第3話「裏切り」
数日後。
エスティア王都近郊、ソルフレア迷宮。
赤い岩壁が、地下へ深く続いていた。
迷宮の中には、地の底から湧き上がる熱が満ちている。
壁の割れ目からは赤い蒸気が漏れ、足元の岩は、場所によっては触れるだけで熱を持っていた。
リーザは松明を持たずに歩いていた。
彼女の剣が、かすかな炎をまとっている。
その光が、赤黒い通路を照らしていた。
「ほんとに、ここにあるの?」
リーザは壁面に刻まれた古代文字を見た。
「研究所の記録には、そう書いてあったわ。姫騎士のティアラを強める魔水晶のかけら」
後ろを歩くカストールは、短く頷いた。
「帝国も探しているかもしれない」
「だから先に来たのよ」
リーザは振り返り、少し笑う。
「セドリックには悪いけど、王都の守りを任せてきた。あいつなら大丈夫」
その言葉に、カストールの顔がわずかに歪んだ。
リーザは気づかず、前へ向き直る。
「それに、あんたはあたしの近くにいれば安全でしょ」
「え?」
「戦闘になったら、いつもあんたはろくに動けないんだから」
「……い、いや俺だって…」
「何よ、ちゃんとやれるって言うの?」
リーザは足を止めた。
「カストール。あんた、戦いになると判断が遅いの。自覚して」
「……」
「動かなきゃいけない時に止まって、手を出したらまずい時に無理するし」
「俺は……」
言葉が続かなかった。
リーザはため息をついた。
「あんたが戦いに向いてないのは分かってる。でもだからって、勝手に死なれると、後味悪いでしょ」
「リーザ…」
「あたしの後ろについて。離れないで」
彼女は少し語気を強めた。
「あと、余計な手出しもダメよ。危険だから」
それは、カストールへの最善の配慮だったのかもしれない。
だがカストールの心を歪ませるという意味では、最悪の配慮とも言えたかもしれない。
やがて、通路の先に大きな空洞が開けた。
中央には、半ば崩れた石の祭壇。
そして祭壇の奥の岩壁に、何やら封印の施された扉。
リーザが一歩踏み出した。
その瞬間。
地面が揺れた。
赤い岩壁が崩れ、空洞の奥から巨大な影が立ち上がる。
石と鉄でできた人型。
胸には赤い魔導炉のような器官が埋め込まれ、両腕には巨大な刃がついている。
古代ガーディアンだった。
「出たわね」
リーザは剣を構える。
「下がって、カストール」
「俺も戦う」
「あんた、人の話聞いてる?いいから下がりなさい!」
その一言が、またカストールの胸を刺した。
ガーディアンが腕を振り下ろす。
岩が砕けた。
リーザは横へ跳び、炎の剣で刃を受け流す。
「フレイム・エンチャントブレード!」
炎が大きく膨らむ。
リーザはガーディアンの腕へ斬りつけた。
だが、石と鉄の装甲は深く切れない。
「硬っ……!」
ガーディアンのもう一方の腕が、横から迫る。
リーザは退く。
その時、カストールが横から剣を振った。
刃は装甲に弾かれた。
衝撃で、彼の身体がよろめく。
「カストール!」
ガーディアンの足元から、赤い鎖のような魔力が伸びた。
カストールの足首へ絡みつく。
引きずられる。
「くそっ……!」
彼は剣を地面へ突き刺し、必死に耐えた。
だが、力が足りない。
赤い鎖は彼をガーディアンの胸部へ引き寄せていく。
胸の魔導炉が、赤く明滅した。
「危ない!」
リーザが叫ぶ。
迷わなかった。
ガーディアンの正面へ飛び込む。
振り下ろされる巨大な刃を、炎の剣で受ける。
火花が散る。
リーザの足元の岩が割れる。
「リーザ!」
「黙って、下がってなさい!」
リーザは歯を食いしばり、刃を押し返した。
炎が爆ぜる。
「紅蓮剣・ファイアスマッシュ!」
至近距離で放たれた炎の衝撃が、ガーディアンの腕を弾いた。
リーザはそのままカストールの前へ踏み込み、赤い鎖を断ち切る。
解放されたカストールが、地面へ転がった。
ガーディアンは再び腕を振り上げる。
リーザは、彼を庇うように立った。
「ファイアボール!」
火球がガーディアンの胸へ直撃する。
魔導炉が赤く膨張する。
さらにリーザは、炎をまとった剣で跳び上がった。
「紅蓮剣・ほむら斬り!」
胸の中心へ、火の一線が走る。
魔導炉が割れた。
轟音と共に、ガーディアンの巨体が崩れ落ちる。
空洞に、赤い火の粉が降った。
リーザは着地すると、すぐにカストールへ駆け寄った。
「大丈夫!?」
「……ああ」
「ほんとに?」
「大丈夫だ」
「嘘。足、震えてる…ったく」
リーザは彼の腕を掴み、無理やり立たせる。
「あんた、バカぁ~?」
怒っている声だった。
けれど、その手は強く、温かかった。
「死にたいの?」
「……リーザ」
「次、勝手に前へ出たら、あたし、ぶん殴るから」
カストールは、彼女を見つめた。
赤い髪。
煤で汚れた頬。
肩には、さっきの一撃でできた浅い傷。
それでもリーザは、自分の傷ではなく、カストールの足を気にしている。
どうして。
どうして、そんな目で自分を見る。
どうして、誰にでも同じように優しい。
カストールの胸の奥で、何かがゆっくりと壊れた。
その時、リーザの腰につけた魔導通信機が強く光った。
「リーザ!」
通信機の向こうから、セドリックの声が聞こえる。
ひどく切迫していた。
「王都西門が破られた! 内部に帝国兵が入っている!」
「何ですって!?」
「防衛線は持たせている。だが、長くは――」
「すぐ戻るわ!」
リーザは通信機を握りしめる。
祭壇の奥の扉の封印は、解かれているようだった。
だが、魔水晶のかけらがこの先のどこにあるのかも分からない。
探索する猶予はない。
リーザは振り返らなかった。
「カストール、行くわよ!」
彼女は出口へ走り出す。
その背中へ、カストールは手を伸ばしかけた。
止めればいい。
腕輪を捨てればいい。
今なら、まだ間に合う。
リーザは、自分を仲間だと思っている。
さっきも守ってくれた。
自分が弱くても、置いていかなかった。
だからこそ。
だからこそ、そのままでは駄目だった。
彼女はまたセドリックの元へ行く。
また国のために戦う。
また誰かのために傷つく。
自分だけを見てはくれない。
カストールは、袖口の下に隠していた黒い腕輪を握りしめた。
黒い紋様が、彼の手首で鈍く光る。
「……リーザ」
「何よ、早くして!」
リーザが振り返る。
その顔には、疑いがなかった。
カストールの喉が震える。
そして、とうとう禁忌の呪詛を絞り出した。
「シャドウ・バインド」
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