第11話「未来を拒む者」
「私が止めます」
レフィーナは、まっすぐディートリーゼを見ていた。
声はまだ震えている。
涙の跡も残っている。
それでも、その言葉だけは揺らがなかった。
ディートリーゼは、しばらく何も言わなかった。
未来を変える。
そんな言葉なら、何度も聞いてきた。
自分自身も、何度そう願ったか分からない。
けれど。
願うだけでは、未来は変わらなかった。
分岐を探した。
原因を探した。
何度も未来を観測した。
それでも。
最後には、同じ場所へ辿り着いた。
「……言うのは簡単ですわ」
ようやく、ディートリーゼが口を開いた。
レフィーナは頷く。
「はい」
「分かっていますの?」
「簡単じゃないと思います」
「でしたら――」
「でも」
レフィーナは、自分の胸に手を当てた。
「まだ何も終わっていません」
ディートリーゼの瞳が揺れる。
「未来は、もう見たでしょう?」
「はい」
「世界は滅びていましたわ」
「はい」
「あなたの姿をした大魔王が、世界を壊していましたわ」
「はい」
レフィーナは、ひとつひとつ受け止めるように答えた。
逃げない。
否定もしない。
「でも」
顔を上げる。
「私は、まだあの未来になっていません」
観測室の水晶の光が、淡く揺れる。
「お姉様も、まだ助けていません」
一歩。
「さっき見た姫騎士様たちも、まだ消えていません」
もう一歩。
「だから」
レフィーナは言った。
「私は、まだ進めます」
ディートリーゼは、扇子を握る手に力を込めた。
「あなたは、本当に……」
小さく息を吐く。
「諦めが悪い方ですわね」
レフィーナは、少しだけ笑った。
「先生にも、よく言われました」
「でしょうね」
ディートリーゼは呆れたように答える。
けれど。
その声には、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。
* * *
水晶球の奥に。
再び、五つの灯火が浮かび上がった。
赤。
青。
緑。
橙。
白。
その中で。
赤い光が、弱々しく揺れている。
レフィーナは近づいた。
「炎の姫騎士様が、一番弱っています」
「ええ」
ディートリーゼも灯火を見る。
その目は、ただ心配しているだけではなかった。
何かを探すように。
確かめるように。
五つの光を見ている。
だが。
レフィーナは尋ねなかった。
今は。
それよりも。
「助けに行きましょう」
「まだ決めませんわ」
即答だった。
レフィーナが振り返る。
「どうしてですか?」
「あなたは、たった今あの未来を見たばかりですの」
ディートリーゼの声が少し厳しくなる。
「自分が何になるのかも分からない。それでも、すぐ次へ行こうとする。それがどれだけ危ういことか、分かっていますの?」
レフィーナは黙った。
「姫騎士たちを助ければ、未来が変わるとは限りませんわ」
ディートリーゼは続ける。
「むしろ、あなたが動くことで、あの未来へ近づく可能性だってありますの」
赤い灯火が、また小さく揺れた。
レフィーナは、それを見つめる。
「それでも」
静かに言った。
「助けられるか分からないから行かない、とは言いたくありません」
ディートリーゼが目を細める。
「あなたは、未来を変えたいのでしょう?」
「はい」
「でしたら、なおさら慎重になるべきですわ」
「そうだと思います」
「では――」
「でも」
レフィーナは、首を横に振った。
「助けられるから行く、じゃありません」
ディートリーゼが言葉を止める。
レフィーナは、赤い灯火を見る。
消えそうで。
それでも、まだ燃えている光。
「私が助けたいかどうか、なんです」
それは。
未来を変えるための作戦ではなかった。
正しい道を選ぶための理論でもない。
目の前に。
助けを求めている人がいる。
ならば。
見なかったことにはしたくない。
ただ、それだけだった。
「その考え方は」
ディートリーゼが静かに言う。
「いつか、あなたを壊しますわよ」
「そうかもしれません」
「否定しませんの?」
「はい」
レフィーナは少し困ったように笑った。
「先生にも言われました」
「また先生ですの?」
「はい」
レフィーナは、少し懐かしそうに目を細める。
「優しいだけでは守れないって」
ディートリーゼは黙って聞いている。
「でも」
レフィーナは続けた。
「優しさを捨てた強さにも、意味はないって」
観測室に、時計の音が響く。
カチ。
カチ。
カチ――。
ディートリーゼは目を伏せた。
優しさ。
そんなものが、自分にも残っているのだろうか。
レフィーナを殺せなかったこと。
マークを助けたこと。
食事を断りきれなかったこと。
それは。
優しさなのか。
ただの弱さなのか。
「……本当に」
ディートリーゼが呟く。
「面倒な方ですわね、あなたは」
「すみません」
「そこで謝るところではありませんわ!」
レフィーナが少し驚く。
ディートリーゼは扇子を開き、顔を隠した。
「まったく……調子が狂いますわ」
* * *
「姫騎士たちを助ける話は」
しばらくして、ディートリーゼが言った。
「まだ決めませんわ」
レフィーナは少し残念そうな顔をする。
「ですが」
扇子が閉じる。
「あなたが現実を見て、それでも同じことを言えるか」
ディートリーゼは観測室の壁へ向かった。
「まずは、それを確かめますの」
「現実……ですか?」
「ええ」
壁には、大きな時計盤が埋め込まれていた。
複雑な古代文字。
何重にも重なった針。
そして、その中央。
薄く消えかけた紋章。
レフィーナの目が見開かれる。
「……!」
知っている。
見間違えるはずがない。
イルファリア王家の紋章だった。
「イルファリア……」
「ええ」
ディートリーゼは時計盤に手をかざした。
「あなたの故郷ですわ」
針が。
ゆっくりと逆向きに動き始める。
カチ。
カチ、カチ――。
「お姉様は……」
レフィーナが息を呑む。
「お姉様が、そこに?」
「分かりませんわ」
ディートリーゼは首を振った。
「あなたの姉がどこにいるのか。帝国が何をしているのか。わたくしにも、すべては分かりませんの」
時計盤の光が強くなる。
「ですが」
ディートリーゼは、レフィーナを見る。
「未来ではなく」
一拍。
「今のイルファリアを見なさいな」
レフィーナの胸が締めつけられた。
故郷。
ずっと帰りたかった場所。
同時に。
見るのが怖かった場所。
城は。
町は。
人々は。
もう、自分の知っていたイルファリアではないかもしれない。
帝国の旗が掲げられているかもしれない。
傷ついた人がいるかもしれない。
知ってしまえば。
もう、知らなかった頃には戻れない。
それでも。
「行きます」
レフィーナは言った。
声は少し震えていた。
けれど。
確かだった。
「私は、見ます」
剣の柄へ手を置く。
「今のイルファリアを」
ディートリーゼは、しばらくレフィーナを見ていた。
やがて。
ほんのわずかに頷く。
「そう言うと思いましたわ」
時計盤が、強い光を放つ。
その向こうに。
荒れ果てた街の景色が、ゆっくりと浮かび始めた。
崩れた城壁。
削り取られた王家の紋章。
そして。
風に揺れる、ガルギア帝国の黒い旗。
レフィーナは、その光景から目を逸らさなかった。
未来ではなく。
今。
目の前にあるものを、確かめるために。
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