第5話「国を売った男」
エスティア王都から遠く離れた火山地帯。
インフェルノバレー。
赤黒い岩山に囲まれた公開広場には、帝国の黒い旗が掲げられていた。
広場の中央に置かれているのは、太い鉄格子で作られた檻。
その中に、一人の女が囚われている。
炎の姫騎士リーザ。
衣服と鎧は傷み、頬には戦いの痕が残っていた。
首には、炎属性の魔力を封じる黒い首輪。
そこから伸びる赤い魔力鎖が、両手両足を鉄檻へ繋いでいる。
額にあるべき炎のティアラは、どこにもなかった。
檻を囲むように、捕らえられたエスティアの兵士や民たちが並ばされている。
「よく見ておけ!」
帝国兵の声が、広場へ響き渡った。
「炎の姫騎士は敗北した!」
誰も顔を上げようとしない。
「エスティアの炎は、すでに帝国のものだ!」
帝国兵の背後にある魔導炉が、赤い光を放っている。
リーザから奪われた炎が、帝国の旗を照らしていた。
その時。
広場の奥から、重い駆動音が響いた。
地面を揺らしながら、一機の魔導装甲機が姿を現す。
通常型よりも一回り大きな機体。
分厚い黒鉄の装甲。
両腕には、巨大なブレード。
胸部に埋め込まれた黒い魔水晶炉の内部で、赤い炎が脈打っていた。
カストール専用の指揮官型魔導装甲機。
機体は鉄檻の前で足を止めた。
だが、操縦席の扉は開かない。
『久しぶりだな、リーザ』
魔導装甲機に備えられた拡声器から、男の声が流れた。
リーザは片膝を立てたまま、黒い機体を見上げる。
「そうね」
乾いた唇が、わずかに笑った。
「わざわざ顔を見せに来たのかと思ったけど――相変わらず、そこから降りる気はないみたいね」
『今の俺には、これがある』
「借り物の鎧で偉そうにされてもね」
カストールは答えなかった。
帝国兵の一人が、檻の前へ木の盆を置く。
水。
硬いパン。
傷を治療するための薬。
どれも、鎖に繋がれたリーザの手が、わずかに届かない場所へ置かれた。
『もう何日も、ろくに食べていないそうだな』
「それが?」
『意地を張る必要はない。俺に助けを求めればいい』
リーザの目が細くなる。
『俺が必要だと言え。そうすれば食事も水も与える。治癒術師にも診せてやる』
短い沈黙。
やがてリーザは、心底呆れたように息を吐いた。
「あんた、バカぁ~?」
帝国兵たちがざわめく。
「食事と薬を人質にしなきゃ必要とされない時点で、答えは出てるでしょうが」
カストールの機体から、低い駆動音が漏れた。
『まだ、その目をしているのか』
「どんな目よ?」
『俺を見下す目だ』
指揮官機が、一歩だけ鉄檻へ近づいた。
『だが、もうお前は誰かに守られる側だ。俺に逆らわず、俺のそばにいればいい』
「檻に入れて、鎖で繋ぐことを、守るとは言わないわよ」
『俺なら、お前を生かしておける』
「その前に、この国を売ったのは誰だったかしら?」
『俺は、力を手に入れたんだ!』
拡声器から流れる声が、広場へ響く。
『帝国も、この魔導装甲機も、今の俺にはある。もう、お前の後ろに隠れるだけの男じゃない!』
リーザの表情が変わった。
『覚えているだろう。ソルフレア迷宮で、お前は言った』
カストールの声が低くなる。
『――「セドリックなら大丈夫」と』
リーザは何も答えない。
『お前は、王都をセドリックへ任せた。だが俺には、「あたしの後ろについて」と命令した』
機体の両腕に備えられたブレードが、わずかに震える。
『最初から、お前は俺を見下していた。セドリックは信頼できる。だが俺は、守ってやらなければ何もできない男だと』
「違う」
『何が違う!』
リーザは、鎖を鳴らしながら立ち上がった。
封炎の首輪が赤黒い光を放つ。
身体から力を奪われても、その眼差しだけは揺らいでいなかった。
「あんたが戦えないから庇ったんじゃない」
鉄格子の向こう。
分厚い装甲の奥にいるカストールを、真っ直ぐ見据える。
「仲間だから、死なせたくなかっただけよ」
広場に、沈黙が落ちた。
カストールは何も言わない。
「セドリックには、王都を任せた。あんたには、あたしのそばにいてほしかった」
リーザの声が、わずかに柔らかくなる。
「あの時は、あんたも大切な仲間だったからよ」
『仲間……』
カストールが、低く繰り返す。
『それだけか』
「何を言ってるの?」
『結局、お前は俺を必要としていなかった!』
リーザの言葉は、届かなかった。
『俺は、ただの仲間でしかなかった。セドリックの代わりにもなれない。お前に守られなければ、生き残ることすらできない男だった!』
「誰も、そんなことは言ってないでしょう!」
『だったら言え!』
カストールの声が、歪んだ。
『俺が必要だと。俺に守ってほしいと、そう言え!』
リーザはしばらく、黒い機体を見つめていた。
やがて、静かに首を横へ振る。
「あんたが欲しいのは、仲間じゃない」
『何だと?』
「あたしに必要とされたいんじゃない。あたしを従わせたいだけよ」
リーザは赤い鎖を握り締めた。
「だから、あたしが何を言っても、もう聞こえないのよ」
カストールの機体が、さらに一歩踏み出そうとした。
その時。
『カストール様、緊急報告です!』
指揮官機の通信魔導器から、帝国兵の声が響いた。
『王都近郊の検問所で、避難民が逃亡しました。正体不明の二人組が、帝国兵を妨害したとのことです』
『二人組?』
『はい。どちらも女です。一人は光属性の魔力を宿した剣を使用。もう一人は、周囲の兵士と魔導装甲機の動きを遅らせたと――』
リーザの表情は変わらなかった。
ただし。
赤い鎖の陰で伏せられていた指が、ほんのわずかに動いた。
『光と、時間……』
カストールが呟く。
そして、低く笑った。
『姫騎士か』
『追撃部隊を向かわせますか?』
『いや』
黒い指揮官機が、鉄檻の中のリーザへ向き直る。
『そいつらを殺すな。俺のところまで泳がせろ』
『よろしいのですか?』
『構わない。接触した者を監視し、協力者をすべて洗い出せ』
カストールの声には、もう苛立ちはなかった。
獲物を待つ者の冷たい愉悦があった。
『そして、全区画へ布告を出せ』
広場にいた帝国兵たちが姿勢を正す。
『三日後の正午。この広場で、炎の姫騎士と反逆者たちの公開処刑を行う』
帝国兵が通信魔導器の向こうで動揺する。
『暗黒の姫騎士様は、姫騎士を絶対に殺すな、と……』
『ええい!黙れ、黙れ!!ここでは俺が法だ!いいか、この件を本国へ報告するなよ!破った者はどうなるか、分かるな!』
捕らわれた民たちの間に、動揺が走った。
すすり泣く声。
息を呑む音。
それらを聞きながら、カストールは続ける。
『リーザを助けたい者がいるのなら、必ず姿を現す。皆殺しにしてやる』
指揮官機が背を向ける。
最後まで、操縦席が開くことはなかった。
重い足音を響かせながら、黒い機体が広場を去っていく。
リーザは、遠ざかる背中を黙って見つめていた。
光を使う剣士。
兵士たちの動きを遅らせた女。
今まで、数々の姫騎士たちが囚われた悲報ばかり聞かされてきた。
だが、残された姫騎士たちもいたらしい。
リーザの瞳に、希望という炎が、わずかに灯った。
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