第4話「朝焼け亭」
エスティア王都南門。
日はすでに傾き、灰色の空が薄暗く染まり始めていた。
城壁の上では、ガルギア帝国の黒い旗が風に揺れている。
門の前には長い列。
荷物を調べられる商人。
通行証を見せる市民。
門の両脇には、二足歩行型の魔導装甲機が一機ずつ立っていた。
「あそこを正面から通るのは無理ですわね」
岩陰から門を観察していたディートリーゼが、扇子を閉じた。
「顔を隠していても、あなたの剣とティアラまで詳しく調べられれば終わりですの」
「別の入口を探しましょう」
「最初からそのつもりですわ」
レフィーナは外套の下で、左肩を押さえた。
検問所で開いた傷は、まだ血が止まり切っていない。
腕を動かすたび、肩の奥へ鋭い痛みが走る。
「また傷を隠していますわね?」
「隠してはいません」
「では、その手は何ですの?」
「押さえています」
「言葉遊びをしている場合ではありませんわ!」
ディートリーゼはレフィーナの顔を覗き込んだ。
「顔色まで悪くなっていますのよ」
「朝焼け亭へ着くまでは大丈夫です」
「着いた途端に倒れる方の言い方ですわね……」
二人は、周囲を巡回する帝国兵をかわしつつ、城壁沿いを西へ進んだ。
やがて二人は、半ば瓦礫に埋もれた古い排水路を見つけた。
鉄格子は歪み、人が一人通れるほどの隙間が開いている。
「ここから入れそうです」
鉄格子の隙間を通り抜け、二人は暗い排水路を進んだ。
やがて前方に、格子越しの光が見えてくる。
その先は、王都南区の裏路地だった。
* * *
占領された王都は、ひどく静かだった。
建物の多くには、火災で焼けた跡が残っている。
閉ざされた店。
割れた窓。
壁から削り取られた、炎を象るエスティア王家の紋章。
代わりに貼られているのは、帝国軍の布告だった。
武器の所持を禁ずる。
許可なき集会を禁ずる。
反乱への協力者は、家族を含め処罰する。
道を歩く人々は、誰も顔を上げようとしない。
レフィーナは、頭巾の奥で唇を噛んだ。
「イルファリアと、同じです」
「ええ、だからこそ、急ぎますわよ」
ディートリーゼは前を向いたまま答えた。
「ここで感情に任せて戦えば、朝焼け亭へ辿り着く前に捕まりますの」
路地の角から、帝国兵の話し声が聞こえた。
二人は反対側の細道へ入る。
壊れた荷車の陰へ隠れ、帝国兵が通り過ぎるのを待つ。
遠回りを繰り返しながら、南区の奥へ進んだ。
その途中。
レフィーナの足が、わずかにもつれた。
「レフィーナ?」
「大丈夫です」
ディートリーゼが、レフィーナの外套へ目を向ける。
左肩の布が、血で黒く濡れていた。
「どこが大丈夫ですの!」
「声が大きいです」
「誰のせいですのよ!」
ディートリーゼはレフィーナの右腕を自分の肩へ回した。
「歩けます」
「知っていますわ。ですが、今はわたくしにつかまりなさいな」
「でも――」
「反論は禁止ですわ!」
レフィーナは少し迷い。
やがて、ディートリーゼへ身体を預けた。
「ありがとうございます」
「礼を言うくらいなら、次からは傷が開いた時点で申し出てくださいまし」
「はい」
二人は肩を寄せ合い、夕闇の路地を進んだ。
やがて、通りの端に小さな看板が見えてきた。
「朝焼け亭……」
レフィーナが呟く。
ディートリーゼは周囲を確認した。
帝国兵の姿はない。
「入りますわ」
* * *
扉を開けると、鈴が小さく鳴った。
並んだテーブルの多くは空いている。
隅では数人の冒険者らしき男たちが、声もなく酒を飲んでいた。
カウンターの奥に立つ店主が、二人へ目を向ける。
がっしりとした体格の中年男。
「旅人か?」
「ええ」
ディートリーゼが答える。
「二人分の食事と、休める部屋をいただけるかしら」
「通行証は?」
「持っていませんわ」
店主の目が鋭くなった。
「なら、帝国兵に見つかる前に出ていくんだな」
ディートリーゼはカウンターへ近づく。
声を落とした。
「ここに、知恵の火があると聞きましたの」
店主の動きが止まった。
店の隅にいた男たちも、酒杯を持つ手を止める。
短い沈黙。
「誰から聞いた?」
「王都の外で出会った避難民ですわ」
「名前は?」
「聞いていませんの」
「それで、俺たちが信じると思うか?」
店主の手が、カウンターの下へ伸びた。
武器を隠している。
ディートリーゼも、閉じた扇子へ指を添えた。
レフィーナが一歩前へ出る。
「帝国軍の検問所で、避難民の方々が水と食料を奪われていました」
店主は黙っている。
「私たちは、その人たちを逃がしました。そこで、この店と合言葉を教えて頂いたんです」
「検問所を襲った二人組か」
隅の男が低く言った。
「帝国兵が騒いでいた。光を使う剣士と、妙な術を使うローブ姿の女だとな」
「妙な術とは失礼ですわね!」
ディートリーゼが思わず声を上げる。
店主は、レフィーナの肩へ視線を止める。
外套から、血が床へ一滴落ちた。
「まず、その傷を見せろ」
「大丈夫です」
「大丈夫な人間は、立ったまま血を流さん」
「同感ですわ」
ディートリーゼが即座に答えた。
「こっちだ」
店主はカウンターの奥にある扉を開いた。
二人は狭い廊下へ通される。
その先は、酒樽の並ぶ地下貯蔵庫だった。
店主が壁の燭台を横へ倒す。
石壁が、低い音を立てて動き、奥に階段が現れる。
「ついてこい」
* * *
階段の先には、酒場の外観からは想像できない広い地下室があった。
壁には王都の地図。
机の上には、帝国軍の配置を書き込んだ紙。
棚には剣、弓、薬品、保存食が並べられている。
十人ほどの男女が、一斉にこちらを見た。
無言の問いに、店主は答えた。
「検問所の避難民を逃がした二人だ。治癒術師を呼べ」
奥から、年配の女性が駆け寄ってきた。
「こちらへ」
レフィーナは椅子へ座らされる。
外套を脱ぎ、防具を外す。
包帯は血を吸い、傷口へ貼りついていた。
「キュアウーンズ」
治癒術師の魔法が、柔らかい光でレフィーナを包み、傷を癒す。
その女性が、眉をひそめる。
「これは今日できた傷じゃないね」
「暗黒の姫騎士との戦いで負いました」
地下室の空気が変わった。
「暗黒の姫騎士だって?」
レフィーナは頭巾を下ろした。
金髪が肩へ流れ落ちる。
額には、銀色の細身のティアラ。
中央の水晶が、淡い光を放っていた。
地下室にいた者たちが息を呑む。
「光のティアラ……」
「まさか……」
レフィーナは、真っ直ぐ店主を見る。
「イルファリア王国第二王女、光の姫騎士レフィーナです」
次に、ディートリーゼが頭巾を外した。
「そして、こちらは時の姫騎士ディートリーゼさんです」
店主が重い声で尋ねる。
「二人の姫騎士が、なぜエスティアへ?」
「炎の姫騎士リーザさんを救うためです」
レフィーナは迷わず答えた。
「リーザさんが、この国のどこかで生きていることは分かっています。でも、正確な居場所が見えません」
「だから、エスティアの抵抗組織を探していましたの」
ディートリーゼが続ける。
「あなた方なら、何かご存じではなくて?」
「リーザは、確かに生きています」
奥から、男の声がした。
レジスタンスたちが道を空ける。
地下室の奥から、一人の青年が姿を現した。
疲れの残る顔には、それでも揺るがない意志があった。
青年はレフィーナの前へ立つ。
「オレはセドリック。エスティア・レジスタンスの指揮を執っています」
「セドリックさん……」
「リーザを救いたいなら、知っておいてほしいことがあります」
「何ですか?」
「この国を帝国へ売り渡したカストールという男」
セドリックの手が、強く握られる。
「王都を陥落させ、リーザを帝国へ差し出したのは――オレとリーザの幼馴染なのです」
お読み頂き、ありがとうございます。
更新は奇数日を予定しています。
レフィーナの旅の続きを追ってくださる方は、ブックマーク登録と更新通知の設定をご利用ください。
感想や評価を頂けると、今後の執筆の励みになります。
どうぞ宜しくお願い致します。




