第18話「五つの灯火」
レフィーナが目を覚ました時。
最初に聞こえたのは、時計の音だった。
カチ。
カチ、カチ――。
規則正しいはずなのに。
どこか遠い。
まるで、水の底から聞こえてくるようだった。
「……っ」
まぶたを開く。
身体が重い。
息を吸っただけで、胸の奥が痛んだ。
少し身じろぎすると。
肩と背中に、鋭い痛みが走る。
「動かないでくださいまし」
すぐそばから声がした。
「無茶をした直後ですのよ」
レフィーナは。
ゆっくりと顔を向けた。
寝台の横。
椅子に座るディートリーゼがいた。
扇子を膝の上に置き。
薄紫の髪は、いつもより少し乱れている。
その瞳の下には。
薄く疲れが残っていた。
レフィーナには。
すぐに分かった。
――眠っていない。
「ディートリーゼさん……」
かすれた声が出る。
そして。
レフィーナは、少しだけ笑った。
「無事だったんですね」
「……」
ディートリーゼが目を瞬いた。
何か言われると思っていた。
なぜ、あの場所へ連れて行ったのか。
なぜ、あんな危険な目に遭わせたのか。
そんな言葉を。
どこかで待っていた。
けれど。
レフィーナが最初に気にしたのは。
自分の傷ではなく。
ディートリーゼのことだった。
「お、おーっほっほ!」
ディートリーゼが慌てて扇子を広げる。
「当然ですわ! わたくしを誰だと思っていますの!」
レフィーナは小さく頷いた。
「時の姫騎士様、です」
「……分かっていれば、よろしいですわ」
扇子で。
口元を隠す。
レフィーナは、天井を見上げた。
白い石の壁。
窓の向こうを流れる、星のような光。
時空の塔。
イルファリアではない。
灰色の空も。
崩れた街も。
暗黒の姫騎士の闇もない。
そのことを理解した途端。
記憶が、一気に戻ってきた。
帝国兵。
少年。
ルミナス・エンチャントブレード。
暗黒の姫騎士。
振ることすらできなかった剣。
押し潰された光。
黒い重力。
「私……」
レフィーナは。
包帯の巻かれた両手を見た。
「負けたんですね」
小さな声だった。
ディートリーゼは答えない。
答えなくても。
分かっていた。
「あの人に……」
包帯の下で、指を握る。
「何もできませんでした」
「当然ですわ」
レフィーナが顔を上げる。
「当然……ですか?」
「ええ」
ディートリーゼは扇子を閉じた。
「あれは、今のあなたが正面から挑んで、どうにかなる相手ではありませんの」
「……」
「あなたの光も。飛燕剣も。勇気も」
一拍。
「全部まとめて、真正面から押し潰されましたわ」
厳しい言葉だった。
けれど。
そこに嘲りはなかった。
「だからといって、あなたが何もできなかったという話にはなりませんの」
レフィーナが目を上げる。
「でも……」
「守りましたわ」
「……え?」
「あの少年を」
ディートリーゼは。
まっすぐレフィーナを見る。
「あの子が逃げる時間を作ったのは、あなたですの」
帝国兵三人を止めた。
武装を奪った。
少年を、暗黒の姫騎士から逃がした。
「届かなかったことと」
ディートリーゼの声が、少しだけ柔らかくなる。
「何もしなかったことは違いますわ」
「……」
レフィーナの瞳が揺れた。
「ディートリーゼさん……」
「勘違いしないでくださいまし!」
ぱっと扇子が開く。
「慰めているのではありませんわ! 事実を述べただけですの!」
レフィーナは。
弱く笑った。
「はい」
「その『はい』は信用なりませんわね」
けれど。
部屋の空気は。
少しだけ温かくなった。
* * *
しばらくして。
レフィーナは、寝台から身体を起こした。
「何をしていますの!」
ディートリーゼが立ち上がる。
「まだ寝ていなさいな!」
「確認したいんです」
「何をですの?」
レフィーナは。
ディートリーゼを見る。
「あの五つの灯火を」
「……」
扇子が閉じた。
「本当に……」
ディートリーゼはため息をつく。
「諦めが悪い方ですわね」
「すみません」
「謝るくらいなら自重なさいな」
「努力します」
「それも信用なりませんわ」
そう言いながら。
ディートリーゼは、レフィーナへ肩を貸した。
「ありがとうございます」
「転ばれても困るだけですの」
レフィーナは、ゆっくりと立ち上がる。
足元は。
まだ少しふらついた。
それでも。
歩ける。
二人は客室を出た。
* * *
研究室の奥。
大きな水晶球が、淡い光を放つ。
ディートリーゼが手をかざした。
水晶の中に。
五つの光が浮かび上がる。
赤。
青。
緑。
橙。
白。
どの灯火も。
弱い。
けれど。
まだ消えてはいなかった。
レフィーナは。
その中でも、最も不安定な光を見る。
赤。
今にも消えそうに揺れる。
炎の灯火。
エスティアの姫騎士。
リーザ。
「まだ……」
レフィーナは、小さく呟いた。
「燃えています」
「ええ」
ディートリーゼの表情が険しくなる。
「ですが、かなり弱っていますわ」
赤い光が。
また揺れた。
「長くは持たないかもしれませんの」
「助けに行きます」
即答だった。
「あなた!」
ディートリーゼが振り返る。
「自分の状態が分かっていますの!? ついさっきまで気を失っていたのですわよ!」
「分かっています」
「分かっていませんわ!」
ディートリーゼが扇子で額を押さえる。
「しかも昨日、あれほど圧倒的に負けたばかりでしょう!」
「はい」
「そこで素直に頷かないでくださいまし!」
レフィーナは。
赤い灯火を見つめた。
「前にも言いました」
静かな声。
「助けられるかどうかではありません」
包帯の巻かれた手を。
胸の前で握る。
「私は、リーザさんを助けたいです」
「……」
ディートリーゼは黙った。
あれほどの闇を見た。
自分の光が届かない現実を知った。
石畳へ叩きつけられ。
意識を失った。
それでも。
目の前の少女は。
何も変わっていない。
「……本当に」
ディートリーゼが呟く。
「あれだけの目に遭っても、変わりませんのね」
レフィーナは少し考えて。
首を振った。
「いいえ」
「……?」
「変わりました」
レフィーナは。
自分の手を見る。
「今の私は、あの人には届きません」
悔しさはある。
怖さも。
まだ消えていない。
「だから」
顔を上げる。
「強くなりたいです」
赤い灯火を見る。
その隣に。
青。
緑。
橙。
白。
「一人では無理でも」
レフィーナは続けた。
「みんなでなら、届くかもしれません」
ディートリーゼは。
五つの灯火へ目を向ける。
炎。
水。
風。
大地。
聖。
救うことができれば。
大きな力になる。
帝国へ対抗するためにも。
あの暗黒の姫騎士へ挑むためにも。
そして。
未来を変える可能性としても。
何より。
レフィーナは。
あの絶対の未来を知った後でも。
暗黒の闇に叩き潰された後でも。
まだ。
誰かを助けようとしている。
ディートリーゼは。
小さく息を吐いた。
「……分かりましたわ」
「本当ですか?」
「五人の姫騎士を救い、帝国へ対抗する戦力を集める。計算上は、その方が合理的ですもの」
レフィーナの顔が明るくなる。
「では――」
「勘違いしないでくださいまし!」
ディートリーゼが扇子を広げる。
「あなたを信用したわけではありませんの!」
「はい」
「あなたは放っておけば、怪我をしていても、敵が強くても、どこへでも勝手に飛び込んでいくでしょう?」
「……」
「そこで黙らないでくださいまし!」
「否定できなくて……」
「まったく!」
ディートリーゼは。
赤い灯火へ視線を戻す。
「だから、監視しますの」
「ありがとうございます!」
「嬉しそうに言うことではありませんわ!」
レフィーナが。
小さく笑った。
「ですが」
ディートリーゼが。
もう一度、五つの灯火を見る。
「まずは、身体を休めなさいな」
「……はい」
「今度こそ、本当に寝るのですわよ」
「努力します」
「『はい』と言いなさいな!」
「はい!」
赤い灯火が。
弱く。
揺れた。
消えそうになりながら。
それでも。
まだ。
確かに燃えていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
更新は週2~3回を目安に予定しています。
感想・評価・ブックマークを頂けると、今後の執筆の励みになります。
どうぞ宜しくお願い致します。




