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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第3章 時空の塔の姫騎士

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第20話「帰る場所」

 翌朝。


 塔を取り巻く時空乱流は、少しだけ弱まっていた。


 完全に収まったわけではない。


 塔の外を見れば、海の波が、時折不自然に止まり、遠くの雲も、一部分だけが取り残されたように動かない。


 それでも、イースランドからポートハーベンへ戻る航路だけは、どうにか安定していた。


「短い航路なら問題ありませんわ」


 ディートリーゼはそう言って、レフィーナを塔の下層へ連れてきた。


「あの少年は、もう帰っても大丈夫ですわ」


「はい」


「今後のわたくしたちの旅は危険ですから、同行はできませんわ」


「はい」


「今日は妙に素直ですわね」


「昨日、たくさん怒られましたから」


「でしたら、もっと早く学習してくださいまし」


 レフィーナは。


 少しだけ笑った。


 その顔を見て。


 ディートリーゼは、一瞬だけ視線を逸らした。


 昨夜。


 この少女の寝台の横で。


 短剣を振り上げたことを。


 レフィーナは知らない。


「……?」


「何でもありませんわ」


 ディートリーゼは扇子を開いた。


「行きますわよ」


     * * *


 塔の下層。


 客室の扉を開くと。


 一人の少年が立ち上がった。


「レフィーナ!」


「マークさん……!」


 マークだった。


 駆け寄ろうとして。


 レフィーナは一歩目で顔をしかめる。


「いたっ……」


「お、おい!」


 マークが慌てて近づく。


「無理するなよ!」


「だ、大丈夫です」


「その言い方する人、大体大丈夫じゃないんだよ」


「まあ!」


 ディートリーゼが扇子の陰から口を挟む。


「よく分かっていますわね!」


「ディートリーゼさん!」


「事実ですわ」


 マークは苦笑した。


 けれど、すぐにその表情が和らぐ。


「無事だったんだな」


「……はい」


「あのまま戻ってこないから、心配したぞ」


「ごめんなさい。私、ディートリーゼさんと旅に出ることになりました」


「そうなのか……」


 レフィーナは、少しだけ目を伏せた。


 時空の塔へ来てから、長い時間が過ぎたわけではない。


 けれど。


 あまりにも多くのものを見た。


 未来の滅び。


 占領された故郷。


 暗黒の姫騎士。


 自分たちの光が、まるで届かない闇。


 そして今、目の前には、ポートハーベンからここまで自分を連れてきてくれた少年がいる。


 その顔を見ただけで、胸の奥が少しだけほどけた。


「マークさん」


「ん?」


 レフィーナは、深く頭を下げた。


「ありがとうございました」


「え?」


「ここまで連れてきてくれて」


 一つ。


「待っていてくれて」


 もう一つ。


「それに」


 顔を上げる。


「私を信じてくれて」


「……」


 マークは、しばらくレフィーナを見ていた。


 それから、小さく首を振った。


「まだ早いよ」


「え?」


「礼は、無事に帰ってきてから」


 レフィーナの瞳が揺れる。


「前にも言っただろ?」


 マークは笑った。


「だから」


 一拍。


「ちゃんと帰ってこいよ」


「……はい」


 胸が少し熱くなる。


 レフィーナは、今度は、はっきりと頷いた。


「必ず」


 マークも頷く。


 そのやり取りを、ディートリーゼは、少し離れた場所から見ていた。


 ――帰ってこい。


 随分と簡単に、この少年は言う。


 未来を知らない。


 レフィーナが何になるかも。


 あの滅びも。


 暗黒の姫騎士の力も。


 何も知らない。


 それでも、帰ってくると信じている。


 その信頼が、ディートリーゼには少し眩しかった。


 マークが、ディートリーゼに向き直った。


「時の姫騎士様」


「……何ですの?」


「レフィーナを、頼みます」


「……」


 ディートリーゼの手が、わずかに止まった。


 昨夜。


 短剣を持って、眠るレフィーナの前に立った。


 今なら殺せると。


 そう考えていた自分に、この少年はレフィーナを頼むと言う。


 ――わたくしに。


 そんな資格があるのか。


 答えはすぐには出なかった。


 けれど、黙ったままでいるわけにもいかない。


 ディートリーゼは、扇子を大きく開いた。


「おーっほっほ!」


 塔の中へ、高笑いが響く。


「頼まれなくとも!」


 いつもの調子で胸を張る。


「わたくしは、時の姫騎士ですわ!」


 その言葉は完全な嘘ではなかった。


 けれどまだ、すべて本心とも言えなかった。


 それでも昨日までよりは、少しだけ本当の言葉になっていた。


     * * *


 塔の入口から外へ出ると、潮の匂いがした。


 イースランドの岩場。


 その先に、マークの小さな船が繋がれている。


「航路は調整してありますわ」


 ディートリーゼが海を指す。


「この流れから外れなければ、ポートハーベンまで戻れますの」


「分かった」


「寄り道は禁止ですわよ」


「しないよ」


「海鳥が逆向きに飛んでいても追いかけないこと」


「追いかけないって」


「空から魚が降ってきても拾って食べては駄目ですわ」


「食べないよ!」


「ならよろしいですわ」


 レフィーナが、くすりと笑った。


「何ですの?」


「いえ。ディートリーゼさん、心配性なんですね」


「違いますわ!」


「そうなの?」


 マークが笑う。


「違いますの!」


 ディートリーゼは、ふん、と顔を逸らした。


 マークが船へ乗り込む。


 帆を確認し、縄を解いた。


 ゆっくりと、小さな船が岸を離れていく。


「マークさん!」


 レフィーナが呼んだ。


 船の上でマークが振り返る。


「必ず帰ります!」


 迷いなく、そう言った。


 マークは大きく手を上げた。


「待ってる!」


「……!」


 風が吹いた。


 帆が膨らむ。


 船が。


 少しずつ遠ざかっていく。


 レフィーナは、岩場に立ったままその姿を見送った。


 小さくなって。


 やがて。


 海の向こうへ消えるまで。


「……」


 胸の奥が少しだけ痛んだ。


 寂しい。


 けれど、それだけではなかった。


 待っている。


 そう言ってくれる人がいる。


 帰ってこいと。


 当たり前のように言ってくれる人がいる。


 ポートハーベン。


 ランドルフ。


 マーク。


 そして、まだ取り戻してはいないイルファリア。


 帰りたい場所がある。


 帰ってきてほしいと願ってくれる人がいる。


 それは、思っていたよりも、心を支えてくれるものだった。


 レフィーナは、包帯の巻かれた手を胸へ当てた。


 未来がどれほど恐ろしくても、どれほど強い敵が待っていても、帰る場所がある。


 なら、そこへ帰るために進める。


 ディートリーゼが、少し離れた場所から声をかけた。


「レフィーナ」


「はい」


「行きますわよ」


 レフィーナはもう一度だけ、船の消えた海を見る。


 そして、振り返った。


「はい!」


 二人の背後には、時空の塔。


 その中では赤い灯火が、今も弱く燃えている。


 炎の国。


 エスティア。


 そこで、一人の姫騎士が助けを待っている。


 レフィーナは。


 剣の柄に手を置いた。


 包帯の下の傷が、わずかに痛む。


 それでも、歩ける。


 まだ、進める。


「リーザさんを、助けに行きましょう」


 ディートリーゼは扇子を開く。


「ええ」


 そして、いつものように、少しだけ得意げに笑った。


「炎の国へ向かいますわよ」


 二人は、時空の塔へ戻っていく。


 帰る場所を、胸に抱きながら。

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2~3回を目安に予定しています。

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