第12話「帰郷」
「時空の塔には、いくつかの固定航路がありますの」
ディートリーゼは、観測室の壁に刻まれた古代文字に手をかざした。
水晶球には、今のイルファリアが映っている。
崩れた城壁。
削り取られた王家の紋章。
灰色の空。
そして、掲げられたガルギア帝国の黒い旗。
レフィーナは、剣の柄を握った。
胸の奥が痛む。
絶対だと告げられた未来を見た。
それでも、まだ何も終わっていないと決めた。
なら。
今度は、現実を見なければならない。
「固定航路……ですか?」
「ええ。超古代文明が残した転移経路ですわ」
ディートリーゼの指先に応じて、壁の古代文字が銀色に光り始める。
ひとつ。
またひとつ。
光は大きな円を描き、その内側に星と歯車の紋様を浮かび上がらせた。
中央には。
イルファリア王家の紋章。
「好きな場所へ自由に行けるわけではありませんの」
ディートリーゼは説明する。
「古い時代に定められた場所と、この塔を繋いでいるだけですわ」
「では、この先は……」
「現在のイルファリア」
ディートリーゼは、レフィーナを見る。
「過去ではありません。未来でもありません」
一拍。
「あなたが逃げ延びた後の、今の故郷ですわ」
レフィーナは、小さく息を吸った。
「行きます」
「……本当に、諦めが悪い方ですわね」
「先生にも、よく言われました」
「ええ。聞き飽きましたわ」
そう言いながらも、ディートリーゼの声は少しだけ柔らかかった。
扇子の柄で、魔法陣の中央を叩く。
カチリ。
古代文字が回り始めた。
銀色の光が床へ伸びる。
その先に、細い道が生まれた。
周囲は夜のように暗い。
遠くで、無数の時計の針が星のように流れている。
レフィーナは思わず足を止めた。
「ここを……歩くんですか?」
「当然ですわ」
ディートリーゼは先に進む。
「それと」
振り返った。
「絶対に、わたくしから離れないこと」
「はい」
「道の外へ出るのも禁止ですわ」
「はい」
「勝手に走り出すのも禁止」
「……努力します」
「そこは『はい』と言いなさいな!」
レフィーナは慌てて頷いた。
「はい!」
「まったく……」
二人は、銀色の道を進んだ。
歩いているはずなのに。
距離の感覚が、おかしい。
一歩が数歩にも感じられ。
長く歩いたと思えば、振り返った入口はまだ近くに見える。
レフィーナは少しふらついた。
「足元だけ見て歩きなさいな」
「はい……」
ディートリーゼの声を頼りに進む。
やがて。
暗闇の先に、淡い白色の光が見えた。
「出口ですわ」
光が広がる。
レフィーナは目を細めた。
* * *
冷たい石の匂いがした。
レフィーナが目を開ける。
薄暗い地下。
低い天井。
苔の生えた石壁。
崩れた柱。
そして足元には、今通ってきた航路と同じ、星と歯車の古い紋様が残っていた。
ディートリーゼが周囲を確認する。
「到着ですわ」
「ここが……」
レフィーナは胸に手を当てた。
まだ地上ではない。
王都の姿も見えない。
それでも。
懐かしい。
湿った石の匂い。
地下を流れる水の音。
遠い昔。
姉に手を引かれて、城の礼拝堂を歩いた時の空気に似ていた。
「イルファリア……」
小さく呟く。
「ここは、レアリーの礼拝堂ですわ」
「レアリー様……」
光を司る女神。
レフィーナは周囲を見る。
奥には、小さな石の祭壇があった。
その背後の壁には、欠けかけた光の紋章。
割れた燭台。
朽ちた長椅子。
もう長い間、誰も訪れていないのだろう。
レフィーナは、ゆっくりと祭壇へ近づいた。
その時。
額のティアラが、かすかに温かくなる。
「……?」
祭壇の下から。
淡い光が漏れた。
ディートリーゼが目を細める。
「何か反応していますわね」
レフィーナは膝をついた。
祭壇の下へ手を伸ばす。
古い石板に触れた瞬間。
カタン。
石の蓋が、わずかに動いた。
「開いた……」
その奥に。
一冊の本が収められていた。
白い革の表紙。
金色の線で描かれた、光の紋章。
長い年月を経ているはずなのに、ほとんど傷んでいない。
レフィーナが、そっと手に取る。
その瞬間。
本が淡く輝いた。
「……!」
ひとりでにページが開く。
古い文字。
本来なら、読めるはずのない文字だった。
けれど。
文字が光へ変わった。
その意味が。
まるで最初から知っていたもののように、レフィーナの胸へ流れ込んでくる。
剣へ、光を通す。
刃の中を巡る道へ。
ティアラから生まれた光を流し。
武器そのものを、守るための力へ変える。
「ルミナス……」
レフィーナは呟いた。
「エンチャントブレード……」
ディートリーゼが、本を覗き込む。
「読めますの?」
「読める、というより……」
レフィーナは、自分の剣を見る。
白銀の刀身。
中央を走る、細い金色の筋。
「分かるんです。光を、どこへ通せばいいのか」
「なるほど」
ディートリーゼは目を細めた。
「ティアラと剣の間に、最初から存在している光の経路を利用する術式ですわね」
「私にも、使えるでしょうか」
「すぐに使えるほど簡単ではありませんわよ」
「そう、ですよね……」
「ですが」
扇子が開く。
「あなたは、諦めの悪さだけは一級品ですもの」
レフィーナが顔を上げた。
「必要な時には、案外届くかもしれませんわね」
「ありがとうございます」
「褒めてはいませんわ」
「でも、少し励ましてくれました」
「しておりませんわ!」
ディートリーゼが、ぷいと顔を背ける。
レフィーナは小さく笑った。
そして。
魔法の本を、もう一度見下ろす。
守るための光。
未来で見た、世界を壊す黒い力とは違う。
自分が選ぶための光。
その意味を。
レフィーナはまだ、知らなかった。
その時だった。
地上の方から、鈍い音がした。
金属のぶつかる音。
誰かの怒鳴り声。
そして。
小さな悲鳴が響いた。
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