第16話「ブラックホール・トゥ・アビス」
黒点が。
ゆっくりと膨らみ始めた。
「……っ!」
レフィーナの髪が、大きく揺れる。
石畳の砂が浮かび。
小石が転がり。
帝国兵の剣が、地面を擦りながら引き寄せられていく。
黒点は。
ただ闇を生み出しているのではない。
周囲にあるものすべてを。
光さえも。
自分の中へ引き込んでいる。
ディートリーゼの顔色が変わった。
「レフィーナ!」
杖を握り締める。
「離れなさいな!」
「……!」
レフィーナは後ろへ下がろうとした。
だが。
足が動かない。
先ほどまで全身を押さえつけていた重圧が。
今度は逆に。
身体そのものを、黒点へ引き寄せていた。
「くっ……!」
靴底が石畳を滑る。
レフィーナは剣を石畳へ突き立てた。
ガキンッ!
両手で柄を握る。
ルミナス・エンチャントブレードの光が、刀身の中央を走った。
金色の光が、突き立てた刃を補強する。
剣が。
レフィーナの身体を、その場へ繋ぎ止める。
それでも。
ずるり。
足が前へ滑った。
「そんな……!」
黒点が、さらに大きくなる。
周囲の光が曲がった。
石壁が軋む。
割れた瓦礫が浮き上がる。
空気そのものが。
悲鳴を上げているようだった。
「やばいですわ……」
ディートリーゼの声が震える。
いつもの強がりも。
高らかな笑い声もない。
「これは……どうあがいても無理ですわ!」
暗黒の姫騎士は。
黒点を掲げたまま、静かに告げた。
「ブラックホール・トゥ・アビス」
瞬間。
闇が。
脈打った。
「――っ!」
轟音。
黒い重力が、レフィーナたちのいる一角を呑み込んだ。
石畳が砕ける。
壁が軋む。
瓦礫が次々に浮き上がり、闇へ引きずられていく。
ディートリーゼのローブも、闇へ向かって激しくはためく。
彼女も足を踏ん張った。
レフィーナの身体が大きく傾いた。
「くっ……!」
突き立てた剣へしがみつく。
光が強くなる。
だが。
黒い重力は、それすら引き剥がそうとしていた。
剣が。
石畳を削りながら滑っていく。
ギギギギギ――!
レフィーナは歯を食いしばった。
離せば。
終わる。
身体ごと、あの闇へ持っていかれる。
「レフィーナ!」
ディートリーゼが杖を振り上げた。
「止まりなさい!」
紫色の光が広がる。
時間を止める。
これまで。
何度も世界を静止させてきた力。
だが。
「……!」
光が。
安定しない。
紫の輪が現れては歪み。
時計の紋様が浮かんでは崩れる。
進むはずの針が逆回りし。
次の瞬間には。
折れたように跳ねた。
「何ですの、これは……!」
ディートリーゼが杖を握り締める。
「時の流れまで……乱されていますの!?」
黒点の周囲で。
時間そのものが歪んでいる。
一瞬が長く伸びたかと思えば。
次の瞬間には、飛び越える。
ディートリーゼの術式が。
形を保てない。
「止まりなさい……!」
砂時計の宝石が激しく明滅する。
「止まりなさいですわ……!」
それでも。
闇は止まらない。
暗黒の姫騎士は。
ただ、二人を見ていた。
レフィーナの足が。
また滑った。
「うっ……!」
剣を握る指が痛む。
皮膚が裂ける。
掌から血が滲んだ。
それでも。
レフィーナは剣を離さない。
ルミナス・エンチャントブレードの光は。
もう細い。
今にも消えそうだった。
「その程度で」
暗黒の姫騎士の声が響く。
「何を守るつもりだ」
「……っ!」
レフィーナは顔を上げた。
仮面の奥。
表情は見えない。
それでも。
その言葉だけは。
胸の奥まで届いた。
守れない。
今の自分では。
この相手に。
何もできない。
未来では。
世界を滅ぼすほどの力を持っているのに。
今は。
自分一人すら、支えきれない。
怖い。
悔しい。
苦しい。
それでも。
「まだ……です……!」
ディートリーゼが目を見開いた。
「レフィーナ……?」
レフィーナは。
剣の柄を握り直した。
血に濡れた指で。
もう一度。
「まだ、私は……」
息が苦しい。
言葉が途切れる。
それでも。
「何も、終わらせていません……!」
未来は。
まだ終わっていない。
今も。
終わっていない。
お姉様を、まだ助けていない。
赤い灯火も。
青も。
緑も。
黄土も。
白も。
まだ消えていない。
さっきの少年だって。
母親のもとへ辿り着けたか分からない。
だから。
まだ。
終われない。
レフィーナは。
震える足へ力を込めた。
一歩でも。
闇から離れようとする。
だが。
暗黒の姫騎士の指が。
わずかに動いた。
黒点が。
さらに深く脈打つ。
「……!」
石畳が。
割れた。
剣の周囲に。
亀裂が走る。
「レフィーナ!」
ディートリーゼが叫んだ。
レフィーナは剣を握る。
必死に。
離さない。
けれど。
バキンッ!
剣を支えていた石畳が砕けた。
刃が抜ける。
「あ――」
支えを失った身体が。
宙へ浮いた。
「レフィーナ!」
ディートリーゼが手を伸ばす。
届かない。
暗黒の姫騎士の指が、静かに閉じた。
黒点が。
一瞬だけ収縮する。
次の瞬間。
圧縮された黒い重力が、一気に弾けた。
レフィーナの身体が吹き飛ぶ。
石畳へ。
激しく叩きつけられた。
「――っ!」
肺から。
息が抜ける。
視界が白く弾けた。
音が遠くなる。
剣が。
手から離れた。
石畳を滑っていく。
刀身を走っていた金色の光が。
一度。
弱く瞬いた。
そして。
消えた。
レフィーナは。
そのまま動かなくなった。
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