていく。


 竜巻が消えた時。


 木橋の向こうには、倒れた帝国兵と、折れた武器だけが残っていた。


「今だよ!」


 エレゼリアは振り返る。


「保護地まで走って!」


 風が、逃げる人々の背を押す。


 母親が子供を抱き上げる。


 老人が杖を捨て、隣の青年の肩を借りる。


 避難民たちは、森林内部へ続く道を走った。


 風が舞う。

 

 森を守るために。


 そして、森で生きる人々を守るために。


     * * *


 森林内部、迷いの大森林の外縁には、古い石柱が半円を描くように並んでいた。


 石柱には、読めない文字が淡く光っている。


 その向こうは、ただの森には見えない。


 視線を向けるたび、木々の配置がわずかに変わる。


 道があるはずの場所に、いつの間にか深い茂みが現れる。


 超古代の防衛機構。


 悪意を持つ侵入者を迷わせ、聖域へ近づけさせない迷いの大森林。


 その手前にある広い保護地へ、コーディアラの住民たちは集められていた。


 人間が、ルディアガーデンの内部へ入ることはできない。


 聖域を穢れから守るためだ。


 けれど、世界樹を守る者たちは、炎の中へ人々を返すこともしなかった。


「これ以上、内側へは入れません」


 銀白の長い髪を持つハイエルフが、避難民へ静かに告げる。


 ルディアガーデンの長、ヴェンツェル。


「ですが、この保護地にいる限り、迷いの大森林は、あなた方を拒みません」


「ありがとうございます」


 フリッツが、深く頭を下げた。


「コーディアラの民は、必ずこの恩を返します」


「事態は逼迫しています。第一に考えるべきは」


 ヴェンツェルは、避難民たちへ視線を向ける。


「命です。まず、生き延びなさい」


 その言葉に、誰もすぐには答えられなかった。


 遠くの空には、黒い煙が上がっている。


 森の匂いに、焦げた樹皮の匂いが混じり始めていた。


 エレゼリアは、保護地の端で膝をついていた。


 彼女の前には、小さな妖精がいる。


 葉のように薄い羽を震わせ、炎の方向から目を離せずにいた。


「大丈夫」


 エレゼリアは、ゆっくりと手を差し出した。


「ここには、火を入れさせない」


 妖精は怯えていた。


 だが、やがて。


 小さな手が、エレゼリアの指先へ触れた。


 近くでは、片腕に樹皮の模様を浮かべたドライアドたちが寄り添っている。


 彼らもまた、不安そうに森の外を見ていた。


「本当に……森は守れるの?」


 若いドライアドが、震える声で尋ねた。


 エレゼリアは、答えるまでに一瞬だけ時間を置いた。


 簡単に言えることではない。


 けれど。


「守るよ」


 彼女は言った。


「あたしがいる。フリッツも、防衛隊も、みんなもいる」


 そして、空を見た。


 遠い雲の向こう。


 黒い影が、ゆっくりと近づいていた。


     * * *


 帝国大戦艦の司令室。


 壁一面に広げられた戦略地図へ、赤い魔導灯の光が落ちている。


 コーディアラ王都。


 エターナルグリーン。


 迷いの大森林。


 ルディアガーデン周辺の保護地。


 地図の上には、帝国軍の駒が並んでいた。


「北方先遣隊、壊滅」


「避難民の保護地への移動を許しました」


「風の姫騎士が、森道を封鎖しています」


 報告を聞くたびに、バルナバス提督の表情が険しくなっていく。


 巨体を黒い軍装へ包んだ男だった。


 握りしめた拳は、今にも卓上の地図を破りそうだった。


「たかが一人の姫騎士に、何をしている!」


 部下たちが、身を竦ませる。


「申し訳ありません。しかし、森の中では彼女の動きが速すぎて……!」


「エアロブーストによる加速と、広範囲の竜巻術。兵を寄せれば、まとめて吹き飛ばされます!」


 その時。


 司令室の扉が開いた。


 黒い外套。


 黒い鎧。


 仮面で顔を隠した姫騎士が、静かに入ってくる。


 暗黒の姫騎士。


「手こずっているようだな、バルナバス提督」


 低い声だった。


 バルナバスは奥歯を噛んだ。


「暗黒の姫騎士……」


「この大戦艦を旗艦にする。指揮を移せ」


「ですが、あの女は森の中では強すぎます。兵を増やしても――」


「正面から倒すな」


 暗黒の姫騎士は、地図の上へ指を置いた。


 避難路。


 泉。


 ドライアドの集落。


 そして、エレゼリアが必ず駆けつける森の外縁。


「森を焼け」


 バルナバスが、目を細める。


「世界樹はどうします」


「手を出すな」


 わずかな沈黙。


「――まだな」


 その一言に、司令室の空気が冷える。


 暗黒の姫騎士は、さらに地図を指先でなぞった。


「エレゼリアは、森の命が傷つく時だけ判断を鈍らせる」


「ならば、火を一か所へ集めるのではなく」


「散らせ」


「避難路へ。水脈へ。森の民の集落へ、ですか?」


「そうだ」


 仮面の奥の声は、少しも揺れなかった。


「森の中のエレゼリアは強い。深追いするな。彼女に、守るものを選ばせろ」


 バルナバスは頭を下げた。


「承知しました」


 だが、顔を上げた時。


 その目には、隠しきれない苛立ちが浮かんでいた。


 自分の兵では届かなかった相手を。


 この女は、剣を交える前から追い詰めようとしている。


 その事実が、気に入らなかった。


     * * *


 翌朝。


 エターナルグリーン東部。


 グリーンボーダー――緑の境界。


 森の東側から、黒煙が上がった。


「森が……!」


 エレゼリアは、声を上げるより早く走り出していた。


 フリッツと森林防衛隊が続く。


 だが、着いた時には。


 すでに何本もの木が燃えていた。


 炎を纏った蜥蜴型のエボルモンスターが、木々へ体当たりしている。


 背中には赤い魔導管。


 口を開くたび、燃え尽きない火が吐き出される。


 焼けた枝が落ちる。


 草が燃える。


 小さな獣たちが、火から逃げようとして互いを押し退ける。


「ウィンドショット!」


 エレゼリアの指先から、圧縮された風の弾丸が放たれる。


 赤い魔導管の継ぎ目を、正確に撃ち抜く。


 一体。


 二体。


 火を失った怪物が、地面へ倒れる。


「北の火を抑えろ!」


 フリッツが叫ぶ。


「水運びを回せ! 風下へは行かせるな!」


「でも、隊長! 炎が広がっています!」


 風を強く起こせば、火は広がる。


 風を止めれば、煙が人々の呼吸を奪う。


 エレゼリアは、一瞬だけ目を閉じた。


 それから、剣を握る。


「火の粉だけを上へ逃がす!」


「そんなことが……!」


「やる!」


 燃えた木の幹を蹴る。


「エアロブースト!」


 風が、彼女の身体を包む。


 炎の中を駆け抜ける。


「ドゥブリーレン!」


 一撃目で外殻を割る。


 二撃目で、炎を吐く喉元を切り裂く。


 だが。


 火は消えない。


 怪物の身体から漏れた炎が枯葉へ移り、森の奥へ広がろうとしていた。


「エレゼリア!」


 フリッツの声。


 その先で。


 焼け落ちた木の下に、小さなドライアドがいた。


 髪の先は焦げ。


 片腕の樹皮には、深いひびが入っている。


 それでも、根元へ水を送ろうとしていた。


「もういい。逃げよう」


 エレゼリアは、駆け寄る。


「この木は……私の家です」


「生きていれば、また育てられる」


「でも……」


「森は、また芽吹くよ」


 エレゼリアは、ドライアドを抱き上げた。


 涙が、煤のついた頬を一筋だけ落ちた。


「だから、生きて」


 その時。


 炎を纏った怪物たちが、森道の奥から一斉に現れた。


 数十。


 いや、それ以上。


 エレゼリアはドライアドをフリッツへ預ける。


「連れて行って」


「姫様は!」


「ここを止める」


 彼女は、燃える森を見上げた。


 炎を消すための力ではない。


 森へ広がろうとする火を、ここで断つための力。


 風が集まる。


 木々の葉が震える。


 火の粉が、空へ引かれていく。


「サイクロントルネード!」


 竜巻が立ち上がった。


 炎を地面から引き剥がす。


 怪物たちをまとめて巻き込み、燃える境界の外へ投げ飛ばす。


 煙を空高く運び。


 火の粉を、まだ燃えていない森から遠ざける。


 炎は弱まった。


 だが。


 すでに失われた木々は戻らない。


 黒く焼けた幹だけが、灰の中へ立ち尽くしていた。


 エレゼリアは、その前に立った。


 剣を握る指が震えている。


「……守れなかった」


「姫様」


「全部は、守れなかった」


 フリッツは、何も言えなかった。


 その背後で。


 ヴェンツェルが、静かに頭を下げていた。


     * * *


 コーディアラ王城が陥落した報せは、その日の夕方に届いた。


 王族は、すでに避難を終えていた。


 だが、帝国軍は城を占拠し、町の中心へ黒い旗を掲げた。


 風車の羽は止められ。


 石畳の広場には、帝国兵の足音が響いている。


 コーディアラは、森の防衛へ戦力を集めるため、町を一時的に捨てるしかなかった。


 それは敗走ではない。


 守るべきものを、守るための撤退だった。


 けれど。


 町の上に翻る黒い旗を見た時。


 エレゼリアの胸は、ひどく痛んだ。


「世界樹だけは、絶対に渡さない」


 彼女は、長剣を握りしめた。


 ヴェンツェルが、古い地図を広げる。


「迷いの大森林にある古代遺構の一つ。森の神殿」


 地図の奥。


 蔦と木の根で覆われた場所に、古い印があった。


「そこには、風の姫騎士のティアラを完全な力へ導く魔水晶片が眠っていると伝えられている」


「本当にあるの?」


「伝承では、だが…」


「でも、行く」


 エレゼリアは即答した。


「みんなを守るには、もっと力が必要だ」


 フリッツが前へ出る。


「俺も行きます」


「防衛隊は、保護地を守って」


「しかし!」


「フリッツがいないと、あそこは守れない」


 エレゼリアは、少しだけ笑う。


「大丈夫。ヴェンツェルがいる」


 ヴェンツェルは、静かに頷いた。


「森の神殿への道は、わたくしが開きます」


     * * *


 森の神殿は、迷いの大森林の境目にあった。


 崩れた石柱。


 地面を割る太い根。


 壁を覆う蔦。


 何百年も人を拒み続けてきた古代遺構。


 ヴェンツェルが古い文字へ手を触れると、石壁の一部が静かに開いた。


 その奥から。


 低い唸り声が響く。


「ガーディアンがいる」


 エレゼリアは剣を抜いた。


「想像以上に、手強そうね」


 神殿の最奥。


 石と木と金属が絡み合った巨大な守護者が待っていた。


 人の形に近い。


 だが、両腕は古木の幹ほど太く、胸には緑の魔導核が埋め込まれている。


 守護者の拳が、振り下ろされる。


 石床が割れた。


「エアロブースト!」


 エレゼリアは横へ跳ぶ。


 剣先が関節を突き払い、守護者の腕を逸らす。 


 反対側の腕が迫る。


 ヴェンツェルがシルフを召喚、エレゼリアに向かわせる。


 シルフが風を吹き付け、エレゼリアの支援をする。


 風と共に、その脇をすり抜ける。


 背後へ回り。


「ドゥブリーレン!」


 一閃。


 二閃。


 石の装甲に、深い亀裂が走る。


 守護者はなおも動く。


 ヴェンツェルがノームを召喚。守護者の動きを鈍らせる。


 胸の魔導核が、眩く光った。


 神殿全体を揺らすほどの衝撃波。


 シルフが風の障壁で衝撃波を和らげるが、相殺には至らない。


 エレゼリアの身体が、壁へ叩きつけられる。


「エレゼリア!」


 ヴェンツェルが叫ぶ。


 だが、彼女は立ち上がった。


 口元に血が滲んでいる。


 それでも、剣は下ろさない。


「森を守りたい」


 エレゼリアは、守護者の胸にある光を見据えた。


「だから、あたしに力を貸して」


 風が、彼女の周囲を巡る。


 小さな風。


 神殿の外から。


 迷いの大森林の奥から。


 木々を揺らしてきた風が集まる。


 シルフも加勢する。


 エレゼリアは走った。


 守護者の拳を躱し。


 崩れた柱を蹴り。


 高く跳ぶ。


「ウィンドショット!」


 風の弾丸が、シルフによって強化され、守護者の胸の魔導核へ突き刺さる。


 核が揺らぐ。


 シルフとノーム、そしてヴェンツェルがさらに召喚したサラマンダーが、守護者の動きを止める。


 その一瞬。


 彼女は、剣を振り下ろした。


 緑の光が走る。


 守護者の胸の魔導核が砕けた。


 巨大な身体は、ゆっくりと膝をつく。


 やがて、石と根の塊へ戻るように崩れ落ちた。


 最奥の祭壇に、翡翠色の結晶が浮かんでいる。


 エレゼリアは、そこへ近づいた。


「これが……」


 指先が、魔水晶片へ触れる。


 ティアラが共鳴する。


 翡翠色の光が、額から全身へ広がった。


 森の風が、神殿の中を駆け抜ける。


 長い年月の埃が舞う。


 蔦が揺れる。


 石壁の隙間から差し込む夕日が、緑色に染まる。


 魔水晶片は、ティアラの中心へ吸い込まれるように収まった。


 風のティアラが、完全体となった。


     * * *


「今だ!」


 神殿の回廊へ、荒々しい声が響いた。


 バルナバス提督だった。


 その後ろには、数十体のエボルモンスター。


 ヴェンツェルは新たに、ウンディーネを召喚。


 シルフ、ノーム、サラマンダーと共に迎え撃つ。


 太い拘束肢を持つ異形が、石床を這っている。


 黒い肉の束のような腕が、壁を叩き、床を削りながらエレゼリアに迫る。


「提督。暗黒の姫騎士は、森の奥で追うなと」


 副官が、低く言う。


「黙れ」


 バルナバスは、エレゼリアのティアラを睨んでいた。


 眩い翡翠色の光。


 先ほどまでとは違う。


 森そのものが、彼女へ応えているような魔力。


「あの力を手に入れれば、戦艦一隻分以上の戦力になる」


「ですが、あれは姫騎士の……」


「だからこそだ」


 バルナバスの瞳には、焦りと欲が混じっていた。


 暗黒の姫騎士だけが功を立てる。


 自分は命令を受けるだけ。


 それが、耐えられなかった。


「捕らえろ!」


 拘束肢が、エレゼリアへ伸びた。


「っ!」


 エレゼリアは剣を振るう。


 一つを断つ。


 二つを断つ。


 だが、次々に伸びる黒い拘束肢が、手首へ、足首へ、胴へ絡みつく。


 冷たい。


 生きた鉄のような、不快な冷たさ。


 締めつけるたび、魔力が吸い上げられていく。


「放せ……っ!」


 ティアラの光が、不規則に明滅する。


 エレゼリアの膝が折れかけた。


 バルナバスが笑う。


「そうだ。その力だ。帝国の制御魔導機へ接続できれば――」


 その瞬間。


 ティアラの翡翠色が、爆ぜた。


「デッド・テンペスト!」


 神殿の壁を揺らすほどの風圧。


 拘束肢が、一斉に引き裂かれる。


 黒い肉片が、嵐に巻き上げられた。


 エレゼリアの周囲に、巨大な風の柱が立つ。


 風は彼女を傷つけない。


 彼女を縛ろうとした怪物だけを、回廊の外へ叩き出していく。


「何だ、この力は……!」


 バルナバスの声が震えた。


 エレゼリアは、荒い息のまま立っていた。


 完全体となったティアラの力が、まだ制御しきれないほど全身を巡っている。


 けれど。


 その光を前に、バルナバスは一歩下がった。


 恐怖していた。


 同時に。


 恐怖したからこそ、手に入れたいとも思った。


「あの力を……必ず」


「提督!」


「撤退だ!」


 バルナバスは叫ぶ。


 自らの判断が失敗だったことを隠すように。


「一度、退く!」


 帝国兵たちは、神殿から逃げ出した。


 エレゼリアは追わなかった。


 立っているだけで、精一杯だった。


 ヴェンツェルが、そっと彼女の肩へ手を置く。


「大丈夫か」


「うん」


 エレゼリアは、疲れ切った笑顔を浮かべた。


「まだ、行け…る…」


 その言葉の直後。


 彼女の身体から、力が抜けた。


 意識を失ったエレゼリアを、ヴェンツェルが静かに支える。


     * * *


 翌日。


 完全体となった風のティアラは、エレゼリアへ応えた。


 コーディアラ王城。


 帝国軍に占拠されていた城壁の上を、翡翠色の風が駆け抜ける。


 魔導弩が放たれる。


 だが、矢は彼女へ届かない。


 風がすべてを逸らす。


 エボルモンスターが群れで迫る。


 だが、エレゼリアの剣は止まらない。


 疾風の剣技が、怪物たちの間を走る。


 黒い外殻が砕ける。


 魔導管が断たれる。


 帝国兵が武器を落とす。


 石畳の広場へ、風が吹き抜ける。


 止められていた風車が、遠くで一つ、二つと羽を回し始めた。


 最後に。


 王城の中庭へ集結した敵部隊を見下ろし、エレゼリアは空へ剣を掲げた。


「サイクロントルネード!」


 巨大な竜巻が、城の外へ向かって渦を巻く。


 城壁を壊さない。


 民家を傷つけない。


 帝国軍だけを飲み込み、王城の外へ吹き飛ばしていく。


 風が収まった時。


 コーディアラの旗が、再び城壁へ掲げられた。


「奪還した……!」


 フリッツが叫ぶ。


 森林防衛隊が、声を上げる。


 人々が泣きながら、互いの手を握る。


 風車の羽が、青い空を切って回る。


 エレゼリアは、城壁の上へ立った。


 疲労で身体は重い。


 それでも。


 今だけは、少しだけ笑った。


「このまま帝国軍を、一気に追い出すよ」


 その時だった。


 空が暗くなった。


 太陽を覆い隠すほど巨大な影が、王城の上を通る。


 帝国大戦艦。


 黒い船体。


 無数の砲門。


 甲板の端には、炎を纏ったエボルモンスターが並んでいる。


 そして、その背には。


 赤黒い爆裂魔法陣の刻まれた、太い魔導管が埋め込まれていた。


 上空の戦艦から。


 炎の怪物たちが、次々と投下される。


 森へ。


 水脈へ。


 避難民の保護地へ続く森道へ。


 迷いの大森林の外縁へ。


 火を吐ける場所へ、正確に。


 エレゼリアの表情から、笑みが消えた。


     * * *


 夜明け前。


 ヴェンツェルの精霊たちも各地で火を抑えている。


 だが、戦艦から落とされた炎は、その手を上回る速さで森へ広がっていた。


 炎に照らされた森の中で、エレゼリアは剣を構えていた。


 その向こう。


 黒い大戦艦の前。


 甲板から降りてきた暗黒の姫騎士が、静かに立っている。


「剣を置け、エレゼリア」


「嫌だよ」


 エレゼリアは即答した。


 疲労で、手は震えている。


 それでも、剣を下ろさない。


「あたしが剣を置いたら、誰が森を守るの」


「お前が剣を持てば、森は燃える」


 暗黒の姫騎士が片手を上げる。


 各地の怪物たちが、同時に口を開いた。


 避難民が通る森道。


 保護地の周囲。


 水脈。


 古代遺構の外縁。


 さらに、迷いの大森林へ至る方角へ向けられた魔導砲。


「風を起こせば、火は広がる」


 暗黒の姫騎士は言った。


「怪物を斬れば、背の魔導管が破裂するよう仕掛けた」


 エレゼリアは、唇を噛む。


 火を止めるための風が、火を広げる。


 怪物を倒すための剣が、炎を爆ぜさせる。


 完全体のティアラを得ても。


 守りたいものすべてを、同時には守れない。


「姫様!」


 フリッツが前へ出る。


「俺たちが行きます! 防衛隊を分ければ、まだ――」


「だめ!」


 エレゼリアは叫んだ。


 フリッツの後ろには、避難民がいる。


 怪我人がいる。


 焼けたドライアドたちがいる。


 ルディアガーデン周辺の保護地へ逃げようとする人々がいる。


 誰かを行かせれば、その誰かが死ぬ。


 誰かを残せば、その場所が燃える。


 どうすれば、全部を守れる。


 答えは、どこにもなかった。


 小さなドライアドが、震える声で言った。


「エレゼリア」


 焼けた腕を抱えながら。


「私たちは、どうすれば」


 その問いに。


 エレゼリアは、すぐに答えられなかった。


 いつもなら言えた。


 大丈夫だ、と。


 あたしが守る、と。


 けれど。


 守りたいと思うほど。


 敵は、そこへ刃を向けてくる。


 守るための剣が。


 守るための風が。


 今は、誰かを燃やす理由にされている。


「……フリッツ」


 エレゼリアは、ゆっくり口を開いた。


「みんなを、保護地の西側。湿地の避難路へ移して」


「姫様」


「迷いの大森林の外縁から離れて。ヴェンツェルにも伝えて」


「何を、するつもりですか」


 エレゼリアは答えなかった。


 答えれば、フリッツが止める。


 止められたら、自分は決められなくなる。


 だから。


 彼女は、剣を地面へ置いた。


 白銀の剣が、土へ触れる。


 乾いた音が、炎の中へ響いた。


「……あたしが降伏する」


 フリッツが息を呑む。


「駄目です!」


「森と人に、手を出さないで」


 エレゼリアは、暗黒の姫騎士を睨んだ。


「その代わり、あたしを連れていけばいい」


「いい判断だ」


 暗黒の姫騎士の返事は、短かった。


「火は止める」


「みんなにも手は出さないで」


 暗黒の姫騎士は沈黙した。


 誰も動かなかった。


 炎の爆ぜる音。


 怪物の荒い息。


 戦艦の魔導炉が低く唸る音。


 やがて、暗黒の姫騎士は片手を振って合図した。


 帝国兵が攻撃中止の伝令を送る。


「住民が保護地を離れるまで、手も出さん」


 エレゼリアは、その言葉を信じていない。


 信じてはいけない。


 それでも。


 今は、その言葉へ賭けるしかなかった。


「フリッツ」


 彼女は振り返る。


「行って」


「……必ず、迎えに行きます」


 フリッツの声は震えていた。


 けれど、彼は剣を抜かなかった。


 ここで戦えば、森が燃える。


 そのことを、彼も理解している。


「みんなを頼むね」


 エレゼリアは、小さく笑った。


 それから、額のティアラへ手を伸ばす。


 翡翠の光が、指先に触れる。


 その時。


 外套の影から、小さな妖精が現れた。


 葉のように薄い羽。


 掌に乗るほどの小さな身体。


 怯えながら、それでもエレゼリアの前を飛んでいる。


 エレゼリアは、誰にも見えないよう指先を動かした。


 ティアラの内側に収まっていた翡翠の魔水晶片を、そっと外す。


 翡翠の光が、ほんのわずかに揺らいだ。


 小さな妖精の手へ。


 彼女は結晶を預けた。


「逃げなさい……!」


 声は、ほとんど風の音だった。


 妖精は目を見開く。


「迷いの大森林へ」


 妖精は、震えるように頷いた。


 次の瞬間。


 風がひとひら、葉を巻き上げる。


 妖精の姿は、その葉の影へ溶けるように消えた。


 深い森の奥。


 誰も簡単には辿り着けない、迷いの大森林へ。


 エレゼリアは、その方角を一度だけ見た。


 それから。


 ティアラを外した。


 手の中で、緑の光が弱くなる。


 暗黒の姫騎士は、無言でそれを受け取った。


「魔水晶のかけらを逃がしたか」


「森は、あんたたちのものにはならない」


 黒い拘束具が運ばれてくる。


 両手の枷。


 足首の鎖。


 魔力を封じる首輪。


 冷たい鉄が、手首へ触れた。


 鎖が閉じる。


 首輪の封印紋が、鈍く黒く光る。


「姫様!」


 フリッツの声が響く。


「来ないで!」


 エレゼリアは叫んだ。


 泣きそうな声だった。


 けれど、泣かなかった。


「今は、みんなを連れて行って!」


 フリッツは、唇を噛んだ。


 森林防衛隊も。


 避難民たちも。


 ドライアドたちも。


 誰も、動けなかった。


 風の姫騎士が、鎖に繋がれている。


 いつも最初に空へ飛び。


 最後まで皆の前に立っていた彼女が。


 今、自分から剣を置いた。


 それでも。


 フリッツは深く頭を下げた。


「……必ず、生きて戻って下さい」


 エレゼリアは返事をしなかった。


 返事をすれば。


 きっと、声が震えてしまうから。


     * * *


 帝国大戦艦の収容区画は、鉄の檻だった。


 空を行く大戦艦の、最も奥まった場所。


 鉄の壁。


 鉄の床。


 鉄の格子。


 どこを見ても、木の葉はない。


 土の匂いもない。


 遠くで鳴く鳥の声も。


 枝と枝が擦れる音も。


 雨を待つ森の静けさも。


 何もなかった。


 あるのは、油と煤の匂い。


 焼けた樹脂の匂い。


 冷えた鉄の硬さ。


 戦艦の奥にある魔導炉が、低く唸る音だけだった。


 ごう、と。


 ごう、と。


 止まることのない振動が、床から足首へ伝わってくる。


 まるで巨大な鉄の獣の腹の中へ、飲み込まれたようだった。


 独房は狭い。


 横になれば、肩が壁へ触れる。


 立てば、すぐ目の前に格子がある。


 エレゼリアは、壁へ繋がれた鎖を見下ろしていた。


 両手。


 両足。


 首輪。


 白銀の鎧は、煤と泥で汚れている。


 深い緑のマントは片側が裂け、床へ重く垂れていた。


 指先を動かすたび、鎖が小さく鳴る。


 その音が。


 森で葉が揺れる音とは、あまりにも違っていた。


 エレゼリアは、そっと目を閉じた。


 風を呼ぼうとする。


 ほんの少しでいい。


 髪を揺らすほどの風でいい。


 誰かが生きている森の匂いを、ここまで運んでほしい。


 けれど。


 首輪の封印紋が、鈍く光った。


 集まりかけた風は、指先でほどける。


 何も残らない。


 何度試しても。


 何度、心の中で呼んでも。


 格子の外。


 黒い金属の台の上に、奪われたティアラが置かれていた。


 ティアラは、まだかすかに光っている。


 けれど、その光は弱い。


 森を渡り、人々を抱き上げ、炎を押し返した風の光ではない。


 檻の外へ置かれた、小さな灯り。


 届かない場所で。


 ただ、弱く緑に光っている。


 エレゼリアは、そこから目を離せなかった。


 あのティアラを取り戻せば。


 風を呼べる。


 森へ戻れる。


 フリッツのところへ。


 ヴェンツェルのところへ。


 逃げた人々のところへ。


 けれど、手首の鎖は短い。


 格子まで、あと数歩。


 その数歩が、どうしても届かない。


 戦艦の通路を、兵士たちの靴音が通り過ぎていく。


 重い足音。


 笑い声。


 金属の扉が閉まる音。


 どこか遠くで、エボルモンスターが低く唸った。


 エレゼリアは、肩をすぼめた。


 森なら。


 こんな音はしない。


 森なら、風がすべての音をさらってくれる。


 苦しい声も。


 怖い声も。


 誰かの泣き声も。


 ここでは、何もさらってくれない。


 音は鉄の壁にぶつかり、戻ってくる。


 逃げ場もなく。


 ずっと耳の奥に残る。


 格子の向こうに、黒い影が立った。


 暗黒の姫騎士だった。


 エレゼリアは、ゆっくり顔を上げる。


「森は」


 声が掠れていた。


「みんなは、どうなったの」


「防衛隊と住民は、保護地から離れた」


 暗黒の姫騎士は答えた。


「炎は、止めた」


 エレゼリアは、わずかに息を吐いた。


 安心ではない。


 ただ、胸の奥の張りつめていた糸が、少しだけほどけた。


「……よかった」


「お前は、森を守った」


 暗黒の姫騎士は言う。


「だが、お前自身は犠牲になった。意味が無いな」


 その言葉が、静かに刺さる。


 エレゼリアは鎖を握った。


 冷たい鉄が、掌へ食い込む。


「違う」


 声は小さい。


 けれど、消えなかった。


「みんなが生きてるなら、それでいい」


「それが、お前の敗因だ、エレゼリア」


 暗黒の姫騎士は、台の上のティアラを手に取った。


 ティアラの微弱な魔力が、黒い手袋の中でかすかに瞬く。


「お前は、森を愛しすぎた」


 エレゼリアは、目を逸らさなかった。


「それが、あたしだから」


「コーディアラだけを守られる限り、我々に打つ手はなかった。だが――」


 胸の奥が痛んだ。


 分かっていた。


「さっさと殺せばいい」


「風を司るお前は、息をするものをことごとく味方にしてしまう」


 暗黒の姫騎士の声には若干、畏怖が混じっていた。


「だが、この鉄の檻には、お前に応える森の命がない。土も、水も、枝葉もな。ここに収監されている限り、お前は脅威ではない。殺す必要はないな」


 守りたいという思いは、弱さではない。


 けれど。


 敵がそこへ刃を向けるなら。


 優しさは、傷つけられる場所にもなる。


「諦めろ」


 暗黒の姫騎士は、静かに告げた。


「お前は負けたのだ」


 エレゼリアは、動かなかった。


 泣かなかった。


 泣けば、森が遠くなる気がした。


 けれど、目を閉じた瞬間。


 燃える木々が浮かんだ。


 焼けたドライアドの腕。


 フリッツの震えた声。


 そして。


 空を行く大戦艦の鉄の檻。


 そこにいたのは。


 森を駆け、空を翔けた風の姫騎士ではなかった。


 鎖の中。


 白銀の鎧を煤で汚し。


 深い緑のマントを床へ垂らし。


 うなだれた、疲れ切った、ただの少女。


 暗黒の姫騎士は、しばらくその姿を見ていた。


 やがて、彼女から抵抗の気配が消えたことを見届けると、暗黒の姫騎士は背を向けた。


 鉄扉が閉じる。


 重い音が、大戦艦の中へ響いた。


 ふと。


 高い位置にある細い窓の向こうで、雲が流れた。


 遮るもののない、広大な空。


 けれど。


 鉄格子と魔力封印の鎖が、エレゼリアと風の繋がりを引き裂いている。


 それでも。


 窓の隙間をかすめていく、ごく微かな風を感じていた。


 風を束縛することはできない。


 風は自由だ。


 どこへでも行ける。


 エレゼリアは、ゆっくりと顔を上げた。


「魔水晶のかけらは、妖精が守っている」


 誰にも聞こえない声で、呟く。


「帝国の手は、絶対に届かない」


 今は、機を窺う。


 森へ帰るために。


 フリッツたちと、もう一度並んで立つために。


 エレゼリアは、そう決め、目を伏せる。


 世界から一つ、大国の光が消えた。


 ――この日、コーディアラは陥落した。


     * * *


 朝。


 深い森の中にある、小さな小屋の前。


 レフィーナは、荷袋を背負っていた。


 中には、水筒。


 乾いたパン。


 薬草。


 地図。


 そして、ランドルフから預かった訓練用の剣。


 額には、光のティアラ。


 まだ大きな力を見せることはない。


 それでも朝日を受け、静かに輝いている。


 ランドルフは、戸口の前に立っていた。


 いつもの茶色のローブ。


 いつもの厳しい顔。


「地図は覚えたな」


「はい」


「町では剣を抜く前に、まず人を見ろ」


「はい」


「困ったら戻れ」


 レフィーナは、老人を見た。


 ランドルフは少しだけ間を置く。


「だが、逃げるために戻るな」


「……はい」


 西へ続く森の道は、朝の光に照らされていた。


 その先に、ポートハーベンがある。


 海がある。


 まだ見ぬ人々がいる。


 姉へ近づくための道も、きっとどこかにある。


 レフィーナは、深く頭を下げた。


「行ってきます」


 ランドルフは頷いた。


「行ってこい」


 レフィーナは、歩き出した。


 振り返らない。


 怖くないわけではない。


 足が震えないわけでもない。


 それでも、一歩ずつ進む。


 彼女はまだ知らない。


 炎の姫騎士が、火の谷に囚われていることを。


 水の姫騎士が、氷の島に閉じ込められていることを。


 そして、風の姫騎士が、森から遠い鉄の檻の中にいることを。


 光を継いだ少女は初めて。


 誰の背中にも隠れず、森を出た。

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2回を目安に予定しています。

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