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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第3章 時空の塔の姫騎士

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第15話「暗黒の姫騎士」

 暗黒が、人の形を取っていた。


 黒い外套。


 風もないのに、ゆっくりと揺れる長い裾。


 光を吸い込むような鎧。


 顔を覆う、表情の読めない仮面。


 その周囲には、煙のような闇がまとわりつき、石畳の上を這うように広がっている。


 帝国兵たちは、少し離れた場所で膝をついていた。


 つい先ほどまでレフィーナを嘲笑っていた男たちが、誰一人として顔を上げようとしない。


 レフィーナの背後では、少年が震えている。


 小さな手で、パンの包みと薬草を抱き締めていた。


 レフィーナは、光をまとった剣を構えた。


 さっきまで帝国兵の武装を弾き飛ばしていた金色の光が、今は闇に押されるように細く揺れている。


「あなたは……帝国の人ですか?」


 声は震えた。


 それでも、剣先は下げない。


 暗黒の姫騎士は答えなかった。


 仮面の奥の視線だけが、ゆっくりと動く。


 レフィーナではない。


 その隣に立つ、ディートリーゼへ。


「時の姫騎士」


 低い声だった。


 冷たい。


 けれど。


 ただ敵へ向けるだけの声には聞こえなかった。


 ディートリーゼの肩が、かすかに揺れた。


「……わたくしを、知っていますの?」


 暗黒の姫騎士が、一歩進む。


 足音はしない。


 だが、踏み出した先から、石畳へ闇が染み込んでいく。


「あの弱者が、ここまで厄介になるとはな」


 ディートリーゼの表情が強張った。


「……!」


 弱者。


 その言葉が。


 遠い過去をえぐる。


 親善試合で一回戦敗退。


 誰からも期待されず。


 時の姫騎士でありながら、大した力もないと軽く見られていた頃。


 それを。


 この相手は知っている。


「あなた……」


 ディートリーゼが扇子を閉じた。


 カチリ。


 柄が伸び、白い杖へ変わる。


「何者ですの!?」


 答えはない。


 仮面が。


 今度はレフィーナへ向いた。


「そして、お前も」


「……私?」


 その声には。


 押し殺した苛立ちがあった。


 怒りにも似ている。


 だが。


 レフィーナには、その理由が分からない。


 けれど。


 今、するべきことは分かっていた。


「走ってください」


 背後の少年へ、小さく声をかける。


「お、お姉ちゃんは……?」


「あの角を曲がった先に、崩れた家があります。そこに隠れてください」


「でも……」


「大丈夫です」


 レフィーナは振り返らなかった。


 暗黒の姫騎士から。


 目を逸らすことができなかった。


「お母さんのところへ、薬を持って帰ってあげてください」


「……うん」


 少年は震えながら頷いた。


 パンの包みと薬草を抱え直し。


 走り出す。


 暗黒の姫騎士は。


 止めなかった。


 まるで。


 少年になど、最初から興味がないように。


 小さな足音が、路地の角へ消えていく。


 それを確認して。


 レフィーナは、剣を握り直した。


     * * *


「レフィーナ」


 ディートリーゼが、低い声で呼んだ。


「相手の力が分かりませんわ。ここは一度、退きますわよ」


 レフィーナは首を振る。


「逃げても、あの人は追ってきます」


「だからといって、正面から――」


 言葉が途切れた。


 暗黒の姫騎士が。


 ゆっくりと片手を上げた。


 ただ。


 それだけだった。


 剣を抜いたわけではない。


 踏み込んでもいない。


 なのに。


 周囲の闇が、一斉に濃くなった。


「……っ!」


 空気が重い。


 石畳そのものが沈んだように感じる。


 レフィーナは踏み込もうとした。


 飛燕剣・初太刀。


 届くべき場所へ届く剣。


 だが。


「くっ……!」


 足が動かなかった。


 見えない重石が、全身を押さえつけている。


 息を吸うだけで苦しい。


 剣を支える腕が震える。


 ルミナス・エンチャントブレードの光が。


 細くなる。


 押し潰されるように。


 暗黒の姫騎士は、そこから一歩も動いていない。


 ただ立っているだけ。


 それなのに。


 レフィーナは剣を振ることすらできなかった。


「その程度か」


 冷たい言葉が落ちた。


「……っ」


 レフィーナの胸に突き刺さる。


 未来では。


 自分は世界を滅ぼすかもしれない。


 大魔王に呑まれ。


 黒い力で、すべてを壊すかもしれない。


 なのに。


 今は。


 目の前にいる、たった一人へ。


 剣を届かせることさえできない。


「まだ……」


 レフィーナは歯を食いしばった。


 剣を支えに、一歩。


 足を前へ出そうとする。


 だが。


 闇が、さらに重くなる。


 膝が沈んだ。


 ディートリーゼが杖を構える。


「クロックディビエーション!」


 紫色の光が走った。


 いくつもの光輪が、暗黒の姫騎士を包もうとする。


 行動の時機をずらす。


 ほんのわずかでも。


 その間に、レフィーナを退かせる。


 だが。


 紫の光が闇へ触れた瞬間。


 ぐにゃり、と歪んだ。


「……え?」


 光輪がねじれる。


 時間の流れそのものが乱れ。


 次の瞬間。


 弾け飛んだ。


「術式が……!」


 ディートリーゼが息を呑む。


「乱されましたの?」


 暗黒の姫騎士が。


 ゆっくりと顔を向けた。


 それだけで。


 ディートリーゼの背中を、冷たいものが走った。


 ――まずい。


 本能が告げている。


 レフィーナも感じていた。


 この相手は。


 自分たちとは、立っている場所そのものが違う。


     * * *


 暗黒の姫騎士が。


 上げたままの手を、ゆっくりと返した。


 掌を、上へ。


 その中心に。


 ぽつり。


 針の先ほどの黒点が生まれた。


「……?」


 最初は。


 ただの染みに見えた。


 小さな。


 何の変哲もない黒い点。


 だが。


 石畳の砂が。


 ふわりと浮いた。


 レフィーナの髪が、わずかに揺れる。


 道端に転がっていた小石が。


 カタ。


 カタカタ……。


 黒点の方へ動き始めた。


 石畳に落ちていた帝国兵の剣が。


 ズズズ……。


 地を擦りながら。


 ゆっくりと。


 黒点へ引かれていく。


「何、ですか……あれ……」


 レフィーナの声が震えた。


 ディートリーゼは答えない。


 答えられなかった。


 路地の奥。


 消えかけていた小さな火。


 その光が。


 糸のように細く伸びた。


 黒点へ。


 吸い込まれる。


 そして。


 消えた。


 黒点は。


 周囲の光を、喰らい始めていた。

お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2~3回を目安に予定しています。

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