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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第3章 時空の塔の姫騎士

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第19話「もう少しだけ」

 その夜。


 時空の塔は、静かだった。


 どこか遠くで、巨大な歯車が、ゆっくりと回っている。


 カチ。


 カチ、カチ――。


 廊下の壁に埋め込まれた水晶は、淡い光を放っている。


 窓の向こうでは、星のような光の流れが、音もなく横切っていた。


 ディートリーゼは、一人で、廊下に立っていた。


 目の前には、レフィーナが眠る客室の扉。


「……」


 右手には、小さな短剣が握られていた。


 最初に出会った時、レフィーナへ向けたものと、同じ短剣。


 冷たい白い刃が、水晶の光を受けて、かすかに輝く。


 ディートリーゼは、短剣に目を落とした。


 昼間の言葉が、耳の奥に残っている。


『私は、リーザさんを助けたいです』


 あれほどの目に遭ったのに、変わらなかった。


 いや。


 本人は、変わったと言った。


『今の私は、あの人には届きません』


『だから、強くなりたいです』


『一人では無理でも、みんなでなら、届くかもしれません』


「……」


 強くなる。


 仲間を集める。


 姫騎士たちを救う。


 それは、帝国へ抗うためなら正しい。


 暗黒の姫騎士へ届くためにも。


 きっと必要なこと。


 けれど。


 ディートリーゼは知っている。


 その先に、何が待っているのかを。


 砕けた世界樹。


 滅びた大地。


 黒く濁ったティアラ。


 そして。


 レフィーナの姿をした、大魔王。


「このまま進ませれば……」


 声が、小さく漏れた。


「本当に、あの未来へ近づくかもしれませんわ」


 昼間。


 自分は言った。


 分かった、と。


 監視する、と。


 そう言って、レフィーナが先へ進むことを認めた。


 けれど。


 それでいいのか。


 ディートリーゼは、短剣を握る指に力を込めた。


 イルファリアで、機会はあった。


 自分は、何もしなくてよかった。


 暗黒の姫騎士に任せておけば。


 レフィーナは、そこで終わっていた。


 絶対の未来も、そこで途切れていたかもしれない。


 なのに。


 自分は、手を伸ばした。


『レフィーナ!』


 今でも、あの瞬間の感触を覚えている。


 握った手。


 細い指。


 震えていた、自分の手。


「わたくしは……」


 ディートリーゼは目を伏せる。


「レフィーナを、見捨てることができませんでしたわ」


 言葉にした瞬間。


 胸の奥が、わずかに痛んだ。


 否定できない。


 もう、ただの観測対象ではない。


 未来を変えるための駒でもない。


 少なくとも、あの場で見捨てられないほどには、この少女を知ってしまった。


「でしたら……」


 扉を見る。


「やるなら、今しかありませんわ」


 これ以上。


 一緒にいれば。


 また食卓を囲むかもしれない。


 また笑いかけられるかもしれない。


 また。


 自分のことを優しいなどと言われるかもしれない。


「この先……」


 短剣を持つ手が、わずかに震えた。


「もっと情が移ってしまうかもしれませんもの」


 だから。


 今。


 まだ、できるうちに終わらせる。


 未来を変えるために。


 世界を救うために。


 ディートリーゼは、静かに扉に手をかけた。


     * * *


 扉が。


 音もなく開いた。


 客室は薄暗い。


 窓の外を流れる星の光だけが。


 寝台を淡く照らしていた。


 レフィーナは。


 眠っている。


 呼吸は静かだった。


 まだ身体には傷が残っている。


 両手には包帯。


 顔色も完全には戻っていない。


 ディートリーゼは、ゆっくりと寝台へ近づいた。


「今なら……」


 短剣を見つめる。


「時を止めるまでもありませんわね」


 眠っている。


 抵抗されることはない。


 自分なら。


 一瞬で終わらせられる。


 苦しませる必要もない。


 それが一番いい。


 そう思わなければならない。


 暗黒の姫騎士に奪われる前に。


 帝国に利用される前に。


 大魔王に呑まれる前に。


 レフィーナが、誰かを傷つける前に。


 短剣を持つ手が、ゆっくりと上がる。


 白い刃が、星の光を受けた。


「……」


 レフィーナは。


 何も知らずに眠っている。


 ――違う。


 ディートリーゼは。


 そう思った。


 何も知らないわけではない。


 未来を見た。


 自分が世界を滅ぼす姿を。


 故郷を見た。


 帝国に蹂躙されたイルファリアを。


 闇を見た。


 自分たちでは届かないほどの。


 暗黒の姫騎士を。


 それでも、この少女は助けに行くと言った。


「迷っては……」


 ディートリーゼは、自分に言い聞かせる。


「駄目ですわ」


 刃が。


 少しずつ下を向く。


「わたくしが迷えば」


 一拍。


「世界が――」


 その時だった。


 レフィーナの指先が、かすかに動いた。


「……!」


 ディートリーゼの手が止まる。


 レフィーナは起きていない。


 眠ったまま。


 手探りするように、枕元へ指を伸ばしている。


 そこには。


 眠る前に外した光のティアラが置かれていた。


 指先が触れる。


 レフィーナは、ティアラを胸元へ引き寄せた。


 両手で、大切なものを抱くように。


「……お姉様……」


 小さな、かすれた寝言。


 ディートリーゼの瞳が揺れた。


 レフィーナは。


 苦しそうに眉を寄せる。


「まだ……」


 一度、息を詰まらせる。


「終わって……ません……」


「……」


 短剣が。


 動かない。


 姉を助けたいと願う少女。


 絶対の未来を知って。


 それでも。


 まだ終わっていないと言う少女。


 根拠などない。


 確信もない。


 ただ。


 諦めていない。


 昼間もそうだった。


 暗黒の姫騎士に、何もできずに負けた。


 それでも。


『強くなりたいです』


 そして。


『みんなでなら、届くかもしれません』


 未来の怪物ではない。


 今ここにいるのは。


 姉を助けたくて。


 誰かを見捨てたくなくて。


 怖いまま。


 それでも前へ進もうとしている、ただの少女だった。


「……卑怯ですわ」


 ディートリーゼは。


 短剣を下ろした。


「そんな寝言を聞かされては……」


 眠るレフィーナを見つめる。


 さっき。


 今しかないと思った。


 この先。


 もっと情が移る前に、終わらせなければならないと。


 なのに。


 もう、遅かったのかもしれない。


「わたくしも」


 ディートリーゼは。


 短剣をローブの内側へ戻す。


「簡単には、決められませんわね」


 レフィーナは、何も知らずに眠っている。


 胸元には、光のティアラ。


 その光が、弱く温かく、少女の指の間から漏れていた。


 未来では、黒く濁るはずの光。


 けれど、今はまだ違う。


 ディートリーゼは、扇子で口元を隠した。


「もう少しだけ」


 誰に言うでもなく、小さく呟く。


「もう少しだけ」


 眠るレフィーナを見つめる。


「見極めて差し上げますわ」


 そして。


 静かに部屋を出た。


 扉が、音もなく閉じる。


 廊下には、また時計の音だけが残った。

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2~3回を目安に予定しています。

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どうぞ宜しくお願い致します。

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