第3話「帝国軍検問所」
「これは、魔水晶のかけらですわ」
ディートリーゼは、レフィーナの手の中にある水晶を見つめていた。
透き通った内部で、炎のような魔力が静かに揺らめいている。
「魔水晶のかけら……」
「ええ。姫騎士のティアラへ装着し、その力を強めるものですの」
ディートリーゼは祭壇の壁面に刻まれた古代文字へ目を向ける。
「この水晶には、強い炎属性の魔力が宿っていますわ。おそらく、炎のティアラのために残されたものでしょうね」
「リーザさんのティアラを、強くできるんですね」
「ティアラが手元にあれば、ですけれど」
レフィーナは水晶を両手で包み込んだ。
手のひらへ伝わる温もりは弱い。
それでも、消えかけた赤い灯火とは違い、その内側には確かな炎が残っていた。
「必ず、リーザさんへ届けます」
「その前に、わたくしたちが迷宮から出なければなりませんわ」
ディートリーゼは水晶を布で包み、レフィーナへ返した。
「なくさないよう、厳重にしまっておきなさいな」
「はい」
二人は来た道を引き返した。
何度か見覚えのある通路へ戻り。
何度かディートリーゼが、計画的な経路確認だと言い張り。
ようやく、地上へ続く石段を見つけた。
* * *
ソルフレア迷宮を出ると、空は薄い灰色に覆われていた。
風に混じって、火山灰が舞っている。
遠くには、エスティア王都の城壁が見えた。
「行きますわよ」
ディートリーゼがローブの頭巾を深くかぶった。
「今のわたくしたちは、帝国軍から見れば不審な旅人ですの。あなたもティアラと顔を隠しなさいな」
「はい」
レフィーナも外套を羽織り、頭巾の奥へ銀色のティアラを隠した。
二人は王都へ続く街道を進んだ。
しばらく歩くと、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「通行許可証がない者は、通さんぞ!」
街道の途中に、木材と鉄柵で作られた検問所が設けられている。
帝国兵たちが、王都から逃れてきた避難民を足止めしていた。
荷車の周囲には、袋から取り出された食料が積み上げられている。
水の入った革袋。
乾燥させた肉。
わずかな小麦。
どれも、避難民たちが持っていたものだった。
「これは帝国軍が徴収する」
「そんな……!」
幼い子供を抱いた女性が、帝国兵へすがった。
「せめて、水だけでも返してください。この子は昨日から、ほとんど飲んでいないんです」
「黙れ!」
兵士が女性を突き飛ばす。
「ここを通りたければ、通行税を払え。払えない者は引き返せ」
「食料も金も、全部おまえたちが奪ったんじゃ!」
一人の老人が抗議する。
帝国兵は、老人の腹を槍の柄で殴りつけた。
老人が地面へ倒れる。
レフィーナは街道へ踏み出そうとした。
「待ちなさいな」
その外套を、ディートリーゼが掴む。
「ここで正体が知られれば、リーザの救出前に包囲されますわ」
検問所の奥には、巨大な人型の魔導兵器が立っていた。
金属装甲に覆われた二足歩行型。
両腕には、手の代わりに巨大な刃が取り付けられている。
今は動いていない。
だが胸部の魔導炉には、炎の光が脈打っていた。
「あれまで動き出せば、負傷したあなた一人では戦い切れませんのよ」
レフィーナは肩へ手を添えた。
まだ傷は塞がっていない。
戦えば、また開く。
それでも。
地面に倒れた老人を、子供を抱きしめる女性を、見ないふりはできなかった。
「でも、目の前で困っている人を見捨てる理由にはなりません」
「……でしょうね」
ディートリーゼは、諦めたように息を吐いた。
「あなたなら、そう答えると思っていましたわ」
閉じた扇子を掲げる。
扇子の柄が伸び、先端に砂時計型の宝石を持つ杖へ変わった。
「正面から戦ってはなりませんわよ」
「はい」
「避難民を逃がすことだけ考えなさいな」
「はい!」
レフィーナは外套の内側で剣を抜いた。
刀身へ、光の魔力を集中させる。
「ルミナス・エンチャントブレード!」
淡い光が、剣を包み込んだ。
レフィーナは街道脇の岩場へ駆け上がる。
帝国兵の一人が、その姿に気づいた。
「何者だ!」
レフィーナは剣を振り上げた。
刀身に集めた光を、一気に膨らませる。
白い閃光が、帝国兵の目を眩ませる。
「うわっ!」
「目が……!」
帝国兵たちが顔を押さえる。
魔導装甲機の視界用魔導硝子も、突然の光を受けて白く明滅した。
「今ですわ!」
ディートリーゼが杖を振るう。
「クロックディビエーション!」
砂時計型の宝石から、淡い紫色の波紋が広がった。
帝国兵たちの動きが鈍る。
抜きかけた剣。
こちらへ向けようとした槍。
避難民を掴もうと伸ばした手。
そのすべてが、一拍ずつ遅れていく。
レフィーナは岩場から飛び降りた。
帝国兵の間を駆け抜ける。
剣で斬ったのは、兵士ではない。
奪われた荷物を縛っていた縄。
街道を塞ぐ木の柵。
避難民の荷車へ繋がれた鎖。
「今のうちに逃げてください!」
避難民たちは、一瞬動けなかった。
「早く!」
レフィーナの声に押され、女性が地面の革袋を拾い上げる。
老人へ若者たちが肩を貸す。
奪われた食料を荷車へ戻し、一斉に街道脇の細道へ走り出した。
「逃がすな……!」
帝国兵の一人が、遅滞した時間の中で剣を振り上げる。
レフィーナはその懐へ踏み込み、剣の柄で手首を打った。
武器が地面へ落ちる。
だが、その衝撃が肩の傷へ響いた。
「っ……!」
服の下で、傷口が開く。
包帯へ温かいものが滲んだ。
「レフィーナ!」
「まだ、です!」
レフィーナは痛みを押し込み、最後に残った荷車を押した。
細道へ向かって、大きく転がす。
その時。
検問所の奥から、重い駆動音が響いた。
魔導装甲機の胸部が強く光る。
地面を揺らし、金属の脚が一歩を踏み出した。
時間を遅らされていても、完全に停止してはいない。
巨大な腕部ブレードが、ゆっくりと持ち上がっていく。
「長くは持ちませんわ!」
ディートリーゼが叫ぶ。
「全員、逃げました!」
「なら、わたくしたちも退きますわよ!」
二人は避難民たちの後を追い、街道脇の岩場へ飛び込んだ。
直後。
魔導装甲機の刃が振り下ろされる。
木柵と地面が、まとめて砕けた。
* * *
岩山の陰まで逃げたところで、避難民たちは足を止めた。
「本当に、ありがとうございました」
子供を抱いた女性が、レフィーナたちへ頭を下げる。
「あなたたちは……姫騎士様の仲間なのですか?」
レフィーナは答えかけた。
だが、ディートリーゼが小さく首を振る。
「ただの旅人ですわ」
「その割には、ずいぶん派手な旅人ですな」
老人が、腹を押さえながら笑った。
その表情が、すぐに真剣なものへ変わる。
「王都へ向かうつもりなら、南区にある冒険者の酒場を訪ねなされ」
「冒険者の酒場?」
「朝焼け亭という店ですじゃ」
老人は周囲へ目を配り、声を落とした。
「店主に、こう言いなされ。――『知恵の火』と」
「知恵の火……」
「それが、エスティアを諦めていない者たちへ繋がる合言葉ですじゃ」
ディートリーゼの目が、わずかに細くなった。
「なぜ、それをわたくしたちへ?」
「目の前で困っている人を見捨てない者なら、信じてよいと思ったからじゃ」
老人は、レフィーナを見ていた。
「ありがとうございます。必ず訪ねます」
「どうか、お気をつけて」
避難民たちは荷車を引き、岩山の間を抜けていった。
女性に抱かれた子供が、何度もこちらへ手を振っている。
レフィーナも、小さく手を振り返した。
やがて、その姿が見えなくなる。
「行きますわよ、レフィーナ」
「はい」
二人は人目を避け、別の街道から王都へ向かった。
灰色の空の下。
帝国の黒い旗が掲げられたエスティア王都が、次第に大きくなっていった。
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