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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第3章 時空の塔の姫騎士

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第17話「握った手」

 黒点が消えた。


 路地には。


 倒れたレフィーナが残されていた。


 石畳はえぐれ。


 壁はひび割れ。


 砕けた瓦礫が、あちこちへ散らばっている。


 先ほどまで満ちていた金色の光も。


 もうない。


 レフィーナは。


 動かなかった。


「……」


 ディートリーゼも。


 動けなかった。


「今、楽にしてやろう」


 暗黒の姫騎士が。


 ゆっくりとレフィーナへ歩み寄る。


 一歩。


 また一歩。


 足音はない。


 けれど。


 近づくたびに、黒い影が石畳へ広がっていく。


 ディートリーゼの頭の中に。


 冷たい答えが並び始めた。


 ――ここで終わる。


 未来の怪物が。


 今、ここで消える。


 レフィーナがいなくなれば。


 あの未来は訪れないかもしれない。


 世界は。


 救われるかもしれない。


 自分は。


 何もしなくていい。


 そう。


 何もしなくていい。


 暗黒の姫騎士が。


 倒れたレフィーナへ手を伸ばす。


 黒い指先が。


 額のティアラへ近づいていく。


 ディートリーゼは。


 その光景を見ていた。


 これでいい。


 そう思わなければならない。


 自分ができなかったことを。


 目の前の相手がしてくれるだけ。


 何もしなければ。


 それだけで――。


 ふと。


 温かい湯気が、脳裏をよぎった。


『わたくしは、一人でも問題ありませんわ』


『はい。でも、今日は二人です』


「……」


 レフィーナの笑顔。


 何の疑いもなく。


 当たり前のように。


 自分の前へ、二つの器を並べた少女。


『ディートリーゼさんは、優しいですね』


 違う。


 優しくなどない。


 そう否定した。


 何度も。


 それなのに。


 今度は。


 別の光景が浮かんだ。


 冷たい石壁。


 閉じていく鉄格子。


 伸ばした手。


 届かなかった手。


 残してきた、一人の男。


 ダン。


 あの時。


 自分は。


 戻れなかった。


 助けられなかった。


 置いてきた。


 ――また。


 胸の奥で。


 誰かの声がした。


 ――また、見捨てるのですの?


「……っ」


 ディートリーゼの足が。


 動いた。


 考えるより先に。


「レフィーナ!」


 暗黒の姫騎士が振り返る。


 だが。


 それより早く。


 ディートリーゼは倒れたレフィーナの手を掴んだ。


 指先が震えていた。


 それでも。


 ディートリーゼは、握った手を離さなかった。


「時の跳躍――帰還!」


 紫色の光が弾けた。


 時計の針が。


 一斉に逆回転するような音。


 カチ。


 カチ、カチ、カチ――!


 暗黒の姫騎士が手を伸ばす。


 黒い指先が。


 紫の光へ触れかけた。


「逃がすか!」


 空気が歪む。


 闇が、紫の光を掴もうとする。


 ディートリーゼは歯を食いしばった。


「帰りますわよ……!」


 時空の流れが軋む。


 レフィーナ一人を連れての強制跳躍。


 しかも。


 時の流れを乱す闇の中から。


 術式が悲鳴を上げていた。


「わたくしの塔へ――!」


 時計の音が。


 ひときわ強く鳴った。


 次の瞬間。


 二人の姿が。


 路地から消えた。


     * * *


 白い光。


 落下するような感覚。


 そして。


「きゃっ――!」


 ディートリーゼは時空の塔の石床へ投げ出された。


 肩を打つ。


 息が詰まった。


 そのすぐ横で。


 レフィーナも、床へ横たわる。


 白い円形の広間。


 流れる星の天井。


 床下で回る巨大な歯車。


 帰ってきた。


「はぁ……はぁ……」


 ディートリーゼは、左手の杖を床へついた。


 呼吸が整わない。


 額から汗が落ちる。


 杖の先にある砂時計も、激しく明滅していた。


「無茶苦茶ですわね……」


 自分でやったことなのに。


 思わず、そう呟いた。


 術式を整える暇もなく。


 他人まで巻き込んで。


 時の流れが乱れた場所から無理やり帰還した。


 少しでも術式が崩れれば。


 二人とも、時空の狭間へ投げ出されていたかもしれない。


「ですが……」


 レフィーナを見る。


 呼吸はある。


 弱い。


 けれど。


 生きている。


 ディートリーゼの肩から。


 少しだけ力が抜けた。


「……うまくいきましたわ」


 ようやく。


 そこで気づいた。


 自分の右手。


 その手は。


 まだ。


 レフィーナの手を握っていた。


「……」


 離そうとする。


 けれど。


 指が動かなかった。


 ついさっきまで。


 この少女を置いていけばいいと思っていた。


 未来の滅びを招くかもしれない少女。


 殺すべきかもしれないと。


 今も考えている少女。


 なのに。


「つい……」


 声が。


 小さくこぼれた。


「咄嗟に手を取ってしまいましたわ」


 答えはない。


 レフィーナは眠ったまま。


 ディートリーゼは、その横顔を見つめる。


「あのまま何もしなければ……」


 一拍。


「よかったはずですのに」


 未来のためなら。


 正しいはずだった。


 なのに。


 できなかった。


 レフィーナの額では。


 光のティアラが、かすかに輝いている。


 弱くても。


 温かな光。


 ディートリーゼは。


 その光から目を逸らした。


「あなたは、本当に……」


 握った手へ視線を落とす。


「困った方ですわね」


 それでも。


 手は。


 まだ離れなかった。


     * * *


 イルファリアの路地は。


 静まり返っていた。


 黒い闇の名残が。


 えぐれた石畳の上を漂っている。


 暗黒の姫騎士は。


 二人が消えた場所を見つめていた。


 あと一歩だった。


 レフィーナも。


 時の姫騎士も。


 まとめて手に入るはずだった。


「……あやつ」


 黒い闇が。


 足元で低く渦を巻く。


「時を跳躍する力にまで目覚めたか?」


 少し離れた場所で伏せていた帝国兵が。


 恐る恐る顔を上げた。


「暗黒の姫騎士様……あの者たちは、どこへ……?」


「まだ遠くへは行けぬはずだ」


 即答だった。


 時空の塔。


 その存在を。


 暗黒の姫騎士は知らない。


「イルファリア全土を探せ」


「はっ!」


「森も、村も、地下もだ」


 仮面の奥から。


 低い声が続く。


「港も封鎖しろ」


「ただちに!」


「何としても、あの二人を探し出せ!」


 帝国兵たちは一斉に立ち上がった。


 誰も逆らわない。


 誰も問い返さない。


 足音が遠ざかっていく。


 やがて。


 路地には。


 暗黒の姫騎士だけが残った。


 彼女は。


 レフィーナが倒れていた場所へ視線を落とす。


 石畳には。


 一本の深い傷が残っていた。


 光の剣が。


 闇に抗った跡。


 仮面の奥で。


 何かが揺れた。


「レフィーナ……」


 その名は。


 怒りにも聞こえた。


 悲しみにも聞こえた。


 けれど。


 その意味は。


 黒い仮面の奥に隠されたままだった。

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2~3回を目安に予定しています。

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